第32話 適切な距離感で

 好きなように生きるのは難しい、と桜盛は思った。

 なぜなら好きなように生きている、と平凡な人間が思っている金持ちや権力者などに見える景色は、よりその好き放題の自由度が広がるからだ。

 今の桜盛も昔の自分から見れば、かなり好きに生きているように見えるはずだ。

 だが自分の持っている力で、自由に出来る範囲というのが、大きくなりすぎている。

 そして本来ならば、諦めて見逃すしかない巨悪に対しても、簡単に立ち向かうことが出来る。

 そこで安易にオラつかないのは、桜盛が異世界で経験した真実による。


 勇者世界で桜盛は召喚されてすぐに、戦闘力だけはそれなりに高くなったのだ。

 また召喚は国家規模のプロジェクトであっただけに、その国のバックアップも大きかった。

 しかし勇者の戦力を、対国家に利用しようとして、その周辺の人間を狙った。

 桜盛が最初に仲間や、身内と思える人間を失ったのはこのタイミングである。


 政治的な動きによって、桜盛もその周囲も守ろうというシステムが作られようともした。

 ただそんな国家間の駆け引きがあると、桜盛の力は本来の魔王軍に全力を使えなくなる。

 よって手を出されたら100倍返し、というルールが出来上がっていった。

 倍返しではない。


 今の桜盛の自己認識は、水戸黄門か暴れん坊将軍ぐらいのイメージである。

 必殺仕事人ではない。

 自分が行ったところ、自分が気づいたところ、自分が大切な者のためには、その力を振るう。

 だが他人から命じられて問題を解決するというのは、もう二度とやりたくないことなのだ。

 いっそのこと合衆国に乗り込んで、大統領と同盟を組もうかなどとも考えたが、それはそれで対米関係が悪化するかもしれないし、アメリカの依頼を受けなくてはいけなくなってしまう。

 実際のところ武装グループのコンサートホール占拠事件は、極東アジアのバランスを崩しかねない、かなり危険なことではあったのだ。


 知ったからには、どうにかしようという気にもなった。

 だが知らないことをどうにかしてくれ、と言われるのは違うと思う。

 それに桜盛の能力は桜盛以外では肩代わり出来ない。

 ずっと将来の話だが、桜盛がいなくなった時にどうすればいいというのか。

 それを考えれば個人に頼ったシステムは危険なのだ。

 しかし使えるとなれば、使ってしまうのが人間だ。

 魔王の存在に比べれば、日本の国際情勢や治安の悪化、経済力の低下や少子化などは、全て人の手でどうにかすることである。

 超人一人に任せてはいけないのだ。

 スーパーマンも結局は、その活躍を見せるためには、分かりやすい悪役が必要となってくる。




 桜盛は民主主義を、絶対的に道徳的に正しいとか、尊重しなければいけないとか、そういうことは全く考えていない。

 本当に世界が危機に陥った場合、たとえば核兵器の報復合戦などがある場合。

 明確に味方するのはアメリカである。中国大陸が壊滅して、しかも死の灰が日本に降りかかることがあっても、それでもアメリカを守る。

 なぜかと言われて、よりマシだからとか、中国の悪辣さだとか、そんなことは関係ない。

 直感的にアメリカの方がいいだろう、と考えているからだ。


 彼の考えからすると、本当に気分良く暮らすためなら、日本に敵対的な独裁国家などは、中国とロシア以外は壊滅させることが出来るし、中国やロシアにしてもその国家元首を暗殺するぐらいは出来ると思う。

 それでもそれをしないのは、責任が取れないからではない。そもそも責任など取るつもりもない。

 そういったいわゆる独裁者を倒すことで、逆に世界が悪い方向に進む可能性があるからだ。

 よく言われるのは、本当に民衆にとって幸福なのは、聖人独裁というものである。

 私利私欲のない有能な独裁者が、全ての権限をもって政治を行う。

 ただこれは机上の空論であり、机上の空論ですらないと言われる。


 そもそも政治というのは基本的に、最大多数の最大幸福を目指すのが、民主主義的には正しい。

 しかしそれを実践するとなれば、切り捨てる部分は絶対に出てくる。

 誰も切り捨てないのが政治だ、などと言うならそれは詐欺師である。

 つまり何かを切り捨てている時点で、理想の政治などはありえないのだ。


 桜盛はそんな世の中において、気まぐれな抑止力でありたい。

 あるいは気まぐれな死刑執行人か。

 ごく稀にであっても、警察の捕まえられない悪党が死んでいけば、それは噂となって広がっていくだろう。

 桜盛の変身後の体格を考えれば、どうしてそれが捕まらないのか、常人には理解出来ない。

 実際のところ警察の関係者の間では、姿を変える能力を持っているのでは、という意見は出ている。

 そうでなければ長距離をテレポートでもしない限り、説明のつかないことが多いのだ。

 あとは土の中をすり抜けていく能力など、非現実的なものも討論されている。

 こういった力は国際的に見ても、共有されていない。

 同盟国同士であっても、さすがに秘密となっているのが当然なのだ。




 さて桜盛としては茜の愚痴も聞いたことだし、やるだけのことはやって、後はしばらく潜伏するつもりである。

 これはつまり、目の前の悪もそれなりに見逃すということだ。

 ただやりかけていた去勢処置は、しっかりと行っておいた。

 もっともトラウマの植え付けには失敗していたが。


 実際のところ日本の社会における理不尽というのは、勇者世界に比べれば、別にたいしたことでもないと思うのだ。

 あちらでは国ごと全ての人間が死んだとかはさすがに少ないが、村が一つ全滅などという光景は、普通に転がっていたので。

 不注意な少女が薬を使われレイプされること自体には、それほどの嫌悪感が上がってこない桜盛である。

 ただ勇者世界にはなかったものの、こちらの世界では存在するもの。

 それは情報の拡散能力である。


 特に処女信仰などもなかった勇者世界では、それこそ襲われても、犬に噛まれたと思って忘れればよかった。

 むしろそれぐらいに考えなければ生きていけなかったし、実際にもう生きていけないと思って命を絶つ人間もいたことはいた。

 だが途中からは桜盛も、何をそんな大袈裟な、というように思うしかなくなっていた。

 命を失い、全てをかけてきた畑を焼かれ、何もかも財産を失う。

 庇護してくれる者はなく、孤児院は常にいっぱい。

 そして働けない子供よりも、働ける大人の命が優先され、子供たちは飢えて死んでいく。

 未来のために子供たちを守る、というのは勇者世界では完全に偽善であった。

 大人が生き残れてはじめて、子供を養う余裕が残る。


 さすがの桜盛も気分が悪くなったのは、子供同士を交換して、それを食べたという例。

 そこまでして必要な人間を生かして、そして魔王を倒した。

 もっとも戦争において、子供を殺して食べたというのは、歴史の中でもしっかりと記述されているものであったりする。

 生贄として子供を殺すなどといったことは、古代の社会ではそれなりに残っていた。

 近代が訪れるまで、人間を食べる風習が残っていた地域はある。

 今はない、はずだが猟期殺人犯の中には、人肉を食べる者もいた。


「結局のところお前さんが平和に生きるためには、外国のどこかの片田舎で、農業でもするしかないのかもしれんな」

 月を見ながらわずかに酒で唇を湿らせ、鉄山はそんなことを言う。

「日本の快適な生活が恋しくて、帰ってきたんだけどなあ」

「しかしその風貌だと、いつかは見つかるだろ」

 鉄山は桜盛の力をある程度は知っているが、変身能力までは知らない。

 ただ桜盛もそろそろ、本格的に隠蔽能力については考えないといけないとは思っている。


 平穏な暮らしを求めて、その中に少しだけモテがほしかった。

 実際にほんの少しだけ、モテはきているとは思う。

 ただ志保はまだしも、美春は完全に好みでないので、モテモテハーレムからは遠い。

 いや桜盛としても、そこまでハーレムを求めていたというわけではないのだが。

「なんだかいい方法はないですかね」

「うん……一応そういうことに関してなら、心当たりがないわけでもない」

 あるなら先に教えてくれよ、と桜盛はちょっと思ったりした。

「警察庁の、そういったことに関する人間がいてな。五十嵐という名前だったが、果たして本名だったのかどうか」

 鉄山はそう言って、部屋の片隅の金庫に足を運ぶ。

 完全に床に固定されたこれは、パスワードで開けるタイプだ。


 桜盛という存在を、鉄山は桂木家のために活かしたい。

 また余命わずかであろうことを考えると、お国のために働いてもいいだろうと思っている。

 この青年が善良なことは間違いない。ただ合理性と、善悪の軸の置き方が、圧倒的に日本の社会とは違うだけだ。

 金庫を開けた鉄山は、かつてもらった名刺を探し始めた。






 この世界には国家をも上回る巨大企業、というのは存在するのか。

 答えは諾であり、否でもある。

 アメリカという国家、日本という国家、中国という国家、特に核兵器を保有している国は、基本的に企業よりも強い。

 圧倒的な武力を行使できるのは、企業ではなく国家なのだ。


 だがその国家を細分化していけばどうだろう。

 巨大な権力を持っている、アメリカの大統領であっても、一人の人間ではある。

 その一人の人間を動かすのに、企業はどれだけ動かばいいだろうか。

 そういった問題は別に、アメリカに特有のものでもない。

 政治家というのはおおよそが、誰かの代弁者ではあるのだ。

 それが票を投じた一人一人の国民である場合は、ほとんどない。


 民主主義と言うか、選挙というシステムについては、別に近代以降のものではない。

 古代ギリシャやローマの時代に、既に西洋では経験している。

 しかしそれが一度は消滅したのは、このシステムにも欠陥があるからだ。

 ギリシャの場合はその選挙権が、あまりにも限定されていたということがある。

 結局は国力を広げられず、ローマの勢力圏に飲まれた。


 ローマは当初王制であったが、途中からはやはり選挙を取り入れている。

 これは比較的長く続いて、しかもこの時期にローマは大きく勢力を広げた。

 ただそれもやがては、元首制とも言える体制を経て、帝政へと変化していった。

 それでもある程度の選挙による民衆の意思は、かなり長く残ったものであるが。


 結局のところ選挙というのも、票を集められる人間が勝つのだ。

 日本の投票率などを見れば、投票しない人間が一致団結すれば、与党と野党はたやすく逆転するように見える。

「ただまあそういう選挙に行かない人間ってのは、どうせ変わらないとか言いながら、今のままでいいと思ってるやつらなんだ」

「うん? 政治なんてどうでもいいと思ってるんじゃなくて?」

「今の状況に不満がないから、選挙には行かずに体制を変えない。それが選挙権を行使しないということだ」

「潜在的な与党支持ってことかな?」

「そういうこった」

 与党にも野党にも、どうしようもない政治家というのはいる。

 どの国の国会議員なんだ、という人間はいるが、それは別に悪いことではないと鉄山は言う。


 外交のチャンネルは、たとえ潜在的な敵国家であっても、ないと困るのだ。

 むしろ潜在敵国であるほど、外交のチャンネルは重要であり、そこからある程度は相互に情報をやり取りする。

 もっとも日本の場合は、この外交ではほぼ負けっぱなしである。

 情報がダダ洩れであるからだ。スパイ防止法もないし。

 なぜないかと言うと、情報を流すことで便宜を図ってもらう人間が、政府外にいたりするからである。

 困ったことにこういう人間でさえ、国家に対して損害を与えているという意識はない。

「いるよなあ、そういうの」

 勇者世界で言うなら、魔族に生贄を捧げる代わりに、村全体への被害を防いでいた村長とか。

 魔族の脅威が排除されてから、生贄にされた人間の家族に私刑に遭っていたはずだ。




 ともあれ鉄山との話で、桜盛は政府、あるいは警察の許せるラインなどをある程度考えた。

 まず政権が転覆するレベルのことはやってはいけないということ。

 むしろ例の武装グループ事件では、政権を守ってやったのが桜盛なのだが。

 あのリーダーが与党や野党の収賄事件などを拡散したら、その後の国会はどうなっていたことか。

 亡命者の死亡など、どうでもいいぐらいに紛糾していただろう。


 明らかに魔法によるものだ、という事件を起こさないこと。

 これは現在も警察などがやっていて、超常の存在による未解決事件になると思われれば、報道規制で消えていく。

 犯人を始末しなければいけない場合も、警察内での内密の処分となる。

 桜盛はこれに合致しそうになっていたのだ。


 あとは日本国政府、あるいは警察組織に対する協力だろうか。

 桜盛としてはこれが一番難しい。

 相手が連絡を取れるように、連絡先を伝えるつもりは全くないからだ。

 間に一枚、社会的にグレーな存在を挟むのが、比較的桜盛が安全になる方法である。

 しかしそれをやってしまうと、そのグレーな存在が大きなものになってしまう。


 高貴なる者の義務、などと桜盛は言わない。

 そしてこの世界に、神がいながらも全く関与しないことも、理由は分かってきていた。

 つまるところキリがないのだ。

 世の中に悪意は常にあるし、解決してもいくらでも事件は起こる。

 おそらく桜盛の解決した武装グループの占拠事件などより、もっと重大な事件などを、魔法使いは解決しているのかもしれない。


 実際に少し前、玉蘭は人民解放軍に大きなダメージを与えた。

 だがそれは致命的なものではなかった。

 桜盛が今それを考えるに、下手に独裁者などを急に排除したら、国家はどう動くか分からなかったのだろう。

 政治には連続性が必要だ。

 国家のみならず企業などでも、後継者への権力移譲が上手くいかなかった場合、その組織が崩壊することは多い。

 日本の場合は総理大臣であっても、一人の権力者が国家の意思を決定するということがない。

 そのあたりが優れた部分でもあるが、問題ともなる部分でもある。


 日本の政治は、入念な根回しがないと、総理大臣でさえ決断が出来ない。

 有事の際にはどうするのか、おそらくそれを恐れているため、普段からの準備も出来ないのだろう。

 そういうものかね、と桜盛は思うのだが、勇者世界の王侯貴族と、日本の民主主義の政治家は違うだろう。

 桜盛はとにかく、一人では動けない。

 質問権を使っても、誰を攻撃したらいいのか、明確な答えが返ってこないのだ。

 こういう場合は誰かの個人的なつながりから、解決を図るというのが、現代社会でも有効ではあるのだ。




 鉄山による斡旋で、桜盛は警察のお偉いさんというか、そういう方面の人間と接触する予定を入れた。

 ようやくこれで、日本の治安維持能力をそのままに、自分の好き勝手に振舞えるようになるのか。

 ただ自分なりの観点から言うと、今までの桜盛も充分に、配慮はした上で行動してきたのだ。

 それで通じないのは、勇者世界の力技の常識と、立場の違いからなるものだ。


 部活の休憩中ながら、色々と考えることは多い。

「何か悩み事かね?」

 気軽に声をかけてきたのは、汗を拭きながらも笑顔の蓮花であった。

 汗くさくてもいい匂いがするんだよな、と女の子の不思議に思いを馳せながら、桜盛は答える。

「いや、生きるのって難しいなあと」

「え、女性関係じゃなくて?」

「あ、そういうのもありましたね」

 桜盛はきょろきょろと周囲を見回すが、今日は美春の姿は見えない。

「あの子なら今日は休みらしいけど」

「助かる」

 やはり溜息をつく桜盛であった。


 美春は別に悪い子ではないのだろうが、はっきり言って思考がまだ幼いというか、桜盛から見たら子供である。

 そして自分の身を守ることが、全く出来ないように思える。

 それは腕力的なことだけではなく、社会での立ち居地と言おうか。

 茜のような警察官や、蓮花のようにアンダーグラウンドを歩けるのとは、人間としての強さが違う。


「タイプじゃないの? 美春ちゃん、けっこう可愛いと思うけど」

「外側の造形が可愛いのは認めますけど、性格が好みじゃないんですよ。男への依存が強そうで」

「う~ん、そうかな」

「俺はどっちかというと美人タイプの、蓮花ちゃんみたいな方が好きなんですよね」

「大胆に告るねえ」

 蓮花は笑って、桜盛の肩をぽんぽんと叩く。

 そこには確かに桜盛が好む、大人の女性の余裕が備わっていたのだった。

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