第48話 崑崙
日本政府への筋は一応通した。
もっともこれはこれで、またも紛糾することになるのかもしれないが。
さて崑崙へ移動するのはどうすればいいのかと言うと、当然ながら飛行機を使うしかない。
船と陸路を使ってもいいのだが、それでは桜盛が夏休みの間に戻ってこれない。
成田から北京へ移動し、北京から青海までは飛行機がある。
そこからはチャーターするか、もしくは自分で飛んでいくしかない。
「俺は飛べるけど、そもそも撃墜されない?」
「お前が時間の制限などするから、無理をしないといけなくなるんだ」
「じゃあ俺が玉蘭をこう、背負っていくから」
「……500km以上は飛ぶことになるが、大丈夫なのか?」
「まあ二時間もあれば」
そんなわけで、ついに国外への移動である。
異世界を経験している桜盛であるが、中国は初めてである。
近くて遠い場所と言うなら、確かに中国は心理的に微妙な距離だ。
「崑崙ってクンルン山脈なんだよな? 政治的にけっこうやばくね?」
なにせウイグル自治区とチベット自治区の境界となっているのが、この山脈なのである。
古くから神仙の住まうというこの山脈に、本当に超常の存在が住んでいる。
単純に普通の人間が、これない場所を選んだだけである。
ただそれなら、それこそチョモランマでもいいのではないか。
「チベットとは縁が深かったんだ」
「……なんだか政治的にやばくね?」
「天仙は基本的に下界には無関心だよ。世界大戦が起こってもね。まあ人類全体が滅びそうにでもなれば、さすがに介入するだろうけど」
それはそれで徹底している。
成田から北京へは、普通に移動することが出来た。
偽造パスポートの名前は、桂木雄二である。
あえて鉄山の身内という立場を作り、名前は適当に呼び名に字をつけたのみ。
乗り換え時間の間に、二人は話している。日本語で。
さて、勇者世界から地球に戻った桜盛は、その巨大な戦闘力に魔法まで使えるままであった。
だがあちらの世界では使えたのに、こちらでは使えないというものもある。
それはアイテムボックスに入っていた品物が、入れ替わっていただけではない。
あちらの世界では使っていた魔法が、いくつか使えなくなっている。
翻訳の魔法もその一つである。
そもそも言語読解記述と、全ての力が召喚時に付与されていたのだ。
おかげで勇者世界では、どこに行こうとも意思疎通で困惑したことはなかった。
だがそれがないため、地球ではメインに日本語しか使えない。
ボンボンの揃った学校だけに、英語やその他の外国語を使える生徒もいた。
桜盛はそうでなかった、というだけのことである。
そんなわけで玉蘭がいないと、完全に困ってしまう桜盛、というわけでもない。
「スマホがあれば、あっちでも便利だっただろうなあ」
正確にはスマートフォンを端末とした、ネットワークシステムであるが。
異世界にスマートフォンを持っていけるはずもないのだ。そもそもあちらに召喚されたとき、桜盛は身にまとったものすら持たず全裸であった。
桜盛のそんな言葉を聞いていて、さすがに玉蘭もいい加減に尋ねたくなっていた。
「なあ、日本で騒ぎを起こす前、お前さんはどこにいたんだい?」
突然にこれだけの能力者が覚醒するなど、考えにくいことである。
しかし桜盛は他の外国語に、反応することがない。
英語や中国語は、少なくともあまり得意ではないのだろう。
するとロシアか中東、あるいはアフリカか。
桜盛としても自分の事情は、ある程度教えてもいいかな、とは思い始めている。
もちろん相手を見定めて、信用できるような相手だけであるが。
「そうだなあ。玉蘭に話したら、どこまで情報が漏れる?」
「話されて困るなら、縛りで話せなくすればいいだろう」
「思考を読むような能力者っていないの?」
いる。
いるのだな、と玉蘭の沈黙で分かる。
ここで嘘をつけば、桜盛への害意と思われる可能性がある。
なので沈黙というあたり、玉蘭は用心深い。
「そうだなあ、俺としても別に、全部秘密にしたいわけじゃないんだ」
どのみち勇者世界には、もう二度と行くことが出来ない。
もう一度召喚魔法を使ったとしても、行けるのは桜盛一人だけである。
桜盛は少し、話をまとめる。
「崑崙みたいな隔離された場所が、他にもあるんだろ? 俺が呼ばれたのはまあ、それと似たようなもんだった?」
「日本の結界かどこかか。そんなに広い場所はないと聞いているが」
「まあ信じなくてもいいが、俺はそこに15歳の時に呼ばれて、今年の五月ぐらいに帰ってきた。幸い報酬として、金銀財宝を手にしてたから、ある程度は生活できていたんだけど」
それだと桜盛の動きが、おかしいのが警察ならば分かる。
だが玉蘭は桜盛とは、そこまで親しい間柄ではない。
玉蘭から見た桜盛は、それなりに年齢不詳だ。
だがおそらくは20代の半ばから、30歳までの年齢だろう。
こういった能力に目覚めた人間は、老化がひどく遅くなる場合がある。
それまで想定するなら、40歳ぐらいまでの幅は見ておくべきか。
実のところそれは、警察としては知りたい情報ではあったのだ。
15歳の時に行方不明になり、そして最近帰ってきた。
ただ帰ってきても、元の家には顔を出してはいないかもしれない。
日本の行方不明人口は、それなりに多い。
だが完全に行方が知れないというのは、意外と少ないものである。
年齢を完全に絞ってしまえば、さらに分かりやすいだろう。
あとはあるいは、桜盛の日本語の発音など、出身地を探る手がかりはある。
しかしそれらは、玉蘭が警察に教えることはない。
また警察も、玉蘭がそんなことを、知ったことを知らない。
なるほど、とある程度玉蘭は納得する。
物理的に隔離された場所であれば、桜盛のような人間が、育成されてもかろうじて納得出来る。
そして彼女は日本のそういった隔離された場所には、他にもいくつかの心当たりがあった。
必要になれば、そこを調べるべきであろう。
もっとも玉蘭は本来、積極的に動く人間ではない。
仕事として受ければ調べないこともないが、おそらく危険性は極めて高い。
またこれを下手に洩らせば、呪いが発動するのだろう。
そこまでして桜盛を探ろうとは、玉蘭は思っていない。
「大変だったんだな」
「大変だったんだよ」
軽く流す玉蘭に、桜盛もまた軽く流すのであった。
大陸である広大な山脈を目下に、桜盛は玉蘭を背中に背負って、高速で飛んでいた。
透明化の魔法を発動させたその姿は、まさにステルス。
戦闘機も攻撃機も爆撃機もこなせる、便利な兵器である。
確かにこれは危険すぎるな、と玉蘭は思っているのだが、桜盛個人の性格や思考などは、危険ではないと思っている。
これだけの力を持っていながらも、基本的には保身を第一に考えている。
かといって事件が起これば、出来るだけ解決しようともしているのだ。
玉蘭は桜盛の力の底を見たわけではないが、おそらく崑崙のいる天仙の中でも、破壊力に限れば彼に優る者はいない。
ただ仙人の道術というのは、もっと複雑に相手を絡み取るようなものなのだ。
それを加味したとしても、桜盛を倒せるとは思わない。
もっとも崑崙の天仙全員がかかれば、さすがに勝てるだろうとは思う。
果たしてあの連中が、そこまでして動くだろうか?
玉蘭は動かないと思う。
崑崙の天仙は基本的に、下界に嫌気がさしたものが崑崙に引っ込んでいるのだ。
食事も霞を食べて生きるような、ほぼスローライフと言っていいようなものである。
自分たちに直接被害がなければ、よほど地仙から依頼でもない限り、動くことなどはない。
今回の桜盛の件にしても、おそらく自分たちに迷惑をかけるな、と釘を刺すぐらいで終わるだろう。
天仙はその気になれば、それぞれがどんな人間でも殺せる、暗殺者になりうる。
ただよほどの独裁者であっても、殺そうなどとはしない。
中国など長く続いて生きた歴代王朝の中には、史上最高レベルの外道なども含まれている。
しかし天仙がそれを始末したというのは、偶然下界に遊びに出て、そこから縁がつながってしまった場合ぐらいである。
中国の都市部などは、もう監視カメラがどこにでもあるため、玉蘭でもあまり近寄ろうとは思わない。
それならば東南アジアの華僑の社会を渡り歩いた方が、よほど気楽なのである。
もっとも台湾にはお気に入りの店が多いため、そこから時々大陸に渡って、仕事をしたりはすることがある。
そして下界で生活していれば、自然としがらみも出来てくるものだ。
自分の生命に対して、執着がなくなっていく。
仙人というのは長生きすれば、皆がそうなってくる。
桜盛は見たところ、まだそこまで厭世的になってはいない。
だがいずれ人類社会は、所属しない異能を完全に、抹殺する方向にシフトするかもしれない。
完全に緑の絶えた、高山に二人は下りる。
それでもしっかりと観察すれば、高山植物などがあったりする。
さすがに人間は住めないだろうな、というこの高地。
玉蘭が歩いていった先には、巨石が存在していた。
周辺には人払いの結界が張ってあるのが分かる。
しかし他にも、何か空間を歪める魔法が使われているだろう。
(これ、ダンジョンになってないか?)
勇者世界には存在した、空間を歪めたダンジョン。
桜盛の使うアイテムボックスとは、また違った存在ではある。
空間を歪めるというのは、完全に勇者世界の方が、地球の科学文明よりも発達していた。
正確には地球でも、こういったものがあったわけだが。
それにこういったものも、単純に理論だけなら、科学で説明がつくのかもしれない。
そもそも単なる机上の空論であれば、コスパを犠牲にして色々な道具は作れるのだ。
「ここが入り口?」
「ああ、まあ付いてきな」
そういった玉蘭は、巨石の周辺をぐるりと回る。
それを何度か繰り返すと、手が岩の中に沈み込んでいった。
なるほど、特定の手順を踏めば、中に入れるということか。
そして桜盛は、崑崙へと足を踏み入れた。
外には存在しない、豊かな緑に花々。
気候的には温暖で、春のような感じがする。
空は明るいが、太陽が見えない。
桃色がかった雲が、光を吸収しているのだろうか。
結界内部が完全に魔力に満たされている。
ここでは桜盛の魔力感知も、かなり機能させることが難しい。
少し歩くような場所には、中国らしい建築物が存在する。
そこに天仙は住んでいるのだろうか。
進んでいくと、歩きやすい道になって、そして門が見えてくる。
その門番代わりでもないのだろうが、双子のようにそっくりな少女が、時代がかった衣装で両脇に直立していた。
(これ、たぶん生きてないよな)
勇者世界にもあった、人型ゴーレムと同じものであろう。
なるほど使用人代わりに、こういったものを置いているというわけが。
玉蘭も桜盛もスルーして、門の中に入っていく。
「天仙! 玉蘭が帰ったぞ!」
玉蘭は下界で暮らしているはずだが、本当の本拠地はここということだろうか。
そして気配が近づいてくる。
(う~ん、ファンタジーだ)
ふよふよと浮いた雲に乗った、まさに仙女といった衣装の少女。
おそらく年齢と外見は合わないのだろうな、とも思う。
少女が咥えていたのは、煙草を吸うような煙管である。
もちろんこれが、ただの見た目通りの品物ではないのだろうが。
「早かったな、玉蘭」
「急がせたのはお前たちだろうに」
ともかくこれで、目的地には到着ということになる。
異世界から戻ってきた勇者は、桃源郷に足を踏み入れたのであった。
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