第41話 夏が来る

「あのさ~、茜ちゃん」

「なんでしょう、高橋部長」

「ユージの正体追っている俺らって、善か悪かどちらだと思う?」

「はあ? どっちでもないでしょう」

 このたび急な配置転換で、茜は警視庁組織犯罪対策部から、同じ警視庁ながら公安部への移動となっていた。

 そして公安部の中でも、公安第四課第3係である。


 この課は基本的に、資料や統計を扱っている、頭脳労働の課である。

 ただ茜は公安第四課に、第3係などというものがあるのを知らなかった。

「存在しないはずの部署って、なんだかマンガみたい……」

 それが茜の第一声であったが、基本的には前の組織犯罪対策部に在籍扱いになっているらしい。


 この係は普段は、基本的に給料泥棒である。

 いや、ちゃんと他の係の手伝いはしているし、特殊技能持ちばかりなので、訓練などをしっかりとはしているのだが。

 あと出張が多いとも聞いていて、まだ全ての人員と顔を合わせていないと言うか、そもそも普段はここにはいない人員も多いのだとか。

 いざという時のために存在しているのだが、災害救助などの方での活躍が多い自衛隊に、なんだか似ている気もする。

「自衛隊の中にも、出向して在籍してたりするよ?」

「え、うちの会社ってどうなってるんですか?」

 警察官は警察のことを、会社と言ったりする。基本的な隠語である。


 現在の係がやっているのは、相変わらず桜盛の情報評価である。

 あの富士演習の日から、そろそろ一ヶ月が経過しているが、あちらからの連絡はない。

 こちらから桂木鉄山に連絡を取ったところ、しばらく海外に潜伏するとの答えであった。

 嘘であろう。

 だがどこに潜伏しているかは、本当に知らない可能性が高い。

 任意で話を聞こうにも、相手は老人でしかも別に犯罪者ではない。

 そもそも桜盛も、犯罪者ではないのだ。


 茜は桜盛の犯罪行為を見ていたが、現行犯逮捕など出来なかった。

 そもそもあれは相手が拳銃などを持っていたので、正当防衛が成立する可能性が高い。

 下手にこちらから犯罪者として扱えば、いったいどういうことになるやら。 

 茜は女性警察官特別機動隊で、男の機動隊員の制圧を、数人がかりでやろうとしたことがある。

 しかし三人がかりでも、男の機動隊員一人には勝てなかった。

 そんな機動隊員相手でも、桜盛は簡単に勝ってしまうと思う。

 一撃必殺で相手を殺してしまうあたり、打撃系の武術をやっていたのだろう。

 ただアレは本当に、武道ではなく武術だ。

 制圧ではなく、完全に殺すための技術。

 もっとも茜にはまだ、桜盛の見せた戦闘力は、共有されていない。




 公安第四課第3係の係長である五十嵐は、久しぶりの大きな案件だなと考えている。

 おそらく自分が扱ってきたどの案件よりも、これは大きなものとなる。

 下手をすれば警察の戦力が全滅することすら、考えないといけないだろう。

 もっとも彼個人としては、もう桜盛には積極的に、こちらから関わろうとはしない方がいいだろうと思っている。


 演習で対戦した、特殊作戦群に加え、日本が国家的に抱えている能力者。

 その両方が圧倒されて、全く傷つけることなく敗北していた。

 ただ特殊作戦群の方からは、むしろ実弾でなかった方が、戦いやすかったかも、と負け惜しみ気味には言われている。

 確かに戦力的には、まだ日本には強力な能力者が残っている。

 しかしそこまでを出して、桜盛の力を計る必要があるのか。


 今は海外に行っている、というのが嘘だとしても、この最近で日本に戻ってきたというのは嘘ではないはずだ。

 ならば日本に住みにくくなれば、また海外に拠点を移すことも出来るだろう。

 金のインゴットなどを持っていたのだし、財産に余裕はあると考えていい。

 国家の公務員として縛るにも、おそらく金では動かない。

 だがこれまでの動きを見ていると、自然に放置していても、問題はないのではないか、とも思える。

 例のタワマン事件がなければ、それで上を説得できたと思うのだ。


 移動速度からして、あれは桜盛の仕業であると、普通に五十嵐たちには推測できた。

 急に予定を変更して、あの現場に向かったのだ。

 現場の様子から見ても、ドアを曲げて開閉できないようにする怪力など、一般人では無理だ。

 そんな彼が、一人の少女を助けて、現場を後にしたらしい。


 薬物なども見つかっているため、捜査は主に組織犯罪対策部と、あとは未成年がいたことから、生活安全部に刑事部など、部署をまたいで捜査が行われている。

 その中で3係も、その場で行われるはずであった、他の一つの犯罪に注目している。

 ドラッグとセックスの乱交現場ではあったが、同時に薬物を打たれて連れ込まれた、一人の少女がいたのだ。

 それがまたきな臭いことに、大阪の恩田組という不動産屋や建築などをやっている、ヤクザから上手く転身した会社の娘であるという。

 現在のヤクザではなく、恩田組も確かに古くからのつながりは土地に持っているが、基本的に違法な会社ではない。

 ただ社長の娘が東京の、ボンボン学校に通学しているというのを、身柄を浚われたのだ。




 恩田蓮花が、桜盛の救助対象であったことは分かっている。

 その後に東京の反社組織が一つ、物理的に襲撃されて、違法な取引などの証拠を押収したが、そこと敵対していたのが、東京の資産家である。

 これまた不動産や建築で身を立てているが、元はヤクザという家系である。

「つまりユージは、桂木グループと共に、恩田組とも関係があると?」

「恩田組が預かってもらっている、東京の会社の方かもしれませんが」

 暴対法に伴って廃業したヤクザは、基本的にいいヤクザである。

 今でもテキヤなどには手を出してはいるらしいが、基本的にはあくどいことはしていない。


 マンガでしか存在しない「いいヤクザ」というのは現実では、既にもうヤクザではない。

 なので色眼鏡で見てはいけないのだが、それでもヤクザ時代の付き合いから、色々な組織に伝手はあったりする。

「桂木グループも、傘下の警備会社には、元はヤクザだったところを取り込んでるんですね」

 茜の報告を聞きながら、考えるのは五十嵐と高橋のみ。

 他のメンバーは基本的に、全員が待機というのが3係である。

(やべー部署に入ってしまった)

 茜は頭を抱えたくなるが、もう遅い。


 基本的に桜盛については、あまり追求しない方向でいきたいな、と五十嵐は言って茜も安心した。

 命の恩人ではあるし、処理の仕方は過激であるが、基本的には善人の類だと思っている。

「まあこの仕事してたら、犯罪者よりもあくどいことをしたりするからねえ」

 高橋はそう言っていて、反論出来ない茜である。


 ここから桂木会長に話を聞くのは、おそらくもう無理だろう。

 なので蓮花から話を聞いて、対応はもうそこで止めておきたい。

 特選群のような化物や、それをも上回る能力者を、たやすく倒してしまうほどの戦力。

 生身の人間であれば、銃を持っていても全く歯が立たない。

「しかしそれで、上は納得するんですか?」

「納得させるのが俺の仕事だからね」

 五十嵐は昼行灯のようにふやけた表情を見せたが、その目が笑っていないことに、茜はしっかりと気づいていた。




 桜盛の善悪の基準は、世間の善悪の基準とはずれる。

 また誰にも被害がない場合、そして誰にも見つからなければ、法律は犯してもいいものという認識がある。

 それ以前の問題として、法律を遵守するという気持ちがさらさらない。

 まず重要なのは生き延びることで、そんな勇者世界の常識は、いまだに持っている。

 この平和な日本社会では、自分一人の身を守るためなら、特に気をつけることもないかな、とも思っている。

 ただ下手をすると超人的な身体能力を発揮して、事故などを防いでしまうこともあるだろう。


 今から思うと、体育の授業などでも、もっと気をつけるべきであった。

 あの頃はそもそも、こんなに派手なことをするつもりではなかったので、後悔先に立たずともいう。

 目立たずにひっそりと生きていく。

 勇者世界の力が失われていれば、否応なくそういった生き方になっていたのだろう。

 だが自分の周囲の世界を、ちょっとずつ変えていく。そんな力を持っていれば、人間は使わずにはいられない。

 そもそも桜盛がこれまでやってきたことは、法律には違反しているが、人道にはさほど違反していないと思う。罰としてはちょっと厳しいものが多かっただろうが。


 自分がやればあっさりと解決するのに、自分が前に出ることは憚られる。

 これはそれなりにストレスがたまることであった。

 蓮花のように、ダンスでそれを発散するほど、桜盛はまだ熟達していない。

 夏休み前にテストがあって、その間はダンス部も休みであった。

 強化された知力を使って、かなり成績は上げられたと思っていいだろう。

 だが桜盛は、もうちょっと先を考え始めている。

 ダンス部の三年生が言っていたように、いずれ進路選択というのは訪れるのだ。

 とりあえず医者への道をこのまま進むか、あるいは他の選択をするかだけでも、決めておかなければいけないだろう。


 勇者としての力で出来ることは多い。

 だがもう、命がけで世界を救おう、などという気持ちは湧いてこない。

 高くなった知力が、普通に入ってくる情報から分析していくと、今の世界の危機というのは、ほとんどが社会問題だと思う。

 核兵器のような現実的な脅威もあるが、ほとんどは勇者の力では、せいぜい対症療法にしかならないものだ。

 また医者のような役割をするなら、勇者の治癒魔法や解毒魔法を使った方が、救急医療には適格に対処出来るだろう。

 その意味でも医者という進路は、桜盛には微妙なものとなってしまっているのだ。




 毎日ダンス部に顔を出すわけではなく、今日は放課後の図書室を訪れる。

 志保はそこにいて、最近は少し機嫌がいい。

 桜盛があまりダンス部に顔を出しすぎないからだろうか。

 それでも活動日には顔を出しているのだが、以前は蓮花がいれば、活動日でなくても顔を出していたので。


 桜盛が明確に、自分に好意を持っているよな、と判断出来るのは志保だけである。

 少なくとも友達以上、と言えるかは微妙だが。

 なにしろ志保は、かつての呪いの影響もあってか、友達らしい友達がいない。

 悲しいことだが事実である。これは正直なんとかしてやりたい。

 桜盛に対する好意も、単純な友情の延長線上にあると言うか、他に親しい人間がいないので、距離感がおかしい可能性もあるのだ。

 ちょっと押せば押し倒せそうな気もするが、なんとなくあの女神を思い出してしまうところがある。

 この年頃の女の子というのは、大なり小なりそういうところがあるのだと、桜盛はまだ知らない。


 それはそれとして、間もなく夏休みである。

「テストの結果どうだった」

「ほい」

 一覧を書かれたシートを、無造作に志保に見せる桜盛である。

「う……ほとんど負けてる……」

「え、どれか勝ってるのあるの?」

「国語系だけは勝ってるけど」

「さすがに読書ガールは違うということか」

「そうでも……いや、そうかしら?」


 桜盛の入学直後のテスト結果は、完全に全体の中間であった。

 しかし今回は上位10人に入るという、大躍進を遂げている。

 ただ勇者の知力でそれなりに勉強もしたのだが、まだ上が数人はいる。

 日本の教育による学力というのは、それだけ高いものであるのか。


 それはそうとして、次にある大きなイベントは、夏休みである。

 桜盛としてはこの際、色々と整理しておきたい。

 勇者としてではなく、桜盛としての、これからの人生について。

(しかし世界を救ってからこっち、また悩むことがあるとはなあ)

 だが勇者世界に残ったところで、あの女神に付きまとわれることは決まっていた。

 勇者としての力によって、世界に平穏をもたらそうにも、戦闘力だけではどうにもならないことは、こちらに帰ってきても分かったことだ。


 勇者というのは対魔王、対邪神のための決戦兵器であった。

 他の役割にも使えるが、他の役割は他の者が果たしても良かったのだ。

 この日本に戻ってきて、桜盛は何をするべきなのか。

 モラトリアム期間はあるが、存分に悩むべきであろう。




「え、私の将来の目標?」

 図書室の隅で、桜盛と志保は小声で会話する。

 とりあえず他人を参考にしようかと、桜盛は質問するのだ。

 なお山田君と鈴木君は、あまり参考になる展望を持っていなかった。


 志保は少し考え込んだが、素直に話してくれた。

「個人的には美術館のキュレーターになりたいとも考えたけど、許してもらえないかな」

「ああ、家がお金持ちだと……政略結婚とかある?」

「そこまで露骨じゃないけど、普通にパーティーとかで面識は出来てくるわ」

 やはりガチのお嬢様である。


 以前に桜盛は、桂木グループの資産などについて、少しだけ調べたことがある。

 だがグループ全体として、年間に四兆円の収益を上げているとは書いてあったが、桂木家自体の資産は分からなかったのだ。

 しかしそれでも、このグループが巨大な存在であることは分かった。

 いわゆる財閥と言っても間違いないであろう。


 ただ志保は、個人の趣味と自分に流れる血の力を、正しく認識しているらしい。

「出来ればそういう芸術関連の財団にポジションをもらって、色々と交渉してみたいとは思っているけど」

「そういうのって大学ならどこの学部になるの?」

「経営学部なんでしょうけど、美術の知識はそれだけで得られるわけじゃないし」

 結局のところは海外留学でもしようかな、という話になるらしい。

「あとは将来の目標と言うか、普通に結婚はしたいと思う」

 まあこのボディをもってすれば、だいたいの男は落ちるだろうか?

 いや、これで落ちるようなのは、外見だけを重視する男であるのかもしれない。


「玉木君はどうなの? お医者さんになるっていう話だったけど」

「それがなあ……」

 桜盛としては自分の力が、ある程度の外科医などより、優れていることが分かっている。

 そして自分の力を使えば、普通の人間に出来ないことが出来る。

 病院を継ぐにしても、経営の面から携わるという選択もあるだろう。

 自分は果たして何がしたいのか?




 桜盛が望んだのは、モテであった。

 その即物的な欲求は、確かに今も持っている。

 だが自分がしたかったのは、本当にそれだけであるのか、迷っているところはある。

 どうも神様の与えてくれた力は、一人の女性を射止めるには、過剰であるとも思えるのだ。


 世界史基準でモテを言うなら、ハーレムという存在がある。

 現代においてもモテる男、特に資産家などは、愛人を持っていたりする。

 数々の女を、大学で遊びまわりながら、食い散らかすのもモテであろうか。

 そもそも一人の女性と巡り合いたいのか、それとも不特定多数からモテたいのか、そのあたりも考えが違うであろう。


 今の桜盛にあるのは、財力と暴力である。

 またコネクションについても、鉄山との関わりというものがある。

 警察に対しては微妙な関係だが、こちらの思うようにはある程度誘導できている。

 ただそれは、桜盛の力ではなく、勇者としての力だ。


 桜盛の正体を明かすべきであろうか。

 警察はあそこまでフルボッコにしたのだし、ある程度配慮した上で、戦力となってやるのは別に嫌ではない。

 しかしどうしても、権力と関係を深めるのは、警戒心が優る。

 下手に関わって、向こうが理不尽なことをしてくれば、組織ごと壊滅させてしまう、という選択をしてしまう可能性があるのだ。


 モテとは何か。

 財力のモテ、権力のモテ、そういったモテはあるだろう。

 しかし今の、高校生の桜盛が考えるモテは、そういったものではない。

「夏休みはどうするの?」

 会話がいったん途絶えたと思ったのか、志保がそう質問してくる。

「ダンス部の合宿があるとは聞いてるけど」

 そう説明すると、志保の目が少し細まった。

 彼女はあまりダンス部に対して、いい感情を持ってはいないのは、桜盛の目にも明らかだ。


 嫉妬しているのだろうか。

 ただ嫉妬しているにしても、その嫉妬というのはどういう性質のものなのだろうか。

 頭を悩ませる桜盛であるが、とりあえず夏休みは、もう目の前に迫っているのであった。

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