第39話 遠き呼び声
桜盛が感じたそれは、もちろん耳に響いた声ではない。
助けを呼ぶと言うよりも、むしろ切迫した状況だけを告げている。
勇者世界においては、たとえば建物の崩落に巻き込まれた人間が生きていれば、その声が魔力を伝って響いてくる。
基本的に魔力持ちが少ないこの地球では、桜盛がマーカーをつけた人間以外は、よほど本人に魔力がない限り、このような叫びは感じられない。
桜盛が現在マーカーを付けているのは、成美、志保、茜、そして蓮花の三人である。
エレナはもう大丈夫だろうとマーカーは外したし、玉蘭の方は向こうで切り離してきた。
誓約は解除された気配がないので、そこはどう考えるか微妙なところだ。
そしてこの三人のうち、一番トラブルに巻き込まれやすいのは、警察官である茜。
だが桜盛が感じたのは、蓮花の気配であった。
蓮花は自分に対するトラブルを、自分で解決するだけの力を持っている。
そんな蓮花の危機的な状況だからこそ、桜盛は緊急性を感じたのだ。
今日は何やらイベントがあると言って、桜盛も誘われていた。
しかし残念ながら予定が入っていたため、同行はしていなかったというものである。
(なんだかこっちの世界の女の子、トラブルに遭う確率高いな!)
いや、勇者世界ではそれこそ、よほど安定した地域以外は、人類の生存は脅かされていたのだが。
時速がどれだけ出ているかは分からないが、さすがに音速は超えていないと思う。
超えていたらなんだっけ、ほら、あれが出るはずである。
そう! 衝撃波! 音速超えると出るやつ!
などと脳内で会話をする桜盛は、障壁を張りながら飛行していく。
往路はずいぶんと時間がかかったものだが、やはり飛行によるショートカットは、簡単に一時間以内で都内への帰還を可能にする。
だがそれでも10分以上はかかってしまっただろう。
本当の緊急事態では、とても間に合わない時間である。
(どこだ!?)
距離と方向を確認するべく、高度を少し上げる。
そして発見したその場所は、タワマンの高層階。
(押し通る!)
分厚いガラスをキックで突き破り、桜盛はその場に立った。
広々としたリビングらしき空間には、半裸と全裸の男女が10数名。
(乱交かよ)
勇者世界においては、キリスト教的な貞操観念がなかったため、農村などでは特に、乱交は文化の一つであった。
ただ蓮花がこんなところにいるというのは、明らかに違和感しかない。
見れば男たちは呆然と桜盛を見ているが、女たちはぐったりとしている者が多い。
そしてこんな異常事態にも関わらず、相変わらず腰を振っている男どももいる。
(また薬かよ!)
もうこのパターンやめてほしいと思う桜盛であったが、大体セックスとドラッグはワンセットである。
乱交は別にいいが、薬はやめておけ。
桜盛の価値観はそういうものである。
そして桜盛自身としては、乱交には混じりたくはない。
高層階で風が吹き込む中、桜盛は上半身の上着を脱がされ、ブラ一枚になっている蓮花を発見した。
「間一髪か」
どうやら貞操は守られているらしい。
タワマン50階を超える高層階の、窓ガラスを突き破って登場。
どうやったの、という疑問はさておき、対応はしなくてはいけない。
室内のあちこちには注射器が散乱し、白い粉まで存在する。
ずんずんと進み、蓮花のスカートまで脱がそうとしていた男を、首をつかんで引き離す。
そのまま折ってやろうかとも思ったが、ここでまた人が死んだりすると、後が面倒である。
どうせこんな派手な登場をしたのだから、警察が来ることは必至である。
ならば後はお巡りさんに任せて、華麗に去るのが一番であろう。
「くそ、上着どれだよ」
とりあえず自分のギリースーツを羽織らせておく。
このまま蓮花だけを連れ出し、部屋の入り口を塞いでしまえば、誰も逃げ出すことは出来なくなるだろう。
だが被害者が蓮花だけとは限らないため、一応は周囲を見回してみる。
かなり慎重な蓮花でも、こういったことに巻き込まれることはあるのか。
まったく、東京は怖い街である。
ただし、勇者世界に比べれば二番目以下だ。
蓮花はどうやら眠っているというわけではなく、意識が朦朧としているらしい。
薬物を飲まされたのか、それとも打たれたのか。
「財布とかはあるか?」
「う~あ~、おーせーくん?」
「人違いだぞ」
なんで外見が変わっていて、顔も隠しているのに分かるのか。
そういえば匂いは消していないが、果たしてそれなのだろうか。
ここからはさっさと退場したいのだが、蓮花の身分証や携帯などが残っていれば、後から面倒なことになりかねない。
「蓮花の身分証やスマホはどこにあるか」
質問権を使ってみたが、明確な答えは返ってこなかった。
いっそのことこの一室を、全て焼き尽くしてやろうか。
そんなことも考えたのだが、さすがにそれは加害者と被害者が分かりづらい。
桜盛は寛容なので、薬物ぐらいで生きている価値がない、などとは思わなかった。
仕方がないので蓮花の状態異常を治す。
すると頭がはっきりしたらしい蓮花は、桜盛から身を離した。
「なんや、あんたいったいどうなってるんや」
関西弁が新鮮であったが、あまりゆっくりしている時間もないだろう。
そのあたりで腰を振っていた男などのうち、賢い人間はもう逃げ出している。
もっともなぜかドアの前あたりで、転倒して動けなくなっているが。
桜盛はまとめて事態を話す。
「間もなく警察が来るから、ここを脱出する必要がある。君がここにいたという証拠を残すものはどこかにあるか?」
「え……」
まだこちらを見る目は訝しげであったが、自分の上着を探す。
そして少し離れたところに、普段から着ているパーカーを見つけた。
「スマホも財布もあるけど、あんたうちのお父さんの護衛か何かか?」
視線が鋭くなっており、なるほどヤクザの娘か、と了解する。
「成り行きで助けることになっただけだ。それより他に連れ出さないといけない人間はいるか?」
「いや、うちの知り合いはいいひんけど……」
状況を把握しようとしているのか、周囲を見る。
そして自分の失態を確認したのか、眉根を寄せた。
「じゃあ脱出するぞ。それからすぐに知り合いの警察に連絡する」
頷いた蓮花を、桜盛は担ぎ上げた。
「ちょ、自分で歩ける」
「歩けないようになってるんだ」
具体的には、ドアの前で発動している魔法である。
ようやく移動できそうか、という桜盛の前に、立ちはだかる男が数人。
ただの薬物中毒者と言うには、筋肉が太く刺青がびっちりとされた腕などを見せている。
「てめえ、何者だ!」
今さらそんなことを聞いてくる、半グレだか反社だかの人間に、桜盛は脳を揺らすパンチを浴びせた。
三発でとりあえず、邪魔をする者はいなくなる。
入り口で倒れている男たちを、踏みつけて短い廊下から部屋の外へ脱出。
そして玄関のドアは、閉めるときに歪めておいた。
これで他に脱出できる者はいないだろう。
あとは警察に、分かりやすく伝言をしておこう。
ただ桜盛がこの現場にいたとしたら、自衛隊の駐屯地からここまでの、移動速度がおよそ分かる。
なので少しは時間を置いて、茜に連絡すべきだろう。
拳銃を取り出して、監視カメラを死角から破壊する。
「物騒やな。そんであんた、どこの組のもんなん?」
「フリーだ。まあ雇い主は、さる企業グループの会長なんだが」
エレベーターの中に入る前に、またも監視カメラは破壊しておく。
「それされても、たぶんうちが運ばれた時に、映ってると思うんやけど」
「俺の存在がバレることが問題なんでな」
本当ならば白馬の王子様よろしく、本来の姿で救い出したかった。
だがこれでまた、こっちの姿でフラグを立ててしまっている。
一階まで移動するのに、それなりの時間がかかる。
その間に桜盛は、ある程度の口止めをしなくてはいけない。
また状況も、確認しておく必要があるだろう。
「どうしてあんな所にいたんだ?」
「あ~、たぶんうちの実家の関係で」
「そうではなく、手段の方だ。それなりに警戒してたんじゃないのか?」
「あんた、ほんまに実家の関係者と違うん?」
「違う。話を合わせないといけないから、どうやって浚われたのか教えろ」
「あ~、なんかガスみたいなもんシュッてやられた感じ。そっから運ばれる途中で、シャブ打たれたと思うんやけど……」
蓮花としてもさすがに、事態の異常さには気づいている。
「なんでうちはこんなに普通なん?」
「中和した」
実際はそんな便利なものはない。
点滴を打って残念でした~と言っても、シャブの反応は出るのだ。
幸いなことにこのタワマンは、コンシュルジュはいないタイプのものであった。
なので壊すのは無機物だけで済み、桜盛はほっとする。
入り口から堂々と出て、足早に離れていく。
その時はさすがに、目立つので蓮花は降ろして歩かせたが。
「浚われた目的は分かるか?」
「まあ実家関連やな。えぐいビデオでも撮影されたら、こっちでお世話になってる人に、実家から文句がつけられるやろうし」
「じゃあ今日は、何もなかったことにするぞ」
桜盛としては、体力はまだまだ問題はないが、イベントは多い一日であった。
そしてまだ辻褄合わせや茜への連絡など、残っている任務は多いのである。
「そもそもなんで助けてくれたの?」
ようやく言葉が関西弁から、元に戻ってきた蓮花である。
もっとも極限状態で関西弁が出るということは、本来は関西弁こそが、彼女にとって元に戻るということなのだろうが。
「俺は基本的に、ちょっとした知り合いでも助けられるなら助ける。お前のことは知人が知っていたから、助けただけだ」
富士山を身近に見るところから、必死で飛んできたわけであるが。
桜盛としては、蓮花の現状については、根本的に解決する必要があるな、と判断していた。
ただそれは明日以降に回してもいいのではないか。
(いや、今日出来ることは今日しよう)
だがとりあえず、あの部屋を警察に電話して伝える。
『なんでまた面倒なことをーっ!』
電話の向こうで茜は吠えるが、今回は本当に彼女の案件ではある。
入り口を物理的に歪めて閉じたことに、窓を割った件。
シャブ中がいるので下手をすれば、落下する者もいるかもしれないな、とも思う。
あんな所にいるのは、全員問題がある人間にも思うが、それを判断する材料がない。
死ぬほど悪いわけではないなら、助けるべきは助けるべきだろう。
そしてこの場合の助ける手段は、桜盛が受け止める以外にはない。
魔法の障壁を窓ガラス代わりに使ってもいいが、むしろ後から解除するのが面倒だ。
「というわけで警察が来る前に、君は離れた方がいい」
「分かった。ありがと」
ここで「また会えますか?」などと尋ねたりしないのが、蓮花の蓮花たるゆえんであろう。
桜盛は間違いなく、危険な存在である。
人格などとは全く別に、そういう存在はいるのだ。
場所としては拉致されたところとは、少しだけ離れているらしい。
本来ならもうちょっと安全なところまで送るべきなのだろうが、今日中にやっておくべきことはある。
蓮花の姿が見えなくなってから、桜盛は質問権を使った。
彼女に害を加える集団は、叩き潰しておいた方が、桜盛の精神衛生上よくなるからだ。
桜盛に分かっている限りのことを、五十嵐とその部下はまとめていた。
自衛隊の特殊部隊からの聞き取りは、既に終えている。
これまでの行動を見ていると、二ヶ月の間にその行動は限定されている。
現在までの出来事を時系列順に置いていくと、茜がヤクザに浚われたのを助けたのが、一番最初の行動と言える。
もっともそれまでにも、いくつかは表に出ないように動いていた可能性が高い。
警察と知っていながらも、茜を処分しなかった。
そして茜は桜盛に対して、ある情報を提供している。
金塊の換金などというのは、ほぼ足がつくことは間違いない。
また通常であれば身分証の類が、換金のためには必要になる。
これらの行動から、ある程度の裏社会には慣れているが、警察を敵視していないということが分かる。
海外の警察は多くが、賄賂などで買収されていて、犯罪組織と共生関係となってしまっているところも少なくない。
とりあえず桜盛は、反社会的組織に対しては敵対的で、国家に対しては比較的友好と言える。
ただ権力者に阿るということはなく、その子弟に対しても全く配慮はしていない。
五十嵐たちとしては、かなり行動の原理が自分たちと似ているな、とも感じる。
圧倒的な制圧力という点では、武装グループの無力化がそれにあたる。
自動小銃で武装した集団から、1500人の人質を無事に救出したが、この事件の注目すべきところはそこではない。
武装集団のリーダーであった、与党の現職閣僚の孫を、存在から消してしまっている。
内閣、もしくは与党への、配慮を感じるのだ。
その後はそこそこ慎重に、警察への接触を仕掛けてきた。
こちらも監視をしようと思ったが、逆にそれを辿られて、対決することになる。
三人がかりでも完敗であり、しかしながら向こうはまだ敵対はしてこない。
お互いの関係を、殴り合いながら探っていた、というぐらいだろうか。
物騒ではあるかもしれないが、止めるところはしっかりと止めている。
最終的には五十嵐が出て、交渉することになった。
今の日本では持て余すぐらいの、戦闘能力である。
せめて所在などを把握して、首輪をつけたいのが真実であったが、
それにも失敗したが、とりあえず向こうの戦力はある程度確認出来た。
もっとも対決したこちらの最高戦力は、まだまだ奥が見えないと言っていたが。
戦闘力に完全に割り切った能力者、というわけでもない。
状況からして相手を昏睡させる能力や、解呪の高い能力も持っている。
また隠密行動について、しかもそれを高速機動で行うについて、とんでもない能力を持っていると判断出来る。
飛行能力などというのは、現代日本ではまともに持っている能力者はいない。
そんな桜盛が突然に、演習を中断した。
その理由はその後、茜からの連絡があって、目的があったのだと分かった。
タワマンの一室における、ドラッグ&セックスという、また逮捕者の多い事件。
だがその中に半グレ連中がいたことが、この場合は不思議なこととなる。
金と犯罪の間には、密接な関係がある。
特に組織犯罪などは、ほぼその目的は金なのである。
また金持ちのボンボンと、それを食い物にしている半グレは、それなりに相性が良かったりする。
親はたまったものではないだろうが。
これに関しては組織犯罪対策ということで、茜も担当することにいなった。
だが彼女が本当に求められたのは、これにどう桜盛が関係していたかだ。
聴取によると、突然ガラスを突き破って入ってきたというが、高層階のガラスというのは、そう簡単に破壊できるものではない。
もちろん桜盛がその気になれば、簡単ではあろうなとは思った。
場所が場所であるので、警察だけではなく消防署まで出動し、そして入り口のドアが歪んでいて開かないという、警察としては犯人を全員確保という、素晴らしい成果にはなった。
組織犯罪対策と言いながら、最近の茜は別部署に派遣されているような感じだ。
一介の巡査でありながら、こうも簡単に貸し借りされているというのは、珍しいことではある。
五十嵐も茜の件などから、桜盛が極端に危険な人物だとは、もう思っていない。
だが兵器に思考と感情が備わっているようなものである以上、安易に信じきることなど出来ないのは確かなのだ。
そして同じ日に、都内の反社組織が壊滅的な打撃を受けた。
もう純粋に事務所を破壊され、色々とひっくり返されて、警察が自然と出張ることにもなった。
なにしろ救急車で運ばれる人間が、何十人も出たからだ。
これはやはり大きな成果ではあるが、五十嵐の任務とは別の方向から絡むことになる。
身長2mにもならんとする大男が、一方的に蹂躙したのだ。
それはさすがに話を盛りすぎだが、ぼろぼろにされた側としては、相手をそれぐらいに見てしまうことはある。
桜盛の行動を、全て追っていく必要がある。
彼の身元、バックにいるのは、桂木グループの鉄山であることは、既に分かっている。
あともう少し背景の事情が分かれば、警察としても放置という判断を下すことが出来るのだ。
国家に紐づかない暴力は、危険なだけである。
だが日本の社会サービスの恩恵を受けているなら、この社会を下手に潰そうとはしないはず。
そう考えて桜盛についての、データをまとめようとしているのだ。
彼はどこの誰なのか。
かつて何をして、今は何をしていないのか。
それが分かるまで、五十嵐の仕事は終わらないのであった。
×××
一応、第二章終了です。第三章は警察と追いかけっこ? ラブコメどこいった?
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