第31話 国家権力との対決
地球には魔法はないと、ずっと思っていた。
だがないはずのものが、昔はずっとあると思われていたのだ。
それは迷信とかオカルトとか、あるいは奇跡などと言われていたものであたが、実際に存在はしたらしい。
しかしそれなのにどうして、それは隠されて迷信とされ、科学が発展していったのか。
独占したい技術というなら、科学も同じではないのか。
逆に言うと、この魔法という技術は独占出来るものであって、科学とは根本的に違ったのか。
(なんだろうな?)
余裕で考えている桜盛としては、才能の有無かな、と思った。
勇者世界において魔法というのは、かなり才能に依存する技術ではあったのだ。
そして貴族がほぼ独占し、血統によって受け継がれていく。
ところが科学というのは、他の人間がやっても、同じ結果が出なければいけないものだ。
その普遍性と利便性から、自然と広まっていったのだろうか。
おそらく地球の魔法は、本人の資質に多分に由来する。
そして玉蘭などの例を見ても、さほどに強力ではないだろうと判断する。
ただ今さらながら思うのは、玉蘭だけではなくもう一つの筋から、情報収集をしておくべきだったということだ。
桂木家にかけられた呪いからも、魔法使いは見つかるであろうからだ。
もっとも取引していた人間が飛ばされたので、そちらを追うのは難しかったかもしれないが。
今は目の前の三人に対処すべきである。
(さあ、どういった攻撃だ?)
純粋な物理的な攻撃であれば、桜盛にはおそらく通用しない。
なので使ってくるのは、精神を惑わすものか、あるいは呪いの類である。
呪いについてはあっさりと解呪した経験があるので、あとは精神を惑わすぐらいか。
三人のうち一人はそのままの位置で、残りの二人が接近してくる。
それもひとりは軽く小走りで、一人だけは全速力で。
(おっと)
飛んできた魔力は、その場にとどまっていた者のものだった。
拘束系の魔法であり、桜盛は軽くそれを打ち払う。
(非殺傷系の魔法か)
なるほどまだ、対話の余地は残されているのか。
接近してきた片方は、その足元から影のように、魔力が二本伸びてくる。
そして最速の男は、懐から取り出したなんだか分からない物と、伸縮式の警棒を両手に持つ。
桜盛としては影の動きが速く、魔力感知でしか見えない。
片方の警棒は問題ないとして、もう一つはなんなのか。
(銃にしてはデザインが)
未来っぽすぎるなと思った桜盛に、その先端部分が発射される。
(なんだっけこれ、見たことはあるんだけど)
テーザーガンである。
速度も充分なこれは、現在の日本では一般には流通しておらず、所持も禁止されている。
要するに発射式のスタンガンであるが、ちなみにスタンガンも所持はともかく、理由のない携帯は禁止されている。
試しに避けなかった桜盛であるが、ちょっとピリッときただけで、真冬の静電気よりもたいしたことはない。
(静電気とか、ダメージ受けるのかな、俺)
馬鹿なことを考えつつ、もう片方の手の警棒に対処する。
相手の振るった警棒は、とんでもない重さを持っていた。
普通の人間なら確実に骨が折れているところだが、警棒の方が逆に折れた。いや曲がった。
(こいつの力も強化されてるのか?)
(人間の骨じゃねえのか!?)
強化魔法ぐらいはあるだろうな、と覚悟していた桜盛と、桜盛ほどの強化魔法を想定していなかった、警察官の違いである。
一応肩辺りの、死なないところを狙ってきていたので、桜盛としても手加減はする。
素早いジャブを両方の脇に入れ、肋骨を数本。
これで深い呼吸は出来なくなり、戦闘力は喪失。
(こいつが前衛だとしたら、一人は後衛ってところかな)
警察という組織の巨大さと、その中で飼われている魔法使いの数。
さすがに三人だけとは思わないが、一度の動員するには時間が足りなかっただろう。
二人目、やはり懐から出したのは、警棒である。
殺さない武器を持っているなら、こちらも基本は殺さない。
素手で警棒を弾き飛ばした後、足の甲を踏み潰した。
これで拳銃でも出されない限りは、いや、出されても意味はないか。
残りの一人、ようやく拳銃を出してくる。
明確な殺意の提示に、桜盛も同じく殺意で応じる。
(殺したらさすがに面子が立たないか)
国家機関に本気になられることを、桜盛は非常に恐れている。
もちろん元の姿に戻れば、とりあえずは隠れることは出来るだろう。
魔力の波長を隠蔽する手段もあるので、おそらくは魔法的にも調べる手段はない。
だが根本的に、国家を敵に回すことを、桜盛は選択したくない。
撃たれた弾は、服の表面で止まった。
衝撃すらなく、桜盛は三人目に接近し、その鎖骨を両方チョップで折った。
これにて無力化完了。一分は経過していない。
完全な武闘派の警官三人を、秒殺した桜盛。
これでようやく高橋と、一対一で話が出来る。
その背中に向けて、足の甲を潰された男が拳銃を向ける。
「待て! 意味がない!」
高橋が止めて、複雑な表情で桜盛を見つめる。
恐怖に染まっていないのは、果たしていったいどういう理由なのか。
桜盛は高橋と向かい合い、もう一度対話を開始する。
「捕まえて話をすると言っていたから、俺も手加減をした」
一人称が変化したことに、高橋は気づいていた。
「分かっている。沢渡巡査から聞いた話では、一撃で首の骨を折る腕を持っているそうだしな」
「沢渡……ああ、茜ちゃんか。俺としては彼女を仲介に、警察とはいい関係を築きたいんだけどね」
「組織に属してくれるのが、お互いに一番いいと思うんだがな」
「さっきと同じ平行線だ。俺はとにかく放っておいてほしいんだよな。能動的な意味でも、受動的な意味でも」
「本当にそう思うなら、わざわざこちらに何も言わず、処理すれば良かっただろうに」
そこで桜盛は気づく。
「ああ、例の政治家の孫の件? そうか、話しちゃったからには対応しないといけないわけか」
それが組織というものなのだが、勇者世界ではそのあたりはもう少しだけ緩かった。
桜盛は相手を脅したくない。
脅すということは敵対することで、桜盛と敵対などしてしまったら、警察はどれだけそのリソースを取られるか。
「俺のことはさ、なんというか必殺仕事人みたいな、無害な存在と思ってもらいたいんだけどね」
「それを許していたら、国家の治安が成り立たないだろう」
「言いたいことは分かるんだが……」
桜盛は中身が大人なので、また王侯貴族と関わってきたので、面子や体面のことも分かるのだ。
実際のところ桜盛は、警察が何をやってこようとも、見せしめに何かを行うつもりはない。
警察を使って悪行三昧という存在でもいれば、それは確かに抹殺してもいいかなという程度には思っている。
だが警察は権力者がある程度恣意的に使っても、誰かの所有物ではないらしい。
もっとも検察も含めてその権力を行使するのに、政治の影響を受けないわけでもない。
桜盛が平穏に暮らすためには、警察の存在を弱めたくはない。
彼が手の届かない、普通の事件を解決するには、全国中に何十万もの警察官が必要なのだ。
もちろん不祥事がないわけでもない警察であるが、勇者世界基準で考えれば、一般市民が警察に向ける信頼は、極めて高いのである。
「俺の扱いをどうするにしても、結局君の責任じゃ、何も約束は出来ないわけだな」
「それは、まあそうだ」
桜盛は深く溜息を吐いた。
「一度お偉いさんと、席を設けてもらおうかな。もちろんこの警視庁じゃないところで。そんでそちらも罠を仕掛けられないようなところで」
「おい、今日はまさか帰るつもりか?」
「仕方がないだろう。俺が今日、あの男の金玉を潰さなかったせいで、罪のない女の子がまた不幸になるかもしれないけど」
さすがにそれは、警察のせいには出来ないのではないか。
桜盛は鎖骨を叩き折った男の、その部分にそっと触れた。
それから足の甲を潰した男に、肋骨を折った男と。
「一応治したけど、明日ぐらいは安静にしとけよ」
そしてふわりと浮き上がって、結界をぶち破った。
その破壊の瞬間は爽快であったが、悩むことは増えている。
(落としどころをどうするのか、本当に困ったな)
いっそのこと警察の不祥事を探し出して、ついでに省庁や閣僚の不祥事も探し出して、それで脅して交渉してみるか。
質問権を使うなら、匂わす程度でも効果はあるのではないか。
面倒ではあるが、力技だけで解決できる問題ではない。
桜盛の理性は忍耐強く、またこの国家の体制についても完全に失望などはしていなかった。
高橋は桜盛が去ってしまうのを、見送るしかなかった。
あるいは何か追跡でも出来ないかと思ったのだが。
『ダメです。弾かれました』
超常の力による追跡も、不可能であるとマイクから声が聞こえる。
「あいつ、ものすごく手加減してましたよ」
そう言ったのは、桜盛に肋骨を折られた巡査部長であった。
一応は階級は高橋と同じだが、昇進したのは高橋の方がずっと先である。
そう、桜盛はもちろん手加減していた。
一応は警視庁の庁舎には、魔法的な強化もされているなと思ったが、桜盛が本気で魔法を使えば、庁舎全体を崩壊させることも可能であった。
そこまでは直接対決した者も、さすがに分からなかっただろうが。
「あ~、くっそ、報告書めんど」
「え、これって報告書残す案件なんすか?」
「ああ、残すか消すかは俺が決めることじゃない」
高橋は経験こそ豊富であるが、階級は巡査部長。
これは警察組織としては正確には下から二番目の階級なのである。
ただしこういった案件に関しては、一つや二つ上の階級を飛び越して、一気に上にまで話を通すことが出来る。
こういった超常案件については、それぐらいの権限は持っているのだ。
集まってきた三人は、桜盛に折られたところを、すりすりと撫でている。
こんな急激に治癒する能力など、高橋は見たこともない。傷害案件で逮捕するのは無理だな、と思ったが公務執行妨害も無理があると思う。
超常案件では、だいたい法律が機能しないことが多い。
それにしても三人を手加減し無力化し、しかも怪我まで治して、あっさりと逃げていく。
庁舎の中の能力者は、追跡をかけたらしいが、それもあっさりと切られてしまったらしい。
「一応、国家権力とは敵対したくないというだけの打算は持ってるわけだけどな……」
個人的なことを言ってしまえば、そこは融通を利かせて欲しい。
現場で直接化物と対するのは、主に高橋のような人間なのだから。
(怖いのは分かるけど、交渉とかはそもそも俺にはなんの権限もないしな)
負傷者がわざわざ治癒されているが、これもまた困ったものだ。
今の日本に、骨折がすぐに治るような、そんな特別な能力を持っている者はいない。
「よーし、集まれ。今の現場について、認識を共通しておこう」
治癒能力は、秘匿しておくべきである。
「だ・か・ら、なーんであたしを呼ぶかな!」
既に酒が入って、ベロベロ状態になりかけの茜である。
あの後に桜盛は、庁舎から少しだけ離れて、尾行されているかどうかを待った。
そしてタイミングよく退庁してきた茜に接触はしたが、呼び出したわけではない。
今夜のやり取りについて話したが、頭が痛くなってきたらしい。
茜は桜盛にとって、ある程度信頼している警察との窓口である。
なにせ命を救った上に、覚醒剤の一斉検挙にもつながったのだから、警察としても人間としても、桜盛に気を遣わないのはどうなのという話である。
ただ天の上の階級のお偉いさんに、しかも警視庁ではなく警察庁において、色々と話をするのは勘弁してほしい。
「いや~、俺も勘弁してほしいんだけどね」
軽いノリの桜盛に対して、茜はやっぱり溜息をつくのである。
結局のところ茜も、体面と建前の問題なのだろうな、とは思う。
若さと外見で、交番から組織犯罪対策に引っ張られた茜としては、交番時代の規律重視の警察と、潜入捜査まである秘匿捜査では、善悪の基準が違うとは思っている。
交番は要するに、秩序を維持するのが役目だ。
ルールは決まっていて、それに反した者は検挙すればいい。
だが組織犯罪となると、目の前で行われている悪事をスルーし、最終的な目的を達しないといけない。
その過程では自分が、法を逸脱することもある。
警察は正義の味方でもないし、法の番人でもないし、善良な市民の味方でもない。
末端にはそれを徹底していでも、幹部級となると優先順位を考えるのだ。
茜は木っ端な末端警官であるが、刑事となると建前だけではやっていけないことも分かっている。
なのでどうにか桜盛についても、そのあたり融通を利かせてほしいと思うのだ。
(いやほんと、この人を相手にするなんて、コスパ悪すぎでしょ)
今日も茜さえ存在を匂わされただけの超常能力者三人を、あっさり返り討ちにしたと言うし。
桜盛が本気で国家組織と仲良くしたいと考えているのは、茜にはよく分かる。
ただ力を持つがゆえに、自分で解決したいことに、警察を介入させるのが邪魔なだけだ。
おそらく今日のボロクソに負けた相手も、そして直接交渉した高橋も、あまりに桜盛の力を分かっていない。
いや、分かっていなかったと言うべきか。
「まあ次は、もっと偉い人が出てくるんじゃないかな~」
「あんまり飲みすぎるなよ」
「誰のせいだと思っとんじゃ~!」
完全に酔っ払いの茜であった。
桜盛じゃなければ簡単にお持ち帰りしていたであろう。
絶大な個人の力が、自分なりの価値観のみで動いている。
こんなものは治安維持機構としては、恐怖以外の何者でもない。
実際のところ表に出ない事件なら、いくらでも解決してくれて構わないと思うのだ。
実際に今の警察は、桜盛によるヤクザの殺害については、完全に捜査をやめている。
高橋は桜盛の力を極めて客観的に明記して、直接の上官ではなく担当の上官にまで、頭飛びで報告した。
問題になってもおかしくないのだが、これはそういう類の案件なのだ。
「一席設けるしかないか」
これはつまり、警察が積極的に桜盛を、捕まえることも取り込むことも、諦めたということである。
実際現在の日本には、東京だけに限って言っても、多くの超常案件が存在する。
その中で基本的に、悪党だけを処分する桜盛は、対応の優先度が低いのだ。
むしろその圧倒的な戦闘力から、そういった案件の解決を依頼してもいい。
その方針が出てくるまで、高橋としては色々と悩むことも多かった。
そんな高橋の下を訪れたのは、現在所轄に出向しているはずの、ある男性キャリア。
キャリアというのは国家公務員総合職試験に合格して警察官になった、いわゆるエリートである。
一般には高卒も大卒も、巡査から始まるのは変わらない。
ただ厄介なことに、準キャリアというものも存在するが。
キャリア組は最初から警部補として任官し、基本的には幹部として教育される。
それでも警察庁から所轄に、出向することはあるのだ。
「五十嵐さん」
「高橋、なんか大変らしいな」
「あいつ、俺の本名知ってたんですけど」
「……それはもう、警察の上の方で話がついてるんじゃないのか?」
「現場には下りてきてないんですけどね」
秘匿される特別な警察官の情報というのはある。
高橋の本名についても、その一つではある。
それを既に知っていたというのは、常識で考えれば身内からの漏洩。
あるいは情報屋から買ったのか、とも思えるが。
警察官も人間なので、弱点というものはある。
桜盛もそうであるが、本名を知られていては、個人として守りたいものを人質に取られたようなものだ。
そしてこちら側は、相手のことを何もつかめていない。
「まあ、そのために俺が呼ばれたんだが」
別に超常の力を持っていなくても、警察官には特殊な人間がいる。
五十嵐はその一人ではある。
30歳を少し越えたキャリアで、階級は警部。
時々所轄に出張するが、何かがあればこうやって呼ばれる。
正直なところ、こういった案件に対応するのは、経験と才能が大きくものを言うのだ。
「まあ落としどころを見つけるのが重要だろ」
軽い感じで言う五十嵐に、キュンキュンしてしまう高橋であった。
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