第46話 闇の社会の蠕動
下手に最近は力を使っていなかったので、桜盛は注意力が落ちていたと言うべきか。
あるいはもっと辛辣に、慢心していたとも言うべきか。
いや、戦力分析自体は、間違っていないのだ。
ただ勝利条件を厳密に決定していなかった。
石材を動かすのは、水中でなくても出来ることは出来る。
そしてその巨石の下に、封じられていたように、木の箱がある。
透視の魔法が通じないが、中に入っているのは丸いものだ。
どれぐらい古いのかは分からないが、気配はこの数年といったものではない。
石の上に砂などが堆積しているのだから、知識があれば分かったかもしれない。
空気は混じっていなかった。完全に水没していた。
(さあ、地球の魔物はどんなもんだ?)
圧力をかけて、箱を砕く。
だがそれでもまだ、封印は解けない。
(あれ?)
思ったよりも強固な封印で、全くそれが解ける気配はない。
(布を巻いてるのか? それならそれで)
球形のそれを持ったまま、桜盛は海中を進む。
途中からは水の中を進むのがしんどくなって、水面に出てしまったが。
沖合いまで数十キロほど遠ざかり、探知して周囲を探る。
陸地のない海域であり、そして潜水艦なども潜んでいない。
あとは空だろう。
飛行機などはともかく、夜間の偵察衛星。
さすがに大気圏外は、桜盛の探知の範囲外である。
問題は、正体が分かるように戦ってしまうことだ。
そのためのヘルメットであり、そのためのライダースーツだ。
まあ目撃されるとしても、さすがに監視衛星の解像度から、正確な大きさなどは分からないだろう。
(いや、一応は幻覚の魔法も使っておくか)
慎重になる桜盛である。
広域を魔法で覆って、一種の結界とする。
もちろんこんな巨大な魔力反応は、多くの国の能力者が感知することとなった。
また周辺では能力の片鱗を持つ者が、これに反応してしまったりもした。
しかしこれで、誰がやったかは分からないようになるだろう。
桜盛は準備をしてから、いよいよ布を切り裂く。
わずかにほどいた瞬間、中身があふれた。
それは長い体躯を持つ、巨大な蛇と言うべきだろうか。
「でか……」
思わず桜盛が洩らすほど、それは巨大な存在であった。
そしてそれは、魚のようでもあったのだった。
世界中の偵察衛星、近隣の諸国の艦隊、特にアメリカと日本の艦艇が、そのポイントに向かうことになる。
日本の排他的経済水域内で起こった、その爆発。
その破壊力は観測の限り、核の爆発にも匹敵するのでは、と思われるものであった。
もっともあの忌まわしいきのこ雲は発生しない。
完全に海上で行われたのは、幸いであったと言うべきだろうか。
その観測を分析して、世界中の科学者が絶句することになる。
放射線などを通常の爆発と同じ程度しか発しない、核爆発に匹敵する破壊力。
それが丁度お椀のように、一定の領域までを炎で染め上げたのだ。
科学兵器における爆発ではない。
そう判断した各国の元に、それぞれの能力者の組織が伝える。
あれは超常能力の力による爆発であったと。
「そんな能力者はいない!」
アメリカにおいては、超常の研究をしている科学者が、テーブルを叩きながらそう言ったものである。
これまでに多くの奇跡が、地球では起こってきたはずである。
しかし破壊力に振った能力者であっても、そんな過激な能力は持っていない。
そもそも爆発の映像などを見ても、どういう理屈で爆発しているのかが分からない。
気化爆弾にしても、範囲が完全に限定されているのだ。
つまり現代科学の範囲では、理屈の分からない爆発なのである。
桜盛が結界を作ったのは、正解であったと言えよう。
ただ相手が強すぎたことが、想定外の結果を出してしまった。
防御を突破するまでに、他の魔法も使ってみたのだ。
だがそれでは全く足らず、結局は勇者の使う中でも、魔王にさえ使わなかった魔法を使うこととなった。
そして結界は、どうにか最低限の役目は果たしてくれた。
魔物についてはアイテムボックス回収が使えなかったため、海域に放置するしかなかった。
死亡した時点で魔力などは消失していたため、普通の生物と同じようなものではあるのだろう。
ただ地球において、使い魔と違って初めて経験した、魔物との接触。
これはもう魔物ではなく、その一つ上の幻獣であったのかもしれない。
神にも近いと言われる、そういった魔物を超えた生物。
勇者世界であれば研究者が、喜んで遺骸を集めまくったであろう。
ただこの爆発は、本当に世間への影響が大きかった。
夜中であったため、その爆発の閃光は、結界を破ったら当然、日本の沿岸にまで届いたのだ。
果たしてその正体はいったいなんなのか。
ネットの海が沸騰する。
そしてダンス部の合宿は、切り上げて終了することとなった。
沿岸部とまでは言わないが、鎌倉は東京に比べて、その爆心地点に近いと思われたのだ。
常識的に考えれば、なんらかの新兵器の実験か失敗。
あるいはアメリカ海軍の艦艇への、兵器による攻撃であろうか。
そんなところは航路ではない、という普通の説明を、世間は納得するはずもない。
もちろん日本の自衛隊、そしてその上の防衛庁も、これに関しては注視することとなった。
太平洋側が警戒されて、日本海側が無防備とまでは言わないが、警戒は弛む。
だが今回のこの事件に関しては、さすがに日本の仮想敵国も、動こうとはしなかった。
そもそもいったい何が起こったのか、理解できる人間がいない。
新兵器の実験、あるいは事故にしても、観測される限りでは、さっぱり原理が分からない。
超常の異能者を抱えている国であれば、だいたい魔力の爆発は感知していた。
ただそれよりも少し前から、大きな魔力の反応はあったのだが。
いったいこれはどういうことなのか。
超常の力ではあることは間違いないが、どこの勢力によるものなのか。
「まさかこれも、ユージ案件じゃないですよね?」
「どうだろうね」
茜は連絡のつかない桜盛が、この事件の原因だと疑っていない。
彼女にとって説明がつかないことは、全て桜盛の責任なのである。
間違っていないことが、また性質が悪いのだ。
ともあれこれは、どの国に属しているのかも分からない、巨大なパワーの存在が明らかになった。
調査は米軍が主導して、日本も珍しく積極的に、自衛隊を派遣したりもしていた。
他の太平洋に面した国家も、なんだかんだと理由をつけて、艦艇をその海域に出したがる。
だがそこは完全に、日本の勢力圏である。
領海の外ではあるが、完全に他の国の排他的経済水域からは離れている。
またも潜水艦による、沈黙の戦争が、深海で繰り広げられることになるのかもしれない。
何も知らない一般人からすると、陰謀論がとんでもない早さで拡散していった。
日本本土の近海で、なんらかの爆発があったという。
米軍に加えて海上自衛隊も動員され、状況の確認に入っていく。
これをオカルトなしで見ると、何者かの爆発が、日本の近隣でなされたということだ。
安全保障上の立派な問題である。
アメリカの新兵器の実験だ!
いや、アメリカなら自国の領海か、地下施設で行うであろう。
わざわざ日本の近海で行う必要がない。
それだけ危険な兵器だったのだ、と陰謀論を語る人間は、新兵器の機密などが全く分かっていない。
ただ笑えることに、日本の新兵器の実験だ、という陰謀論は少なかった。
兵器開発において、日本はあまり期待されていないらしい。
もちろん日本は、内閣も国会も、関連省庁も大騒ぎである。
そんな中で事件の全貌を知る唯一の人間は、逃避していた。
茜にも鉄山にも連絡を取らず、志保と一緒にお出かけをしたり、成美に付き合って買い物をしたり。
「お前、受験生だよな?」
「今日は予備校休みなの」
まあ成美は普通に、桜盛と同じ学校に、特待生としてでもなく一般枠で、入学する予定なのだが。
さほど偏差値が高すぎるというわけではない学校だ。ただ進学先によっては特進クラスが二年から存在する。
そして蓮花とも夜のクラブなどに付き合う。
まさに迷走している桜盛であるが、一つだけ決めたことはあった。
それはあの合宿であった、従来の人間では通常兵器を大量に投入しないと、倒せない化け物。
ああいったものは自分が退治していくしか、他の人間では無理なのではないか、ということであった。
クラブの雑音の中で、蓮花は囁く。
「この間の合宿の後、また警察の人が来たよ」
その時はたまたま、桜盛のいなかった時であるわけではなく、下校時に張られていたらしい。
「何か進展でもあったの?」
桜盛としては一方的に情報が入ってくる、蓮花の線はありがたい。
さすがに鉄山と話すのは、状況が悪いと思ったのだ。
「進展というか、この間の爆発事件について。ほら、太平洋の」
「ああ……」
さて、このわずかなつながりとも言えないつながりから、警察は何か調べてくるだろうか。
さすがにそれはないのではないかな、と彼の常識では判断する。
地球にもあんな、化け物が存在していた。
しかも明らかに、封印された状態にて。
こういった超常の件については、やはり超常の人間に尋ねるに限る。
だが警察と話して、自分が関わっているとバレるのはまずい。
そもそもあの爆発は、魔法によるものだとは、すぐに分かるはずである。
そしてこれまであんな大規模な魔法の発動はなく、また特定の魔力だと判断できたら、桜盛がやったことだとはすぐに分かるはずであるが。
別に被害が出たわけではないのだし、悪いことをしてはいない。
ただ核兵器に近い爆発などと言われてしまえば、普通に国家は制御に動く。
いい加減に日本に所属するべきかな、と桜盛も思ってはいる。
ただその前に、確認したいことがあった。
何度か試した後に、ようやく連絡がついた玉蘭。
彼女は大変に怒っていたが、どうにか日本で会うことは出来た。
島国日本であるが、基本的に超常の者を国境で止めることは、難しいのだ。
それでも大陸国家と比べれば、鎖国するのはまだしも難しくない。
例の喫茶店で出会った玉蘭は、最初から殺気を飛ばしていた。
「で、どうしてあんな目立つことをやったんだ?」
「もちろんわざとじゃなかったんだ」
「当たり前だ」
怒鳴り散らさないだけ、まだ抑制が効いていたのだろうか。
桜盛の説明を聞いた玉蘭であるが、彼女も説明をし始めた。
国家に所属している超常の者たちが、フリーの能力者を探っているということだ。
玉蘭も能力者の中では、かなりの腕利きではある。
しかしあのような爆発は、とても起こせるものではない。
そして桜盛が退治したあの怪物は、世界中を探せばそれなりに、あちこちに封印されているものであるらしい。
「太古のもの、と呼ばれている」
一体ずつが、一つの個体である存在。
おそらくは人類の有史以前から、地球上に存在していた。
それがどうして、封印をされてあんなところに放置されていたのか。
それについては玉蘭も、日本のことについては知らないらしい。
ちなみに中国では、崑崙山脈にそんな存在が、複数一箇所に封印されているのだとか。
一体でも通常の魔法では通用しなかったのに、複数である。
桜盛が倒したあれは、生命を失うと肉体も消えていった。
なので米軍や海自が戦闘現場を探しているのは、完全に無駄な努力である。
「鯤だな」
しかし玉蘭は、その正体に心当たりがあったらしい。
「鯤って……全長数千里はなかったけどなあ。北の海にも住んでなかったし」
「古代中国にいた、化け物の一種ではある。ただあたしが知っている個体は、確かにずっと前に封印されたはずだ」
「あんなの倒す能力者、他にもいるのか」
「それは、まあいることはいるんだが……いや、いたんだが……」
今はもう、この世界にはいない。
仙人というのは、天仙と地仙に大きく分かれている。
玉蘭のように、地上にいながら力を振るうのが、地仙である。
だが天に昇って下界と関わらないようになったのが、天仙と呼ばれるものだ。
実際は天に昇っているのではなく、その崑崙に天仙はいる。
かつて天仙が封じたのが、ああいった怪物であるらしい。
「封じるんじゃなくて、殺すことは出来なかったのか?」
「あれらは殺しても、また生まれるんだ。だから封じておいた方がいい」
「マジか……」
桜盛のやったことは、知らなかったとはいえ無駄なことであるらしい。
かつて各地の神話にあったような存在は、おおよそが封印されているのだ。
そしてそれを封じた者は、眠りに就くなり消えるなり、または自ら消滅していった。
桜盛のやってしまったことは、世界のバランスを崩すことである。
よって速やかに、そのバランスを回復させなければいけない。
「え、ひょっとして俺、狙われたりする?」
「鯤を一人で退治するようなもの、天仙であっても対決したいとは思わないが……」
ふう、とため息をついて、玉蘭は頭を抱える。
「裏社会でも闇社会でもない、人では至らない世界に、連れて行かなければいけないみたいだな」
夏休みの後半は、どうやら予定が入ってしまうらしい。
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