第96話 兆候

 季節はもう冬と言っていいだろう。

 それぐらい気温が下がってきた頃に、ようやく桜盛は玉蘭との連絡が取れた。

 日本までやってきた玉蘭は、いつも通りの喫茶店で、最初に端的に言った。

「崑崙が半壊した」

 桜盛はもちろん驚いたが、驚きすぎるというほどではなかった。

 少しだけは予想もしていたからかもしれない。

 ただ順番は違ったが。


 邪神がこちらの世界に顕現すれば、当然ながら戦場はどこかに限定しなくてはいけない。

 おそらく東京になるとは思っていたのだが、それよりも先に出現した場所があったのだ。

「幸い死人は出なかったが、それは仙人であったからの話であって、あんなものに触れたら普通の人間は、正気ではいられんぞ」

 亜空間は小さな異世界である。

 それだけにおそらく、世界と世界の境界が曖昧なのだ。

 なので桜盛やミレーヌのせいで、境界が曖昧になっている東京よりも、さらに早く亜空間の方に、邪神の瘴気が漏れているということか。


 崑崙の動植物が凶暴化し、あの桃源郷は半壊した。

 今では新たに結界を作り直し、復興を行っているらしいが。

(あの亜空間の方が、やっぱり脆弱な場所なのか)

 てっきり強靭なものであると思っていたのだが。

「今後はもっと、各地で同じことが……いや、もう起こってるのかな?」

「どういうことだ?」

 玉蘭の問いかけに対して、桜盛はある程度の説明をせざるをえなかった。




 強力な予知能力。

「まさか崑崙の件も分かってたのか?」

「少なくとも俺は知らされていないし……彼女もあえて秘密にするほど性格は悪くないと思うけどな」

 動画を飛ばし飛ばし見ている感じ、だと優奈は言っていた。

 ならば既に済んでしまって、犠牲も出なかった崑崙の件は、彼女の予知の範囲にはなかったのかもしれない。


 ただ崑崙に影響があったということは、もっと重要な意味を持っている。

 それは世界中に存在する、魔法的な境界世界にも、同じように邪神の瘴気が出てくるかもしれないのだ。

「世界の能力者や機関に、出来るだけ知らせていきたい。予知のままの力であれば、それこそ世界中で被害が出る」

「日本だけからそれを発信しても、信じてもらえないということかな?」

「その通り。ただ予知能力者の正体に関しては、公開するわけにはいかない」

「まあ、そうか」

 本来ならば正体を明かした方が、説得力は増すのかもしれない。

 だがそれは絶対にしてはいけないことなのだ。


 古来より、当たりすぎる占い師は必ず、時の権力者に危険視されてきた。

 おそらくもっと精度の高い予知が出来たが、あえてごまかしていたという予知能力者は、かなりいたとも思うのだ。

 それこそ古代には、占いは重要な政治の一環であった。

 だが予知能力には、パラドックスというものが存在する。


 本当の危機を回避してしまえば、そんな危機が本当にありえたのかどうか、分からなくなる。

 天候などに関しては比較的そんなものはないので、古来の司祭は自然を神格化して祭ることが多かった。

 だが人間の運命に関してなどは、人間同士の思惑が左右する。

 誰かがどこかで死ぬということを予知してしまっても、それを口にすることは難しい。

 そもそもそれが、どうしても避けようのないものであった場合、遺族の恨みなどはどこへ向かうのか。

 優奈もそれに気づいているからこそ、情報を小出しにしているのだ。

 彼女はかなり、運命に干渉している方だと言ってもいいだろう。




 あるいは既に崑崙以外も、こういった被害は出ているのかもしれない。

 ただ被害が出ているなら出ているで、予知の証拠になってくるものである。

「全世界的な騒ぎか……」

 異世界からの侵犯、ということは玉蘭もあっさり信じた。

 既に崑崙で被害が出ているから、ということもあるだろう。

「お前は事前に、何か知ってたんじゃないのか?」

「知ってたとしても、あまり役に立たないんだ」

 桜盛は実際にそう思っているのだが、玉蘭は疑いの視線を向けている。


 桜盛としても最優先でしなければいけないのは、邪神対策であることは間違いない。

 だがその次ぐらいには、自分自身の幸福を優先している。

 一つの世界を救って、またもう一つ世界を救う。

 それはちょっとしんどいし、そもそも勇者世界においては、桜盛は邪神に勝つことは出来なかったのだ。


 こちらの世界にもなんらかの、邪神などに対策出来るような、そういった切り札があってもおかしくはない。

 もっとも優奈には予知によって、何か他の解決策が見えているのかもしれないが。

「世界中の戦力を集結させるのは、かなり難しいだろうな……」

 玉蘭の悲観的な意見にも、桜盛は頷くばかりである。


 おそらく全力で戦うこと自体は、どの国や組織であっても、賛成してはくれるだろう。

 要するに地球の常識が通用しない、存在しているだけで毒を撒き散らす、宇宙人のようなものであるからだ。

 ただし最初にどこが対処するかは、かなりの問題となるだろう。

 また核兵器を使用するかどうかも、重要な課題である。


 桜盛としては核兵器であっても、邪神に決定的なダメージを与える手段にならないことは推測している。

 純粋にエネルギーというだけではなく、邪神とはもっとおかしな存在であるのだ。

 通常の陸戦や海戦で使う兵器では、おそらく何も意味はない。

 核兵器であっても、ある程度の時間稼ぎにしかならない。

「というわけで、そういう邪悪なものを封じるような何か、世界のどこかにないのかな?」

「あるにはある」

 玉蘭の返答は、期待通りのものではあった。

「だが果たしてどれだけの邪気を封印出来るか、それは心もとないな」

 やはりそうか、と桜盛は予想はしていたのである。




 この世界にも鯤を封じていたような、封印の手段はある。

 だがそれが邪神にも通用するのかどうか。

 また封印するにしても、ある程度は邪神の力を削らなければ、やはり使えないのではないか。

 そのあたり優奈が絶望的な顔をしていないので、何かはあるのだと分かっているのだが。


 いざとなれば、と桜盛の力に期待しているのかもしれない。

 確かに切り札はあるが、それは万一の時のためのもの。

 桜盛であっても神器とも言える武装がなければ、邪神と戦うのは難しいだろう。

 そういった神々の力のこもった武器や防具は、果たしてどの程度あるのか。


 またそんな神器があったとしても、桜盛に与えられるかどうか。

 勇者世界の本物の聖剣などに比べれば、神威はそれほどのものではないと思う。

 だが世界の裏で暗躍していた、能力者の集団が確保しているものなら、期待以上のものがあってもいいのではないか。

(それこそ神話に出てくるような武器、本当にあったりしないかな)

 不謹慎かもしれないが、ちょっとわくわくしてしまう桜盛である。


 崑崙に行ったとき、一応念のためということで、そこそこの武器はもらっている。

 だが桜盛が全力を出すには、それでもまだ力が不足しているのだ。

 あるいはここから、なんらかの力を込めて、新兵器でも出来るのか。

 神話によれば日本にも、古代の神器というのは確かにあるはずだ。


 皇室に伝わるような、継承のための神器三種。

 表に出ているようなものではないので、桜盛は確認もしていない。

 だがそういった物が本当に力を持っているなら、なんらかの助けにはなるだろう。

 そういった武器探しも、今後の桜盛の仕事になるのか。

 さすがにそれぐらいは、他に任せたいという気持ちがある。

(問題はとりあえず、年末のコンサート)

 何が起こるかというのは、わずかに予想出来ている桜盛であった。

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