第79話 彼の選択
どちらにもいい顔をするというのは、基本的には嫌われる行為である。
この場合の桜盛の行動は、まさにそういうものであった。
日本に対しては、アメリカの干渉を拒絶し、日本人として行動しながら情報を渡す。
そしてアメリカに対しては、日本が奪取した軍事兵器を奪還した。
それでいながら、それをアメリカに返すのではなく、そのまま自分で焼却処分をする。
日本からすれば、桜盛がアメリカからせっかく奪った軍事機密を、また奪われたということになる。
しかしアメリカとしては、桜盛の奪い返した軍事兵器が、本当に日本から全て奪い返したのか、もう確認する手段がない。
どちらの立場にも配慮した、この桜盛の態度。
それでも通用してしまうのは、桜盛の持つ軍事力が、そして軍事力以外の力が、国家に匹敵するほど強大だからである。
今回のアメリカの作戦は、完全に失敗した。
戦闘員の中でもトップクラスのジェーンを出しても、全く歯が立たなかったのが桜盛である。
しかし失敗の中でも、桜盛とは交渉自体は発生したし、アメリカ側への配慮もあった。
桜盛が取り戻した兵器を、アメリカには返還しなかったが、中身ごと焼却したというのは、実はある程度分かるものであったりする。
ただ中身をなんらかの手段で、日本が手に入れたという可能性は、ごくわずかではあるが消滅したわけではない。
今後もし日本に変換を迫っても、桜盛が奪還した上で処分した、と言われれば日本側も証明の手段はない。
そして桜盛はアメリカ側の目の前で、間違いのない容器ごと中身を処分したのだ。
日本に細菌兵器は渡っていないはずだ。
だがそれを確信することは出来ない。
また日本側は、確実に奪還されたことは知っている。
しかしそれはそもそも、桜盛が知らせてくれたから奪えたものであるし、日本側にもうそれが残っていないというのは悪魔の証明だ。
桜盛からしてみれば、いずれ中国に奪われることになるこの兵器は、日本に置いたままにしておくわけにはいかなかった。
それでもほんのわずかに、日本からアメリカに対して、強気になれる条件は残しておいたのだ。
どちらにもいい顔をしている。
ただし桜盛の持つ武力と、日本の社会の中に隠れる隠蔽能力。
これを考えれば桜盛は、どちらにもいい顔をすると言うよりは、第三勢力とでも言うべき力となっている。
もっともスタンスとしては、日本よりではある。
アメリカとの関係を悪化させたくはない、という一般的な日本人の立場で、こうやってまた交渉しているというわけだ。
個人の力が、国家との交渉を可能にしてしまっている。
普通ならこれはありえないことだ。
だが桜盛の本当の力というのは、その圧倒的な武力ではない。
いまだに日本の警察も、またそれ以外も所在がつかめない、正体不明なところにあるのだ。
どこにいるのか分からない。
一応は適当に、国籍などは作ってある。
また鉄山とは良好な関係を築いていて、五十嵐ともある程度は接触している。
なのでこれは、アメリカと同じく、日本と同盟を結んでいるのに近い状態であるのか。
実際にあの武装グループの占拠事件は、日本政府にとって大きな問題とならず、どうにか解決に成功している。
つまりこれは日本が桜盛という個人と同盟を結び、桜盛は日本がアメリカとの同盟関係を維持するという立場にある、と考えるべきなのであろう。
桜盛の言葉の端々からは、日本の社会で彼が暮らしていることが推察でき、しかし日本の権力は彼を、完全には制御できていないことを示している。
アメリカが日本に対して、必要以上の圧力をかけたり、桜盛自身をどうこうしようというのは跳ね除ける力がある。
だが日本の社会秩序を必要とするため、日本の味方をしている。
(おそらく彼は、変身能力も持っている)
さすがにそれぐらいは、アメリカの交渉役も推測できてきていた。
桜盛の体格はこの日本においては、相当に目立つものだ。
人口に埋没しようにも、この東京では監視カメラがあちこちに存在する。
それなのにその所在がつかめていないというのは、一つには変身能力、もう一つは転移能力が考えられる。
ただ転移能力でも生活するうえでは、街に出ないといけないであろう。
アジトに引きこもる、という生活を桜盛が送っているとは、ちょっと考えられない。
日本の首都で、軍事兵器をしようとしたことは、アメリカにとってもさすがに無茶である。
もっともその無茶も、桜盛が兵器そのものを消してしまったため、日本のカードにはなりえない。
もしもカードとするなら、日本はその中身について把握していなければいけない。
だがそんなものはもう持っていない、という立場を取るならば、そういうカードは使えないのだ。
日本のためでもなくアメリカのためでもない。
だが自分のためには、両国にそれなりに仲良くしてもらいたい。
結局この作戦は、桜盛の力を知らしめるだけで、全てが決着したと言える。
アメリカとしては軍事機密の一部が漏洩した、かもしれない。
そして日本としても、桜盛と完全な協力関係は築けていない、ということが明らかになった。
それでもまだ、桜盛の力がどれだけのものか分からないので、実はアメリカの兵器は完全に、日本に渡ってしまったと考えるむきもあるだろう。
結局はそれを使われないように、また考えなくてはいけない。
しかしそれは自分の仕事ではない。
「まったく、あれだけ大騒ぎして、こんな結果か」
「騒ぎを起こしたのは俺だが、それを大きくしたのはそっちだ」
確かに桜盛については、よりその危険度を上方修正したのみで、能力の詳細も分からないのだが。
ともあれこれで、一連の騒ぎはようやく終わったと言える。
そしてそれは、一つの別れをも意味していていた。
そう、別れを意味するはずであった。
「しばらくこっちにいるのかよ」
鉄山の邸宅にて、全てのあらましを聞いたミレーヌはそう言った。
「せっかくこの時代に来たのだから、未来に戻っても使える技術を学んでいこうと思って」
未来に帰還するにも、ミレーヌは自分自身以外は、何も持っていくことは出来ない。
なので出来ることがあるとすれば、それはミレーヌの時代にも残る何かを、この時代で残しておくことぐらいか。
それも違うのである。
この時間軸と、ミレーヌのいた時間軸は、もう別のものとなっている。
現代でどこかにシェルターを作ったとしても、それはミレーヌの時間軸には存在しないのだ。
つまり知識などは全て、ミレーヌが自分で憶えて帰らないといけない。
そのためにしばらく、この時代にとどまることとした。
確かに彼女からすれば、それは必要なことなのだろう。
「爺さん、それでいいのか?」
「構わんよ。俺もこの子といると楽しい」
「ユージもまだ長距離転移は出来ないんだし、悪い話じゃないと思うけど?」
それはまあ、そうなわけであるが。
大山鳴動して鼠一匹。
桜盛の魔法による鯤退治から始まったこの事件は、実はそこそこ危険なところもあったのだが、なんだか絶妙に落ち着いたような気もする。
ミレーヌのいた未来には、もうなることはない。原因を消したからだ。
だが桜盛へのマークは、日米両方から、より強くなるのではないか。
(俺が死ぬまでに、なんとかこいつの後ろ盾を作ってやらないと)
あるいは逆に、桜盛こそが誰かの後ろ盾となるのか。
鉄山はそれなりに、色々と考えているのであった。
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