第97話 静かな世界

 気づく人間は気づいていたであろう。

 地球上の各地における紛争や内戦が、膠着状態や休止状態になりつつあるのを。

 おそらく人類が歴史を刻み始めて、最も政治や宗教、民族による理念の闘争から、脱出できていた時代。

 それが今であると、気づいているのは各国や組織の首脳陣である。


 単純な話、大規模な戦争に備えて、戦力を温存することにしたのだ。

 それでも治安維持のために、わずかな戦闘が発生するのが、人間の愚かしさというべきだろうか。

 ただ一般人は満足していた。

 治安の悪化というのは基本的に、社会的には負の要素が圧倒的に強い。

 それがないだけで色々な作業にかかるコストが安くなる。

 物流も上手く動きやすくなるため、経済も活発化。

 政府の利下げなどもあったため、全世界的に好景気になりつつあった。

 ただ各国が食料や燃料を備蓄しだしたため、そこまでのバブルにはならない。

 あるいは大戦の準備でもしているのか、などと聡いものは考えていた。


 確かに大戦の準備ではある。

 また正体不明の疫病や、害獣による被害というのが、一部の地域では出てきていた。

 いまだかつてない、異世界からの侵犯者。

 その想定は宇宙人を相手としたものに近い。


 時間的な余裕は来年の夏まで。

 人類最後の夏、となるかもしれないところは、下手なSFのプロットにも似ている。

 果たしてどういう結果になるのかは、優奈はそこまでは答えない。

 正確すぎる占い師がどうなるのかを、おそらく予知しているのだろう。


 桜盛としては、これがどういうものなのか、自分なりに想像してみている。

 今のところ世界は混乱していないし、むしろ安定している。

 ただ先に能力者の間からは、邪神の瘴気の影響が、限定的ながら伝えられてきていた。

 分かりやすいのは、動物や植物、また無機物に対する変異。

 あちらの世界では魔物などと呼ばれていたものが、こちらにも出現するようになる。

 ただ魔物というのも、勇者世界では二種類がいて、古来から存在し、既に定着している生物と、邪神の影響で変化したものの二つがある。

 共に人間に対し、そして生物に対して凶暴ではあるが、後者がより危険である。

 なにせ子孫を残そうという程度の、生物としての本能さえ残していないのだから。


 同族であろうがなんだろうが、全てに対して敵対的。

 また魔法すら使う個体もいて、魔力によって強化されている。

 崑崙で死者はでなかったが、場所としては半壊したというのは、そういうものだ。

 今後も時間が経過するごとに、邪神の瘴気は漏れ出してきて、各地で被害が発生するかもしれない。

 もっともこれは亜空間をあえて作ることで、そこに瘴気を誘導して、被害を限定的なものにする、という解決策が考えられていたが。




 邪神という存在は、正直に言えば勇者世界でも、はっきりとしない存在であったのだ。

 意思はあるが、その発生は不明。

 ただ太古の時代から存在し、神々が封印していたことは確かだ。

 その神の力に魅入られたが、あるいは支配されたかが魔王という存在であった。

 もしも邪神が同じように考えたなら、この世界においても魔王が誕生するのかもしれない。

 そして誕生するとしたら、それは人間という種族を選んで接触するだろう。


 今は魔王の瘴気のみが、こちらに漏れていることしか発見されていない。

 だが魔王の意思も、どこかに溢れてもおかしくないのだ。

 そしてどういった場所に、そういうものが出現しやすいのか。

 経験から桜盛は、条件などが分かっている。


 出来るだけ人間が密集していて、その感情が高まっている場所。

 邪神は人間の器から、洩れ出た感情などを吸収して強化される。

 その感情というのは、別に悪いばかりではない。

 普段はありえないような、強い喜びのようなものでさえ、邪神にとっては力となる。

 もちろん負の感情の方が、より吸収して強くなりやすいようだが。


 この世界において、狂乱が最も見込まれる場所とはどこだろうか。

 戦場というのも、確かに人々が恐怖に満たされる場所ではある。

 だが普通ならば戦場というのは、人々はある程度避難する場所だ。

 人間が集まって、そして負の感情ばかりではなく、とにかく制御できないような、そんな感情を発露する場所はどこか。

「アイドルのコンサート会場だな?」

 桜盛に当てられた優奈は、否定はしなかった。




 肯定しないことに、何か理由はあるのか。

 とりあえずここで未来の予知が変わらないというなら、肯定も否定もする必要はないのだろう。

 だがここにおいて、桜盛は正確な未来が知りたい。

 瘴気や、邪神に属するものが発生すれば、桜盛はすぐに分かる。

 だが事前にもっとしっかりと分かっていれば、より万全を期して対処することが出来るのだ。

「それは教えられません」

 桜盛の問いに対しても、優奈はそう言うのみである。


 知っていることで逆に、良くない展開に導かれてしまう。

 あるいは知らないからこそ、一番いい展開になるのか。

 いいか悪いかではなく、優奈の希望というのも入っているのかもしれない。

 さすがにこんな事態に対して、桜盛としても最善を尽くしたくはある。

 だが物事というのは、計画通りに進まないことの方が多いのだ。


 今から物理的に、コンサートが出来ないようにしてしまうことも可能だ。

 プロ野球の終了後にも、ドームはイベントに使用されることがある。

 だが深夜にでもこっそりと、設備を破壊してしまえばどうなるのか。

「それをしてしまうと、フラグを折ることになりますよ」

「フラグを折っても、他に二人フラグが立ってるんじゃないのか?」

 そう問い返しても、優奈はそれ以上は教えてくれない。


 彼女は未来を知りすぎている。 

 だからこそ、自分一人でそれを背負わないといけないのだろう。

 哀れなことだ、と桜盛は少し思った。

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