第38話 まだ本気出してないけど
警察官の持っている警棒を武器に使うということは、普段は警察官であるのか、あるいは剣道経験者であるのか。
桜盛の考えていたのは、その程度のことである。
それに対して桜盛は、以前に回収しておいた拳銃を取り出す。
一応ネットでどう使うのかは、確認しておいた武器は、いわゆるお巡りさんの携帯している銃とは違う。
オートマチックの装弾数は九発。既に練習で三発は撃っている。
さて、これに対して男はどういう対応をしてくるか。
拳銃を取り出した桜盛に対して、全くそれを気に留めることなく、警棒で迎え撃ってきた。
攻撃範囲に入る前に、桜盛は足を止め、横に跳躍する。
踏み込んだ警棒による攻撃も、空を切る。
とりあえず相手も、銃撃ぐらいではひるまないことは分かった。
直接撃ってみて、やっぱり効果はありました、では困るので、間違いはないと思っておきたい。
最初から仕切りなおしである。
対峙した二人から、補助役であったらしい女は、遠くに距離を取る。
桜盛から死亡判定を食らった者たちに、男は指示をする。
「本気が出せんから離れてろ!」
どうやらあちらは本気で来るらしい。
桜盛はまだ、本気を出す決断が出来ていないが。
本当の本気をだすならば、魔法を使っていく。
それも補助魔法ではなく、攻撃魔法をだ。
寸止めの出来る肉体による攻撃と違って、魔法攻撃は手加減が難しい。
(さすがにこれぐらいは大丈夫だろう)
そう思って桜盛が使ったのは、相手を追尾する炎の矢。
魔力を持った生物であれば、相殺されて致命傷は防ぐだろうというものであった。
回避したつもりの矢が追尾するのを、男は警棒で打ち払う。
やはり魔力をまとわせていたので、充分に攻撃力はあったらしい。
次に桜盛は死なない程度の電撃を浴びせた。
それも効果はなく、こちらに遠距離攻撃の手段があると悟って、距離を詰めて来る。
もう一つだけ、桜盛は試してみた。
それはあの武装グループに使った、睡眠の魔法である。
これもまた効果を発揮することなく、男の間合いに入ってしまった。
(魔獣を即死させるレベルの攻撃力ならどうかな)
だがそんなものを直撃させて、即死させればもう取り返しがつかない。
神様謹製のポーションはあるが、あれはあくまでポーションである。
勇者世界の常識に合わせても、死者を甦らせる力などはない。
結局桜盛が選択するのも、やはり接近戦である。
勇者世界の武器であった大剣は、それ自体が聖剣であったということと、相手が巨体の魔物であることが多かったため、有効な武器であった。
しかし地球で振るうには、おおよその武器は桜盛の肉体についていけない。
鉄山にもらった日本刀は、相手によってはそれなりに使える。
だが今の桜盛は、自衛隊員から奪ったナイフ一本で、男に向かって立ち向かう。
武器の間合いは、桜盛の方が不利である。
だが勇者の接近戦能力は、そんな武器の不利を無効にしてしまう。
強化魔法は肉体だけではなく、武器にかけることも出来るのだ。
「来い!」
二人の武器が打ち合い、そして共に弾かれた。
五十嵐は死亡判定を受けた五人から、桜盛の能力について聞いていた。
とりあえず確かなのは、とてつもない速度を持っているということで、また防御力もとてつもないということであった。
通常の特殊部隊から聞いた話と合わせれば、隠密能力も極めて高い。
ここから感知する限りでは、遠距離の攻撃方法も持っているという。
ただとにかく言えるのは、圧倒的な抵抗力だ。
以前の警視庁の屋上での戦いでも、全く呪術の類が通用しなかったということは聞いている。
それに合わせて武装グループの事件などからも、大量の人間を一度に眠らせることも出来ると分かっている。
あとはどれぐらいの時間かは分からないが、空を飛ぶことが出来るか、それに等しいジャンプ力なども予想されている。
茜の初対面の時の話などから、通常の銃撃程度であれば、完全に防げるらしいことも確かだ。
この戦闘が終わってまだ余裕があれば、いよいよ今度は戦争のための、戦車を含めた兵力との対決が待っている。
実のところ今の日本には、そんな戦車砲や、対物ライフルを防ぐような、純粋な防御力の持ち主はいない。
魔法使いなどの超常は、単純に戦争の戦力としてではなく、暗殺やスパイとしての方が、より活用しやすいのだ。
もっとも下手にスパイとして通用するようにすると、今度は亡命の危険が出てくるのだが。
日本は比較的、超常の亡命者が少ない国であった。
それは太古には、そもそも大陸から渡ってきたのが、迫害を逃れてきた超常の者であったとも言われているからだ。
島国であるがゆえに、他者からの侵攻を受けることが少ない。
また近世までは移動の関係で、逆に大陸に行くこともなかった。
徳川時代の鎖国政策で、言語的な断絶が増えたのは、むしろ幸運であったと言われる。
ただその間にヨーロッパがあそこまで発展してしまったのは、さすがに計算外であったようだが。
いわゆる後進国に亡命をしよう、という能力者は少なかった。
そして先進国に亡命するには、人種の壁が存在した。
ようやくここのところは、それも少なくなってはきている。
だが一番理解のあるアメリカなどは、アジア系の人種への差別があり、それなら日本の方がいいだろうという計算がある。
日本の場合はスパイ活動でも、防衛的な役割を果たすことが、多いと言われてきたからだ。
先のホールの人質事件は、様々な要因が重なってはいたものの、その防衛的な役割が疑問視されるものになってしまった。
そして今、一人で問題を解決したと思われる人物が、正面から日本の裏の組織に喧嘩を売っている。
むしろ売らせたのは、こちら側であるという認識もあるのだが。
「どういう経歴なんだかな……」
五十嵐が呟いたのは、桜盛の経歴が全く分からないことであった。
わずかな情報からして、幼少期か少年期あたりに、海外に行ったことは想定されている。
しかしその言語に外国の訛りなどはなく、また日本の超常機関については全く知らないようであった。
なんらかの手段をもってか日本へ戻ってきて、桂木鉄山の庇護を受けているか、客人としての関係にある。
そこもどういうルートであったのか、全く分かっていない。
あれだけの力であれば、必ずどこかに痕跡が残っているはずなのだ。
だが国外のニュースなどを見ても、それがはっきりとは分からない。
相当の戦闘経験を積んでいるだろうに、完全に隠蔽されている。
それはつまりそれだけ、危険な世界で生きてきたということでもあるのだろうが。
「接触の仕方、間違ったのかもなあ」
五十嵐はのんきにそんなことを言っているが、そもそも初動でミスをしたのは、彼の責任ではない。
もっと穏やかな話し合いが出来なかったのか。
とは言ってもあちらの価値観や主義が分かっていなければ、妥協したり交渉したりといったことも出来なかったであろう。
五十嵐の話した限りでは、それほど日本にとって、危険なものだとは感じなかったのだが。
最終的には、問題が起こったときに、五十嵐の首一つで終わらせる、というあたりに収まるのかもしれない。
それはそれで、しょせん一人の公務員に過ぎない自分が責任を取れるなら、悪いことではないとも思うのだ。
「まあ、勝ってくれたらそれが一番いいんだが」
ここまでの展開を見ても、それはおそらく難しいだろう。
あとはどれだけの餌を用意して、いざという時の秘密兵器になってもらうか、それが問題だ。
窮屈な身の上が嫌なのであれば、ヨーロッパかアメリカの方が、今は過ごしやすいかもしれない。
ただ日本に愛着を抱いているのは、本当だと思うのだ。
(三番目の勝負も、多分無駄だろうしなあ)
警察というか、日本の持っている切り札は、まだ何枚かある。
だが切り札というのは、なかなか切れないから切り札である、というのも確かなことなのであった。
真正面からの、お互いを強化しての打ち合い。
桜盛のナイフは二本が破損して、途中からは素手で警棒と殴りあうようになった。
そして当然の事実に、相手も気づいていく。
ナイフよりも素手を使った方が強いと。
勇者世界の金属精錬技術は、果たして現代科学を超えるのか。
実は科学的な分野以外からのアプローチによって、超えていたりする。
魔法の金属があったり、魔法による強化や性能の付与があったりと。
こちらの世界でも、魔法を使った武器はあるのでは、と桜盛は思っていたし、実際にこの警棒はあまりに頑丈である。
中身が中空である警棒ではあるが、完全に魔法で強化はされている。
ただ追加の付与効果などはなく、とにかく頑丈でありながら、同時に金属らしい弾性も持っている。
威力を吸収はするのだが、復元力も高い。
それを振るう相手の腕も、相当に強化されてはいるのだろう。
現代日本の方が、勇者世界よりも確実に優れている部分。
それは武術の面であろう。
純粋に魔力によって、戦士の肉体が強化される。
そのため攻撃力もであるが、防御力も高くなる。
また相手が魔物であることも考えると、対人戦闘ばかりを鍛えても意味がない。
特に武装して戦うのが基本なので、徒手格闘というのは基本的に殴り合いしかない。
今まではそれで充分だったのだが。
おそらく相手は、人間相手の制圧を得意としている。
なので警棒を捨てて、投げ技や、極め技で来られた方が、桜盛としてはやりにくい。
もっとも腕力に関しても、桜盛には圧倒的なアドバンテージがある。
肉体を強化していた男は、途中から素手で警棒を相手にしていた桜盛に、恐怖に近い感情を抱いている。
(どういう強化の仕方なんだ!)
刃物を準備していたなら、また結果は変わっていたのだろうか。
召集されたメンバーは、基本的に荒事向きであった。
その中でも特別な、本当に国家レベルの危機に出す戦力は、さすがに集まっていない。
だが一人、霊視の持ち主がいた。
桜盛が魔眼と認識している女である。
相手の情報を探ることが、この演習の目的。
それは人員構成から分かっていたが、ガチで勝ちにいく体制である。
だからこそ先に五人で、相手の底を探ろうと思ったのだが。
まだ若い、と外見は見える。
だが手を合わせていくと、その戦闘技術の中には、実戦でしか使えないものが大量に含まれている。
そしておそらく、まだ手加減されているであろうことも。
(こちらの通常戦力も出して、編纂室の人間も出した。ただし最大戦力は出していないということは、これはテストなのか?)
確かに相手も、こちらを再起不能にするような手段は、拳銃の銃撃ぐらいであった。
それもこちらが怯まないのを見て、すぐに選択から外した。
実力差がかなりある。
しかもこの実力差は、おそらく実戦経験の差であると、一つ一つのフェイントや、それを無視したパワー押しなどを混ぜるのを見ても、はっきりと分かるのだ。
(これは勝てないぞ)
この演習の目的や、結果が何をもたらすのかは、男は聞いていない。
だが相手の戦力を調べるという意味では、もう充分ではないのか。
わずかに距離が開いた。
遠距離の攻撃手段も持っている相手だが、どうやら高位のそれは使えないというより、使ってこない。
テストにしろ演習にしろ、それで戦力が減ってしまえば、本末転倒である。
お互いの呼吸を見てから、肩の力を抜いた。
相手の戦意が霧散した。
そして警棒を落として、両手を上げる。
「負けだ。これ以上やっても、あまり意味がない」
確かにここからは、徐々に出力を上げていって、相手の限界を削りあうぐらいになると思ったのだが。
桜盛も戦闘態勢を解く。
とはいえまだ完全に、油断したわけではない。
相手が後ろポケットから、携帯端末を取り出す。
そこで顔をしかめたのは、戦闘中に画面が割れていたからである。
それでもどうにか故障はしていないらしく、電話で連絡を取る。
「五十嵐さん、対戦終了、俺の負け。え? いやいや、まだ余裕はあるけど、相手の余裕の方がさらに大きいし」
どうやら本当に、これでこれで試験はパスらしい。
もっともあと一つ、自衛隊の通常戦力の中でも、人間ではない部分。
戦車と随伴歩兵による、火力に対する対決が残っているのだが。
とりあえず人間の持てる兵器相手なら、上手く奇襲をかけたなら、問題はないと分かった。
そして裏の戦力に関しても、絶対に事故などで失えない戦力でなければ、桜盛にとって問題ないことも分かった。
ただ戦車や、それに備わった機関銃など、そういったものの威力がどうなのか。
魔王の使っていた破壊の魔法なども、山を平気で削っていくようなものであった。
核兵器の熱と衝撃などが、果たしてどれぐらいのものであるのか。
今日はそこまでの攻撃はやってこないが、戦車砲の榴弾というのがどれぐらいの破壊力なのか、桜盛は知らない。
なので攻撃を受けてみる、というのも試すには危険がある。
機動力を活かして、照準を絞らせることなく、懐に飛び込むか。
戦車と随伴歩兵のうち、歩兵の小銃弾については、おそらく問題なく止めることが出来る。
そして戦車の砲撃は、その砲塔の動きを見ていれば、直線状にしか飛んでこない。
一度懐に入ってしまえば、相手は同士討ちを恐れて、威力の高い兵器は使えなくなる。
思えば勇者世界においても、巨大な魔物の討伐に関しては、そうやっていたものである。
あちらの連絡が終わった。
「二つ目の演習は、これで終わりだ。あとは最後の演習になるらしいが……お前さん、いったい何者だ?」
こういったことでは珍しくないが、詳細は何も知らされていなかったらしい。
思えば既に日本に存在する超常勢力に、新しい力が加わる。
それは国内に、通常では全く制圧出来ない、人間兵器が増えるということなのだ。
「おとなしく生きたいだけなんだが、なかなか信用してもらえなくてね」
「そりゃあまあ、上の考えも分かるな」
男はそう言って笑った。
「次に予定されている――どうした?」
男の問いに対して、桜盛は応じない。
わずかに感じたそれは、勇者世界でも何度も感じた呼びかけだ。
遠くからの、助けを呼ぶ声。
しかもこれは、音として聞こえてくる声ではない。
桜盛にとってはそれなりに接触がある人間が、救助を求めている。
「悪い。ちょっと予定が入った。またこちらから連絡する」
そう言って桜盛は、ふわりと浮かび上がってから、東方へと飛行していく。
「あんな速度で飛べるのか」
呆れたように呟いて、男は五十嵐との連絡をもう一度取ることとなった。
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