三章 勇者を探せ!

第40話 ストレスの日々

 スローライフとストレスフリーは違う。

 だいたい日本人はスローライフを想像する時、田舎の暮らしを想像してしまうらしい。

 だが実際のところ、田舎の暮らしなどは不便でしかない。

 本当のスローライフというのは、悠々自適な生活を送ることにある。

 そのために健康を保つことは重要で、確かに田舎であれば動き回る機会も多いだろう。

 不便さを許容して、果たしてそれはスローライフと言えるのだろうか。

 また田舎であると、人間関係が煩雑であるということもある。

 桜盛には田舎などないが、勇者世界の閉鎖的な村は、たとえ勇者でもよそ者には厳しかった。

 まあ魔物を倒した後にはしっかり祭りをしてくれたので、そこはいい思い出になっているのだが。

 でもその肉、提供したの俺だよね、ということは後になってから気がついたものである。


 そんなわけで桜盛は、スローライフに入っている。

 正直なところ色々と手を出したくなる細かい事件はあって、それに関することを自粛しているため、ストレスフリーにはなっていない。

 だが先日のタワマン事件で、桜盛はかなりあからさまな動きをした。

 本当に保身だけを考えるなら、蓮花だけを救出して、あとはマンションの部屋全体を、消毒してしまうべきだったのだ。

 勇者世界のマインドであれば、そうしたであろう。

 しかし実際には警察に任せたのは、日本の意識に戻ってきているのを感じている。


 本当に保身を考えるなら、蓮花すら見捨てるべきであったのだろう。

 だがそれは桜盛にとって、ストレスフリーな生活からは、とんでもなく遠いものだ。

(警察がどれだけ諸々の事件と結びつけて考えるかな……)

 一応質問権で確認はしているのだが、一人だけで管理している情報が多いのか、桜盛に対する手がどう伸びているか、はっきりと分からない。

 ただ警察としては、桜盛が鉄山と関わっていることは分かっている。

 あとは果たして今回のタワマン事件において、蓮花があの現場にいたことが、どれだけ分かっているか。


 出るときはしっかりとカメラを破壊していたが、入るときはどうしていたのだろう。

 そもそもあんなにも人が一つの部屋に集まっていることを、管理会社はどう考えていたのか。

 事件の後にはタワマン内で、ドラッグパーティーが開かれていたことは公にされた。

 詳細を追ってみれば、覚醒剤が使われていて、その量から入手先などを調査しているということもニュースになっていた。

 警察としてはあの現場から唯一逃れている、蓮花について調べがついているのだろうか。




「最近おとなしいと思ったら、そんなことを考えてたのか」

 今日も月見酒をきめている鉄山に、桜盛は白湯で応じていた。

「もう好き放題やってもいいんじゃないか?」

「それをやると、よりめんどくさくなるから」

 桜盛にはそれが分かっている。力に対して人々は期待し、しかし全てには手が回らないため、失望も伝わってくるのだ。

 ただ失望の声を上げる人間に、周囲の人間が圧力をかけて黙らせるという光景は、もう二度と見たいものでもない。


 大きな力を持つ者には、それを制御する義務がある。

 これは主に権力者に向けられた言葉のはずであるが、桜盛の持つ大きな力は、圧倒的に巨大な暴力だ。

 好き放題に使うと決めたが、現在の日本は監視社会すぎる。

 それに本当に好き放題に使ったら、桜盛は人類の敵、まさに魔王一直線だ。


 本当なら警察や自衛隊の力を借りて、BCG兵器への耐性なども調べておきたかった。

 一応健康診断などについては、実家の病院で誤魔化してもらえば、それで問題ないとは思っている。

 ただ現在の桜盛の血液が、どういった状態であるのか。

 それについては調べてみたいと思ってはいるのだ。

(神様の雑さは、もう分かってることだしなあ)

 お願い神様、などとは思わない桜盛である。


 自分は勇者世界にいた頃より、弱くなっているな、と桜盛は感じていた。

 それは弱さではなく、人間らしさを取り戻しているのだ、とも言えるが。

 相手を倒すために、他の全てを捨てられる強さ。

 周囲もまた、そのような価値観で一体になっていた。

 だがここはそのような、鮮血に塗れた世界ではない。

 この世界各地で起こっている紛争と比べても、勇者世界は殺伐としていた。

 人間の命が、家畜よりも軽い世界であったのだから。


 とりあえず鉄山には、しばし海外に身を隠したと伝えてもらうことにする。

 それが嘘だと思っていても、鉄山はどのみち桜盛の正体を知らない。

 うすうす気づかれているかもしれないが、確信を得てはいないはずだ。

 鉄山から情報が洩れることは、まずないとは思う。

 ただ人間は大切なものに優先順位をつけるものだ。

 なのであらかじめ、出来るだけ情報の拡散は防いでおくのである。


 しばらくはおとなしくしておこう。

 もうすぐ夏休みであるのだし、その前にはテストもある。

 ただ、ダンス部の方は、果たしてどうしたものだろうか。




 あの日、意識が朦朧としていた蓮花は、確かに桜盛の名を呼んでいた。

 ほんのわずかにではあるが、桜盛の気配を感じたということであろうか。

 確かに蓮花には、わずかではあるが魔力を感じることはある。

 ただそれは、蓮花に限ったことではない。

 志保にもややあるし、あとは有希にもある。

 玉蘭になどは逆に、普段はそれを上手く隠している。


 桜盛の正体と言うなら、あの演習の時の、戦闘に参加しなかった女が問題だ。

 さっと見た感じではあったが、目の辺りに特に魔力が集中していた。

 話していた通りに、魔眼持ちであったのは間違いない。魔眼持ちは一般人の中にも、突発的に発生するものだ。地球の常識は知らないが。

 魔眼は様々な種類があるが、果たしてどれほどのものであったか。

 桜盛の魔力は強すぎて、おそらく呪詛の力などは全く通らなかった。

 魅了された感覚も全くない。


 ただ魔眼の力で姿が二重に見えた、などと言っていた気はする。

 透視能力にまで優れていれば、あるいは桜盛の今の姿も分かったかもしれない。

 なのでしばらくは、警察との接触は避けておく。

 国内にいないと思われれば、桜盛を探すのにそれほどの手間はかけないと考えたい。

 五十嵐か、その上が判断するのかは分からないが、桜盛はこれまで社会的な害になる行動はしていない。

 ただ法律に反することなら、いくらでもしているが。


 消極的だな、と自分でも思う。

 これが勇者世界なら、上の幹部まで含め、全て勇者ビンタで言うことをきかせたものだ。

 だが民主主義国家の日本としては、政治家であっても全ては歯車に過ぎない。

 下手に手を出したりはしたくない、というのも本当のところなのだ。

 ただ暴力への耐性は薄そうなので、いざとなれば本当に勇者ビンタを食らわせる必要があるかもしれないが。


 おそらくキーとなる人物は、あの五十嵐という男だ。

 組織の歯車ではあるが、同時になかなか見つからないタイプの歯車。

 彼を調べて弱みを握り、こちらが有利な条件で、関係を維持したい。

「夏休みはイベントも色々あるからなあ」

 呟きながら部活にやってきた桜盛は、蓮花と顔を合わせる。

 ここのところ、無言でこちらを見つめることが、多くなっている蓮花である。

(女の勘かなあ)

 とにかく理不尽に鋭いことは、女にとっての特徴と言うべきか。

 逆に男が鈍すぎるのだ、という話でもあったりする。




 蓮花は吊り橋症候群であっという間に恋に落ちるほど、安易な性格はしていなかった。

 助けてもらったのはありがたいが、それよりは自分の油断に怒るタイプである。

 そしてその感情は、放課後の部活動にも表れていた。


 普段はのんきな顔を見せて、後輩の指導にも強く当たることなどはない。

 自身はいくらでも高い技術を見せられるが、学校ではあくまで練習、というのがこれまでの彼女であった。

 しかしここのところ、踊る彼女の姿には、鬼気迫るものがある。

 それは感情を爆発させるもので、確かに目を引くものだ。

 ただ、見ていて怖い、という感想が出るのも当たり前のことだろう。


 蓮花の踊る動きには、殺意がある。

 抵抗できなかった自分への怒り、犯人への怒りを、そのままに発散させているのだろう。

 それを何度か繰り返せば、いつも通りの精密で基礎を重視した動きに戻る。

 感情の起伏は大きいが、それをちゃんとコントロール出来ている。

(ただ本当に怒ったら、やっぱり怖いんだろうな)

 桜盛としては自分も改めて、ダンスの基礎的な技術を練習していたりする。


 ダンス部には本当の意味での引退というものがない。

 強いて言えば卒業こそが、部の引退ではあるのだろうが。

 一応高校生向けのダンスの大会などは、ちゃんとあることはある。

 だがそれが終わっても、夏などはダンスのイベントがあちこちで行われる。


 基本的にアマチュアのダンスというのは、高校生や大学生が中心で、中学生もいたりする。

 しかしアマチュアであるといっても、プロの世界に関わっていくことは少なくない。

 この学校では蓮花だけは、レベルの高いイベントに出るだけの力がある。

 夏休み中もそういったものに参加していくのだろう。


 他の三年生は、少しずつ顔を見せるのが少なくなっていく。

 考えればボンボン向けであるとは言え、普通に大学進学する者もいるのだ。

 まともに勉強する者もいれば、エスカレーター式に大学に進む者もいる。

 また推薦などで進学する者もいるので、受験シーズンでも三年生はある程度ゆるいのだ。

(蓮花ちゃんはそのへん、どうするのかな)

 実家である大阪に帰るのか、それともこのまま東京に残るのか。




 この間は質問権も行使して、反社組織を一つ丸ごと潰した。

 半グレなどを参加にしていた、以前にはヤクザであった組織である。

 暴対法が出来てからこっち、ヤクザの家業は締め付けられるばかり。

 逆に以前よりもその手口は、反社会的なものになっているという皮肉はあるらしい。


 鉄山などの年齢からすると、ヤクザというのが間違いなく、町の治安を維持していた頃はあったのだという。

 第二次大戦後にはむしろ、互助会的な機能を持っていた。

 治安の崩壊していた戦後においては、むしろそれは必要なもので、戦後の警察がまだ未成熟であった頃には、必要な存在であったのだ。

 ただ今は、その時のコネクションなどを活かして、合法化するのが中小の団体では多かった。

 蓮花も言っていたが、今でも地域のヤンキー共を社会に組み入れるのに、元ヤクザの企業は役立っているのだという。

 しかしそれも、暴力に慣れた世代がいなくなれば、機能しなくなるだろうと鉄山は言っていた。


 桜盛の潰した組織も、一応はフロント企業として合法化した会社であった。

 だがその背景に存在するのは、過去に連なってきた暴力である。

 蓮花が東京に世話になっているのに、その蓮花を世話出来ていなかったとなると、東京の元ヤクザの会社は面目が丸つぶれになる。

 合法化したと言っても、面子が重要であるあたりは、ヤクザであるとも言えるが、別に完全に合法の企業であっても、企業イメージと言葉を変えるなら、これは重要なことである。


 面倒なことにこういった、違法ではないが半グレどものケツ持ちをしている反社組織というのは存在する。

 そしてそれを物理的に壊滅させても、埋める組織が出てきたりする。

 昨今の半グレ集団は、特殊詐欺などの収入が増えているらしい。

 いわゆる知的犯罪に関しては、詐欺の方法を潰しても潰しても出てくるのだとか。

 桜盛としてもこれを、見かけるたびに叩き潰すのは、とんでもなく労力のかかることである。


 また反社ではなく、合法的に行政とつるんで、資金を引っ張ってくる例がある。

 一時期話題になった、ヤクザのシノギの一つには、貧困ビジネスというものがあった。

 あれをもっと分かりやすく、NPOなどが行政と組んで、資金を獲得しているという例がある。

 これは主に、弱者の味方という顔を昔からしていた、野党が強かったりする。

 日本で生きていく上で、どういった対応をすればいいのか、世の中の仕組みを調べれば調べるほど、叩き潰すべき組織は大量に出てくる。

 そもそも政党がらみでほとんど詐欺のようなことをやっていたり、後援団体に怪しいものがあったりする。

 だがそれを全て叩き潰していては、日本という国家は機能不全に陥るだろう。

 末端を潰していくしか、出来ることがない。

 どこを潰せば効果的なのか、桜盛には分からないのだ。




 今日もニュースで凶悪事件や、組織犯罪の報道がなされている。

 そんな中で桜盛が思うのは、個人の犯罪などは注意喚起以外には、さほど突っ込んで放送する意味などないのでは、ということだ。

 マスコミが追求すべきは、組織犯罪と政治家の汚職。

 それこそが日本全体を監視する、第四の権力とも言うべきマスコミの仕事ではないかと思うのだ。


 だが実際に話題になるのは、有名人のゴシップなどの方が多い。

 ただあまりに政府や行政の問題があふれれば、国内の治安も悪くなるのでは、という思いだ。

(これはこれで、デストピアなのかなあ)

 桜盛のように、いざとなれば身一つでどうにかなる、という人間にとっては、メリットの方が大きい。

 しかし一般人であれば、この国家が崩壊してしまえば、一気に生存の難しい状況となる。


 無政府状態よりは、腐敗していても社会秩序が保たれていた方がマシ。

 また日本はこれだけ腐敗していても、他の国家よりはマシなのだろうな、とも思う。

 巧妙な手段によって、おそらく日本以外のどの国であっても、利権は回っている。

 こういった状態にしてしまったことは、日本人の国民の責任であろう。

 選挙の投票率が、それを示していると思うのだ。


 世界全体が、ある一定の秩序の中で保たれていては、勇者の力で世界を救うことは出来ない。

 やはり気になった部分を、とにかく潰していくしかない。

 そんな正義の味方の行動など、桜盛は望んでいなかったはずなのだが。

(マンガ見て、友達と遊んで、飢えることなく柔らかいベッドで眠る、か)

 世界の歪みに目を閉じていれば、生きていくのはそれほど難しくはない。

(いや、そうじゃねえだろ!)

 桜盛はのんびりとしていたが、ようやく思い出した。

 自分はモテるために、この地球に戻ってきたのだと。


 とりあえずテストを終えれば、じきに夏休みがやってくる。

 どこかに旅行にでも行こうかなと考える桜盛であるが、一人旅というのは寂しい。

 勇者世界でも旅というか移動は多かったが、単独行は少なかった。

 夏の出会いを夢想する桜盛は、いまだにモテの真髄には近づいていなかったのである。

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