第45話 海だ!

 鎌倉というのは歴史のある土地である。

 日本の一時期、事実上の首都にもなっていたのだから、それは間違いがない。

 ただ実際に来てみると、これが首都だったのか、と思う者も多いだろう。

 基本的には軍事も考えて作られた場所なので、町としては発展性があまりなかったのだ。

 そのあたり京都などは、いまだに栄えてはいる。

 やはり真に千年の王朝を築いたのは、京の都であると言えるのだろう。


 他にも奈良や大阪、滋賀にも一時期首都はあったが、現在も繁栄しているのは大阪ぐらい。

 これまた商業都市としての面が強く、また京都は芸術の領域で強かった。

 それらに比べると他の元首都は、弱いのは確かであったろう。

 奈良など、人口よりも鹿の数の方が多いという噂すらある。

 鎌倉は古都と呼ばれるのに相応しい雰囲気を持っていることは確かだ。


 名刹が多いのは確かで、鎌倉の武士というのは、禅宗を好んだという話もある。

 それまでの主な天台宗や真言宗と比べれば、己を律するところの多い、鎌倉仏教はニーズに合ったのだろう。

 さて、そんなお寺巡りなどは一切せずに、一行はやってきたのだ。

 当然海に。

 高校生が海に来ない夏など、あってはいけない。

 そう思えるのはやはり、学校がボンボンだからであろう。

 ちなみにごく少数の人間は、お寺めぐりに行っている。

 自分の判断で好きな行動が出来る。これこそ豊かな生活なのであろう。


「なあ桜盛君、お前、美春ちゃんとは付き合ってないんだよな?」

 そう桜盛に囁いてきた先輩は、ピンクを基調としてフリルもしっかりつけた、美春の水着姿を眺めている。

「好みじゃないんで」

「ようし!」

 ボンボンが集まっていようが、男は女を狙っていく。

 それは種の本能なのであろう。


 パラソルを立てて、パーカーを着たままの桜盛は、とりあえずそこに腰を下ろす。

「泳がないの? 泳げないとか?」

 同じくパーカーを着た蓮花が、茶化すでもなく問いかける。

「泳げるけど……」

 金属鎧を着たままでも、10kmぐらいは泳げますよ、と言いたい桜盛である。

 むしろ水面を歩くほうが簡単であるが。


 桜盛のパーカーの下の肉体は、戦闘体勢で鍛えられて弛みがない。

 ある程度ダンス部の人間には知られているが、それでもあまり明らかにはしたくないのだ。

 ちなみに勇者世界での古傷は、帰還時に全て完全になくなっていた。

 別にマゾではない桜盛であるが、少し寂しく感じたものである。

「蓮花ちゃんは?」

「泳げるけど、焼こうかどうか迷ってるんだよね」

 元は色白な蓮花であるが、少し健康的に焼いてみたりもしたいらしい。

「どっちが似合うと思う?」

 どっちも似合うと思います、とまではさすがに言えずに、沈黙してしまう桜盛である。

 妙なところでヘタレではある。


 桜盛の反応を楽しんだのか、蓮花はパーカーを脱いだ。

「やっぱり泳ご」

 そして見せられるのは、上下のシンプルな黒いビキニ。

 筋肉質な肉体の上に、うっすらと脂肪のついた、健康的で躍動的ながら、女性らしさを失わないプロポーション。

 ただ胸に関しては、志保はもちろん美春などより、ちょっと残念な感じである。

「おーせい君も来なよ」

 そう言われた桜盛は、わずかに悩みつつもパーカーを脱ぐ。


 鍛えられた上半身が露になった。

 おそらく、いや確実に、この海岸にいる人間の中では、最も実戦に相応しく鍛えられた体。

「なんだかボクサーみたい」

 そうまで言われたが、さすがにそこまで削ってはいない。

 ただし腹はしっかりと、八つに割れている。

 荷物番は交代ということで、二人も海に向かうのであった。




 平和すぎる。

 もちろんその平和は、桜盛が目を閉じて、耳を塞いでいるからだが。

 その気になればいくらでも、悪の芽が生える瞬間を見ることが出来るだろう。

 しかしそれをどうにかしたところで、いくらでも新しい悪は出てくるのだ。


 人間の本性が悪と言うよりは、そもそも誰でも楽には生きたいのだ。

 それが安易に動くようになると、犯罪への一線も踏み越えてしまう。

 お巡りさんの夜中の巡回などは、それを防ぐ大切なものだ。

 上手くすれば夜の住人は、重要な情報源ともなるのだ。


 ひと泳ぎして、桜盛は戻ってきた。

 それよりは少し早く、蓮花は戻ってきている。

「なんかすっごく泳いでなかった?」

「泳ぐのは得意って言ったじゃん」

 桜盛としては、蓮花があまり泳げないのは意外であった。

 まあ脂肪が少ないので、あまり浮かないのかもしれない。


 結局あまり焼かないつもりらしく、日焼け止めを塗っている蓮花。

 ここで背中を塗ってくれる? などというイベントは発生しない。

 体の柔らかい蓮花は、自分で隅々まで届くのだ。

「はー、あとは休む」

 ならば自分も休もうか、と桜盛は思って無言でいる。

 しかし蓮花の方から口を開いた。

「おーせい君、合宿が終わったら、一緒にダンスバトル参加しない?」

 それは桜盛にとっては突然の話ではあったが、蓮花の目は真剣で、つまり。

「ボディガード?」

「いや、普通におーせい君なら踊れると思って」

 買い被りだ、と桜盛は思った。

 ダンスをやっていれば分かるのだが、自分の踊りには熱量が足りない。

 桜盛が輝くとしたら、それは戦場でのことになるだろう。

「まあ、タイミングが合えば」

 それでもそう返答をするあたり、桜盛の好感度を一番獲得しているのは、やはり蓮花であるのかもしれない。




 合宿の予定は無事に消化していっている。

 結局のところ、この合宿はあくまでも、夏のイベントの一つに過ぎないのだろう。

 もちろんダンスもしっかりとやっていたが、ガチでやっているのは蓮花の他には、桜盛と同じ一年生が数人程度。

 ただこの数は、蓮花とのレベルの違いに気づくと、どんどん少なくなっていくのだ。


「蓮花ちゃんも、今年は厳しいよね」

 そう上級生は話しているが、一年生の頃からダンス部の中心にいた蓮花は、去年まではそれほど厳しくもなく、周囲に合わせていた。

 今年は厳しいというのは、自分に対してである。

 高校生しか参加できないダンスフェスというのが、夏休みの後半にはある。

 それが蓮花の当面の目標であるらしい。


 だいたいこのボンボン学校の生徒たちは、選ばなければどこかの大学には必ず入れる。

 難しいのは旧帝大系列と、海外の大学である。

 もっともこの海外の大学というのは、ある意味ボンボン専用と言うか、よほどの俊英でない限り、ボンボン以外は難しいものとなっている。

 基本的に欧米圏の大学、それも先進国の大学というのは、かなりのエリートでなければ入学が出来ないシステムになりつつある。

 単なる学力だけではなく、ボランティア活動への参加などが条件になっている場合もあるが、ボランティアなどというのは要するに、富裕層のファッションに過ぎない。

 また海外からの留学生になぜか奨学金まで与えている日本と違って、基本的に海外留学は全て自腹だ。

 海外にも奨学金はあるが、その難易度は英語圏で育っていない人間には、それだけで難しいであろう。


 だいたい社会が複雑化していくと、その中で活躍する人間も多くの知識を必要とする。

 一部の天才以外は、教育にどれだけの時間をかけられるかで、未来が決まっていく。

 桜盛にしても自分の恵まれた環境は、充分に理解している。

 それは勇者世界において、本物の身分差をいうものを見たからでもある。


 この合宿に来れなかったのは、親から甘やかされずに、自分でアルバイトをしてみろ、などと言われたボンボンも多いらしい。

 確かにそれはそれで、働くということのいい経験になっているだろう。

 しかしボンボンでも頭のいい人間は、他人との関係を使って金を稼ぐ手段を知っている。

 そのあたりボンボンでも、既存の世界での勢力となるか、それとも革新的な革命児となるかで、色々と変わっているだろう。

 ただ桜盛が知る限りにおいては、日本はあまり若手の天才を活かせていない。

 そして発展途上国の天才などは、日本ではなく欧米に行くのだ。




 蓮花もそういった目で見れば、まだ親に甘えているところはあるのだ。

 もっとも彼女は成績も上位をキープしていて、だからこそ親への甘えが許されているということはあるだろう。

 桜盛はもう、普通の仕事は出来ないだろうな、と自分の持っている能力について考えている。

 この力はほとんど、呪いのようなものだ。


 魔法の力までそのままというのは、帰還当初はやりすぎと思ったものだ。

 しかしモテには武力が必要なもので、強くなくては守れない。

 実際に神様も、地球の魔法を基準に入れて、これだけの力を残しておいたのだろう。

 勇者世界に比べれば、女神の加護がない分だけ、まだしも弱体化している。

 だがおそらくは、単純な戦闘力では、地球では最強ではないのか。


 そもそも勇者世界の勇者召喚術が、近隣の平行世界などから、最も魔力の高い者を呼び出すというものであったはずだ。

 あとは男でよかった、などとも言われたりしたか。

 魔力が強ければ、肉体の方は強化をすることで、どうにか戦える。

 もっとも肉体の方においても、桜盛は勇者世界の人間では、実戦の戦闘力においては、人類最強であったはずだ。


 そんな桜盛は海から戻った日の夜、真夜中に合宿所を抜け出していた。

 そして飛行魔法によって、海岸までやってくる。

 あのタワマン事件以来、桜盛はあまり強力な魔法を使っていない。

 だがこの飛行の魔法は、それなりに強力な反応を出しているはずだ。

 それでもある程度は、抑えた速度で移動したが。




 海岸に到着した桜盛は、砂浜の様子を確認する。

 さすがに深夜には誰もいないが、花火をやったような跡があり、片付いていなかったりする。

 別に何も責任などないが、こういったものはアイテムボックスにしまっておく。

 後で普通に捨てれば、問題のない話だ。

 もちろん全てのゴミを、集めて回るというわけではないが。


 桜盛が海にやってきたのは、何も掃除をするためではない。

 上着や靴などは念のためにアイテムボックスに放り込み、魔法を使って海の中に入る。

 日中に気づいていはいたが、あの時点では手は出せないと思ったのだ。

 やや沖合いに、海の中に石の組み合わせがある。

 元はどうだったのか分からないが、今は単純に四角形や円柱がばらばらになっている。


 その下から感じられるのが、魔力である。

(鎌倉だから、古い時代の魔法関係か?)

 結界の類かと思っていたが、どうも嫌な感じがする。

 このあたりが古戦場跡であったとしても、人間の持つ魔力とは違う気がする。

 それに鎌倉を守るためには、こんなところに危険物を放置しないであろう。


 いつの時代かは分からないが、古いものは間違いない。

 この巨石の下に、魔力の根源があるのだけは確かだ。

(何があるか分からないし、俺がいる間に解決しておくべきなのかな?)

 あるいはこれも、知られた上で放置しているのかもしれないが。


 海水浴客に、特に異常などは発生していなかった。

 ただここに限ったことではないが、前に溺れて死んだ人間は存在する。

 しかしこれを放置して、後に被害があればどうか。

 おそらく陸地に向かえば、魔物のようになって解放されるのか。

 そのあたり桜盛も、実のところは分からない。

 実体式なのか、それとも霊体式なのか。

 封印されている状態なのだろうな、とは分かるのだが。


 自分が今、これをやる必要はないであろう。

 演習から一ヶ月以上、ちょっと目に付くものはスルーしてきた。

 これもまた、そうすればいい。

 そうも思うのだが、これは自分にしか出来ないことではないのか。

(身バレだけはどうにか防がないとなあ)

 一度桜盛は海面に浮上し、アイテムボックスの中を探る。


 バイクの免許を取ろうかと思ったとき、これは役に立つと思ったのが、ヘルメットとライダースーツである。

 かなりの防水性があるものと、そして顔が隠れるもの。

 この組合せはとてもいいものだ、と認識したのだ。

(海の中で片を付けて、陸地に戻るのは場所を変える)

 とりあえずそれでやっていこう。

 桜盛はまたも、自分から厄介ごとを解決しにかかるのであった。

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