第47話 動乱の世界
桜盛にとって幸いであったのは、今回の事件によって玉蘭と多くの時間を取れたことで、この世界の超常の常識を知ることが出来たということである。
もっとも玉蘭からすれば、桜盛こそが最も恐ろしい超常の存在であろうが。
この事態は裏の世界でも大きな騒ぎになっており、玉蘭のようなフリーの人間にも、緊急で情報が入ってくる。
そして天仙からまで話が届いて、彼女が動いたわけである。
こんなことをやりそうな存在として、まず桜盛が浮かんだので。
本当ならば玉蘭は、もう桜盛には近寄らない予定であった。
そもそも桜盛から呪いを受けているので、下手に関わっていたら、それに引っかかってしまう。
たとえば桜盛が狙われているのを回避させるため、突き飛ばしたらどうなるのか。
あの呪いであれば、悪意の有無が問題になるだろうが、本当にそれだけで済むのか分からない。
桜盛からもあえて、呪詛を強めてまで連絡をさせようとは思わなかった。
なんとなく自分で引いたラインで、それはやるべきではないと思っていたのだ。
桜盛が鯤を消滅させたことは、出来るだけ正確に世界中の機関に知らせなければいけない。
いや正確には、何者かが消滅させたこととするべきであろうか。
「一人の人間のくせに、強すぎるんだよ、お前は」
玉蘭が言うほどに、桜盛は確かに戦闘力はある。
だが地球の裏社会の事情に詳しくないため、やっていいことと悪いことがまだ分かっていない。
ただ鯤の件については、もう100年ほどの間には、封印が解けていた可能性はある。
これから世界は10年ほどの間に、鯤が復活するのを見つけて、またどうにか封印しないといけない。
ランニングコストがかかるように見えるが、消滅と発見と再封印の手間を考えれば、封印が一番コストはかかっていないのだ。
基本的に地球では、鯤ほどの大物であれば、ほとんどが各地に封印されている。
「聞いてないよ」
「聞かれなかったし、結構常識だからね」
玉蘭としてはむしろ、どうしてこの程度のことも知らないのだ、ということになる。
とりあえず玉蘭から華僑のネットワークを使い、鯤の消滅においてはこれ以上、騒がなくてもいいという話はつけられるということだった。
「でも中国系って今、アメリカと仲悪いんじゃないの?」
「いやいや。中国国外の華僑は基本的に、共産党とは仲が悪いから」
どうやらそういうことであるらしい。
「いったいあんた、どこでどう活動していたんだい? こんな調子なら今までに、問題が起こっても良さそうだけど……ああ、待って。話を聞きたくない」
玉蘭すらも嫌になる、桜盛の活動である。
桜盛としてはそこから、予定を調整しないといけなくなった。
玉蘭からすると桜盛を、崑崙に連れて行くのも憂鬱なのだ。
正直あそこの戦力を集結させれば、桜盛相手でもどうにか勝てるとは思う。
だが今回観測された以上の力を、まだ桜盛が持っていたとする。
すると崑崙の結界自体が、破られてしまう可能性がある。
桜盛にはまだ隠し球があるような気がするのだ。
そして崑崙の天仙たちは、基本的に下界の秩序より、崑崙の安寧を重視する。
玉蘭としても崑崙は、最悪下界が核戦争になったとき、一般人をある程度招いて、人類の存続を目指すシェルターになると考えている。
世界各地にもいくつか、そういう場所はあるはずなのだ。
それを今回、崑崙だけがリスクを取るのは、はっきり言ってリターンにならない。
日本にある同じような結界としては、マヨイガやニライカナイと言われる場所があると、玉蘭は知っている。
ただどこにあるかは知らないし、そしてそこが日本政府と関わっているのか、それも彼女は知らない。
今回はとにかく、世界大戦一歩手前にある緊張状態を、どうにかしないといけない。
核爆発に準ずるような爆弾が、日本近海の太平洋上で使われたのだ。
それが爆弾ではなく能力者の力であることは、各国ももう掴んではいる。
だが兵器ではなく魔法であることが、更なる問題となってくる。
いっそのこと某国のミサイルが日本列島を越えて、太平洋上で爆発しただけであるなら。
それを「だけ」と言うのも無茶な気はするが、それならまだ現行のパワーバランスの範囲内なのである。
もっとも某国のミサイルのせいにしてしまえば、日本は内閣が吹っ飛ぶであろう。
日本列島のどこかに落ちていたら、100万単位で国民が死んでいても、全くおかしくなかったのだから。
今回の事件については、とにかく死者も被害者も0ではあるのだ。
強いて言うなら海洋生物には、大きな被害が出た。
もういっそ宇宙人のせいにして、うやむやに出来ないものか。
だがどうやら本当に、宇宙人はまだ接触していないらしい。
状況から考えれば、日本の兵器のテストが、思ったよりも領海に近いところで暴発した、とでもするのが自然である。
しかし日本政府がそんなものを認めるはずがない。いっそ認めたほうが、安全保障上は核兵器の代わりになっていいのかもしれないが。
「とりあえずパスポートは……持ってないのか?」
「持ってないな。そもそも作れない」
「戸籍とかないのか」
「ないんだな、これが」
「もうお前、日本政府に所属しろ。あるいはアメリカに亡命しろ。今からでもそれが一番早い」
「え~」
「え~じゃない」
淡々と怒っている玉蘭は、それでも桜盛の立場を考えてくれていたのだ。
桜盛はようやく、鉄山に連絡を取ることにした。
そして真夜中、二人の久しぶりの面会となった。
さすがの鉄山も今回の件では、かなり警察から追及されたらしい。
正確には警察から拝み倒され、桜盛との連絡を取ってくれと言われたらしいが。
ただ本当に鉄山も、向こうからは連絡が取れなかったのだ。桜盛が携帯電話をアイテムボックスの中に入れていたため。
なので今度は閣僚級が、直接頭を下げにやってきた。
鉄山としてもこの事態が、世界的な危機であることは承知している。
しかし不可能なことを可能と言うわけにはいかない。
「そんなわけでこの周り、遠巻きにだが監視されてるはずだが、脱出出来るのか?」
「それはまあ出来るけど」
暴力による強行突破は、桜盛の得意技である。
「お前さん、もうさすがに政府に所属してやったらどうだ? いや、それも難しいのかな」
あの爆発を桜盛一人でやったのなら、たとえ本人がどういう人格であっても、抹殺するのが政府の仕事ではないか。
あるいはここから、どうにかする術を持っているのか。
「申し訳ないんんですけど、偽造パスポート、大急ぎで作ってもらえませんかね?」
「なんだ、海外に亡命するのか? 今更な気もするが」
「いや、ちょっと中国の仙人に、話をつけなくちゃいけなくなっていて……」
「仙人って……」
やはり鉄山には、呆れられる桜盛であったのだった。
この半世紀以上の歴史の中で、世界秩序が一番脅かされたのは、果たしてなんだったであろうか。
9.11テロや、ロシアのウクライナ前面侵攻。ソビエト崩壊、キューバ危機、核兵器の分散、冷戦。
色々とあるが、核兵器と違うクリーンな爆発で、あそこまでの範囲を限定して、蹂躙しつくした。
兵器というのは単純に破壊力も重要だが、目的を達成するためのものが兵器の機能として重要だ。
結界と組み合わせた爆発というのは、破壊の範囲を絞ることが出来る。
これが大変に重要なのである。
米軍の地中貫通弾のように、目標を破壊して周囲に被害を出さないなら、それは兵器として優れた要素である。
桜盛の使ったような爆裂魔法と、それを範囲限定とした結界。
実はこれはそれぞれ、既に存在することは存在する。
実際に実験では、何度も成功しているのだ。
今回のこれがどうして問題となったかというと、その展開の時間があまりにも短時間であったからだ。
普通に魔法で再現しようと思うと、準備に手間がかかりすぎる上に、一人ではほぼ不可能なことである。
それをアメリカの防衛省も、日本の防衛庁も、はたまたロシアも中国も北朝鮮も韓国も、少し離れたインドなども、全力で調査している。
アメリカは普通に日本の同盟国として、情報が共有された。
そもそも爆発事件単体では、隠すようなことがほとんどなかったからである。
そして仮想敵国とすることもある、ロシアや中国にさえ、この情報はほとんど流された。
「いいんですかね?」
「いいんだろうかな?」
茜と高橋は、そんなことを呟いていたものだ。
今回の爆発、日本の近海であることと、魔法の痕跡が明らかであるため、二人以外にも多くの人間が、桜盛・コードネーム「ユージ」の関連を疑っている。
東京で活動している彼が、太平洋側の沿岸部に出ても、おかしくはないと思っていたからだ。
ただ魔力の反応の追跡などは、あまり行えていない。
陸上ならともかく海上では、魔力感知をするのに、それを付与する物がそもそもないからだ。
もっとも陸上でさえも、人口密集地以外はあまり魔法は使われておらず、人口密集地では紛れが多い。
3係のやっていることは、むしろ桜盛がこれに、関わっていないかのチェックである。
証拠としては残っていなかった。そもそも桜盛は街中にある監視カメラさえ、ほとんどその姿を捉えることがない。
これについては少し前に、五十嵐から桜盛の、変身能力について聞かされてはいたものだが。
ただ魔眼という相変わらず茜の理解しがたいファンタジー要素においては、その変身しているであろう姿が、日本人の平均男子程度。
顔などがはっきりと分かってもいないので、あまり役に立っていない。
人工衛星からなんとか、爆発に関連した場所に、人間が映っていないかなど調べられたりもしたらしい。
だが結果、光学的には爆発の直前まで、何も発見されていなかったのだ。
「海の中で爆発した?」
「あるいは光学迷彩かな」
「あ~、透明になれるっていう」
桜盛が作ったのは、さらに一段階上の結界であるのだが。
既に五十嵐と一緒に、鉄山のところも訪ねてみた茜である。
彼女はそもそも、桜盛が活動を始めた、きっかけとなった人間でもある。
本当はそれ以前に、志保の呪い解除があるのだが、あれは完全に表ざたにはなっていないことだ。
志保自身でさえ、自分自身の心理的な問題か、などとも思っているのである。
そして鉄山さえも、何も知らなかった。
彼は日本の財界のみならず、政界にもかなりの影響力は持っている。
なのでこの事態に、わざわざ桜盛との連絡を取らない、という選択肢はなかった。
だが純粋に、向こうから連絡がなければ、どうにもならないのである。
鉄山は困った顔ではなく、本気で苦虫を潰したような顔をしていたものである。
桜盛は姿を隠した。しばらくは日本にいないと言って。
あるいはもうこのまま、日本に戻ってこないのではないか。
ただでさえタワマン事件の件で、連絡が取れていなかったのだ。
この事件にさえも関係しているなら、日本に来る前にいたところに、戻ったのではないか。
(でも元はどこにいたんだろ?)
それは五十嵐もずっと、考えていたことであるらしいが。
そんなことを考えていた茜の机で、電話が鳴る。
鉄山から、桜盛が訪問したということの連絡であった。
もはや茜の力の及ぶところではない。
それは分かっているのだが、五十嵐は桂木邸での桜盛との対面に、なぜか高橋ではなく茜を連れてくるのだ。
(まさかとは思うけど、ハニートラップでも仕掛けるのを期待されてるのかな?)
確かに給料は訳が分からない手当てがついて、随分と高くなってはいる。
しかしそれは茜にとって、完全に向いていない仕事である。
桂木邸において、茜は久しぶりに桜盛の姿を見た。
これだけの期間どこにいたのか、果たして爆発事件との関連はどうなのか。
そういったことを尋ねようとしていたのだが、その姿を見ただけで安心してしまう。
トラウマと逆の現象であるが、桜盛の存在は茜にとって、鎮静効果がある。
確かにそれだけのことを、彼はやってくれたのだが。
命の危機を助けられたら、普通の女の子は好きになってしまうのだ。
20歳過ぎても、女は女の子であることを忘れてはいけない。
40歳過ぎていても、男は少年なのと同じように。
そして行方不明期間に何をしていたのかはともかく、爆発事件についての真相は明らかになった。
封印されていた古きもの、神獣や幻獣とも言えるものを、退治してしまったのだと。
そんなものがあるのか、と茜は思ったものであるが、五十嵐はうんうんと頷いていた。
(え、マジでそんなのいるの? ドラゴンとか?)
正義の味方になりたかった茜は、そういう系統のファンタジーにも、多少は理解がある。
怪獣映画を見ていて、自衛隊を希望した方がよかったかな、と思ったことがあるのだ。
ただ現実には、怪獣などはいない、はずであった。
日本政府に対してはこの情報を流して、とりあえずの沈静化を図ろう。
もっとも一般向けの説明に関しては、御用学者を適当に使って、何かをでっち上げなければいけないであろうが。
一応現時点でも、海底火山の噴火に、海底の地盤にあった可燃物質が反応し、この爆発が起こったのでは、という説明などはされている。
陰謀論向けの人間はともかく、一般の人間はだいたいこれで、大自然は怖いなと落ち着き始めている。
各国の政府も表向きは、この学説を支持していくらしい。
そして桜盛の中国行きを聞いて、難しい顔をする五十嵐であった。
「中国ですか。党に拘束されませんかね?」
「そりゃあ俺も心配だが、一人じゃないんだろ?」
「通常戦力なら、100万人いても、まあ問題ないです」
「いやいや、中国なら国内でも爆弾使うと思うんだが……平気なんだね」
五十嵐は呆れるが、確かにその程度なら、どうにでもなる桜盛である。
日本ならば周辺への被害には気を遣った。特に東京では。
しかし外国ならば、旅の恥は掻き捨てとばかりに、都市部を破壊してもいいのではないか。
(いやいや、よくないな)
「命大事にで行ってきますよ」
またこれを上に報告するのか、とげんなりする五十嵐であった。
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