第74話 虎

 戦っても勝てる、というのが桜盛の判断であった。

 問題は例の細菌兵器を、どのタイミングで奪取すべきか、というぐらいだ。

 交渉役の男が止めるのを、ジェーンはFから始まる言葉で跳ね除ける。

(言葉が通じなくても、肉体言語なら通じるか)

 玉蘭相手にボコボコにしたように、桜盛は女であっても手加減はしない。

 戦場では男女平等、弱い者は死んでいくのだ。


 ジェーンの能力は、まず第一に強化。

 その肉体能力を、物理的には不可能なはずの領域にまで強化する。

 それは桜盛も普通にやっていることで、それだけなら別に恐れるほどのものではない。

 ただ桜盛の場合は、接近戦でも武器戦闘の経験が多かった。

 なので純粋な体術となると、微妙に自信はない。


 しかし能力者同士の強化した戦いとなると、ある技術の効果が薄くなる。

 具体的には投げ技である。

 どれだけの勢いをつけて投げても、強化された肉体は物体に当たるダメージを減らす。

 もちろんそれにも限度はある。100mの高さから水面に落ちたら、だいたい人間は死ぬのだ。

 打撃と関節の攻撃は、おおよそ効果がある。

 だが関節技は一瞬で決めなければ、持っている武器で攻撃されてきた。

 つまり桜盛は、徒手の白兵戦技術は、まだまだ未熟なのである。


 制止する男を振り切って、ジェーンはついに桜盛に挑みかかる。

 踏み切ったビルの屋上のコンクリートが、わずかに削れるほどに力を入れて。

(打撃じゃない)

 ジェーンの異名がなぜ『虎』であるのか。

 それは彼女の身体強化が、一部分の変化を伴うからである。


 腕部が強化されて、爪が鋭くなる。

 そして金色の髪に茶褐色の部分が混じり、虎のように見えるのだ。

 熊の一撃よりも重い攻撃を、桜盛は強化した腕で受ける。

 あえて一歩踏み込み、爪の部分の一撃は避けたため、裂傷には至らない。

 だが普通の人間なら、確実に腕の骨が折れたような衝撃はあった。

 そのまま吹き飛ばされて、ビルの端まで飛んでいく。

 コンクリートに背中を打ちつけ、そこでようやく止まった。


 普通なら打撃と衝撃で、おそらく骨折と内臓破裂、即死に至っていたであろう。

 だが桜盛は平然と立ち上がり、ジェーンの動きを見る。

 あちらも挨拶代わりであったのか、追撃などはない。

 今のところであるが、殺気に必死さが欠けている。

 これは魔法などではなく、桜盛が経験から感じ取るものであるが。


 攻撃を受けた腕を確認するが、特に痛みなどはない。

 ただ少しだけ痺れたかな、という程度である。

 交渉役が頭を抱えているが、桜盛としてはこのあたり、もう流れに任せるしかないかな、とは思っていたのだ。

 周囲にはアメリカの工作員が、そしてさらにその外には、日本の公安が待機している。

 それすらも桜盛には分かっている。


 ひょっとしたら例の兵器の奪取は、桜盛ではなく公安の能力者の力によるものであったのだろうか。

 ならば政府組織と政府組織の対立ということで、日米の関係が悪化したことも分からないでもない。

 出来れば桜盛としては、相手には痛い目に遭ってもらっても、死んでほしくはない。

 死者蘇生の魔法というのは、今の桜盛にはとても使えないものであるからだ。

(さっさと片付けたいが)

 事前に知っている、ジェーンの能力。

 それは特定の能力、おおよそ魔法全般を無力化するというものだ。

 相手の魔法を無力化し、自分は圧倒的な強化で攻撃する。

 なるほど平均的な魔法使い相手ならば、まったく勝負にもならないだろう。


 だが桜盛は平均的な魔法使いではない。

 彼は勇者であり、そして戦士であった。

(勝てるな)

 ごく冷静に、そう判断した。




 ジェーンの強さはその、圧倒的な身体強化による。

 だが彼女の力には、しっかりと限界があった。

 体重がそれほど重くないのだ。


 これならば重い鎧を着て、それでもって殴ったほうが、エネルギーは出る。

 桜盛のこの変身は、しっかりと体重まで変化している。

 魔法を無効化するというジェーンの特殊能力は、あくまで彼女の肉体に作用する部分を無効化するのみ。

 正直なところその仕組みが分かっているので、勝つ方法はいくつか考えてあったのだ。


 比較的簡単なものでは、こちらも化学兵器を使うというもの。

 ジェーンは身体強化で、化学物質などへの耐性も強化するのだが、桜盛ほどではない。

 なのでたとえば化学ガスをアイテムボックスに入れておけば、それを上手く相手に浴びせかけて、無力化は出来ただろう。

 他には炎を周囲に撒き散らして、酸欠状態にする。

 あるいは一酸化炭素を上手く作って、これを吸い込ませる。

 それでも倒せなくはないと、分かっていたのだ。


 正面から戦うならば、もっと場所を変える。

 たとえば山の中であれば、純粋に質量のある岩などで攻撃し、肉体の耐久力を超える衝撃を与えるという手段もあった。

 また海岸まで移動できれば、海の中で戦うという手段もあった。

 正直なところここで戦うというのは、ジェーンにとってかなり有利であるのだ。

 それでも桜盛が、ここで戦うことを厭わなかった理由。

 単純なことで、問題なく勝てると思ったからである。


 特に構えるでもなく、ゆっくりとジェーンとの距離を詰めていく。

「ミスター! ジェーンの行為はアメリカの意思をそのまま反映したものではないからな!」

 交渉役が今更ながら、そんなことを言って来た。

 それは桜盛としても、別に構わないのだ。


 ここから自分の力で、この状況でジェーンに勝ってみせる。

 魔王を倒すことに比べれば、はるかに楽なことであろう。

(正面からやってみるか)

 今度は桜盛の方から、ジェーンに向かって踏み込んだのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る