第100話 邪神の眷属
急激に空気に圧力が感じられる。
いや、雰囲気と言うべきだろうか。
おそらくほとんどの人間にとっては、これがどういう意味を示すのか理解できない。
だが桜盛たちのような能力者にとっては、明らかなことなのだ。
魔力と言うには、濁りがありすぎる。
瘴気と言われるのだが、実際には空間を渡ってくる波のようなものだ。
(このあたりに、そんな空間の漏れる場所があったか?)
桜盛としてはあまり覚えがないが、どこか近くに隠蔽された亜空間でもあるのか。
いくら隠蔽していても、さすがに桜盛の力なら、見つかりそうなものであるが。
何かここに、瘴気を誘導するようなものがある。
(いや、俺自身か?)
思い当たるようなものは、それぐらいであろうか。
勇者世界とこの世界、今のところ邪神の瘴気が漏れたのは、亜空間ばかりである。
あるいは半分神域となった、いわゆる結界など。
この世界から半分はみ出したような、そういう存在。
勇者世界とつながった存在というなら、まさに桜盛がそういうものだ。
マンションから出た桜盛は、周囲を見回す。
時間的にも場所的にも、さほど人の気配はなくなっている。
邪神の存在を感知するこの能力は、桜盛だけのものではない。
おそらく一般人でも、もう少し濃くなってくれば、これは感じるだろう。
いや、感受性の高い人間であれば、既に感じ取っていてもおかしくない。
戦うのか。だとしたら場所を選ばなければいけない。
そう思っていた桜盛に、後ろから声がかけられた。
「桜盛君、なんかちょっと空気変だし、部屋に戻ろうよ」
瘴気にばかり注意していたので、全くそれと関係ない、蓮花の接近を許してしまった。
やはりある程度、一般人でも感じているのか。
蓮花は感受性が豊かなだけに、より感じやすいのかもしれない。
または彼女は、選ばれた人間であるのか。
(一番最後が一番ありそうで怖い!)
桜盛はそう思いながらも、張り詰めていく空気を感じている。
すぐに蓮花をここから遠ざける。せめて建物の中へ。
言葉でのやり取りは時間がかかるので、無理やりにでも抱えてマンションの中へと戻そう。
そう考えて手を伸ばした瞬間、空間が割れる音が聞こえた。
「きゃっ!」
思わず目を閉じた蓮花と違い、桜盛は魔力のシールドを張っていた。
黒い雷のようなものが、二人を襲った。
瘴気の変化したものだ。
桜盛はこれを弾いたが、雷は泥のように形を変え、二つに分かれて街路樹に吸収される。
「な、何が……」
さすがに胆力のある蓮花も、これは初めての経験だろう。
本物のオカルトと接触した場合、すぐには反応できないのも仕方がない。
目の前で、二本の木が変質していく。
もはやそれは樹木ではなく、生物であったという痕跡すら定かではない。
地面に縛られた根を、自ら抜き出して進み出る。
すぐ近くの、生命に対する悪意をもって。
桜盛は蓮花をかかえて、すぐにエントランスに飛び込む。
その動きを追うように、枝であったものがアスファルトやコンクリート、そして大理石を貫いた。
(建物の中でも、あんまり安全じゃないか)
一度撤退し蓮花の安全を確保し、それから対処する。
そう考えたのだが、一瞬でも自分から離れることは、距離的にむしろ危険だ。
他の被害も考えると、このまま蓮花を抱えて、危険な体勢から邪神の眷属を倒す。
それが一番安全だ。
「蓮花ちゃん、これから見ることは、二人の秘密にしといてね」
そうは言っても、無理やり自白させる能力者などはいるので、ある程度は覚悟しておいた方がいい。
ただここで見捨ててでも自分の正体を隠すという行動を取るには、桜盛は蓮花に愛着を持ちすぎていた。
あえてエントランスから進み出る。
「桜盛君、逃げないと」
「背中から刺される方が危険なんだ」
相手は二体。そして自分は両手が塞がっている。
しかし何も問題はない。
桜盛は歩を進めた。
眷属の枝は槍となり、桜盛に襲い掛かる。
だがシールドを貫くことは出来ず、むしろそこで焼き尽くされる。
(樹木の特性はある程度残しているのか)
ならば単純に、燃やし尽くしてやればいい。
魔力が桜盛の肉体を駆け巡る。
その胸の中に抱かれた蓮花も、微妙にそれを感じていた。
優奈が予知した、桜盛とのフラグが立ちやすい人間。
それがただの人間であるはずはなく、なんらかの要素を持っているのだ。
シールドから放たれたエネルギーは、魔法ではなくても分かりやすい、圧倒的な熱。
それが眷属化した樹木を、バーナーよりも激しく焼き尽くす。
まるで呪いのように、その体を蠢かせる眷属。
しかし桜盛にその力が届くことはなく、焼き尽くされていく。
火は不浄を焼き尽くすものなのだ。
瘴気が消えた。
桜盛はまだ残っていないか、感知能力を最大限にする。
「……桜盛君、監視カメラとか、壊していた方がよくないかな?」
蓮花はなんの説明もなく、そんな鋭い提案をしてきていた。
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