四章 勇者と来訪者

第56話 残暑の季節に

 夏休みが終わってしまった。

 一般的な高校であれば三年生などは、夏休みから本格的に、受験に向けてスパートをかけていくのだろう。

 だが桜盛の周囲では、あまりそういった動きはなかったと思う。

 もちろん受験する人間も多いが、推薦枠で大学に入る生徒が多い。

 また留学で海外に行くという生徒もいるのだ。


 女子はだいたい、大卒後に数年間を置いて結婚、というパターンが多いだろう。

 基本的に金持ちというのは、結婚して子供も作るのが多いのだ。

 自分たちの財産、それは金銭のみに限らないが、それを継承していくことに、大きな意味を感じている。

 ただ桜盛からすると日本人は、勇者世界の民衆に比べると、貧しいはずの家庭でも充分に余裕がある。

 社会の援助があるのに、少子化が進行中である。

 おそらくそれは、勇者世界であったりすると、老後の世話は子供に任せるしかない場合が多かったからか。

(いや、単に避妊が出来なかったからだろうな)

 セックスは手軽な娯楽であった。

 戦場では普通に兵士による強姦はあったし、桜盛も潔癖にそれを禁じたわけではない。

 むしろ羨ましく思っていたのは、さすがに誰にも言えないが。


 始業式が終わって二日めから、いきなりテストがある。

 それ以前に宿題の提出があり、まだやってない生徒が多かったりする。

 桜盛の感性からすると、そんなやつは首を刎ねられても当然だぞ、と思って頭を振る。

 どうも少し学校から離れていたら、思考が勇者世界寄りになっていたらしい。


 初日は午前中で終わる。

 この中途半端な時間の束縛が、桜盛には癒しとなっている。

 そして午前中で終われば、遊びに行く人間は遊びに行く。

「玉木君、今日は図書室に来る?」

「いや、ちょっとダンス部を見てこようかなと」

 志保とそんな会話をしたりもした。


 夏休み前、志保との関係はかなり近くなっていたような気がする。

 しかしダンス部の合宿に中国訪問、そして殺し屋ゲームと、拘束されることが多かった。

 なので終盤には完全に、志保との連絡も取れていなかった。

 高校生ぐらいであると、そんなわずかな時間の別離で、関係性が駄目になることもある。


 志保はそう考えておらず、桜盛もそのあたりは無頓着で、関係性の発展を望んではいた。

 だがここで図書室ではなく、ダンス部を選択してしまうあたり、桜盛はギャルゲーの適性がない。

 もっとも志保を攻略対象としていない、という意図でもあるのかというと、そうでもなかったりする。

 人を平然と殺しておきながらも、女子との距離感が分かっていない。

 桜盛とはそういう少年であったりする。今更だが。




 志保はそこでにっこりと、それじゃあまたと引き下がってしまう。

 なんだかんだヘタレなところは、彼女も一緒といったところか。

 もっともこういう場合、男の方から距離を詰めたほうが、初心な女子としてはありがたいだろう。

 だが桜盛も45年物の童貞なので、そのあたりはヘタレなのである。

 その気になればもうとっくに、童貞を喪失する機会などはあったろうに。

 彼は初体験に夢を持ちすぎている。


 そんな桜盛は言葉の通り、ダンス部の多目的室を覗いてみた。

 そこには予想通りに蓮花がいたが、他にも何人かがいた。

 だがダンス部の人間だけではない。なぜかエレナの姿もあったりする。

 そして美春の姿もあったりしたのだ。

(うへえ)

 桜盛としては二人は、どちらかというと避けたい対象ではある。

 しかしせっかく蓮花がいるのに、話しかけないというのももったいない。


 入室した桜盛に、注目が集まる。

 そしてその視線が離れることはなく、ずっと注がれている。

(え、俺何かやったっけ?)

「おーせー君、久しぶりじゃん」

 その中でにこやかに声をかけてくれたのは、蓮花である。

 しかしエレナと美春の視線は、やや厳しいままであった。


 エレナに関しては夏休み以前から、もうかなり接触していない。

 美春とはあからさまに距離を置こうとしているが、向こうからぐいぐいと来る。

 それにしても桜盛に対する態度が、なんだか普通のものではない。

 その理由を知ろうとして、桜盛は蓮花も目が笑っていないことに気づいた。

 いや、本当に何もしていないのだが、あるいはそれが悪かったのか。


 他の部員たちはそのままに、三人は桜盛を一度部屋から連れ出す。

 そして詰問するような口調で、エレナは桜盛に詰め寄る。

「桂木雄二という名前を知っているよね?」

 それは確信を持っているような言葉であったが、桜盛としてはすっとぼける。

「桂木……同じクラスに桂木さんはいるけど」

「外見の特徴は、身長が190cmほどのタフガイで、まあものすごく強いの」

「いや、それは知らないです、たぶん」

 桜盛とユージは完全に、接触がないようにしている。

 五十嵐たちはもちろん、まだ鉄山にさえ、秘密にしていることだ。


 ただ、もしかしたらバレているかな、と思ったことはある。

 崑崙の仙人の中には、桜盛の変身を見破っていた者がいる可能性はある。

 しかしそれがどうして、彼女たちに伝わったのかが分からない。


 エレナたちは顔を見合わせた。

「本当に知らない? すごく会いたがっている子がいるんだけど」

 そう問いかけたのは蓮花であり、口調からしてなんだか女の子のような気もする。

「いや……忘れてるだけかもしれないけど、本当にしらないよ。なんで俺にそんな質問が?」

 そう桜盛に逆に質問されると、三人は目を逸らす。

 何かがあったのは間違いないが、それが何かを教えてもらえない。

 ただこの三人が知っているなら、桜盛には直接教えてもらわなくても、知ることは出来る。

 質問権を使えばいいのだ。


 気まずい空気の中、桜盛は結局この日はそのまま帰ることにした。

 質問権を使うのは、家に戻ってからがいい。

 発声しなければいけないという質問権は、微妙に不便なこともある。

 だが他人の秘密に関しては、とても便利なものなのだ。


 図書室に向かうこともせず、桜盛は帰路に就く。

 そしてその途中で、尾行してくる気配に気づいた。

(魔力を持ってるな)

 それを隠蔽しようという気配も見られない。

 いや、かなり抑えてはいるのだろうか。


 桜盛は五十嵐への連絡を取るために、人の多いところをそれなりに歩いた。

 そしてテナントがいくつか入ったビルの中の、男子トイレに侵入する。

 ここで連絡をしようと思ったが、すぐ近くにまで反応も来ている。

 念のために、会話を聞かれるのも控えたほうがいいだろう。

(しかしこの魔力……)

 どこかで会ったような気がする。魔力にも特徴があるのだ。

 この尾行者がひょっとして、あの三人の反応に関係があるのか。

 桜盛は逆に、接触を考え始めた。




 桜盛は現在、魔力を隠蔽している。

 一般人と同じ程度に、魔法が使えない人間の振りをしている。

 それでここまで、見つかってこなかった。

 だが明らかな魔力もちに、こうやって追跡されている。


 もしも万一戦闘にでもなるとしたら、この姿で全力を出すわけにはいかない。

 かといって今から変身すれば、お前は今までどこにいたんだ、という話になる。 

 そもそも相手が何者なのかも、目的も分からない。

 ここは観念して、スルーして行くしかないか。


 男子トイレの前に、いたのは少女であった。

 年齢は桜盛とさほど変わらなく思えるが、見た目で判断してはいけない。

 気づかなかった振りをして、そのままスルーしようとするが、そこに背後から声がかかる。

「玉木桜盛、桂木雄二の居場所を教えてほしい」

 少し言葉のイントネーションがおかしいのは、ネイティブではないからだろうか。


 確実に名前を呼ばれたので、桜盛としても人違いです、などとは言えない。

 振り返って、改めて顔を見る。

 可愛らしい顔立ちではあるが、どこか険を感じさせる。勇者世界に多かった、女戦士の雰囲気に似ているだろうか。

「桂木雄二という人は、知らないんだけど……」

 これは蓮花たちに言ったのと、同じ説明をするしかない。

「桂木という名字の人に、知り合いはいるけどね」

「写真がある」

 少女がそう言って取り出したのは、今時のスマートフォンではない。

 印刷された写真であって、それには小さな女の子を肩車した、ユージの姿がある。


 わずかながら、桜盛は動揺した。

 自分はこの姿で、こんな写真を撮影した覚えはない。

「ちょっと見せて」

「大切なものだから、汚すなよ」

 そう言われた桜盛は、細部までをしっかりと確認する。


 違和感がある。そしてそれが何なのかは、すぐに分かった。

「この写真の人が、桂木雄二?」

「違う。でも顔はそっくりなはずだから、参考になるはず」

 なるほど、確かにこれはユージではない。

 ユージにしては、筋肉が足りないのだ。

「いや……本当に心当たりはないんだけど」

 そう強弁すると、少女も眉根を寄せた。

「これはすごく重要な問題だから、なんとしても桂木雄二に会う必要があるんだけど」

「それを俺に言われても……。そもそもどうして、俺がこの人の知り合いだと?」

「知り合いじゃなければおかしいから」

 なんだろう、これは。

 どうも話がかみ合わないが、重要なことを話そうとしているような気がする。

「とりあえず、場所を変えていいかな?」

「じっくり話もしたいし、静かなところなら」

 じゃああそこだな、と桜盛にはある程度の目星がついていた。


 ただその前に、一つぐらいは訊いておいてもいいだろう。

「ところで、君の名前は?」

「ミレーヌ。ミレーヌ・鈴城」

 これはやはり、エレナの関係者であるのか。

 警戒はしながらも、ミレーヌを同行させる桜盛であった。




 桜盛が密談をする場合、場所はおおよそ限られる。

 自宅には招きたくなかったので、エレナや玉蘭と話した、あの喫茶店へとやってきている。

「ここって……」

「知ってる店だった?」

「知ってるけれど……」

 やはりエレナの関係者であるのだろうか。


 ベルを鳴らして店内に入る。

 もしもエレナなどがいたら、場所を変更するつもりではあった。

 だが今日は、彼女たちは来ていないのが分かっていた。

「ブレンド」

「じゃあ、私も」

 そして二人は、店の奥まったところに着席する。


 鈴城エレナ、あるいは鈴城有希の関係者であろう。

 そう桜盛は思ったのだが、欧米風の名前の割には、顔立ちは普通に日本人だと思う。

 注文したコーヒーが来るまでに、桜盛はとりあえず、歩きながら考えていた質問をする。

「まず君はどうして、その人を探しているんだ? それとどうして、俺がその人と関係あると思い込んでるんだ?」

「関係は絶対にあるはずだけど」

 確かにそうなのだが、どうしてそう確信したかが謎なのである。


 桜盛は確かにこれまで、男子トイレなどでクラーク・ケントよろしく勇者状態に変身したことはある。

 だがその痕跡は、残していないはずなのだ。

 また写真に関しても、常にサングラスやマスク、帽子などを被っていたため、あんな写真が存在するはずはない。

 合成かとも思ったが、そもそも顔をあそこまで晒したことがないはずなのだ。


 ミレーヌはやや前のめりになり、小さな声で囁く。

「アメリカが現在やろうとしている計画を止めたいんですが、それへの強力を頼みたいんです」

 そんな話題を高校生に持ってくるな。

「あ~、まあ真偽のほどは置くとして、彼の協力が必要ということ?」

「そうです」

 アメリカさんの計画ですか。

 なるほど、力になれそうな人間は、限られているだろう。




 桜盛は基本的に、国家の一般的な計画には、関わるつもりはない。

 もっとも自分に害があると分かれば、当然ながら関わらざるをえないだろうが。

「人探しなら警察か、興信所を頼んだ方がいいんじゃないかな? 顔と名前は分かってるんだろ?」

 そしてそこから五十嵐に話がいって、五十嵐から自分へと話が来るだろう。

 まだしもそちらの方が、かかる時間は少ないと思うのだ。


 ただミレーヌは首を横に振った。

「とても警察には信じてもらえそうにない。よほど上層部の、事情に詳しい人なら別だけど」

「上層部……」

 まあ確かに、異能関連であれば、末端の人間は知らないであろうが。


 今ならあの爆発事件があっただけに、それなりに五十嵐や高橋に話が通る気もするが。

 そもそもミレーヌは、エレナたちとは会ったのだろう。

 そしてエレナの家からであれば、そういったところともつながりが取れるのではないだろうか。

 エレナの親戚で、しかも魔法使いらしいこの子は、そもそもどういう立場の子なのか。

 その時点で既に、不思議ではある。


 何かが引っかかるのだ。

 桜盛、つまりユージが突然に世界のトップレベルの異能として現れたように、ミレーヌの出現も突然だ。 

 鈴城という名字はそれほど多くもないと思うので、エレナの親戚だとは思っていたが。

「俺にばかり質問しているが、君はこの雄二という人とはどういう関係なんだ?」

「それは私にも分からない。だけど雄二はこの時代で、最強のエスパーだと言える」

 エスパーって。

 まあ現代に魔法使いが、というよりは自然な言葉なのかもしれないが。

 ただ桜盛が使っているのは、間違いなく超能力ではなく魔法である。

 その違いも、一応は説明出来る。


 桜盛としては、いざとなれば勇者の姿で、この子と会うのもやむをえないかな、とは思い始めている。

 だが自分との関係性だけは、どうにか無関係としておく必要がある。

 ただいったいこの写真は――。

(まさか)

 この写真に対する違和感。

 今時はもう、端末に保存しておくのが、一般的ではあるだろう。

 それをわざわざ印刷したところに、不思議な感覚があるようにも思える。

「君はいったい何者だ?」

 それを真っ先に確認するべきであったのだろうが。

「私もまたエスパー。しかもかなり特殊な」

 それは分かっているのだが。

「未来から来た。貴方にとっては、曾孫にあたる」

 さすがの桜盛も、予想外の話。しかしそれは、違和感を埋めていくものである。 

 思考が再起動するのに、数分は必要であった。

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