第76話 奪取
ジェーンが完全にダウンしたのを見て、交渉役は自分の役割がひどく難しくなったのを認識した。
アメリカの能力者の中でも、こういった任務においては、最も適していると人選されたジェーンである。
それが見る限りは、ほぼ一方的に負けたのだ。
桜盛は交渉役に歩み寄ると、手を広げて寛容な非戦闘状態を示した。
先ほどよりも緊張している交渉役であるが、桜盛もまた他のことに注意を払っている。
ジェーンが敗れた今、アメリカは細菌兵器を使ってくるかどうか、判断する状況となっている。
桜盛としてはそれが、どこに存在するかも分かってはいるのだ。
ただ心配しなければいけないのは、作戦に組み込まれていない、他の工作員がまだ、同じような兵器を持っていないかということ。
それでも二人以上であれば、質問権は機能する。
だがどのタイミングで使用するかを、現場の一人だけに判断させるなら、質問権では回答が得られない。
細菌兵器の概要から、おそらく無効化は出来るようになっている。
本来の未来と、ここで変化させる未来、どちらがいいのか。
ミレーヌとしては自分のいた未来を、変化させることを望んでいた。
だが鉄山としてはここで、日本側に有利な状況に持っていくのは悪くないとしている。
結局は桜盛が何をしても、日本の組織がそれを奪われれば、それで終わりなのだが。
以前に発生した世界規模で大流行したウイルスなども、某国があえて流出させたのでは、などという説があった。
それが本当かどうかはともかく、ウイルスは変異していったため、当初よりもずっと広範囲で長期間、世界中の社会にダメージを与えただろう。
そう考えるとやはり、ここは桜盛が日本政府や警察に渡さず、滅菌処理してしまった方がいいのだとは思う。
「うちの者が暴走して失礼したが、まだ交渉は可能だろうか?」
「そちらも一方的に暴力で解決は出来ないと把握してくれたなら、こちらとしては問題ない」
桜盛は余裕をたっぷりと持って、ジェーンを倒すことに成功した。
脳を揺らされた彼女は、さすがに回復するのに時間がかかるだろう。
またそれを待っている間に、桜盛との実力差を認識してくれれば嬉しい。
交渉再開の前に、戦闘が終了したと、五十嵐たちには知らせておくべきか。
そう考えてアイテムボックスからスマートフォンを取り出した桜盛だが、都合よく着信がある。
「ちょっと待ってくれ。……もしもし?」
『ユージ、周囲のアメリカの工作員が、そちらに向けてなんらかの兵器を射出しようとするのを抑えた』
「……あ~、抑えちゃいましたか」
『何か問題が?』
「いや、こちらの話。こちらはアメリカさんの戦闘員を無力化して、これから交渉するところだから、切るぞ」
想定の中にはあったが、やはり桜盛とは別のところで、日本側がアメリカを抑えてしまったか。
確かに同盟国といえど、日本の国内であれば、能力者ではない工作員などは、日本の能力者を駆使すれば、充分に対応することが出来る。
そして結局、手に入れてしまったか。
ともかくこれで、また状況が変わった。
桜盛としてはもう、自分一人のことに、人員を割いておくべきではないと思う。
「そちらの能力者じゃない工作員による工作が失敗して、最新の兵器を日本側の機関が抑えてしまったみたいなんだが、まだ何か交渉するのか?」
桜盛の言葉に、さすがに動揺の色を見せる。
桜盛はあくまで、一つの個体としての個人暴力である。
だが兵器が渡ってしまったというなら、それこそアメリカにとっては安全保障上の問題が発生する。
アメリカならおそらく、下手に手に入ってもどうにもできないよう、仕掛けをしていてもおかしくはない。
だが日本の現場も馬鹿ではないので、分かっていればどうにかしてしまうのだ。
ここで桜盛は考える。
細菌兵器は日本の手に余ることは、未来の情報から分かっている。
そして桜盛としては、日米関係というのは別に、日本の独立色が強くならなくても問題はない。
なので、こういう提案も出来るのだ。
「なあ、日本の機関からその兵器を取り戻すのを、手伝ってやろうか?」
これこそまさに、驚きであったろう。
桜盛は基本的に、事なかれ主義なのである。
はっきり言ってしまえば、自分の周囲の人間さえ守れていれば、世界的な事情などどうでもいい。
もちろん戦争など起こってしまえば、それこど自分の周囲の人間にも被害が出るため、それは防いでおきたい。
だが日常的な部分で、日本がアメリカとより優位な関係を築かなくても、それはいいのだ。
これだけのことをしでかしておきながら、その本質は平和主義で保守的。
アメリカと日本の安全保障は、両者が一体となっていることが望ましい。
そもそもアメリカの核の傘から、離脱する必要はないと思っている。
桜盛は現在の日本にも、ひょっとしたら核兵器を既に所持しているんでは、と思ったこともある。
実際のところ米軍基地には、間違いなく核兵器を保持した艦隊がいるであろう。
その状況で子供の頃から、かなり平和に暮らしてきたのだ。
アメリカからの真の独立、などというのは求めていない。
ロシアや中国に比べれば、アメリカは100倍マシな支配者である、というのが桜盛の認識だ。
そして日本の治安は、アメリカなどよりもずっといいものである。
現状維持のために、アメリカに手を貸して、日本の組織から兵器を取り戻す。
もちろん全てを完全に、取り戻せるとは限らないが。
日本は五十嵐がもう、桜盛の脅威度を諦めているため、このままどうにか平穏に暮らしたい。
しかしアメリカさんは、どういう手を打ってくるのかが分からない。
「君は、祖国への愛国心はないのかね?」
かなり危険なことを、交渉役は口にした。
だが桜盛の認識は、ひどく現実的なものである。
「祖国への愛国心はあっても、組織の政治家や官僚を信用しているかとは別の問題でね。特に日本はスパイを防止するのが、苦手な国だ」
「つまり、アメリカの方がまだ信用出来ると?」
「それと、これはまた、一つの貸しだ」
「なるほど……」
そこで交渉役は、しばし考え込む。
「少し時間をくれ。連絡をとって事態を確認してから返事をしたい」
「構わないよ。ただ今ここでやってくれ。こちらとしても兵器を再奪取するのは、それほど簡単なものじゃないかもしれないからな」
桜盛はひどく現実的に、日米の安全保障を考えているのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます