第42話 お巡りさんがやってきた

 よく見える目を閉じて生きていくのは、案外難しいものである。

 日本での生活が長くなってくると、悲劇に対する耐性が失われていく。

 それは確かに、どこにでもあるもの、なのかもしれない。

 だがそれを解決する力が、自分にはあったりするのだ。


「夏ですなあ、山田氏」

「夏ですよ、鈴木氏」

「お前ら、俺を仲間外れにするの、やめてください」

 女子生徒の制服が、ブレザーを脱ぐ。

 その下の肌着から透けて、下着の形が見えたり、色が見えたりする。

 いや、高校一年生で赤とか黒とか、ちょっと派手じゃね、とは思ったりもするが、エロいのでよし!


 教室内はエアコンがきいているが、廊下などはかなり暑い。

 そしてそんな中を登校してきた女子生徒など、汗が滴って下着が透けるのは珍しくない。

 桜盛は透視の魔法を使う誘惑に、何度も負けそうになる。

 勇者世界では味方の女戦士など、傷の治療時に普通におっぱいなど見てきたではないか!

 やはり桜盛は、弱くなっている。いろんな意味で。


 夏休み、とりあえず桜盛は、ダンス部の合宿には参加するつもりである。

 そしてまたダンスのイベントにも、部内の生徒と一緒に、観戦する側で参加するつもりである。

 こういった時にものを言うのは、やはり軍資金。

 けっこう使ってはいるのだが、最初の600万円は、いまだに残っている。

(バイクの免許でも取ろうかな)

 自分で飛んで行ったほうが、確実に速いのは間違いない。

 しかし誰かに説明がつきやすいように、交通手段の足を確保はしたいのだ。


 それにほら、あれである。

 ヒーローは昔からバイクに乗るとは決まっているではないか。

(300万か。別に高くはないけど、これどうしたんだって言われると……いや、これもアイテムボックスに入れておけばいいか)

 アイテムボックスの検証であるが、あの中は基本的には、真空状態のようである。

 なので空気による劣化風化酸化というのは存在しない。

 もっとも空気が必要なものは、空気も一緒に取り込んで、その中に入れておけばいいだけである。

 そして生物は入れることが出来ない。

 正確には細胞内が動く生物は、入れることが出来ないと言おうか。

 完全に細胞まで死んだ生物は、入れることが出来る。

 細菌などが生きているはずの発酵食品などは、やはり入れることが出来ない。

 正確に言うと、そういった微生物は、入れたときに死滅するらしい。


 バイクの免許など、普通に取ることは問題ないと思う。

 だがそこまでして必要なものであろうか。

 人間一人ぐらいなら、抱えて飛んでも問題はない。

 しかし飛べることなど、他の人間には理解出来なくて当たり前だ。

「バイクか……」

「おーせい、うちはバイク通学禁止だぞ」

「あ、でも実は免許自体は取れるんだよな」

「え、そうなの?」

「ただし一度でも事故を起こしたら、卒業まで免許証は没収らしい」

「そんなもん、普通に再発行してもらえばいいだけだろ」

「そんな簡単に出来るのか?」

「いや、適当に言っただけだから、分からないけど」

 ただ勇者に変身した時も、乗り物は準備した方がいいだろうか。

 免許の偽造は簡単だろうが、確か今はチップなどが埋め込まれているため、そこまでは偽造出来ない。

 また鉄山に、偽りの身分証でもおねだりしようか、などとも考えていた。

 鉄山はよく「わしの生きてる間に、借りを返させてくれよ」などと言っているのだ。




 身の回りは平和に過ぎていった。

 だが少し感覚を伸ばせば、そこには小さな不幸が転がっている。

 公園で一人、汚れた服を着た子供が、なぜか裸足で一人きりなのを発見したりもする。

 そういう場合はもう、近所の警察に任せてしまうのだが。

 ネグレクトか、それよりもひどい虐待か。

(日本って明らかに、あっちよりは豊かなはずなんだけどなあ)

 富の偏在などと言われても、桜盛にはその実感は湧かない。


 夏休みに入る前に、桜盛は一つの仕事を終わらせていた。

 それは父との、桜盛の将来に関わる話である。

 久しぶりに家族が揃った夕食後、桜盛はさほど真剣でもないようなふりをして、話し始めたのだ。

「父さんは俺に医者になってほしいのか、医者になって病院を継いでほしいのか、医者にならなくても病院の経営には携わってほしいのか、特に何もしなくていいのか、どう考えてるの?」

 これを聞いた、あまり桜盛には似ていない父は、困ったような顔をした。

「医者にはなりたくないのか?」

「そういうわけじゃないんだ。特になりたいものは決まってなくて、それなら医者を目指してもいいんだけど、父さんはどう思ってるのかなって」

 この桜盛の問いに、父は長く考えたものである。


 おそらくそれは、自分自身への振り返りもあったのだろうか。

 母がその間に、お茶を用意してくれたりした。

 成美も珍しく深刻な雰囲気に、テレビも見ずに自分の部屋へ上がっていく。

「僕は普通に、親の仕事を継ぐつもりだったからなあ。そのために色々と調べて、これなら人生を賭けてもいいか、と思ったものだけど」

 確かに医者という仕事は、とても立派なものではあると思う。

 だが現在の桜盛には、他にも選択肢が色々とあるのだ。

「ただ医者になるには、人間への深い愛情が必要だと思う」

 なんだか気障な言い回しであるが、この時の父の言葉には、素直に桜盛を頷かせるものがあった。


 医は仁術。幕末の医師、緒方洪庵の言葉である。

 桜盛の父は、この言葉を己の信条としているらしい。

 もっともそのままに従っていては、どうしても限界がある。

 ただ現実と妥協する時も、常にこの言葉を忘れないように、とは思っているらしい。

「特に将来、何もやりたいことがないなら、やはり医学には関わってほしい。ただそれとは別に経営に興味があるなら、そちらの道を考えてくれてもいいが……」

 よく医者以外で、病院に関連する職を思いついたな、と父は言った。


 桜盛としてはそれぐらい、当たり前のことだと思った。

 だがそれは勇者世界30年分の知識があるからで、転移前には現場と経営の違いなどは、考えていなかったと思う。

「病院経営に携わるにしても、ただ利益だけを求めてはいけない。もちろん放漫経営は問題だが。お前がそういうことを考えてくれるなら、何か他の仕事をしながらも、経営陣に入ってくれたりすると嬉しいかもな」

 なるほど、父は仁者だ。

 誰かのためになることをする。それは桜盛が、悪党を抹殺する上で、前提としていることである。

「分かった。一応今の成績なら医学部は普通に狙えるとは思うし。でも経営とかって文系だっけか?」

「経営とか経済は、文系だが数学を使ったはずだぞ」

「ああ、数字を扱うもんな」

 なるほど、ならば一応は、理系に進路は決めておいた方がいいのか。


 基本的に文系でも理系でも、英語は必要になるだろう。

 また国家資格が必要であるかもしれないし、経営に携わるなら税理士や会計士としての能力はあった方がいいだろうか。

 全然関係ないことだが、こういう経営に関しては、今度鉄山とも話してみたらいいかもしれない。

「ありがと、父さん」

「いや、こういう話を息子とするのは、父親冥利につきるな」

 そう言って照れる父に、桜盛は頼みたいことがあったりする。

 以前からずっと気になっていた、自分の肉体のことについてだ。


 ただこれは、鉄山を通じて、全く分からないようにするべきか、とも思っている。

 もっともその場合、あちらの出してくるデータが、本当に桜盛のものなのかは改竄の恐れもあるだろう。

 もしも能力者の肉体、特に血液などに特徴があった場合、果たしてどうするべきか。

 一度これは玉蘭あたりにでも尋ねてみたいのだが、どう切り出していいか分からない。

 もっともここのところ、そもそも連絡がつかないので、それまでに考えればいいのかもしれないが。


 ともあれ桜盛は、己の進路の柔軟性を得た。

 激務である医者になるより、ある程度の余裕がある仕事をして、勇者の力を使った方が、おそらく社会に貢献する働きは大きなものになるだろう。

 そう考える桜盛は、そろそろまた一度、茜に連絡をするべきか、とも思っている。

 あの演習以来既に、一ヶ月以上の時間が過ぎていた。




 外堀を埋めるのに、さすがに限界を感じていた警察である。

 ヤクザを壊滅させ、武装グループを壊滅させ、半グレを壊滅させと、素晴らしい実績を残して日本の治安に貢献してくれているユージと名乗る能力者。

 だが国家との紐付きがないというか、どこの組織に属しているかも分からないという点が、日本の治安維持において、潜在的な脅威となっていた。

 桜盛から言わせれば考えすぎなのだが、いくらおとなしいとは言え、熊が人間の姿で都市に潜んでいるとなれば、それは警戒するのも当然だろう。

「俺は熊でも虎でもねえ」

 そう桜盛などは言ったかもしれないが、脅威度はそれ以上である。

 言うなれば初代ではない、心優しきゴジラのようなものであるのだから。


 もうすぐ高校は夏休みというその日、ついに公安は動いたのだった。

 それは蓮花が久しぶりに、ストリートに顔を見せた時のことである。

 学校のテストもあったが、それ以上に前回の拉致騒動から、しばらくは警戒したいたのである。

 だが桜盛を誘って、蓮花はやってきた。

 自分の自由を縛ることに対して、彼女は敵対的である。

 桜盛からすると、もうちょっと警戒した方がいいのでは、という気持ちにもなるが。


 ただ蓮花からすると、桜盛がいてくれるなら大丈夫だろう、という考えなのである。

 妙に喧嘩慣れしていて、外見にそぐわず圧倒的に強い。

 ボディガードとして桜盛は、とても頼りになる存在なのは間違いない。

「いざとなったら守ってね」

 そんなことを言う蓮花であったが、こちらの桜盛に対しては、この間の拉致騒ぎについて説明をしていない。

 確かに一介の高校生に、話すような内容ではないだろう。


 桜盛としては、かなり慎重な蓮花がどうしてああなったのか、詳細をもっと尋ねたいところであったが、この姿の桜盛が尋ねるのには問題がある。

(一応蓮花ちゃんにはマーカー付けてるから、何かあってもすぐに追いかけられるけど)

 桜盛は蓮花に好意的であるが、それが恋愛感情かというと、まだ迷いがあるのだ。

 勇者世界において桜盛は、多くの仲間と、友情以上の何かを感じてきた。

 女だけではなく、男とも通じるものがあった。

 それと同じものを、蓮花にも感じるかというと、答えはノーだ。

 桜盛は戦友との絆と、男女の恋愛、比べるべきでないものを比べてしまっている。




 そんな桜盛だが、蓮花を守る程度の好意は、ずっと持続している。

 ただこの場に接近してくるものに、警戒感が湧き出てくる。

 わずかに身を隠し、こちらからは蓮花が見えるようにする。

 踊り終えて他のダンサーと話している彼女の前に、現れたのは一組の男女。


「恩田蓮花さん、少しいいかな?」

 それは高橋と茜であり、しっかりと警察手帳を見せてきていた。

 警察というか権力というか、もっと構造的なものに対して、表現者は反感を抱くことが多い。

 周囲の空気が少し固まり、蓮花の感情が硬化するのが分かる。


 このあたりでも時折、警察が巡回しているのは何度か出会ったことがある。

 制服のお巡りさんもいれば、私服の警官もいて、少し話を聞いて終わったり、出来れば家に帰りなさいよ、というぐらいのことが多かった。

 10代後半から20代にかけて、ストリートに集まる人間は微妙な年齢だ。

 子供ならば早く帰りなさいで済むが、そうでない人間も多い。

 そして今回、よりにもよってあの二人が、蓮花に接触している。


 桜盛は一応、茜に連絡した時に、蓮花のことは伝えていない。

 当然である。彼女と自分の関係を、少しでも探られるのはまずいと思ったからだ。

 しかしあの事件後、蓮花に警察が接触したということはなかったはずである。

 ただ関係した加害者などからは、蓮花の名前が出てもおかしくはない。

 ここまで一ヶ月以上、周りを固めてから、蓮花に接触してきたということか。


 両者の会話は、少し隠れた桜盛も、聴覚を強化して内容を聞き取る。

「実は君に訊きたいことがあってね。任意の聴取ですらないんで、拒否してもらってもいいんだが、出来ればどこかで話せないかな?」

 かなり当たりの弱い接触の仕方は、蓮花に対する警戒か、それとも桜盛に対する警戒か。

「どういったことなんです?」

「少し内密の話でね、タワマンの事件、と言ったら分かるかな?」

 蓮花の動きが、わずかに止まった。


 あの事件は蓮花にとって、忘れたい事件と言うよりは、恥ずかしい事件である。

 自分の油断から、薬物を使われたとはいえ、あっさりと浚われてしまった。

「拒否してもいいんですか?」

「いやいや、勘違いされると困るんだけど、君自身をどうこうというわけじゃないんだ。だけど本当に情報を聞きたいだけだから、そのあたりの店で話せると助かる」

 低姿勢の高橋に対して、蓮花はある程度落ち着いてきた。

 あのタワマン事件については、自分も知りたいことはあったのだ。 

 そしてこういう時のために、ボディガードは存在する。


 きょろきょろと頭を動かす蓮花は、間違いなくこちらを探していると見て間違いないだろう。

 桜盛としてもここは、警察の内情を知るチャンスでもあった。

 物陰から出た桜盛に、蓮花は来い来いと手を振るのであった。




 茜たちとしてはむしろ、蓮花一人に話を聞こうというのは、気を遣ったつもりであったのだ。

 あの事件の内情が、加害者と見られる半グレどもの供述どおりなら、蓮花は間違いなく被害者だ。

 そしてあまり、周囲の人間に知られたいことでもないだろう。

 だが彼と一緒なら、と言われて選ばれたのは、170cmほどの中肉中背に見える桜盛である。

 間違いなく華のある美人の蓮花とは、外見では釣り合わないものであった。

 しかしその足運びなどから、格闘技経験者なのかな、という程度の推測は出来る。

 茜は剣道二段であるし、高橋も柔道二段であるのだ。


 桜盛としてはここで、下手なことを言ったりしてはいけないな、と考えている。

 完全に置物に徹して、何がなんだか分からない、というような顔をしているのに限るであろう。

 そんな四人が移動したのは、24時間営業のファミレスである。

「ここは奢るから、好きな物を頼んでもいいよ」

 茜がその高橋の言葉に目くじらを立てるのは、昨今は警察でも、こういったことが利益供与として批判される可能性があるからだ。

 もっとも公安という部署に関しては、そういった綺麗ごとでは通用しない世界ではある。


 蓮花と面するのが高橋であるので、当然ながら桜盛は茜と体面で座ることになる。

 落ち着かない風を見せるのではなく、蓮花の意図を探る。

「彼にも話を聞かせてもいいの?」

「大丈夫です。信頼してるので。おーせい君、ここで聞いたことは他言無用だよ」

「まあ、そうなんでしょうね」

 そして桜盛は2000円以上もするジャンボハンバーグセットを注文するのであった。

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