第21話 遠い世界の出来事

 現役閣僚の孫が、武装グループのリーダーだという事実は、確実に政権を崩壊させる要因となったろう。

 桜盛はノンポリであるが、中国が侵攻を考えている今は、そういった判断は出来るのだ。

 鉄山の助言に従い、遺体は物理的に消滅してもらった。

 謎のリーダーの行方は、今後も大規模な捜査がされるかもしれない。

 もっとも桜盛はさすがに、処理したことだけは警察に連絡するつもりであるが。


 爆弾も処理し、犯行グループは全滅、リーダーは行方知れず。

 北朝鮮や中国の動きは、さすがに桜盛の手の出るところではない。

 すると残ったのは、玉蘭の件だけになる。


 今回の事件、大局的に見れば、日本の安全保障を大きく揺るがす、大事件となっていたはずであった。

 特に以前から指摘されていた、台湾有事について。

 この件については玉蘭にとっても、重要なことであったそうな。

 彼女が急に協力してくれたからこそ、時間を短縮して事態を解決できたのだ。


 二人はやがて機動隊が突入してくるであろうホールから離れて、またもクルーザーにまで戻ってきた。

「結局、何が目的だったんだい?」

「色々な目的が交錯して、その結果が無茶苦茶になったと言うか……」

 桜盛自身もまだ、全容を把握していない。

 質問権を使おうにも、前提となる知識を持っていなければ、質問のしようがないのである。

「だいたい三つに分かれていたと言っていいのかな」

 北朝鮮からの亡命者と、中国の侵略と、日本の政権転覆と。

 この中ではまだ、中国の動きについては、完全には終わっていない。


 日本の場合はあのリーダーが、政権内のみならず政治家のスキャンダルを全て暴露し、解散総選挙あたりを狙っていたのだろう。

 桜盛は普通の日本人程度には、政治に対する不信がある。

 なのでこの暴露自体は、通常であれば見逃しても良かったのだ。

 ただ爆弾をホールの天井に設置していたのは、自爆覚悟のものであったとも思える。

 とにかく現役閣僚の孫が、破壊工作などを行うというのは、このタイミングではまずかった。


 北朝鮮の人間は、明らかに利用されていただけであった。

 そもそも北朝鮮が自ら出したのか、それとも上手く誘導したのか、そのあたりもよく分からない。

 質問権を上手く使えば、答えもちゃんと出てくるのかもしれないが、とりあえず今はもう考えたくはない。


 一番危険だったのが、中国による台湾有事か。

 正直なところ、ここは桜盛も理解していない。

 だが危険だとは感じたので、とにかく事態を終わらせた。

 あとは国のお偉いさんに、任せるのみである。

 ただ勇者世界がそうであったように、現在の世界情勢についても、一度鉄山あたりから、詳しく聞いておくべきではあると思う。




「海も封鎖されてると思うけど、脱出出来るのか?」

 そう問われた玉蘭は、不思議そうな顔をした。

「逃がしてくれるのか?」

「あんたは雇われただけだろ? それに俺は特に迷惑もかけられてないし」

「手や足を折られて、恨まれているとは思わないのかい?」

「恨んでいるのか?」

「呪いまでかけてるのに?」

「その呪いがあれば、俺にはまず被害は出ないだろうしな」


 桜盛は正しく理解しているつもりであるし、勇者世界ではこの程度の殴り合いは、味方同士でも日常茶飯事だった。

 ただ裏や闇の世界を生きてきた玉蘭にとっても、この桜盛の態度は不思議なものであったらしい。

「面白いやつだな、お主は」

「そんな単純な話でもなく、そのうちここいらの裏事情を、詳しそうな人間に聞いてみたいと思ってたんだよ」

「ふむ。ちなみに私は人間ではなく、仙人なのだがな」

「ああ、だから異常に傷の治りが速いのか」

 神様謹製のポーションを使わないといけないかな、とかも思っていたのだが。


 ふむ、と玉蘭は頷いて、部屋の中を少し探す。

「お主、ペンと紙は持ってないか?」

「あるぞ」

 アイテムボックスの中から、普通に取り出す桜盛である。

 とにかく多くの物が入るので、とても便利に使っている。本来はそういう用途ではないのだろうが。いや、正しいのか?


 玉蘭はその紙に、電話番号を記した。

「もうしばらくは日本にいる予定なので、その間にここにかけろ」

「夜でも大丈夫か?」

「午前中はかけるな。寝てるから」

 ぐーたらな仙人であるが、それも仙人らしいのか。


 そして玉蘭は魚に変身し、東京湾の外へと消えていった。

 そんな変身能力は、桜盛も持っていないものだ。

 やはり単純な戦闘力以外には、色々とできる人間も多いのだろう。




 桜盛は機動隊の突入と、人質の搬出までを見届け、それから家路に就く。

 都内の主な交通機関が、かなり麻痺していたのは、ちょっと驚きであった。

 どうやら武装グループの装備から、遠距離を攻撃できる兵器の所持まで考慮して、かなりの距離から避難させたらしい。

 とにかく慎重に、やりすぎなぐらいに慎重にという日本政府としては、順当な対応であったと言えるだろう。


 そして自宅に帰ってみれば、母が仕事を切り上げて、連絡が入るように準備をしていた。

 父はこんな時であるが、医者である以上はそうそう、休むことも出来ないのだ。

 まあ手術が入っていても、さすがに娘が人質になっている状況では、まともにメスも振るえなかったろうが。


 機動隊によって救出された人質であるが、長く緊張状態にあったため、体調不良になっている人間も何人かいた。

 その中に成美がいたのは、桜盛としても手が届かなかった不覚である。

 実家の病院で点滴を受け、念のために検査もすると、両親は当然のように過剰な心配をしたものである。

 ただそれによって、成美にはいいこともあったのだ。


 それは桜盛も見舞いに来ていた、とある日のこと。

「学校が休めるのはいいけど、病院はつまんない」

 はいはいと流していた桜盛であるが、そこへやってきたのはこの病院の院長を務める父である。

 おや、と思ったのはその父の後ろに、見知らぬ……わけでもない人物を見たからだ。

「成美、特別なお見舞いが来てるよ」

「え? ……うぞ!」

 思わず声が裏返る成美であった。


 そこにいたのは帽子やメガネで変装をしているが、紛れもなくエヴァーブルーの鈴城有希。

 なんでこんなところに、と桜盛も思ったが、なんとなく分からないでもない。

「私のコンサートで入院してしまったって聞いたけど、大丈夫ですか?」

「はい! 元気です! もう明日にでも退院しますから!」

 おそらくこれも、アイドル活動の一環と見てしまうのは、人が悪すぎるだろうか。

 ただ入院した人間の中で、おそらく一番若かったのは、成美であったろう。

 そして性別が女だということも、こういった活動の対象としては良かったのだろう。


 ほんの数分であるが、現役トップアイドルが、ファンの見舞いをしたという事実。

 これはおそらくネットでの拡散を狙っているのかな、と桜盛は皮肉な見方をしていた。

 あの日、人質に取られていながら、有希はどこか余裕があった。

 人間としての迫力、器があのリーダーとは違ったと思える。

 同じ政治家の一族であっても、育て方によって差が出るということか。

 あのリーダーの祖父である政治家は、まだ地位を追われることもなく、ただ政府は何やら色々と、忙しいことになっているらしい。


 去り際に有希は、桜盛の顔にも目を止めた。

 そしてそこで、不審そうになる。

「貴方は、お兄さんですか? それとも彼氏さん?」

「100%間違いなく兄ですが」

 血がつながっていなくても、それは間違いはない。

「変なことを訊くようですけど、上にもう一人お兄さんがいたりしません?」

 似たようなことを最近訊かれたな、と思う桜盛であった。

「うちは兄一人、妹一人ですけど」

「そうですか。すみません、変なことを訊きました」

 去っていく有希の後姿を見送り、桜盛は少し不安な気持ちになる。

(なんだか完璧な変装をしてるのに、女ってこんなに勘が鋭かったか?)

 それを語れるほどには、女には詳しくない桜盛であるのだった。






 結局事態は、どう沈静化したのか。

 こういうことは質問権を繰り返し使うのではなく、詳しい人間に尋ねた方が早い。

 そう思って桜盛はアポを入れた上で、勇者の姿で正面から堂々と、桂木家を訪れたのである。

 何も問題はなく、そのまま離れに通された。

 そこでの鉄山の説明は、なかなか複雑怪奇なものであった。


「つまるところ中国を、上手く扱うしかないんだな」

 ある程度は電話でも説明を受けていたが、桜盛は表面的なものではない、現在の世界情勢を知ることになったのだった。

 極端なことを言ってしまうと、パラダイムシフトの渦中にあると言うべきか。

 そんな簡単な説明では、理解出来ないのが桜盛である。

「何が一番最初かと言うと、中国の一人っ子政策まで遡っちまう可能性もあるが、ソビエト崩壊後の中国の台頭あたりから話をするかな」

 これはまた長くなりそうだと桜盛は覚悟したが、鉄山はそのあたりを説明するのが、かなり上手かった。


 現在の世界情勢は、アメリカと中国の二大勢力が、世界に存在するように見えている。

 だが実のところは、アメリカは日本や他の国を通じて、上手く中国をコントロールしているのだ。

 全体主義国家であり、一党独裁の中国においては、共産党さえ満足させていれば、基本的に破滅的な事態は勃発しない。

 なので日本がかなり国内からも批判される、中国への設備投資などは、中国をおとなしくさせる飴という面がかなり大きかったのだ。


 過去形で言うのは既に中国が、そんな状態から抜けてしまったからだ。

「1990年ぐらいにはもう、中国のやばさは分かってたんだが、まあ日本の内部も色々と派閥があるからなあ」

 桂木家は基本的に、関連会社が中国には進出することはなかった。

 すぐに撤退できるような分野だけは、少し金をかけてもみたものだが。




 中国がバブル的に成長していき、実態もそれに合っていたのは、北京オリンピックまでと言えた。

 その後は不動産バブルやITバブルなど、特定の分野に集中して人的資源を配分していったのだ。

 それでも間に合わず、日本から優秀な技術者を引き抜きなどもした。

 人が育てばあっさりとクビを切るような中国だが、それも国家的なプランがあってこそだ。


 ただ中国は内部に問題を抱えすぎていた。

 都市部と農村部の格差もあれば、その農村部などでの環境汚染問題もある。

 少数民族の弾圧なども、桜盛が知っているぐらいには明らかになっている。

 分かりやすい悪の帝国であるが、それが簡単には崩壊しないあたり、ソビエトよりは賢かったということか。


 そんな中国には、あえて資金をある程度与える形にして、日本は安全保障を行ってきたわけだ。

 人権の蹂躙や民族の弾圧、また国内の活動にも制限をつけるという、全体主義国家として分かりやすい悪。

 だが桜盛はそれを、単純に悪とは決め付けられない。

 絶対的な権力基盤があってこそ、魔王軍との戦いに国力を集中させることが出来た。

 そのために桜盛は、王に反する貴族などを、ほぼ暗殺に近い形で抹殺していったことがあるのだ。


 体制の最大の目的は、体制の維持である。

 そのためには半分以上の体制下の人間が死んでも、問題はないのだ。

 そんな中国でもさすがに限界になったのは、国内の労働人口の減少。

 一人っ子政策により、一人の人間が支える親や祖父母の人数が、増えすぎたことによる。

 これをどうにかするため、中国は特に高齢者に対して、致死的な症状を発するウイルスを開発した。

 高齢者がいなければ若者の労働力を、生産につぎこめるとでも思ったのかもしれない。

 だが実際にはウイルスが変異して、それもコントロール出来なくなった。

 海外にまで洩れてしまったウイルスは、世界経済全体を停滞させた。

 おかげで日本からチューチューと資金を吸うにも、その日本も経済力が低下してしまったわけだが。


 内部には経済格差、農村部の貧困、民族問題、ウイルスの蔓延と、完全に末期症状の中国が、一発逆転ならずとも国内の批判を逸らす目的として企図したもの。

 それが戦争である。

 ただ直前にロシアがウクライナにしかけて失敗しているだけに、中国としても落としどころは考えていた。

 台湾有事で台湾を本当に占領できなくても、その武力を見せ付けることで台湾や日本の海路の安全保障を危うくする。

 それによって日本から金を引き出す、というのが目的だと思われた。


 ただ今回、日本での事件が早々に解決したため、中国は航空戦力も海上戦力も、見せ付ける暇さえなかったのだ。

 さらに昨日には、海軍基地と空軍基地で、爆発事故が起こってしまっている。

「これはお前さんがやったことじゃないのか?」

「俺じゃないけど、誰がやったかは見当がつくかな」

 おそらく玉蘭の仕業であろう。

 そのユイランという名前を聞いた時、鉄山の顔は険しくなったものだ。

「俺の生まれる前から噂されている、暗殺組織の名前だな。最近はあまり聞かなかったが」

 組織ではなく、玉蘭個人の力だろうな、と桜盛は思ったが。




 ともあれこれで、ひとまず平穏は保たれたわけである。

 リーダーの狙っていた、政権与党や野党のスキャンダルも、明らかにしてほしかったかな、とは思う。

 だが鉄山としては、それが公表されても、内閣は吹き飛んでも政権交代まではいかなかっただろうな、というのが意見である。

 解散総選挙にはなったとしても、おそらく野党の逆転はなかっただろう。

「そんなもんかな」

「最近はもう、政権に対するまっとうなデモとかがないからな。俺より若いくせに、直接見てみないと分からんのだ」

 まだ選挙権を行使したことのない桜盛には、よく分からないことである。


 勇者世界においては、暗殺というのはある程度有効な手段であった。

 だが現代日本においては、致命的なダメージを与えるのは難しい。

 元首相が暗殺された事件があってさえ、問題は宗教法人との無理筋の関係で決着した。

「お前さんが殺るなら、目的に応じて適当なリストぐらいは作ってやるぜ」

「いや、やらんが」

 桜盛はそのあたり、日本の常識から外れてはいない。


 まともに選挙が機能しているのだから、野党は説得力のある主張をして、国政を奪取すればいいのだ。

 ただ現実では、与党政治家の築いている個人的なコネクションが、あまりにも大きすぎる。

 そしてそれが二世三世と受け継がれているため、政治家の層が固定されつつある。

 それでも一代で功績をなし、顔を売って国会に入る人間はいるのだから、日本はまだマシだと言えるのだ。


 そもそもこの地球の年齢では、15歳の桜盛が国の心配をするなど、過分に過ぎるというものだろう。

 もちろん国全体の状態が悪くなってきたら、動いてもいいのだろうが。

 ただ桜盛が振るえるのは、あくまでも暴力だ。

 利害関係が密接に複雑に絡み合った現在では、一人を排除したところで日本の政界はそうそう変わらない。

 変わらないから、命を狙われにくい。

 日本の政治システムがそういうものだとは、鉄山の説明で初めて分かった。

 学校では教えてくれないものである。


「これからどうするんだ?」

「俺はもう、しばらくは平和を楽しむかな」

 そもそもそのつもりだったのに、どうしてこんな事件に巻き込まれたものか。

 桜盛としては嘆息するしかないのである。




 神様に願ったモテ。

 だが美女美少女とはそれなりに関わったが、ある程度仲が良くなったのは志保ぐらいである。

 ただもしも素顔を晒してやっていれば、茜もエレナも有希も、命を救ってくれた桜盛に、吊り橋効果で惚れていたのではないか。

 あと敵ではあったが、玉蘭も美人ではあった。

 そう考える桜盛であるが、それは正体を晒すというリスクが大きすぎる。

 しかし神様の雑なモテ基準では、そのあたりが計算に入っていないのではなかろうか。


 ヤクザから女刑事を救い、レイプされかけた学校のマドンナを救い、アイドルを武装グループから救う。

 またそれに伴って、世界の危機とまでは言わないが、東アジアの危機は避けることが出来た。

 明らかに英雄の所業であるが、今は個人の英雄を必要とはしていない世界だ。

 やはり公の場で、あくまでも合法的に、モテの手段を模索するべきだろう。

 ただ……このチートな身体能力で、一般人を圧倒するというのは、まさにチートと言うしかないのではないか。


 関わった美人は多い。

 だがその関係を発展させるのは難しい。

「モテてえなあ……」

 そう呟く桜盛は、とりあえず世界の情勢については、もう完全に忘れることにしたのであった。

 なにせいまだに高校生の桜盛にとっては、遠い世界の出来事であるのだから。




  一章 了

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