第65話 一つの線

 元々の時間軸でも楽勝であったと思われる、アメリカの能力者と工作員への対策。

 ミレーヌの力と情報によって、アドバンテージはさらに開いている。

 問題となるのはその後、スパイによってさらに、日本から兵器が持ち出されること。

 そしてこの細菌の拡散によって、能力者による抑止力がなくなり、戦争が起こってしまう。

 だがこれも少し考えれば、少しおかしいようには思える。


 アメリカは細菌兵器を奪取された時点で、これに対する予防接種を、おそらく能力者に行ったのだ。

 だからこそ未来でも、戦力が残っていたのであろう。

 問題は細菌が変異してしまったことだ。

 ただおそらく日本は、ある程度この細菌にも、対応していたのではないか。

 ミレーヌに耐性があったというより、細菌への耐性はある程度受け継がれていて、それが強かったのがミレーヌなのではないか。


 この想定もミレーヌの血液検査などをすれば、最近の毒性などと比較して、判明することである。

 未来の日本では、そこまでの検査は出来なかったし、しようという考えもなかったそうだが。

 明らかに日本人の知的レベルが低下している。ミレーヌの現代に対する見方も、過去を見る未来人と言うよりは、都会にやってきた田舎者だ。

「虎か」

 既に判明しているアメリカの能力者に関して、桜盛は情報を共有している。

 金髪碧眼という分かりやすいアングロサクソン系の女。だが年齢的にはまだ少女と言うべきだろうか。

 白人の年齢は、大人っぽく見える。あるいは老けて見える。なので初見ではそれと分からないかもしれない。

 そもそも変装して入国してくるかもしれない。


 質問権で分かるのは、文字か音声としての情報だけである。

 なので写真などは伝わらず、あくまでも文章としてのデータしか手に入らない。

 もっとも英語を日本語に翻訳してくれる程度の融通は利くので、そこは助かるところだが。

 17歳の少女を、アメリカは送り込んでいる。

 日本語は片言だが喋れるのいうのは、こちらからも交渉の余地があるということだ。

 アメリカに家族らしい家族はおらず、組織との関係もあまりよくない。

 同じく組織に属しているわけではない桜盛としては、日本側に引き抜けないかな、という気はしている。

 五十嵐などはそんな危険な引き抜きは、政治的に許容できないであろうが。




 桜盛は相手の動きだけは、完全に把握している。

 虎自身は他に二人の工作員と、一緒に入国してくる。

 どの時間の飛行機で入国してくるかも分かっているので、桜盛はその監視は五十嵐たち公安に任せる。

 どこからそんな情報を手に入れたのかという話には、勝手に中国が手に入れた情報をさらに手に入れた、とぼかしておく。

 中国ならそういったスパイ活動も、日本よりはやっているだろうと信じて。


 基本的に日本は、スパイから防御するのは、まだしもやっている方なのである。

 ただこちらから情報を掴みにいくのは、あまり出来ていない。

 防衛のための資金で手一杯、というところはある。

 だが根本的に、攻勢に出るのが苦手という意識を植え付けられている。

 主に国外からのイメージ戦略で。


 桜盛としては日本人としての意識と、勇者世界での意識が混じっている。

 そして日本人として生きたのは15年であり、勇者世界では30年生きていた。

 しかもあちらでは、失敗したら即死亡。己の判断ミスで味方が死ぬことは普通。

 そんな環境であったので、基本的に判断はとてもドライだ。


 日本のニュースやネットを見ていたら、こいつらは馬鹿なのか、と思うことは毎日である。

 だが勇者世界に転移する前の自分を思えば、それは単に知らないだけだ、と客観視することも出来る。

 実際にこちらに戻ってきてから、桜盛は自分の戦闘力が、どんどんと落ちていくのは感じていた。

 それは身体的な面や技術的な面ではなく、精神的な面である。


 こちらの世界では、ある程度の暴力はともかく、殺人へのハードルが高い。

 それでもバレなければ、平気でやってしまうのが、桜盛という人間であるが。

 武装グループ事件の時など、平気で人を殺している。

 またヤクザを殺した時も、全く罪悪感もなければ、感情を動かすこともない。

 あのヤクザにも妻や子供がいたとしても、父親がいなくても頑張って生きろよ、と思う程度でしかない。

 殺人が悪という前提がないのだ。法律によって、バレたら罰を受けるというだけで。


 また随分と口だけは大きなことを言うな、という人間も多いと思う。

 勇者世界でこんなことを言っていたら、権力者でなければすぐに殺されているな、というものが多いのだ。

 極端な話、外食系でのテロリズムなど、勇者世界では店主に殺されてもおかしくない。

 傭兵たちの間であんなことをやっていれば、ボコボコにされるのは間違いないだろう。


 暴力に対する忌避感情が、高まりすぎている、と桜盛は思う。

 そのくせ暴力に依存した力の持ち主はいるし、相手が暴力を使ってこないという前提の下で、好き勝手にやっている人間が多い。

 本気で桜盛が自分勝手に殺すなら、毎日数人は死者が出るだろう。

 それを禁止しているあたり、桜盛は自制心があると言っていい。




 いよいよ学園祭が始まる。

 この数日は教室展示のために、そこそこ学校に居残りすることがあった桜盛である。

 おかげで夜中、ミレーヌと話すための時間が、あまり取れていない。

 ミレーヌについては、この事件が片付けば、未来に戻る。

 現代の方が住みやすいと分かっていても、故郷に帰るのがミレーヌなのだ。


 桜盛は地球に戻ってくるのを、ためらうことはなかった。

 確かに勇者世界の方が、桜盛が生きていった時間は長かった。

 しかしあちらに骨を埋める気になれなかったのは、家族などがいたからである。 

 女神の嫉妬に辟易していた、というのもあるだろうが。


 おそらくあちらの世界が一番早く平穏を取り戻すには、桜盛の力が重要であったろう。

 だが魔王を倒した時点で、必須ではなくなっている。

 地球においても桜盛は、最強の暗殺者としての能力を持っている。

 しかし単純に悪党を殺して回らないのは、それだけのことを自分がしてはいけないと思っているからだ。

 名前を書いただけで人を殺せるノートがあっても、桜盛はそれを限定的にしか使わないだろう。


 生かしておいても完全に害悪しか産まないという人間というのは、案外少ない。

 世界的に見れば独裁者は多くいるが、それをただ殺してしまうのは、その後に何が起こるか分からないのだ。

 売国奴や国賊などと呼ばれる人間に、どういった価値があるかも分からない。

 そもそもこの世界では、一人の人間を殺しても、それほど大きな影響はない。

 なら殺してもいいのだが、それをやっていくと本当にきりがない。

 なので桜盛は、自分の手の届くところしか、他人を助けはしないし、悪党を成敗もしない。

 あの武装グループの占拠事件も、成美が巻き込まれていなければ、介入はしなかったであろう。


 そんな穏当な桜盛なのに、あちらは勝手に脅威判定してくる。

 まあそもそもが桜盛の、鯤への対処がまずかったわけだが。

 日本の警察にしても、どうして放っておいてくれないのか。

 人里に下りてきた熊と違って、桜盛には餌になる人間を片端から食い殺す、という習性などは存在しない。


 そんな桜盛に対して、わざわざ虎と呼ばれる能力者を当ててくるアメリカ。

 出来るだけ穏当に、お帰り願おうとは思う。

 平和のために武力を行使しようとして、結局は逆に平和が乱されることになる。

 いつの時代もいつの世界でも起こっていた、不幸な行き違いである。

(一度アメリカのお偉いさんと、話したほうがいいのかな?)

 とりあえず今回は間に合わないが、真剣に検討すべきことであろう。

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