第85話 勇者の本質
勇者という存在は、要するに人類がお墨付きを与えた、魔王軍に対する暗殺者である。
ただ桜盛は人類側に対しても、その力を振るっていたが。
最終的な目的達成のためには、味方の中の派閥で一番強くなる必要がある。
そのために人類同士の戦争にも、投入されれることは多かった。
なので桜盛としては、殺人に対しては禁忌の念はない。
殺してはいけないのは、己の感情のみで殺すことだろう。
いや、感情ではなく、利害であろうか。
もっとも桜盛は様々な理由で、人を殺してきた。
その中には確かに悪党だが、憂さ晴らしで殺したやつもいる。
現在の日本において、なぜ人を殺してはいけないのか。
実はこれは、物理的に禁止されていなかったりする。
おかしな話かもしれないが、殺人が許されているからこそ、人は人を殺すことが出来る。
そして戦争の中の戦場においては、敵を殺すことは罪にもならない。
ただ戦争の中においても、理由なき殺人には罰が与えられる。
もっとも現代日本において、桜盛を裁くことは出来ない。
殺した死体が残っていないし、殺した痕跡も残っていないからだ。
法律的には、桜盛を罪に問うことは出来ない。
桜盛の道徳観でも、自分が罪を犯したとか、罰を受けるべきだとは思わない。
しかしここまで桜盛は、政治的な目的のためには、権力サイドの人間を殺したことはない。
なぜならそれは、影響力のある人間を殺したことによる結果に、責任を持つつもりがないからだ。
桜盛には殺したい人間がいない。
殺した方がいいのでは、と思う人間はいるが。
日本の社会システムの維持を、己の幸福のために望む桜盛であるが、そのために周辺の独裁国家の独裁者を殺せばいいとは思わない。
基本的に独裁国家は、完全に追い詰められた状態でもない限り、独裁者一人を殺しても、状況が悪化するのを勇者世界で見てきた。
日本には潜在的な敵国がいるし、国内にもいわゆる売国奴と呼ばれる人間はいる。
しかしそれを殺せば、世の中がよくなるとは限らない。
独裁者を殺して内乱にでもなって、核兵器のトリガーが引かれたらどうするのか。
それを考えたら、責任を取らなくていい、今の状況を維持するのが当然である。
世界は勇者一人の力によって、動かされてはいけない。
ミレーヌの言っていた、明らかに未来が分かっていた状態などは除いて。
桜盛は人を殺すにおいて、正義を免罪符にすることだけはやめようと思っている。
そもそも殺すこと自体が駄目だとは、日本における道徳である。
極端な話、桜盛は自己を守るためならば、いくらでも人は殺せる。
するとやはり、これは感情での殺人になるのか。もちろん正当防衛でもあるが。
ともあれ、五十嵐からの依頼がやってきた。
情報漏れを避けるために、茜と久しぶりに直接の対面である。
酒を頼む前に、まず渡された封筒。
その中には確かに、排除すべき存在が書かれていた。
「またこのパターンか」
「私は何も知らされてないんだけど、それってなんなの?」
「あ~、公安の外注案件かな?」
「……それっていいの?」
もちろん良くはないのだが。
世の中にはどうしても、法を逃れる悪というものが存在する。
たとえば民事の範囲であれば、金で和解さえ出来たなら、どうにでもなると考える愚か者は多い。
「内容は官僚の息子の不祥事の後始末だから、あんまり聞いても気持ちのいいものじゃないぞ」
「それこそ本来なら、裁判で正当に裁くべきでしょうに」
まあ一般的な警察官であった期間が長い茜であれば、そうも言いたくなるのは分かる。
警察官も現場の最前線で、世の中の理不尽と戦うことは多いのだ。
税金泥棒などと公務員は言われることが多いが、公務員もちゃんと税金を払っている。
桜盛の場合はまだ、いっさいの税金を払っていない年齢であるが。
「裁判制度は欠陥があるからな」
現実主義者である桜盛は、現行の制度の中では、裁けない犯罪者がいたり、救えない被害者がいることを理解している。
民事事件など、被害者側が裁判を起こすにおいて、とてつもない労力が要求される。
それは時間や金銭もであるが、それ以上に被害を受けた被害者のメンタルが問題となる。
特にそれは著しいのは、性被害者であろうか。
親告罪の範囲ではなく、刑事事件の範囲になってしまったとしても、訴えるための起訴内容を整えるために、どれだけの精神的苦痛を伴うか。
屈辱的なことを誰かに話すことは、セカンドレイプともなる。
しかも酒や薬などで意識が朦朧としていれば、同意があったのでは、などと見なされかねない。
冤罪を防ぐためにも、これまた必要なことではあるのだ。
桜盛が以前、エレナや蓮花を助けたのとほぼ同じような、集団連続レイプ。
主犯格が現役政府高級官僚の息子であるため、少しでも隙を与えると、すぐに圧力がかかったり、示談での揉み消しを計る。
ただ五十嵐がこれを桜盛に持ってきたのは、かつて裁いた実績があるからであろう。
正直なところ、いくら犯罪に慣れた桜盛でも、こういうものは胸糞が悪くなるので、あまり持ってきてほしくないのだが。
メンタルが鈍感に思えるほど強いといっても、何も感じないわけではないのだ。
また五十嵐は追加というか、可能ならばということで、さらなる要望を付記していた。
それは犯罪者の処断よりも、ある意味では重要なことである。
性犯罪被害者の、社会への復帰。
こちらはさすがに、出来ますか、と尋ねてきている。
被害者がちゃんと復帰して、またまともな生活を得られること。
出来るならこれも手伝ってほしいとのことである。
犯人の暗殺ならともかく、さすがにそれは桜盛の仕事ではないであろう。
犯罪者が正しく裁かれたとしても、被害者の心が癒えるわけではない。
それはまた勇者とは違った、ケアをする専門家が必要となる。
だが五十嵐が桜盛に求めているのは、そういうものではない。
この事件は性質上、公に裁くわけにはいかないのだ。
正しく裁くわけではなく、だが確実に裁いたといえる証拠は残してほしい。
因果応報をもってしか、救われない魂はある。
逆を言えば、因果応報で救われる魂があるのだ。
困ったものだ。
桜盛は拷問もやったことはあるが、それはあくまで情報を獲得するための手段であった。
質問権のある今は、その情報の提供すら、ほとんど必要ない。
だが五十嵐の依頼の限りでは、ただ痛めつけるための拷問を要求している。
犯罪者が苦痛をもって裁かれることで、救われる魂があるのだろう。
(さすがにこういった分類のことは、今後は避けてほしいな)
桜盛が得意なのは、あくまでもあっさりと殺すことなのだ。
ただ最初の仕事であるだけに、しっかりと引き受けようとは思ってしまっている桜盛であった。
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