第44話 いざ鎌倉
夏休みが始まる。
この夏休み期間は学生にとって、ダンスイベントが目白押しの期間でもあるのだ。
そのため合宿というのは、夏休みの初期に行われる。
「女子が男子の倍もいるとは!」
「やんぬるかな!」
山田君と鈴木君の戯言はどうでもいい。
さて合宿先であるが、この学校はボンボンがそろっている学校である。
すると一人ぐらいは、広大な別荘を持っている金持ちの生徒がいても、全くおかしくないのである。
ちなみに桜盛の家も、病院職員の福利厚生の一環として、バブルの頃などは保養地の施設などを持っていたらしい。
負の遺産となって、建て直しに大変になったらしいが。
そして今回の合宿所は、人数が多いこともあり、さすがに別荘が確保できなかった。
いや、その気になれば確保できたのであるが、その他の条件が整わなかったのだ。
やってきたのは鎌倉で、そこで知り合いの寺院のお堂を借りることとなる。
掃除などをするなら、そこで寝泊りも自由というわけだ。
幸い姿見の鏡を、一緒に持ってくることが出来るので、見ながらのダンスというのも出来る。
ただし眠るときはもちろん、男女は別々である。
「鎌倉でもフェスはあるんだけどね」
蓮花が言うには、鎌倉から少し足を伸ばせば、色々とイベントは他にもあるそうだ。
考えてみれば神奈川県で、それなりに海にも近いのだから、まあ確かに色々とあるのかな、と桜盛は適当に考えていた。
「それがまさかあんなことになるとは、思ってもいなかったのです」
自前でナレーションを呟いてみたが、特に何かが起こる気配もない。
基本的に鎌倉は古都であるので、少し足を伸ばさなければ、それほどの都市圏に入るわけではない。
ただ電車をちょっと乗り継げば、江ノ島だの横須賀だの、そういった場所には行くことが出来るのだ。
「でもまずは海っしょ!」
いやいや。
さすがに合宿一日目は、まずお堂の掃除をした。
ボンボン学校は校舎の掃除を外注しているので、掃除の仕方を知らない部員などもいた。
それに対しては、知っている人間が教えていくことになる。
掃除など下賎の者のすること、などとボンボンたちは言わない。
こういうことをするのか、と普段はやっていないことを楽しんでしまったりする。
完全に心に余裕があるからであろう。
それからは磨き上げたお堂でダンス……などというのはさすがにやらない。
いや、丈夫な造りの寺院であるので、床は頑丈であるのだが、さすがにやらない。
鎌倉はほどよいぐらいには都会なので、ダンススクールもある。
基本的にストリート以外での室内用のダンスは、こちらを使うことになる。
「金がかかるよなあ」
桜盛はインゴットを処分した分が、まだまだ残っている。
ただそれ以外の部員はと言うと、基本は実家に出してもらうのだ。
ボンボンの学校の中でも、特に芸術方面などは、金がかかるものである。
部費だけでは賄えず、同じボンボンでも差があるために、この合宿に参加していない部員もいる。
「明日は海で遊んで、明後日は踊って、その次はちょっとしたイベントを見に行くからね」
なるほど、確かに合宿と言っていいぐらい、色々と予定は入っている。
ただ観光の時間なども取ってあるあたり、蓮花はバランス感覚がある。
一日目はそうやって過ぎていった。
宿坊として使うこともある寺院では、それなりに大きな台所がある。
こちらで料理も自分たちで行うのだが、意外とと言ってはなんが、料理が出来る人間は多い。
お寺の方で、こちらでも手伝おうかと言ってくれたのだが、基本的には手際のいい数人で、主な部分をやってしまう。
手順を分ければ料理の出来ない人間にも、それなりに仕事はあるのだ。
桜盛は料理が出来る。
ただし基本的には、野営で作るような料理のみである。
本当に得意なのは、動物の解体などであるのだが、さすがにそんな必要はない。
それでも勇者世界では旅の間、自分である程度の料理は作ったりもした。
勇者とは何でも屋でもあったのだ。
少数での敵地への侵入など、実は料理の必要などない。
火を使えばそれが見つかってしまうということもあり、アイテムボックスを食料の輸送に活用したのだ。
現在の桜盛としても、買い物などをしているとつい、アイテムボックスを使いたくなってしまう。
これは本当に便利ではあるものだ。
考えてみればこれを使えば、国家間で密輸はし放題ということになる。
銃器なども輸送できるし、なんなら戦車や戦闘機まで入ってしまう。
出入り口に制限がないのだ。ただ手をかざす必要はあるが。
刃物の扱いについては、とんでもなく上手い桜聖である。
伊達に人も魔物も、切りまくったわけではない。
……それと料理は違うか。
とにかく夕食は、量を作るのであった。
それでもせいぜい20人分なら、数人が協力すればすぐに出来てしまう。
料理というのは大量に作るほうが、効率がいいものであるので。
食後の休憩、などをしている間、皆は思い思いに過ごしているが、桜盛は蓮花の気配はマークしていた。
一人で外に出て行ったので、一応はそれを追いかける。
蓮花の拉致事件については、完全に解決したわけではない。
だがとりあえずは、周囲に気になる気配はないのだ。
もしも同じことがあっても、桜盛はそれを感知出来る。
蓮花はもし勇者世界に生まれて、幼少期から訓練をしていれば、魔法を習得できただろう。
志保なども同じようなことが言えるし、他には有希などもそうである。
魔力の芯のようなものが、体内にあるのだ。
だからあの時も、マーカーを通してであるが、桜盛に危機を知らせることが出来たわけで。
蓮花は石段に腰掛け、アンニュイな雰囲気をかもし出していた。
桜盛としては、それをただ見守っていても良かったのだが。
「おーせい君、そこにいるね?」
控えめに気配を抑えていたが、どうやら気づかれてしまった。
少し驚きながらも、桜盛は音もなく姿を現す。
「あ、やっぱり本当にいたんだ」
「鎌をかけたのかよ」
「そうじゃなくて、なんとなく近くに来たかな、とは思ったよ」
これである。
志保にも似たような感覚はあるが、蓮花もやはり、魔力で人を感知するようになっているのではないか。
これは他者の意思などを感知したり、逆にこちらから意思を向けたりする、魔法の基礎の一つだ。
自分の横を叩いて、蓮花は桜盛を呼ぶ。
それなりに美しい星空の下、並んで座る少年と少女であった。
二人には共通の話題がある。
それは平穏なダンスの話題などではない。
ストリートでの話題であり、そして警察との関わった話題。
「あれから何か」
「何もないね。助けてくれた人も」
蓮花はあの事件のことを、世話になっている家や、身内にも伝えていない。
それをすることによって、関係性が悪化するのを恐れているからだ。
ただ、思うところはある。
「悔しいなあ。自分の行動範囲が、恐怖で限られちゃうのって」
そうは見えないが、やはりそうは思っていたのか。
桜盛は心に傷を受けながらも、それをしっかりと隠して生きている人間を、たくさん知っている。
ぶっちゃけレイプされたぐらいでは、勇者世界では普通の話。
もちろん世界の文明の状況の違いが、価値観も変えているとは分かっているつもりなのだが。
蓮花はその生まれから、気が強くないといけないと思っていた。
だがその気の強さは、やたらと気を張ることではないとも思っている。
優しく触れて、上手く取り込む。
そういった強さもあるのだ、と考えている。
時間をかけてゆっくりと、人間関係で自分を守る砦を作った。
それなのにああやって、一方的な暴力で、全てを台無しにしてしまう。
「やっぱりあたしも鍛えないと駄目かな」
「蓮花ちゃん、キックとかかなり強そうだけど」
「うん、ダンサーって基本は強いからね。けどもっと、おーせい君みたいに強くなりたいなあ」
「喧嘩程度ならともかく、ガチの犯罪だと格闘技なんて、あんまり役に立たないよ。テーザーガンとかスタンガンとか、防犯スプレーとかあるし」
科学的に肉体を痛めつければ、鍛えていても関係ないのは確かだ。
もっとも桜盛の場合は、そういったものにさえ耐性があったりはする。
電撃は効果がない。また酸の類も無力化出来る。
防犯用のスプレーなどの刺激も、痛覚耐性が充分に機能する。
肉体ではなく、魔力による無力化なので、他の人間に教えることなどは出来ないが。
「上手く世の中、渡ってるつもりだったんだけどなあ」
「俺がいる時は、ボディガードするけど?」
「それもなあ。おーせい君に頼りっぱなしっていうわけにもいかないし」
実際問題、桜盛には大切にするものが複数ある。
それにも優先順位をつけているのだが。
蓮花の優先順位は、今のところ家族よりは下だ。
志保と比べても、志保の方を優先するだろう。鉄山との友誼もあるので。
「けれどここで立ち止まったら、本当に負けだとも思うんだよね」
「あ~、うん、そうも考えられるか」
桜盛の常識からすると、自衛の力のない人間は、立ち止まってそこで生きるべきだ。
しかし蓮花はあんな目に遭っていながらも、まだ進むことを諦めない。
愚かなのか勇気なのか、桜盛としては前者に近いと思う。
そこで少し、話が変わる。
「あの時助けてくれた人、今思うと異常だったんだよね」
「ふうん?」
「だってタワマンに進入するにしろ、窓ガラスぶち割って入ってくるよりは、普通に玄関から入ってくる方が安全だし」
その余裕があったのかも怪しかったのだ、と桜盛は言えない。
後から思い出せば、おかしなことばかりだと、蓮花は気づいている。
「助けたのはたまたまだって言うけど、他の誰かを助けようとした話でもないらしいし、その後に敵対組織を潰してるんだよね。これってあたしの身を守るためじゃない?」
「そうなの? それは元から組織を潰すつもりで、ついでに蓮花ちゃんを助けたとかじゃなくて?」
「それもありかなと思ったけど、わざわざあたしを助ける意味はないんじゃないかなって」
そうなのだろうか、と桜盛は自分のことながら、少し考える。
巨大な組織と、戦力の対決。
いわば魔王と戦う前に……いやもっと弱いか。山賊集団討伐のついでに、襲われかけていた村娘を助けるとか、そういうぐらいの感覚であろうか。
もっともこの場合、村娘を助けるのが目的で、山賊集団討伐がついでになったわけだが。
「あのさあ、おーせい君のお師匠様みたいな人から、護身術って習えたりしないかなあ?」
「あ~、今はどこにいるのか知らないので、ちょっと無理だけど……」
そもそも桜盛からすると、この世界は人間の耐久力に対して、武器の殺傷力が強すぎる。
なので逃げる、最初から近寄らない、ということが重要になってくるのだが。
「簡単なものなら俺が教えてもいいけど、女の子向けだとけっこう、えげつない攻撃とかになるよ?」
「大丈夫、あたしあんまり、手加減しない人間だし」
怖い女の子であるが、勇者世界は普通に、手加減なく抹殺が基本であったのだ。
それはこちらの現代日本においても、ある程度は同じであろう。
ただ世の中には過剰防衛という言葉もある。
もっとも魔法も使えない、剣も使えない女性が、どうやって身を守るのか。
勇者世界であれば、魔法の道具などもあったものだが。
そう、勇者世界では圧倒的な力を持っていた桜盛の、ほとんど唯一の弱点。
それは生産能力である。
単純に木を切り倒すとか、そういうことならいくらでも可能だが、魔法の道具を作る知識はない。
(いや、一応試してみたとしても、同じように作動するかどうか)
魔法を科学に応用することが、果たしてどれだけ出来るだろうか。
夏休みの後半にでもなったら、また鉄山に話してみるのもいいかもしれない。
もっとも魔法が本当にあるのだから、既に大方の技術は科学に転用されていると思うべきか。
あるいは科学は、魔法を一般化するために、必要なものであったのか。
勇者世界では魔力をその燃料とし、地球では石炭や石油が主な動力となった。
いずれにしろ魔力は、個人にその動力を頼ったものだ。
ならばそれよりも、誰でも再現できるものの方が、重要になってくるだろう。
一部分であれば、科学でさえ再現出来ない、魔法が存在した勇者世界。
だが平均的に見れば、現代日本のほうがよほど、生活の利便性は高い。
(異世界の知識を、こちらで広めていいものかな?)
そもそも再現が可能であるのか。
これはとても、蓮花には相談できないことだ。
とりあえず桜盛は、蓮花にも護身術を教えることにはした。
ただ本気で相手の無力化を狙うなら、武器は必須である。
女性であれば爪を尖らせて、それで目を突くというのもありだろう。
しかし蓮花がダンスをする上では、それはあまりに不便すぎる。
急所攻撃と言っても、確実に金的を狙わなければ、他の部分はなかなか一撃で行動不能にはならない。
「けれど躊躇なく目を突いてくる人間と分かったら、普通は動きが鈍くなるからね」
「ナイフ持ってるだけで、けっこう怖いとかと一緒だね」
仲良く月光の下、踊るように動く二人。
しかしその会話は、あまりにも物騒なものであった。
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