第36話 特殊作戦群
男の匂いしかしない。
当たり前のことだろうが、桜盛としてはげんなりしている。
警察官や自衛官は、それなりに女性の数がいたりする。
だが当たり前の話であるが、特殊作戦群には女性の体力では耐えられない。
それと肉体的に、そもそも女性は圧倒的な不利がある。
これは差別だとかどうとかではなく、生理があることだ。
特殊作戦群は最大で、60kgもの荷物を持ち、特殊な作戦に従事することになる。
そして有事はいつ起こるか、正確には分からない。
そんなところに月に短くても三日ほど、長くて一週間ほども、特殊な装備が必要な人間を、配置出来るのか。
もっともそんな心配をするまでもなく、普通に女性でレンジャーは無理である。
アメリカの海兵隊にも女性などはいないはずなのだが、実際はそういう訓練を受けている人間自体はいるらしい。
また体力勝負ならともかく、選択肢を多く持つという点では、女性というのも悪いことではない。
世界の歴史を紐解けば、動乱の時代に活躍した女スパイなどはいるものだ。
それはそれとして、自衛隊の富士駐屯地へ、普通にやってきた桜盛には、さすがに五十嵐も驚いた。
帽子にサングラス、そしてマスクという出でたりである。
「警察が自衛隊と仲がいいのか?」
「何事も例外というものはある」
どちらにも共通して言えるのは、売国主義者にとっては都合の悪い存在であるということだ。
本当にこんな格好のまま、中に入っていいのかと思ったが、桜盛はすぐにトラックに連れられた。
よく映画などで見る、戦闘指揮車というものであろう。
「まずは富士樹海でSと呼ばれる特殊部隊と対戦してもらうが、本当に実弾使っていいの?」
五十嵐の口調が砕けたものになってきたのは、自衛隊に対して見せるためだろうか。
「あちらが口外しないなら、それは問題ない」
桜盛としては、個人で携帯出来るような兵器は、まず無力であろうと思っている。
ただ戦車やヘリをも破壊するような、一発だけ弾頭を携帯する武器は、試してみないと分からない。
しかし海水などへの衝突実験を行って、ある程度は大丈夫だろうと思っている。
「30分ぐらいで無力化出来る、というのも本気?」
「使える戦力が常人とは、圧倒的に違うんだ」
ふむ、と五十嵐は頷く。
問題はその後である。
「さらに特殊な部隊と、その後に対戦してもらう。それでも生き残ってたら、通常火力への対応力だが……」
「戦車の弾頭だの、ミサイルだのは正直、俺もちょっと怖いな」
携帯武器はさすがに、魔王の攻撃を超えることはないだろう。
だが戦車の通常弾頭や、ミサイルの破壊力がどの程度のものか、桜盛は知らないのである。
当たらなければどうということもない、という手段が果たして通用するだろうか。
ミサイルは大きいから飛翔しているのが見えるが、実際の速度はとんでもないものだ。
(着弾してから回避まで、距離を移動できるのかな?)
ともあれ、実戦演習は開始される。
桜盛は装備もなく、トラックに乗せられて樹海の奥へ。
そこから単純に東の方向に、敵となる部隊が展開している、とは教えられた。
富士の樹海と言っても、このあたりは道路が通っているから、さほど深いところでもないのだろう。
ただ自殺したいの宝庫などと言われるのであるから、一般の日本人が生きていくのには難しいところなのか。
大自然の危険性についても、五十嵐が何かを言うことはなかった。
ただし彼は一度も、桜盛に帽子を取れだの、サングラスを外せだのは言わなかった。
「さて、やるか」
真の密林に比べれば、さほどでもないだろう樹海に、桜盛の姿は消えていった。
桜盛は仮想敵である特殊部隊について、何も知らないし知らされていない。
ただ実弾を使うものだということだけは、お互いに了解している。
果たして丸腰の人間に、自衛隊員が銃弾を発射出来るのか。
出来るのが、特殊部隊なのである。
同じ自衛隊の中でも、硝煙の匂いの濃い者たち。
仲間内にも明らかにはしないが、気づくものは気づくだろう。
そんな彼らは特殊作戦の装備を持っているが、人数は12人で食料などもさほどは携帯していない。
これは仮想する事態としては、国内を逃走する数人の敵を、追い詰めているというものだろう。
さすがに相手の武装については、教えられていない。
たった一人を相手に、実弾を使うことが許可されている。
確かに特殊作戦群は、とてつもなく過酷な環境で、任務を遂行するために、それ以上に過酷な条件で訓練をすることはある。
だが使うのはあくまで、実弾ではない。
訳の分からない任務であるが、それにも従う精神の持ち主が、特殊作戦群である。
いや、その中でもとびきり、割り切った人間を集めたのか。
指揮官である一尉は、本来ならこの規模の部隊と共に前線で指揮することはありえない。
しかし確実に任務を遂行する、そのための訓練は受けているのだ。
まず考えなければいけないのは、相手を発見すること。
ただどういった人間かも教えられていないので、そこはかなり危険な話になる。
このあたりは基本的には、自衛隊が演習で使うが、あまりに範囲が広いため、一般人の侵入も可能になっている。
それを考えれば誰かを発見しても、それが本当に目標かどうなのかを確認しないといけない。
一応は作戦の開始から、断続的に情報は入ってくる。
男は190cmぐらいで、顔をサングラスやマスクで隠していたため人相は不明。
服装は最後に確認された限りでは、グレイのジャージの上下であった。
靴はこれまた、スニーカーを履いていたという。
「足跡が見つかれば、そこから追跡は出来ますね」
「それに匂いも残るでしょうし」
「食料などはどうなんでしょう? うちも一日分の食料と水しかありませんが」
「一応浄水キットもあるし、食料は節約した方がいいかな」
「それとたとえ発見したとしても、一般人と誤認する可能性があるため、実弾を撃ち込むのは出来ないのでは?」
「……一般人を誤射しても、埋めてしまえばいいだろう」
指揮官のそんな言葉にも、わずかな動揺がすぐ消えるのが、特殊部隊の特殊たるゆえんである。
そもそも相手も一人なら、こちらを相手に手加減をしないのではないか。
武装についても詳しくは教えられていないが、ナイフと拳銃ぐらいは持っていると想定すべきでは。
訳の分からない状況の訓練は、普通に行われるものだ。
ただ実弾を使うというところだけは、本当に分からない。
相手がどんな人間であろうと、自衛隊の小銃の実弾を受ければ、よほどの防具を備えていない限り、死亡は免れないはずだ。
この事態は要するに、双方が鬼のかくれんぼである。
そして先に見つけた方が圧倒的に優位な、鬼ごっこになる。
「まずは分散して、相手の痕跡を発見することから開始だな」
ここでいくつの組に分かれるのか、それも判断しなければいけない。
「三人四組で移動する。進行方向はおよそ15度ずつを開けて、一時間ごとに合流せよ」
そして猟犬たちは解き放たれた。
向かうところに存在するのが、狼すら屠る巨大な羆であることも知らずに。
桜盛の使う魔法には、生命感知や魔力感知といったものがある。
そしてこの富士の樹海には、魔力感知が広域で働いている。
(昔何かあった場所なのかな)
元から富士の樹海はやばい、とは噂話にも聞いていた。
しかし魔力感知が上手く働かないというのは、勇者世界でも魔力暴走があった土地では同じような環境であった。
最初は通常戦力とここで戦い、次に超常戦力と戦う。
懸念していたのはあらかじめ、トラップ型の魔法を設置されているということであった。
だがこれだけ地脈が狂っていれば、普通なら魔法の罠は使えないはずだ。
ただそれは勇者世界の常識である。
(広域のものならともかく、小型のものならむしろ、使いやすいか)
不利な状況で戦わなければいけないな、と桜盛は少しだけ慎重になる。
まずは着替えである。
アイテムボックスの中には、この日のために用意しておいた、サバイバルゲーム用のギリースーツに着替える。
透明化の魔法については隠して、出来るだけ普通の人間でも、可能な手段で対抗するのだ。
どこにそんな物を用意していたんだ、という疑問は後から向こうも考えるかもしれない。
ただアイテムボックスの存在よりは、事前に場所に用意していたのだ、と考える方が自然であろう。
そのために桜盛は、わざと迂回するような動きをしている。
そしてここから、魔法で生命探知をする。
他の生き物もたくさんいるだろう樹海だが、人間の反応と動物の反応は違うものである。
(三人四組で動いてるのか)
とりあえずかくれんぼは、桜盛の圧倒的な勝利である。
こういう場合は普通、四人で組む方が普通なのでは、と桜盛は考える。
ツーマンセルという考え方はあるが、状況によって切り替えているということだろう。
二人で組んでいるよりは、確かに互いに注意しやすいし、調べる範囲の広大さを思えば、これは仕方がないのだろう。
桜盛には知らされていないハンデがあるが、あちらにはさすがに作戦の領域は知らされているはずだ。
(しかし実弾を使うのは、俺にとってかなりの不利なんだな)
それは単純に、相手の武器の方が優れているからではない。
もし武器を奪っても、桜盛はそれを牽制にしか使えないからだ。
開始前に確認はしなかったが、桜盛は真面目な自衛隊員を殺す気は、全くない。
戦闘不能にするために、骨折ぐらいはしてもらうかもしれないが。
(ナイフは一応持ってるけど、相手のを奪って使うか)
アイテムボックスの詳細は、絶対に隠しておかなければいけないことである。
四組で別れているのは、他にも事情がある。
それは携帯している武器の関係だ。
陸上自衛隊の標準装備は、89式小銃であるが、追加装備を抱えている。
個人携帯対戦車弾が、その発射装置を四つ、そして予備弾薬として各自三つが与えられている。
これもまた、実弾であり、普通に対人戦闘では過剰な戦力である。
通信機材、爆破薬などは、おおよそ通常装備と言える。
だが食料や水が少ないのは、それだけ想定が短期間に終わることを意味しているはずだ。
お互いに殺しあうという、自衛隊の訓練でもかなり特殊なもの。
だが特殊作戦群では問題はない。
想定訓練においては、もっと厳しい場面がいくらでもある。
それが今回は、たった一人を制圧するのみだ。
しかも実弾を使ってもいいという、訳の分からない条件。
それでも隊員たちは、通常ではない思考をもって、まずは相手の痕跡を探す。
桜盛はさすがに、自衛隊の装備までは分からない。
調べれば普通に出てくるのだが、調べなくても大丈夫だろうと思っている。
核兵器レベルでもない限り、桜盛には通用しない。
実際に魔王の攻撃は、魔法の一撃で大きな街を破壊していたのだ。
勇者世界と地球での、最大の違い。
それは破壊力などに対する、厳密な研究である。
(まずは最初の三人を無力化して、装備を確認するか)
ここは質問権を使ってもいいのだが、相手が武器を統一していない、という可能性を桜盛は考えている。
それよりは等間隔で広がった三人を、無力化してそこから情報を奪取する。
そちらの方が性分に合っている。
北方に移動して、桜盛は気配を消していく。
その移動力はもちろん、人間ではなく密林を移動する獣のようなものだ。
果たしてこの周辺に、どれだけの監視カメラが設置されているものか。
桜盛は広域の小さな電撃で、そのカメラを破壊していく。
国民の血税である、装備品の破壊。
だが訓練すらも、税金を垂れ流す行為であることには変わらない。
通常戦力による戦闘は、本当に資源の無駄遣いだな、と桜盛は思った。
勇者世界における戦闘も、装備品は魔法のかかったものであるし、貴重な金属なども捨てられていったことがある。
何よりも消費していくのは、人命であった。
全く、絶滅がかかっているわけでもないのに、地球では紛争が絶えない。
そう思うと現代以降の戦争は、全てが国家の優位を保つための、無駄の多い手段だと言える。
もっとも北側、相手から見ると右翼側に、桜盛は移動した。
わずかな草の揺らぎに合わせて、相手に接近していく。
三人一組とは言え、互いの距離は目視出来る程度に離れている。
(実弾ということを考えれば、こいつらを盾にしていったら、接近戦を行うしかないか)
そして完全に気配を殺した背後から、桜盛は襲い掛かった。
何が起こったのか分からなかった。
正三角形を描いたお互いの行動は、確かに一度の攻撃で全滅しないよう、わずかな距離は開けていた。
だが一瞬の間に、右方向の隊員がいなくなっていた。
ハンドサインで事態を確認するが、音もなく一人が消えていた。
ただその位置は、確かに分かっている。
遮蔽物に体を隠し、背後だけは取られないようにする。
これも共に無言のまま行い、ハンドサインすらない目線での意思疎通で、片方が援護、片方が確認に向かう。
だが桜盛は、その援護のはずの隊員の、斜め後ろから接近していた。
自分が援護する側だという意識は、警戒感を確認者の方に向けてしまっていた。
足元にいくらでも音を鳴らす、自然の環境が広がっている。
それなのに音もなく、桜盛は二人目を始末したのである。
鞘のついたままのナイフで、一瞬で首をかききる動作。
「死亡判定」
さすがにこれぐらいは言っておかないと、桜盛には不利すぎる。
そして互いの死角を監視できるバディのいない、残りの一人を制圧するのは、あまりにも簡単すぎた。
桜盛は相手の装備のうち、銃火器は奪わなかった。
サブウェポンの拳銃にしろ、主兵装の小銃にしろ、攻撃力が高すぎる。
桜盛の肉体でコントロールするなら、確かに銃もそれなりの武器にはなるだろう。
だが殺傷力の高い武器は、桜盛は使えない。
今回の場合は銃声を鳴らすことなく、三人を制圧出来たのが大きかった。
気配を殺して後ろに回り、一撃で無力化する。
魔王相手でも出来ることなら、こういった楽な戦闘がしたかったものだ。
死体になって転がっている、隊員の視線を桜盛は感じていた。
だが桜盛もまた、顔を隠してはいる。
190cmの大男が、こんなにも隠密性に優れた動きが出来るのか。
それは特殊部隊の隊員にとっても、驚くべきことではあった。
いったいこの男の正体はなんなのか。
だがナイフで死亡判定をされた男は、声を出すこともない。
こうやってまた、一人ずつ殺していくというのか。
ナイフだけは奪って、桜盛はまた樹海の中へ消えていく。
それが見えなくなってから、死体役の隊員たちは起き上がった。
これ以降、もちろん作戦には参加しないし、無線で何か言われても、答えることは出来ない。
「いったいなんだったんだ、あれ」
「いや~、最初に殺されたけど、ほんとにまったく分からなかった。腕が巻きついたと思ったら、一瞬で体が動かなくなったんだもん」
「世界は広いな……。けれど銃は取っていかなかったのか」
訓練中でもなくすと、ひどいことになるのが自衛隊である。
ただ、こういった特殊訓練では、話も違ってくるが。
とってもハードな演習というよりは、こんな怪物がまだまだいるのだ、という注意喚起。
死体になった隊員たちは、変な笑いを浮かべてしまう。
その後の定時連絡にも、もちろん反応はしない。
だがこれで、まず三人の脱落は分かっただろう。
あれを相手に、残りの九人で制圧をするのか。
もしもやるとすれば、さらに一組が襲われてから、六人体制で相手をすることになるのだろうが。
「また腕立てかな」
死亡判定をされても、また訓練の日々は終わらない。
特殊部隊というのは、その名の通り特殊であるのだ。
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