第75話 虎退治

 交渉において重要なのは、利害だけではない。

 それよりももっと重要なのは、安全保障である。

 一般的に言われる、国家が最も重要視しなければいけない要項。

 それが治安維持も含めた安全保障なのである。


 食料の供給よりも重要なのか、と思われるかもしれない。

 実は重要なのである。

 食料は輸入に大きく依存していると言われる日本であるが、そもそも食料の輸入と輸送のためには、治安が保たれていなくてはいけない。

 なので安全保障が第一となるのだ。

 二番目が食料の供給であり、三番目が社会インフラの整備。

 そこから先は複雑な問題となってくる。


 安全保障のために一番必要なのは、なんであるのか。

 それは国家が保持する暴力である。

 分かりやすく暴力と言ったが、軍事力や警察力というのが、その暴力である。

 桜盛が危険視されるのも、その暴力が強大であるがゆえ。

 ただしその暴力が一定を超えてしまうと、今度は逆に敵対しようとは思わなくなる。


 桜盛はこれまでに、日本にもアメリカにも、自分は日本が気に入っているから、国家体制を崩壊させるような動きはしないと言っている。

 日本の安全のためには、アメリカの体制も守っていかないといけない。

 それを守るための、個人の持つ暴力。

 桜盛はそれを、アメリカに対して示すのだ。

 敵対するよりも、友好的に接した方が、得であると思わせなければいけない。


 そのためにも、ジェーンとは正面から戦って、完封する。

 駆け寄った桜盛に対して、ジェーンは身を屈めてから、またも爪パンチを食らわせた。

 今度はその破壊力が最も乗るタイミングとポイント。

 桜盛の体は大きく宙に飛ばされたが、そのまま空中で一回転する。

 ジェーンが飛び上がって追ってきているのは分かっていた。

 それに対し桜盛は、ファイアーボールを食らわせる。


 ジェーンに接触しようとした瞬間、魔法が消失した。

 事前の情報の通りであるが、桜盛はその仕組みを実際に見てみたかったのだ。

 魔力の吸収ではなく、魔法の構成の崩壊。

 なるほど、と思いつつも着地したが、今の魔法は周囲から見えたりしなかっただろうか。

(まあ公安から警察や消防を、上手く動かしてくれるかな?)

 一応夜間には人が少なくなる場所を選んだが、まだそれほどの深夜帯でもない。

 この戦場となっているビルの中にも、生命体の反応はあるのだ。




 全力で殴ったのに、まだ立っている。

 ジェーンとしてはそれだけで、充分に手ごわい相手だという認識となった。

 ただ能力を使ってきて、それを打ち消した時は、安心もした。

 炎などを使ってきても、自分には効かないのだ。


 だが桜盛が床のコンクリートを抉り取り、それを弾丸のようにして発射した時は、咄嗟に両手を交差していた。

 衝撃エネルギーを吸収できず、そのまま吹き飛ばされる。

 屋上の落下防止用の段差に背中を打ち付けて、その痛みもまだあった。

 しかし重要なのは、両腕にダメージが残っていることだ。


 ジェーンの能力の根本的な弱点。

 それは彼女は、あくまでも魔力や能力を拡散吸収消去するということ。

 そして今の桜盛の攻撃は、発射の時点で魔力エネルギーを全て使っていた。

 打ち出された弾丸代わりのコンクリートには、純粋な物理エネルギーしか残っていなかったのだ。

 対物ライフルであろうが、普通にジェーンの強化された防御力を突破することは出来ない。

 だが戦車の主砲レベルであれば、充分に突破可能。


 事前に分かっていたことを確認して、桜盛はここからどう詰めていくかを考える。

 情報が出揃った時点で、勝敗自体は決しているのだ。

 ここから逆転するとしたら、ジェーンは純粋な格闘技能で、桜盛を上回るぐらいしかない。

 ただしそれは、肉体を限界まで強化して、それで桜盛を上回るのか、という問題がある。


 体重では桜盛に劣るジェーンだが、屋上のコンクリートを跳ねて、その巨腕で桜盛に襲い掛かった。

 野生の虎の猫パンチなどを食らうと、普通に人間は首の骨が折れたりするが、ジェーンのそれは野生の虎以上。

 しかし桜盛はジェーンのそのパンチを、正面からガードした。

 身体強化を防御面で使い、さらに衝撃を足で受け止める。

 重力に干渉して、その場にとどまったのだ。


 虎パンチを防御した桜盛は、重力に逆らってキックをジェーンの腹に食らわせる。

 強化をぶち抜いて、めり込む衝撃に、ジェーンの体が宙を舞った。

「まだやるかい?」

 パンチではなくキックであったが、桜盛としてはこの一連の攻防だけで、ほぼ勝負は見えたと思うのだ。

 だが四つんばいになりつつも、まだ戦意のあるジェーンを前に、桜盛は容赦をしなかった。




 桜盛はフェミニストである。

 それは正しい意味の男女同権論者ということではない。

 権利を主張するなら義務を果たせ、という意味でのフェミニストだ。

 極端に言えば、強さが正義であり、性別は二の次なのだ。

 そして戦士として前に出てきたなら、殴られても蹴られても、文句はないよな、ということである。


 ジェーンのシャツの襟をつかみ、そこから優しくビンタをする。

 シャツが破れて下着が見えながら、彼女は転がっていった。

「すまんが、服が破れたのはわざとじゃないぞ」

 殴ったことは全く悪いと思わないが、下着が見えてしまったのはいけないな、と思う桜盛である。

 ただここまでやったのだから、もう勝負はついたようなものではないのか。


 まだ襲い掛かってきたジェーンであるが、そもそも反応速度が違う。

 桜盛は巨体を屈めてジェーンの虎パンチを回避し、そのボディへとまた一撃。

 そして最後には、顎にパンチを決めて、脳を揺らした。

 勇者世界であると、殴り合いなら基本的に、こめかみを狙ったほうが効率はよかったものだ。

 だがこれで、さすがにもう、ジェーンも立てなくなったようである。


 アメリカの個人戦闘最強戦力。

 だが正直なところ、これなら高将軍の方が強かったかな、と思う桜盛である。

(あとは兵器の方をどうするか)

 圧倒的な戦力を示してから、桜盛はまた交渉役と向かい合ったのであった。

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