第18話 絡み合った糸
桜盛の去りっぷりがあまりにも早かったので、何も声をかけることが出来なかった茜。
それに対して戻ってきたバディの刑事が言ったのは、辛らつな言葉である。
「お前、馬鹿なの?」
ひどいことを言われたが、まあ警察備品を勝手に預けるというのは、始末書案件ではある。
いや、無線の傍受ということを考えると、懲戒免職までありうるのが普通だ。
もっともこの異常事態においては、桜盛の力を借りることが、自分の進退より重要だ。
そこまで覚悟の決まった茜に、先輩刑事は頭を抱える限りである。
「とりあえず俺は、もう一回連絡してくる。お前は……下だけでも着替えておけ」
今の茜はカップルを演じるために、スカートを履いて足元もヒールという状態だ。
さすがにこれで事態が動けば、もっと動きやすい服装になる必要があるだろう。
近くにあるブティックに駆け込む茜である。
館内アナウンスにより、人々の避難がようやく始まろうとしている。
桜盛はその間にモールの外に出て、警察無線の調子を試してみた。
どうやら機動隊を中心に、警察はモールやホールを囲むように集まってくるらしい。
犯行グループの規模はかなり大きく、これはひょっとして機動隊でも、対抗するのは難しいのではと思ったりもする。
まさか自衛隊が出てくるのだろうか。
自衛隊の災害派遣はよく聞くが、それとは違う防衛出動、というのがあることは桜盛も知っている。
だがそのハードルがとんでもなく高いことは知らないし、この時点ではせいぜい、出動待機命令を出すのが精一杯である。
相手の武装などが、まだ桜盛による情報だけとなると、機動隊の出番という規模だ。
そもそも国家転覆、もしくは外国からの攻撃でないと、防衛出動は難しい。
これをどう扱うのかは、警察庁から公安など、また現地の所轄警察など、様々な警察機構がまず動き出していた。
しかしながらホールからの避難者がいないことによって、1500人が脱出出来ていない状況が把握される。
すると今度は消防や、それこそ自衛隊の災害派遣、なども検討されるようになるのだ。
だがこの時点においては、犯行グループを確認したのは、人質以外には桜盛しかいない。
(しかしこいつら、いったいどうやって入り込んだんだ?)
大ホールやそれに続く通路は、ある程度独立したものもある。
だが50人もの人数が、完全武装で入り込んだのだ。
そう思って通路を透視してみれば、射殺された人間が二人ほど発見される。
桜盛は近くの入り口から屋内に入ると、それを確認した。
作業着の人物が一人と、入り口付近の警備員の服装の一人。
共に60歳前後の男性で、おそらくは普通に生きてきた、特に悪いこともしていない人間だろう。
それを確認しても、桜盛の胸に怒りの炎が湧くということもない。
人は死ぬし、殺しあうし、戦争は起こる。
全てを救うことは出来ないと、もうずっと前から分かっている。
茜の事件やエレナの事件は助けたが、それ以前に同じようなことで、犠牲者は出ている。
自分の手の届く範囲内でも、救える人間は選択していかなければいけない。
(最低でも成美だけは)
これを薄情と言う者もいるかもしれないが、キリがないのだ。
魔王を倒し、邪神を封印した。
だがそれでも世界から、戦乱が消えることはなかった。
どこまで戦っても、完全なる平穏などは訪れない。
自分が人間兵器である限り、それは続くと分かっていた。だから勇者世界を後にしたのだ。
桜盛はもう、勇者としては動かない。
手の届く範囲で、しっかりと身内を守っていく。
だがそのために必要なのは、力のない身内を守る、世の中のシステムだ。
日本という平和な国であれば、ある程度の注意さえしておけば、それなりに平穏に暮らせるはず。
この平和の価値を、分かっている人間が意外と少ないことは、桜盛も帰還後に気がついたことだ。
(こんな事件があると、日本の安全神話も崩れるよな)
とは言っても桜盛は既に、殺人や強姦の現場には立会いかけているし、既に人殺しもしているのだが。
勇者世界の殺伐さに慣れすぎているせいで、その程度はたいしたことがないと思ってしまう。
これは立派な病気であろう。
出来るだけ使わないと決めていた、神様の与えた質問権。
だが最低限の目的を達成するためには、躊躇なく使う。
大きすぎる力は、自分の好きなように使えばいい。
制御するという意識は、基本的に桜盛にはない。
何度かの質問を重ねて、おおよそはこの事件の背景も分かった。
普通ならばダンボールに隠れたり、通気口を移動しながら、犯人たちの目的を探っていくのが物語だろう。
だが最強すぎる勇者は、効率を第一に考える。
そして人質の無事と、自分の身バレに関しては、後者の方を重要視する。
成美は必ず助けるし、なんならエレナまではついでに助けてもいいが、あとは別に知り合いでもない。
地球の反対で戦争で人が死ぬのなら、日本人が国内で死んだとしても、さほどの変わりはないだろう。
極端すぎる結論にたどり着く桜盛は、やはりサイコパスにしか見えないだろう。
ただ、どうにも不自然な点というか、おそらく犯行グループも主犯一人しか知らないことが、まだ残っていると思うのだ。
そのために正面から乗り込んで、圧倒的な力で制圧、という手段が取れない。
(やっぱりいるよな)
桜盛の感知に、わずかながら魔力の反応がある。
そしてそれはホールとは離れた、臨海部になのである。
魔力を使った、なんらかの工作。
だからこそこんな大部隊が、見つからずに侵入することに成功したのだろうか。
(それでも人質を取ってはいるのか)
桜盛からすると、多すぎる人質というのは、むしろ管理が難しい。
勇者世界ではだいたい、兵士というのは平民が多かったので、そのまま労役だけを課して、期間が経過すれば無事に帰す、ということもあった。
だが地球におけるこういった人質は、果たしてどうするのか。
(ていうか、こういう形の犯行グループって、過去にいたのかな)
移動しながら接触した犯人を、あっさりと無力化するのは、さほど難しくない。
まずは音を遮断する魔法を使って、銃声さえ響かせないようにすれば、犯人たちも気づかないのだ。
あとは首を折って、見えないところに片付ける。
そして桜盛は、固定電話を使って、警察への情報提供を開始するのであった。
犯行グループの装備を見て、さすがに歯向かおうという人間は出てこない。
オタクの妄想の一つの中に、テロリストが学校を占拠した中、自分が主人公となってダイ・ハードばりに犯人を倒していく、というものがあるらしい。
もちろんそんなことは、普通の学生はおろか、鍛えられた軍人でさえ難しいものだ。
実際にこの状況でも、動く者など一人もいない。
なにしろ犯人たちの装備が、あまりにも重武装であるからだ。
これがせめて一人だけであるならば、命知らずのオタクどもが、あるいは協力して取り押さえたかもしれない。
アイドルのファンなどの中には、意外と屈強な人間もいたりするのだ。
だが自動小銃で武装した相手となると、さすがにそれはありえない。
そもそも30人もいるならば、一人が銃を乱射しただけで、死者はどんどんと出てくる。
自分の命は張れても、他人の命は張れないだろう。
そういう言い訳もつくので、やはり誰も動けないのだ。
中心人物らしい男が、ステージに上がってきていた。
有希はそれに対し、メンバーを背後に庇うようにする。
震える体は、もうどうしようもない。
あの持っている銃で撃たれれば、普通に死んでしまうのだ。
そういう知識だけは、無駄に持っている有希である。もちろん本当は無駄ではなく、どんなことにでも興味を持っていることは悪くはない。
リーダーと思われる人物から、周囲の人間に指示がされる。
(日本語じゃない!? たぶん……朝鮮語?)
芸能界にいればある程度、朝鮮語とは関わることがある。
たださすがに意味までははっきりと分からない。
マネージャーの中には分かる者もいるのかもしれないが。
日本人ではない構成員がいる。あるいはリーダーさえも、日本語がネイティブに使える外国人なのか。
(いくらなんでも韓国人がこんな……あ、でも韓国なら徴兵されてるから)
一応は西側に属している韓国が、日本相手にこういう手段は取らないと思う。
ならば同じ朝鮮語でも、北朝鮮という線か。
北朝鮮は日本にとっての仮想敵国の一つであるが、それよりも民間で有名なのは、拉致被害者の件だろうか。
ただ北朝鮮から東京までやってくるのには、船では随分と遠回りになる。
もっとも外見上は同じ東アジア系であるので、比較的日本人と紛れやすい。
移動は他の手段を使って、この近くで武装したというなら、まだ話は分かる。
(外はどうなってるんだろう?)
警戒している有希であるが、ホールの外にも警備員はいたはずだ。
あるいは既に、ということは充分に考えられる。
そんな有希に対して、ゴーグルをしたリーダーが語りかける。
「心配しなくていい。上手くすれば、ここにいる者は誰も死ななくて済む」
口元もマスクで見えず、完全の防弾と思われるジャケットを着ている。
聞こえてくる声は優しげにも思えたが、どうにも冷たく感じもした。
「我々は日本への亡命を希望するのみだ」
有希は直感的に、それが嘘だと看破していた。
この場にいる者だけなら、その要求は無謀だとは思わなかったかもしれない。
ほとんどが顔を隠しているが、おそらく東アジア系の人間で、朝鮮語らしきものを使う。
北朝鮮からの亡命者は、毎年韓国に対しては、かなりの数がいる。
元々母国語が朝鮮語であるため、本来ならそちらで暮らしやすいはずだ。
だが北朝鮮からの亡命は、政治的な亡命であるため、場合によっては日本も受け入れる。
そう、前例自体はあるのだ。
わずかな安堵感が、その言葉を聴いた人間の間には広がったかもしれない。
だがもちろんと言うべきか、それを信じない人間もいる。
有希もまたその一人だ。
疑問点は色々と浮かぶものである。
まず第一には、なぜ日本なのかというものだ。
日本語を話すリーダーらしき男はともかく、他は話せないというなら、韓国の方が暮らしやすいだろう。
(そうでもないのかな)
日本の場合は政治亡命であると、ある程度の融通を利かせてくれる。
それにこんなに大量の、おそらくは軍人の亡命であれば、同盟国アメリカも関係してくるかもしれない。
しかし他の疑問点は、なぜこんな手段を取るのかということ。
わざわざ武装して、人質まで取って。
(普通の亡命ではなく、特別待遇を求める? あるいは他の意図が……)
有希は彼女が自分自身で思っているより、ずっと賢い人間だった。
でなければいくら実家の背景があったとしても、芸能界でここまで上り詰めることは出来ない。
そもそも北朝鮮から、こんなに一斉に移動が出来るのか。
また移動が出来たとしても、どうやってこんなに銃器を揃えたのか。
言葉をそのまま信じるには、事象があまりにもおかしすぎる。
だが本当に言葉通りなら、ここから長い交渉はあるかもしれないが、被害者は出ずに済むかもしれない。
もっともそれが長引けば長引くほど、食事や水、あるいはトイレに睡眠など、様々な問題が起こってくるだろう。
自分やエレナのように、政治家の子女が人質の中にいるというのも、問題の一つになるだろう。
1500人もの人質がいれば、それは政権が亡命者グループに譲歩する言い訳にもなる。
マスコミとしても人命至上と言いながら、左寄りの勢力には甘い。
この政治的亡命は、成功するのではと、有希も思う。
思うがゆえに逆に、何かがおかしいとも思う。
リーダーがゴーグルを外し、その目元だけを見せた。
別に有希に視線を向けたわけではないが、その目元には見覚えがあった。
(え? こんなテロリストもどきに、知り合い? でもそれなら……)
有希は人の顔を憶えるのに、かなりの自信を持っていた。
それが頭の中のデータと一致する。
(そんな……)
もしもこれが本当に正しければ。
(とんでもないことになる)
そしてそれは有希はおろか、他の誰にも止められないことだと思えたのだ。
ホール内の人質に対しては、宣言を行った犯行グループ。
ただし外部に対する声明は、まだ出していない。
しかしながら警察のみならず政府は、それなりにしっかりと対応をしていた。
桜盛だけではなく、犯行グループのメンバーが、銃器を持って周囲を警戒しているのは、遠方からもしっかりと見える。
本格的な武装グループの装備を考えて、周囲数kmを避難範囲として指定する。
現状の時点では、まだどれほどの脅威なのか認定することは出来ない。
だが正規軍隊の完全武装のような人間が、50人ほどもいるという情報。
携帯が使えないので、桜盛は無線ではなく、固定電話から警察の指定した電話番号に連絡を入れていた。
固定電話であっても、物によっては短距離の電波さえ、つなgらなくなっていたりしたが。
やはり最後は有線なのか。
ただ警察無線の方は、受け取る方は有効活用していた。
武装グループの方も、お互いにはトランシーバーを使って連絡をしている。
つまり携帯電話の電波のみを、ジャミングする方法があるというわけだ。
桜盛はこちらの戦争に関しては、それほど詳しくもない。
だが確かに電波の周波数もあるし、そういったジャミングは可能なのである。
そして桜盛は動き回りながら、二人一組という犯人グループを片付けていった。
果たして殺してしまうことが、正解であるのかどうかは分からない。
だが簡単に人を殺傷してしまえる武器を持っている犯人を、ただ気絶させるだけというのも論外だ。
手足を全て骨を折っておくかとも思ったが、それをするとそんな余裕を持っている人間の存在が明らかになる。
なので一番簡単な手段を考えた。
人質を取っていたのでは、それを食わしていく必要もあるし、監視の必要もある。
拘束しているだけでも、桜盛一人の手には余る。
後に下手な証言が洩れることも考えれば、殺しておくのが一番だ。
テロリストは皆殺しだ。ゴブリンのようなものである。
単純なテロリストでないらしいところが、また難しいところなのだが。
人質の取られたホールから半径6km以内は、一般人の退避が行われている。
茜はその中で誘導を手伝っているわけだが、本来の職務とは違うのではと思わないでもない。
組織犯罪対策と言っても、その対象は様々である。
茜の場合は特に、暴力団などの反社会グループの、銃器や薬物犯罪が担当。
ただしその内容が、詐欺などの知能犯に及ぶ場合は、部署が合同で捜査をしたりもする。
一応は着替えた茜は、警察手帳を片手に機動隊の到着から、市民の誘導までを行う。
だがそこから呼ばれて、本庁ではなく警察庁と連絡を取ることになった。
このあたりまで離れれば、電波妨害もないらしい。
「50人!?」
完全武装の犯人グループの人数は、茜ならずとも驚くところである。
それはもはや機動隊ですらなく、自衛隊の出番ではないのか。
『6人は片付けて、あと3人殺されてるのを見つけた』
「死者が出てるの……」
『私がやったのではないよ』
「それは分かってるわよ!」
警察をやっていると、悲劇に対して感情が磨耗していくことがある。
それでも殺人事件というのは、特に大変なものなのだ。
もちろん他の事件も、大きな傷をずっと、被害者には与えていく。
それは一生残るようなものでもあったりするが、それでも取り返しのつかない殺人とは、一線を画していると思うのだ。
最強の暗殺兵器である桜盛は、武装グループの人質への宣言もしっかりと聞いていた。
それを伝えたところ、電話の向こうで茜たちが、溜息をつくのが分かった。
『悪いけど外国語で何を話してるのかは分からなかった。英語の系統じゃなかったと思うけど、中国語とか朝鮮語に聞こえた』
そう桜盛が伝えたことで、桜盛の前歴についても、ある程度は候補が絞れてくるのだが、最終的には分からないはずだ。
しかし桜盛としても、どうにも分からないことがある。
「殺人までして人質とって、それで亡命希望って通るのかね?」
『通らないわよ! ……通らないわよね?』
電話の向こうで茜が、周囲に確認などをしていたりする。
昔のハイジャック犯が北朝鮮に亡命した話などは、桜盛もわずかに知っていたりする。
だが日本への亡命を望んで、人を殺して通じると思っているのか。
通じないと思うのだが、交渉するのが警察か内閣かは知らないが、それは普通ならまだ、死者が出ていることは分かっていないだろう。
犯人たちはまだ外部に向かっては、何も宣言していない。
そして宣言してからが、ようやく交渉の相手が決まって、実際に交渉することになる。
桜盛はこんな大事件は見たことがないが、果たしてその間に、人質の食事や水はどうするのか。
水は最悪、水道が止まってはいないので、洗面台などからどうにか出来るのか。
しかしトイレなども、まさか垂れ流しにさせるわけにはいかないだろう。
勇者世界では普通に、餓死や垂れ流しもあるのが、籠城戦というものであったが。
状況がしばし停滞する。
桜盛はそれを理解して、他に気になることの解決を考える。
武装グループの思惑が、下っ端と幹部、そしてリーダーでは違うような気がする。
また武装グループの装備に対して、最初の爆発はなんであったのか。
(俺にしか出来ないことを、先にやっておくか)
つまり、勇者の仕事である。
この武装グループがどうやって、最低限の人目にしかつかず、こんな大型施設の中にまで来れたのか。
またもしも退却するとしたら、どうやって逃げ出すのか。
そして警察でも軍隊でも、おそらくは対処出来ないこと。
魔法の関係したことは、桜盛だけが解決できる。
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