第5話 勇者はヒーローだが不殺ではない

 桂木志保の呪いを解いた桜盛は、彼女に対する興味を失っていた。

 正確に言うと、普通にクラスメイトの枠に入れなおしただけである。

 志保の知らない間に呪いを解いたため、彼女が自分に好意を抱いてくれるはずもなし。

 確かに論理的に考えれば、間違いのない結論を桜盛は持っていた。

 だが志保が意外と感覚的な人間だとは、いくら勇者と言えど知るはずもない。

 そもそも女心が分かっていないのが、45歳童貞勇者なのである。


 それはそれとして、桜盛は自分がしなければいけないことを、ちゃんと理解はしていた。

 女の尻を追いかけるのではなく、どうにか裏の換金手段を手に入れるのでもない。

 正直なところ、ほんのわずかだが金を稼ぐことには成功したのだ。

 近所の大食い系の食堂にて、勇者の消化力をもってしてぺろりとチャレンジを達成。

 一万円の賞金を手にして、これで何が出来るかな、とほくほくした次第である。

 なお金を一グラムでも換金できれば、一万はしなくても五千にはなるのだが。


 桜盛がやらなければいけないことは、己の能力の確認である。

 いくつかは部屋の中でこっそりと試したが、大規模な現象を引き出す行為など、さすがに屋内でするのは無理がある。

 人気がない、それでいて都内からも充分に行き来が出来る。

 そんな場所をいくつか調べて、日曜日にはマウンテンバイクで出動である。

 誕生日のプレゼントで買ってもらったものであるが、これまではあまり活用出来ていなかった。

 それは都内であれば、移動手段は普通に電車などの方が便利であったからだ。


 しかし今の桜盛は、勇者の肉体性能を持っている。

 さらに知覚も人間離れしているので、都内の道路を爆走開始。

 信号がない場所にまで到達すれば、平気で時速60km/hオーバーの足を使う。

 実際のところ、それは不可能な速度ではない。

 だが桜盛のようにずっと、使い続けるのが不可能なのだ。


 ちゃんとしたメーカーのマウンテンバイクであるが、それでも桜盛の身体能力の出力に耐えられるのか。

 舗装された道路であればともかく、この目指す先は山道である。

 だがそこは桜盛も考えて、強度強化の魔法を自転車にかけている。

 勇者世界では武器や防具に使っていた魔法だが、場合によっては道具にもかけていた便利な魔法だ。

 これで大丈夫であろうし、最悪壊れたとしても、今度は復元の魔法を使えばいい。

 そもそも自転車よりも、空を飛んでいったほうが速いのは間違いない。

 だが日中に空を飛べば目立つし、隠蔽系の魔法を使うにも日中はバレやすい。

 時速60km/hオーバーのマウンテンバイクと、どちらが目立つかと思うと、微妙なところではあるだろうが。




 桜盛が目指していたところは、かつて映画や特撮などでアクションを撮影するために使われた、山中の採石場であった。

 もっとも今はCGなどの発達により、背景はコンピューターで合成することがほとんど。

 そうなると使われなくなるので、とても都合がよい。

 舗装はされていないものの、機材を運ぶような幅の道はあって、これまたマウンテンバイクなら踏破できる道なのだ。

 なお、やっぱり飛んだり走ったりする方が速い。


 動きやすいサイクリング用ジャージ。

 なお他の荷物はアイテムボックスに入れてきたが、擬装用のポシェットも持ってきている。

「さて、周囲に人間はいない」

 生命感知の魔法で、それは確認してある。

 念を入れて熱源探知の魔法で、実は監視カメラがないかも確認した。


 それから天を仰いで、空の彼方を見る。

「監視衛星ってどんな精度なのかな」

 そう思いながら、あまり得意ではない幻影の魔術を使う。

 これで空の上から見たとしても、桜盛の姿はおろか、採石場の変化も見えないだろう。

 監視衛星の性能はしらないが、ずっとこの場所を監視しているはずはない。

 ……そもそも自転車で出していいスピードで運転していなかったことは、頭に浮かんでいない。

 勇者の脳筋具合は、まだ地球世界にはフィットしていないのだ。


 とりあえず足元の小石を拾って、岩壁に向かって軽く投げる。

 そしてその石を、自分が動いてキャッチする。

 投げた石のスピードが、100km/h程度であったとしよう。

 ほぼ一瞬でトップスピードになり、それをキャッチしてしまったのだ。

「ドラゴンボールごっこが出来てしまった……」

 とりあえず陸上に生息する、脊柱を持つ動物の中では、一番速いのではないか。


 次に岩壁を、拳でぶん殴った。

 岩が割れるのではなく、拳の形に綺麗にめり込んでしまった。

「う~ん……ちょっと手加減しないと、人間の頭は吹っ飛ぶなあ」

 勇者世界では普通に、殴って魔物を退治していたりもした。

 ただ山をも砕く攻撃力は、さすがに調整されて低下していると思う。

 それでも熊や像を相手にしても、おそらく勝てるのではないか。

「バールでも買って、曲げられるかどうか確認するか」

 動物園の檻を考えれば、巨大な野生生物も、鋼鉄の檻を破るのは難しいはずだ。

 それが簡単に出来てしまっては、問題になると分かる。




 魔法に関しては、痕跡の残るここでは、控えめにしか使わなかった。

 ただ透明化や、飛行に転移など、既に使っている魔法は多い。

 何より呪詛の系統であっても、勇者世界の理屈は通用した。

 地球には魔法など存在しないはずだが、やはり世界が似ていると、物理法則も似てくるのだろうか。

 魔法にしろ、異常に頑丈なこの肉体にしろ、どこからかなんらかのエネルギーを持ってきているはずだ。

 それとも神様の手によって、桜盛の肉体自体が作り変えられているのだ。


 いや、確かに腹筋は割れていたので、作り変えたのは間違いないのだろう。

 だが普通に鍛えた程度では、どうにも説明のつかない強度と出力の肉体である。

 人間の限界ではなく、生物の限界を超えている。

「手加減が難しいぞ、これは……」

 ただこれまでの数日で、その手加減に失敗したことはない。

 意識して使わなければ、なんとか日常生活は送れそうだ。


 魔法は今度、海に行って沖合いで試したほうがいいだろう。

 いくらここが人里から離れているといっても、かつての特撮のロケハン地では、マニアが訪れることもあるはずだ。

 破壊しても痕跡を消すことは、出来なくはないかもしれない。

 だがそれをするのは、痕跡をさらに破壊することになりかねない。


 もっと考えてから、検証内容を詰めておくべきであった。

 無駄に上がったらしい知力は、こういう時には役に立ってくれていない。

 発想や直感、そして応用力などは、知力のうちに入るのだろうか。

 なんとなく記憶力は高くなっているようには思う。

 だがこれも、検証の必要はあるのだろう。


 そして今日は、耐久力に関しては確かめられなかった。

 岩を殴っても拳が傷つかないのだから、岩より硬いことは間違いない。

 だがそれは硬いだけなのか、あるいはちゃんと弾力もあるのか、また熱や酸などにはどうなのか。

 海に行くならば、水中でどれぐらい活動出来るのか。

 単なる強さではなく、生命力を検証しなければいけないだろう。




 計画性のない検証であったが、今日はまず前提条件を確かめただけとしよう。

 そろそろ太陽も傾いているし、帰宅の途につくべきであろう。

 考えてみれば自分は暗視能力があるので、ライトを持ってきていない。

 しかしあれは、向こう側からも見てもらう必要があるので、やはりないといけないのだ。

(まあ、何があっても回避は出来るんだろうけど)

 自分の心配はしなくていいが、向こうの心配はしなければいけない。


 そこでとりあえず、自転車のハンドル近くに、魔法で灯りの光を作った。

 これで正面からの車には、何をしているのか分かるだろう。

(帰りはちょっと遅くなるな。連絡しようにも、ここは電波届かないのか)

 昔は撮影に使われた場所なのに、意外と思った桜盛である。

 だが考えればそんな昔には、そもそも携帯電話が存在していない。


 魔法の幻影を解除して、舗装していない山道を、マウンテンバイクで下っていく。

 登りの時以上に速度は出て、それなりに快適である。

 ただ暗闇も見通す目は、その途中にボックス車が停車しているのを発見した。

(こんなとこで何やってんだ?)

 他人のことは言えないが、それはそれ、これはこれ。

 探知の魔法を使って、人の気配を探してみる。


 そして桜盛は自転車を停めると、こっそり用意しておいた、変装用具を取り出した。

 赤外視線のように、特殊な視覚を持つ魔法。

 それによると一人の人間が、道を外れた森の中に、抱えられながら運ばれている。

 事案である。

(山に埋める気か? まだ生きてるみたいだけど)

 当たり前のように、助ける気になっている、元勇者であった。




 人を処分するのに、適切な方法は何か。

 よくあるのが、海に沈めるか、山に埋めるか、というものだ。

 なおコンクリ詰めで海に沈めるのは、死体の化学反応でコンクリがひび割れてしまい、やがて浮き上がってくることが知られている。

 なのでそれよりは、山に埋めるほうがまだ適切だ。

 もっともそれはそれで、中途半端な深さであると、普通に野生の獣が掘り返してしまう。

 可能であれば2メートルは、掘っておきたい。

 普通の地面はもちろん、腐葉土の豊富な山であっても、そこまで掘るのは難しい。

 だが山の土ならばその分、生物や菌などによる分解は、それなりに早い。


 慣れた始末屋は、アスファルトに混ぜてしまうそうな。

 アスファルトに混ぜると、骨まで溶けてまず見つからないのだとか。

 また一度、熱と酸で溶かしてしまって、残ってしまった骨の部分だけを焼いて砕く、というのもいいらしい。

 仕事柄そういった、残酷な死体の始末は、それなりに知ってしまっている。


(嫌だなあ……)

 手足を縛られ、口もガムテープで塞がれて。

 何も抵抗出来ないままに、ここまで運ばれてしまった。

 殴られた場所が、ジンジンと痛んでいる。

 だがこれから、もっと痛いことが待っているのだろう。


 覚悟は決めていたはずだった。

 だがこのまま、誰にも知られないままに、ここで朽ち果ててしまうのか。

「兄貴、これぐらいでいいんすか?」

「そうだな。じゃあ後は、ハンマー持ってこい」

「ハンマーですか?」

「車の中にあるだろ。あれで顔面を砕いて、歯の治療根から辿られないようにすんだ」

「もったいねえ」

 ハンマーで、顔を。

 顔を、奪われてしまうのか。


 覚悟はしていたが、ここまでのことは予想していなかった。

 涙が出ると共に、下腹部が暖かくなってくる。

「あ~あ~、漏らしやがった」

「服とかも全部はげよ。燃やして一緒に埋めるから。燃えきらないものは、また別に処分する」

 淡々とした手順は、何度か経験しているのだろう。

 あるいはこのあたりは、そういう死体の処分場なのか。

 漏らしたのはわざとだ。少しでも野生の生き物に、自分の死体が発見されやすいように。

 膀胱が限界だったのも事実だが。


 あとはもう気絶してしまって、その間に殺してほしい。

(いや、最後まで諦めるな!)

 たとえ命は諦めても、何か証拠を残すのだ。

(私が殺された証拠、あるいは私の指紋とかを出来るだけ付けたり)

 車の中で目が覚めた時、出来るだけ内装に指紋は付けたつもりだ。

 もっとも車ごと処分されてしまえば、それも意味はないだろうが。


 この男たちは堅気ではないが、同時に死体処理のプロでもないはずだ。

 本来なら任せる相手がいるのかもしれない。

 ただ急にその手配が出来るわけでもなく、また自分の立場がそれを許さなかったのかもしれない。

 けれど、たとえ発覚するにしろ、それは自分の死後のこと。

 そう思っていた。

「なるほど、分かりやすい構図だ」

 新しい声が、突然に現れるまでは。




 音もなく森へ入り、わずかに様子を見ていた。

 ぎりぎりまで情報を収集し、そしてぎりぎりまで判断を決めかねたのだ。

 強面の男どもが四人もいて、そして縛られた女性が一人。

 だがそれでもどちらが悪いのか、桜盛は判断を遅らせた。

 勇者世界ではいかにもな悪人顔ながら、実は善良という者も少なくなかったので。


「誰だ!」

 もはや薄暗い中、作業をしていた男たちは、懐中電灯を声の方に向ける。

 いつの間にそこまで接近していたのか、立っていたのは190cmはありそうな大男。

 弾けそうなピチピチのサイクリングジャージを、なぜか着ていた。

 そしてヘルメットとサングラスで、面相ははっきりとしない。

 だが驚くほど、気配は感じさせない男だ。


 桜盛の変身の魔法である。

 変身と言っても、勇者世界での自分の姿に、一時的になっているだけだ。

 極端に体重などは変化しているはずだが、その質量はどこから出てきたのか。

 色々と気になるが、その考察は後回しである。

「まあ待て」

 桜盛の静止の声は、全く動揺もなく、男たちの挙動を制してしまう。


 慎重にいこう。

 まさかとは思うが、こんな残酷な殺し方をしようとする者でも、まだどちらかというとマシな悪、という可能性はある。

「私は今、お前たちを殺してその人を助けようか、あるいはそのまま見逃そうか、判断材料が足りていない。少し話をしないかね」

 桜盛の言葉に、男たちの中のリーダーらしき者が笑った。

「お前も後ろ暗いところがあるなら、むしろ手伝った方がいいな。何しろその女は刑事だ」

「なるほど」

 わずかな光明が見えたと思ったが、しょせん声の主は一人という状況だ。

 転がされている女性から、絶望の匂いが濃くなった。


 桜盛は決断した。

「面倒だな」

 そう言った次の瞬間には、男たちに接近していた。

 瞬きも出来ない一瞬で、距離を詰める。

 そしてまずは手刀で、一人の首を折って殺した。


 次の瞬間には、回し蹴りでまた首を折り、手を顎に引っ掛けて首を折る。

 これで残りは、リーダー格の男一人となっていた。

「さて」

 詳しい事情を聞こうかな、と今度は尋問のつもりの桜盛である。

 だが最後の男は懐から、拳銃を取り出していた。

 さらに悪党の証拠となる材料だが、桜盛はわざとゆっくりと近づく。

 止まらない桜聖に対して、発砲音が二つ。

 とんとん、と胸を叩かれた程度の衝撃があった。


「ふむ、拳銃程度は大丈夫なのかな?」

「う、うおおおおお!」

 森の中に発砲音が立て続けに鳴らされる。

 案外大きな音が響くな、と桜盛は思ったが、このあたりは本当に山の中なのだ。

 誰かに聞こえたとしても、場所を特定するのは難しい。


 拳銃を持つ拳を、そのまま包んで握り潰した。

 両膝を逆に曲げて折り、残る左手も肩を握り潰す。

 ほとんど瞬間的に、相手の無力化に成功していた。




 痛みのあまり絶叫する男に対して、桜盛は魔法で痛みを消してやる。

 この男は殺すと決めているので、少しは魔法を見せても問題はない。

 ナチュラルに、それこそ子供が蟻を踏み潰すより簡単に、桜盛は人を殺してしまえる。

 それこそまさに、勇者世界の後遺症であり、一種の病気ではある。

 だがそんな思考をしていても、桜盛はサイコパスではない。

 単純に殺人への禁忌が薄い基準にあるだけなのだ。


「さて、どうして彼女を殺そうとしたんだ? 刑事ということは、犯罪絡みだとは分かるが」

 地面に転がった男は、その生殺与奪の権利を、桜盛に握られていることは分かっている。

 だが同時に、命が助かる可能性があるとも思っている。

 桜盛は警察官を助けようとした。

 しかしこちらの話も、聞こうとしていたのだ。

「俺が喋るのは別にいいんだが、あんたには本当に関係ないと思うぜ。それに出来れば、その女のいないところで話したい」

 ふむ、と桜盛は考える。


 考えたが、次の瞬間には男の首を捻っていた。

 ごきりといい音がして、首が折れていた。

(別にこの事件、俺が解決する必要はないしな)

 目の前の悲劇は回避しても、根本的な原因までは解決しない。

 そんなことをしていると、時間はいくらあっても足りないのだ。


 死体が四つ出来上がった。

 そして桜盛は、縛られて倒れた女刑事の元に歩み寄る。

「叫んでも聞こえないだろうし、状況を聞きたいから、冷静になってくれよ」

 そう優しく囁いてから、口を塞ぐガムテープをはがす。

「こ……」

 最初に彼女が口にしたのは、哀願であった。

「殺さないで」

「そこは『くっ! 殺せ!』じゃないのかあ」

 やはり桜盛の頭は、異世界に汚染されていた。

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