第25話 夜の街で

 世界を広くしたい。

 異世界を知っている桜盛の言葉としては、なんだかおかしなものであるなと、自分でも思ったりする。

 見聞を広めたいというわけなのだが、裏社会にまで入り込むつもりはない。

 それでも個人的には、もうちょっとアンダーグラウンドなサイドまで、ちょっと知ってみたいという気持ちはある。

 充分に闇の世界に関わっている桜盛だが、そこまで深いものではなく、ちょっとやんちゃな世界を見てみたいという程度である。


 この間はエレナが自業自得に近い感じで、犯罪被害者になりかけていた。

 女には夜中に出歩く権利さえないのか、と言ってくる人間もいるかもしれないが、世界の多くの都市では権利はあっても安全がない。

 桜盛としては仲間を見つけたいのだ。

 信頼できる仲間、などという贅沢は言わないが、利害関係の一致する仲間である。

 その利害関係についても、常に一致する必要はない。

 ただ価値観だけはある程度一致していないと、さすがに困るのだ。


 夜の街のクラブなどから、少し離れた街の片隅。

 知らない人間からしたら、あるいは足を運ぶのを躊躇するだろう。

 それをまったくしない桜盛について、蓮花は興味が湧いていた。

 まだ一年生で、高校に入学して二ヶ月ほどが経過したばかり。

 だが身にまとった雰囲気とでも言うべきか、それはなんだか大人びた余裕を感じる。


 おそらくそれはあの腹筋にも見えた、暴力の気配によるものなのだろう。

「こっち~」

 そもそもボンボン学校の生徒が、こんなところに来るべきではないのだろうが、蓮花はどうやら慣れているようであった。

 彼女はそもそも大阪の生まれで、こちらに来てあちこちを開拓したようである。

 女がそれをするのは危険だな、と桜盛は思うが、異世界に行く前の自分であったら、そのあたりは変わらないだろう。


 蓮花に続くのは桜盛の他に、女子が二人と男子が二人。

 わずかに灰の匂いがするような、そんな場所である。

 だが実際には人間が集まって、酒を飲んだり煙草を吸ったり、音楽を流したりしている。

 アンダーグラウンドと言うよりは、ストリートと言うべきなのだろうか。

 ちょっと勇者世界にはなかった感じである。




「ほ~い」

 蓮花が手を振って、たむろっている連中の元へ向かう。

 おっかなびっくりな本日初めて招かれる者はともかく、桜盛は頭は動かさず、目だけで左右を確認している。

 桜盛が知る限り、一番治安が悪いのは、占領直後の都市である。

 だいたい地球における古代から中世にあったように、期間限定で略奪や暴行が多発した。

 兵士に強姦される風景は当たり前のことで、日本育ちの桜盛ですら、よほど戦略的に意味がなければ、そういったものは止めないようになってしまったものだ。

 そもそも初期の頃の桜盛は、それを止めるだけの暴力も権力も持っていなかった。


 日本の、ちょっと治安の悪そうなストリート。

 それは世紀末的な社会を生きてきた桜盛にとっては、ほぼノーストレスの環境である。

 実際に蓮花も平然と、タトゥーなどを入れた人間と笑顔で話している。

 ……いや、タトゥーも文化というのは勝手だが、顔にまで入れているのはやりすぎだろう。

 ここは日本であるのだし。


 結局のところ桜盛から見れば、力のないものがこけおどしに、そうやって身を飾っているようにしか見えない。

 ただ見た目というのは想像以上に重要なもので、桜盛も勇者世界に召喚された当初は、かなり侮られることもあったのだ。

 力だけはあったものの、その使い方に全く慣れていなかったので。

 ここは子供の遊び場じゃねーんだぞ、からの一発でKOまでが様式美であった。

 しかし今なら気迫だけで、ただの喧嘩自慢ならへし折れそうだ。


 光あふれる昼の世界とも違い、かといって完全に社会に背を向けた裏社会とも違う。

 少しだけレールを外れたこの世界は、アウトローと言うにはまだ違う。

「見た目ほど危険じゃないけど、それでも時々は危険だから、知らない人にはついていかないようにね。向こうがあたしの名前を出してきても」

 蓮花はそういったが、その台詞は桜盛以外の、今日初めて連れられてきたという二人へのものであったろう。


 桜盛の目から見ても蓮花は、ただの金持ちの子供とは違うと思う。

 エレナなどは隠しても高貴さがにじみ出ていたが、蓮花から感じるのはしたたかさだ。

 勇者世界でも見た、年よりもしっかりと大人びた、それでいてまだ甘いところのあるのがエレナであった。

 それに対して蓮花や、また有希などは、大人と渡り合う必要のあった、10代の人間を思わせる。

「あ、それと薬の売人とかもいるから……まあ今日はあたしが助けるけど、これ以降は自己責任で」

 なるほど、そういうものもあるのか。




 蓮花が顔見知りと挨拶をして、それがこちらに近寄ってくる。

 値踏みするような視線は、金持ちの間でもあるものだろうが、これはそれに比べると感情がむき出しになっている。

 もっともこういうものは、金のあるなしではなく、品性によって変わっていたりもするが。

 ただ蓮花の紹介ということもあってか、それほど威圧はされていない。

 彼女も変な薬や煙草には手を出していないようであった。


 同じ金持ち学校であっても、その生徒には違いがあるというのは、ある意味当たり前のことではある。

 だが蓮花の胆の座り方は、さすがに玉蘭ほどではないが、警察官である茜以上ではないかと思うこともある。

 音楽をかけて、それに合わせて踊る蓮花。

 桜盛はそれを、他の人間からも離れて見ていた。

 部活でも話されていたが、蓮花は部員の中でも、圧倒的に飛びぬけて上手い。

 それは技術の面もあるが、素人から見てさえ何かが違う、と分かるものであった。

 そして桜盛は素人であるが、肉体を動かすということに関しては、蓮花以上のプロである。


 何が他の部員とは違うのか。

 ここに集まっている、他の学校の、あるいは学校に行っていないダンサーまで含めて、蓮花は一緒に踊っている。

 その中には明らかに、年齢がずっと上の者もいる。

(体幹が以上に鍛えられてるんだな。あとはリズム? 音楽に入るタイミングが上手いのか?)

 初心者ながら、その身体能力を見込まれて、桜盛はそこそこ声をかけられている。

 だいたいの初歩的な技術を、一度で出来るようになってしまうのは、才能と言うよりは身体能力だ。

 蓮花はずっと桜盛に付いていたわけではないが、何度となく視線をやっていた。

 教えれば教えるだけ、すぐに物にしてしまう。

 才能というには表現力にまだ達していないが、動きだけはキレキレである。


 桜盛からすればダンス部など、女にモテる条件の一つでしかない。

 踊ることでしか表現出来ない、という必死な人間もいるのかな、と頭では思う。

 少なくとも勇者世界では、踊ることで群集を動かした、偉大な踊り手もいたものだ。

 貴族が逃げ出した後も、そのカリスマで魔物と対決した。

 彼女があれからどうしたのか、桜盛は知らない。




 蓮花のダンスは、顔には苦悩している様子さえ見える。

 だがその動きは滑らかで、どこか官能的にさえ見える。

「基礎がしっかりしてるんだなあ」

 教わったばかりの基礎を、蓮花はしっかりとなぞっている。

 そして全体的な体の柔らかさは、やはりバレエなどの基礎があるのではなかろうか。


 絞られた肉体だが、二の腕などは柔らかそうに見える。

 肉体による表現は、確かに学校のお遊びのレベルではない。

 何曲か踊ってから、肩で息をして蓮花は外れる。

 そしてずっと見ていた桜盛の近くにやってきた。

「やらしい目で見てた」

「エロい踊りだったからな~」

「セクシーって言いなよ」

 桜盛は素直なので、とてつもなく素直な感想を述べた。

 それに対して蓮花も、いしし、とでも言いたそうな笑みを浮かべたのだ。


 蓮花はお嬢様っぽくはない。

 ただボンボン学校であっても、その程度は色々と違う。

 それこそ志保やエレナのような上流層の中でも上流層がいれば、大手企業の管理職といったちょっと裕福なだけの家庭もある。

 すると蓮花はどういったどれぐらいの階層なのかというと、これもまた分からないものだ。


 そっと横顔を見ていた桜盛に、にんまりと笑った蓮花は、服をまくってお腹を見せる。

 そこにあったのは、やはりバキバキに割れた腹筋であった。

 腹筋に限らずおそらく、彼女は全身、こういった肉体なのだろう。

「これはいいものですな」

「反応薄いな~」

「何を期待してるんだか」


 桜盛は確かに、女慣れはしていない。

 しかしそれは女性を女性らしく扱うというものであって、女性の肉体自体には慣れている。

 それこそ勇者世界の女戦士などは、腹筋が割れているどころか、全身の筋肉がキレキレだったものだ。




 ちょっと変わった下級生をからかおうとして失敗。

 蓮花としてはその程度のものであったのだろうが、これに反応する者もいる。

「蓮花、ガキ連れてくんなよ~」

 そして馴れ馴れしく彼女の肩に腕を回すが、蓮花は表情も変えずにそれを外す。

「今日はあんたらには用はないの。スガ来てないの?」

「あいつはいつ来るなんて分からねえだろ」

 さらに付きまとおうとしているが、これは果たして助けるべきか。


 主人公なら助けるべきだろう。

 だが桜盛は蓮花は、別に困っていもいないと判断した。

 茜やエレナと違い、この程度でいちいち鉄拳制裁などしていたら、体がいくつあっても足りない。

 知らんぷりしている桜盛であるが、蓮花に相手をされないモブ君は、その標的を変えたらしい。

「このガキどうすんだ?」

 そして馴れ馴れしく桜盛と肩を組もうとするが、さっとよけたのでその場でこけてしまった。

 なんともバランス感覚の悪いことだが、平和な国の兵隊でもなければ、この程度のものだろう。


 あらあら、という顔を蓮花はしているが、どう考えても面白がっているだろう。

「この!」

 桜盛の服の胸元をつかみ、殴りかかってくる。

 ちなみに検証した限りでは、頬を殴られたりすると、さすがに少しは痛さを感じる。

 それは嫌なので、額を相手の拳にぶつけてみた。

 ぽきりと音がして、相手の指の方が折れた。

 元々勇者の力を別にしても、人間の拳の骨よりは、だいたい額の骨の方が硬いのである。


 世紀末でありそうなうめき声を上げて、その場に崩れ落ちるアウトロー。

 弱すぎるから真っ当な道に戻ってほしいものだ。

 他に二人、桜盛に向かってかかってくる。

 一人はまた拳をかわし、そのまま肩関節を極めて関節を外す。

 またも悲鳴が上がったが、最後の一人は武器を出してきた。

 シャキ、チーンといった感じで、バタフライナイフを取り出す。

 だがそれに対しては桜盛が何かをするよりも早く、蓮花がキックで蹴飛ばしていた。


 なんだか久しぶりに平和な喧嘩だな、と桜盛は思っていたわけだが、どうやら相手はこれでヒートアップしたらしい。

「喧嘩に刃物出したらあかんやろ!」

 蓮花の関西弁で、武器を取り出しかけた連中はそれをしまう。

 そして桜盛は転がったナイフを手にとって、指三本でその刀身を折った。


 キン、と涼やかな音であったが、素手で刃物を折ったのである。

 それはとても分かりやすい、破壊力の証明であったろう。

 唖然とする一同とは別に、今度はヒップホップの音楽が鳴り出す。

 そしていかにもな服装の連中が、ラップで桜盛をディスってくるのであった。

 桜盛はラップバトルを無視して、顔面に鉄拳制裁。

 そこから喧嘩は拡大し、無関係な人間は蓮花が咄嗟に遠ざけていた。




 後遺症が残らない程度にボコボコに殴り倒したあと、外した肩の関節を入れてやる。

 最終的に七人を相手にしたわけだが、桜盛は何度か殴られても涼しい顔であった。

「血気盛んだね~」

 また口調が元に戻っている蓮花であるが、さっきの一瞬の彼女が、本来のものであったのだろう。

「久しぶりに健康的な喧嘩だった」

 なにしろここのところ、一方的に殺しまくる制圧が多かったので。

 また断種までしなくて済むというのも、とても平和であったと言えよう。


 とても分かりやすく俺TUEEEしてしまった桜盛であるが、虚しいだけであった。

 いい大人が幼稚園児に対して暴力を振るったような、そんな情けなさまで感じている。

 悪党に人権はないが、果たしてこの程度のヤンチャたちに向かって、これほどする必要はあったのだろうか。

 自己嫌悪に陥る桜盛に対して、蓮花は笑顔で応じた。

「なんだか元気ない?」

「弱いものいじめをしてしまった……」

「いやいや、強い者いじめでしょ。普段はイキってる連中だし、少しは懲りたんじゃないかな」

 悪党であれば強い者いじめでも罪悪感はないのだが、相手はまだ子供も混じっていたではないか。

 戦っている最中は、適度に継戦能力を奪っていったが。


 他に残った人間も、桜盛の方をちらちらと見ている。

 これが勇者世界であったら、強い、素敵、抱いて! となっていたのだが。

 世界が違うとはこれほどのものか。

「やっぱりボクシングとかやったらええんちゃうん?」

「あ、また関西弁になってる」

 その指摘に蓮花は、慌てたように口元を抑えた。


 ちょっと普通なら引くくらい、桜盛はやはり強かった。

 肉弾戦だけでこれであり、果たして魔法の強化を使ったらどうなることやら。

 マジック・ドーピングとでも名づけようか。いやいや、普通にバフではあるのだが。

「しかし蓮花さんはよく俺のこと怖くないね」

 これでも一応、威圧感などは出さないようにしているのだが。

「うん、まあねえ、うちの実家、お爺ちゃんの代までヤクザだったから」

「ふうん?」

「今は暴力団扱いはされてないし、大阪ではちょっとした顔だけど、まあそれでも暴力がけっこう飛び交ってたから」

 なるほど、こういうものには慣れている、と。


 暴力団対策法にあたり、シノギを合法化したヤクザというのはそれなりにいる。

 よくマンガに出てくる「良いヤクザw」というものであるらしい。

 ただ世の中、話し合いだけで片が付かなかったり、理不尽なことをされる者もいるというものだ。

 それに対しては、古くからのつながりがものを言うらしい。そもそもヤクザの発祥を思えば、顔役に戻るのもおかしくはないのだ。

 第二次大戦後の混乱期に、青年団が中心となって自治的に組織されたもの。

 古き良きヤクザというのはそういうものであった、現在の薬物などで稼いでいるのはロートルヤクザなのだ。

「ひょっとしてそれで東京に?」

「そうそう」

 表向きはグループ会社だが、その発祥はヤクザ。

 確かに地元を離れたくなる気持ちにもなるのだろう。


 暴力の匂いに慣れていて、危険にも敏感。

 だからこういった夜の街も怖くないのか。

 もっとも本気で桜盛が殺気を出したら、さすがに洩らしながら部屋の隅で震えて命乞いをしてくるのだろう。

「そういうわけで危ない桜盛君には、今後も期待してるよ」

 いや、何を期待しているというのか。

 桜盛はこの平和な日本で、のんびりとスローライフを楽しみたいのだ。

 厄介ごとはおおよそ、向こうからやってくるのであって。


 ただ、これにて桜盛の世界は確かに広がった。

 別にこういった世界は広がらなくてもいいとも思ったが、なんなら暴力でのし上がるのも悪くないのか。

 もっともこういうことをやっていくと、普通に素性がバレそうではある。

 あまり顔が売れすぎると、勇者の肉体まで成長した時、正体が判明してしまうだろう。

「う~ん……俺は平和を求めて戦って、平和に生きるために戻ってきたはずなんだが?」

 それは心からの言葉であり、だからこそ救いがたい。

 最強勇者の平穏な生活は、まだまだ遠いようである。

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