第9話 令嬢危機一髪

 犯罪行為が明らかになってからようやく、桜盛は室内に踏み入った。

 なおかかっていたはずの鍵は、念動の魔法で解除している。

 後からこいつらが不審に思っても、かけ忘れぐらいに勘違いすることを祈る。

「誰だ!」

「名乗っても意味ないだろう」

 そう言って近づいた桜盛は、力ずくでまずは一人をチョークにかける。

 二秒で絞め落として、二人目に襲い掛かる。


 よく勘違いされるが、絞め技は頚動脈を圧迫し、脳への血流を遮断して意識を失う、という技ではない。

 いや、そちらの失神もあるのだが、正確には迷走神経の過剰反射から起こる、神経的なものである場合が多いのだ。

 そして桜盛はカモフラージュのために絞め技を使ったが、実は気絶させているのは魔法である。

 誘拐や強姦などで使われた、犯罪者の好物である強制睡眠魔法。

 後遺症も残らないので、大変よく使われるのだとか。

 なので地味な魔法であるが、勇者世界では禁呪扱いであった。

 ……遺失魔法ではない。


 気絶した男二人を床に転がし、ベッドのエレナへと歩み寄る。

「人の悪意は恐ろしいよなあ。立てるか」

 涙ぐんだエレナは、かすかに首を振る。

「分かった。ちょっと失礼」

 そして外されたボタンを直し、下半身に目をやる。

 エレナは気づいていなかったが、そちらの下着も膝近くまで下ろされていた。


 溜息をつきつつ、桜盛はそれを戻す。

 可愛らしい毛が見えてしまったりしたが、エロいことには慣れていなくても、女性の裸自体には慣れている桜盛だ。

 なにしろ勇者世界では、仲間の女戦士が怪我でもすれば、平気で服は脱がせたりしていた。

 桜盛もある程度治癒魔法は使えるが、下手に治癒させると傷口が布を巻き込んで治癒してしまう。

 なので女性器そのものならばともかく、おっぱいなり下の毛なりは、普通に見ることがあったのだ。

 アンバランスである。




 さて、これをどうするか。これとは未遂犯二人のことである。

 女性をレイプするのはもちろん犯罪であるが、その程度のことは殺すほどじゃないよな、などと桜盛は考えている。

 いや普通に一般女性にとっては、一生のトラウマになるようなことであり、主義者にとっては死刑が妥当、などと考える者もいるだろう。

 ただ勇者世界基準だと、ひどくありふれたことであるのだ。

 魔王に滅ぼされた街の女などは、夫がいたとしてもその日の糧のために、兵士たちに春をひさいだ。

 また聖職者の女性の場合は処女性がある程度重視されたが、一般庶民はそれほどでもない。

 特に農村部などでは、村の祭りで男女の交わりがあったりするのは普通であった。

 要するに性行為を、良くも悪くも軽く考えていたのである。


 エレナを襲おうと、どうやら薬物まで使ったのは、確かに桜盛基準でもやりすぎだ。

 ただそれでも、まだまだ殺すほどではない。

 いや、別に殺してしまってもいいのだ。

 しかしここはあの山の中とは違うので、死体の処理に困る。

 桜盛はこれまでの検証で、基本的に生物はアイテムボックスに入らないと分かっていた。

 勇者世界でもだいたい同じであったが、このあたりの判定は微妙なのだ。


 植物に関しては、種ならば入るし、干して水分を抜いたものもだいたいは入った。

 動物の場合は死亡してしばらく経過しなければ、入れることは出来ない。

 おそらくではあるが、肉体の中の細胞がまだ、生きている状態だからではないか。

「しかし、どうしたものか」

 そう呟いて周囲を見回した桜盛は、棚に置いてあるスマートフォンに気づく。

 起動した状態で、カメラとして録画していた。


 マイナスポイントが増えた。

 つまりこれは動画を撮影しておいて、後で脅すなりどこかに売るなり、そういうことをしようと思ったわけだろう。

 桜盛は自分の基準が勇者世界に染まっているのは自覚しているが、ただ地球の日本の常識からすると、ネットで映像が出回りでもしたら、まずいことになるとは分かっている。

 幸いと言うべきか、リアル配信や通信はしておらず、あくまで撮影だけが目的だったようだが。


 自分も映った映像を、桜盛は当然ながら消した。

 そして発見したのは、似たような映像の数々である。

 マイナスポイントがさらに増えた。

(常習犯か……)

 これはさすがに、放っておくわけにはいかないだろう。

 男たちの懐から、財布などを抜く。

 しっかり身分証明書の類があって、桜盛としてもこれで殺害の理由は減ってくれた。

(あとは警察に任せるか)

 人を殺していないのだから、殺そうともしていないのだから、さすがに殺すのがやりすぎだ。

 それが桜盛の判断基準である。


 女性の貞操に対して、桜盛の持っている価値は、本来高いものである。

 だがその価値というのは、あくまでも自分が関係していてこそ。

 いい女であればこそ、その貞操の価値も高くなる。あるいはこれが共に戦う仲間であれば、その尊厳のために殺したか、殺させただろう。

 だが尻軽な女の貞操の価値は、当然ながら低い。

 エレナは尻軽でなくても、危機意識に欠けた世間知らずで、やはり桜盛にとっては軽く見る基準となる。

 現代日本の価値観とは相容れないが、それでも桜盛にとっては、それが実感なのであった。


 まだ動けないらしいエレナを、ひょいと肩に担ぐ。

 お姫様抱っこは、両手が塞がってしまうのでやらない。

 そしてそのまま、建物を正面から出て行く。

 近くにあった公園のベンチに、エレナを座らせた。

 状態異常を回復させる魔法を使うが、これはわずかに時間がかかる。

 その間に飲み物などを買って、彼女が回復するのを待った。




 エレナは急にあの朦朧とした状態から、自分が元に戻ったのを感じた。

 そして同時に、あの事態を正確に理解する。

 思わず自分の体を抱きしめるが、しばらくは震えが止まらなかった。

「飲むか?」

 そう言って桜盛が渡したのは、キャップも開いていないミネラルウォーター。

 薬で犯されそうになった後なので、完全に密閉されたものをプレゼント。


 エレナは言葉が出ず、それでも頷いて、ペットボトルを開けた。

 震える手で、どうにか水を飲み込む。

 まだ舌が、口の中で粘ついている気がした。

「落ち着いたらタクシーが拾えるところまで送っていこう」

 エレナはそれにも頷いてから、ようやく口を開いた。

「あの……ありがとう」

「運が良かったな」

「運が良かった?」

 桜盛の言葉に彼を仰ぎ見たエレナの目には、怒りが宿っていた。

「レイプされそうになった女の子に、運が良かった?」

「未遂だし、他に怪我もしていないし、何が言いたいんだ? 夜の街を舐めたあんたが悪い。もちろんあいつらも悪いことは悪いが」

「女には夜の街を歩く権利もないっていうの?」

 なんだこのめんどくさい女は、と桜盛は思う。

「この世の中は別に、お前さんに全て都合がよく動くようには出来てないんだぞ。それがこの時点で被害なく分かったんだから、いい経験になったろう」

「貴方、おかしいわ」

「俺の基準が日本の基準と違うというのは、認めざるをえないかなあ」

 特に否定もしない桜盛に、エレナは毒気を抜かれたようであった。


 犯罪に関しては、もちろん加害者が悪いし、被害者を悪く言うのは間違いだ。

 しかしそれが現実で絶対に遵守されるべきというのは、頭の悪い理想論でしかない。

 世の中は自分に、かなり都合の悪い展開を与えてもおかしくない。

 その時のために備えていないなら、それは人生を甘く見たことへの罰だ。


 少なくとも世間知らずのお嬢様が、一人で出歩くことの危険性。

 それを被害なく認識できたのだから、むしろ喜ぶべきだ。

 レイプされそうになって、精神的にトラウマを抱える?

 そんな脆弱なメンタルの持ち主は、どうせ他でも折れるだろう。

 親が太いのだから、そうなっても生きてはいけるに違いない。

 これが貧乏で純粋な少女が被害者なら、まだしも桜盛は同情したろうが。

 特権階級とまでは言わないが、世間知らずの恵まれたお嬢さんに対して、桜盛は冷たい。




 何かを考え込むエレナは、そろそろ落ち着いたようである。

 表通りまで連れて行くわけだが、まだ足元がおぼつかないのか、バランスを崩して桜盛にもたれかかる。

「ご、ごめんなさい」

「薬が抜けきってないんだろ、無理はしない方がいい」

 そのまま腕を掴んで、よろよろと歩く。

 桜盛としては歩幅を合わせるのだが、取られた右腕が幸せである。

 この感触、おっぱい、大きい。


 頭の中がピンク色になりかけている桜盛に、エレナは囁いてくる。

「あの人たち、またこれからもするのかしら……」

「ああ、それは心配しなくていい。撮影してたスマホに、常習の映像が残ってた。あんたの映像は消したが、他の映像だけで警察は動くだろ。免許証とかも確保してあるし」

「それ……被害者の女の子は、余計に傷つかない?」

 ん? と桜盛は少し考える。


 性被害者が警察に聞き取りなどを行われるのは、いわゆるセカンドレイプになったりする。

 過去の被害体験を、また思い起こすことになるからだ。

「けれど現在進行形でまだ脅されている子がいるかもしれないし、放っておけばまた被害者が出るかもしれないだろ」

 性犯罪は、再犯の確率が高いのだ。

「犯人が裁かれることで、やっと前に進める人間もいるんじゃないかね?」

「……一生残る心の傷をつけても、性犯罪は確か、それなりに簡単に出てこれるはずだけど……」

 ただ性犯罪、特に未成年へのものは、刑務所の中でも最低の扱いを受けるらしい。


 ここでエレナは、桜盛が「お嬢さんだなあ」と思える提案をしてきた。

「ねえ、貴方の力で、あの人たちがもう二度と犯罪を行えないように、脅しつけるとか出来ないの?」

 これは自分への扱いの復讐なのか、それとも他の被害者への配慮なのか。

 桜盛のことを何やら勘違いしているらしいが、つくづく育ちがいいのかな、と思わざるをえない。

 ただ犯罪を未然に防ぐというのは、別に桜盛も反対ではないのだ。


 警察に対しては、そのまま持ち込むのは無理がある。

 桜盛自身が、自分のやったことなどを説明しないといけないからだ。

 だがそちらには、ある程度の目途がついている。

 これ以上の制裁を、桜盛自身が行うべきか。

 法治社会であっては、個人による私刑は、基本的に禁止されている。


 しかし桜盛は30年間、法治社会ではあってもそれが充分には機能していない世界で生きてきた。

 だから手間さえかからなければ、本当に殺してしまってもいいとは思ったのだ。

 それが難しいからこそ、警察に任せてしまうのだ。

「あ」

 エレナの言葉によって、桜盛は一つ思い出した。

 勇者世界では最高の刑罰は死刑である。その殺し方も、犯罪の度合いによってえげつなさが増していくが。

 そして死刑の次に厳しい刑罰を思い出したのだ。

 普段は面倒なので、殺してから後の処理を頼んでいたので、今まで思い出さなかったが。


 表通りでタクシーを拾って、エレナを乗り込ませる。

「安心しろ」

 細かいことは伝えられないが、とりあえず断言するのが勇者である。

「あいつらは二度と、あんなことは出来ない」

 有無を言わせぬ説得力を、桜盛の言葉は秘めていた。




 クラブの入ったビルに、桜盛は戻った。

 犯行現場では男が二人、まだ意識を取り戻していない。

 倒れたままの男たちを、もちろん桜盛は助けたりはしない。

 二人の頭に手を当てて、あまり得意ではない魔法を使う。


 それは精神を支配する魔法。

 あるいは呪いの類と言ってもいいかもしれない。

 勇者世界では一般的で、桜盛の仲間たちの間でも冗談のように使われていた。

 なんと男を不能にする魔法である。


 割と一般的な魔法であり、それなりに解呪するのも簡単だった。

 しかしそれは、あくまでも魔法が普通に認知された、向こうの世界での話である。

 そもそも魔法が存在しないこの世界では、解呪の手段はないだろう。

 複数の女性を、おそらくは未成年まで含めて、レイプした人間である。

 二度と勃起出来ないようにするぐらいなら、妥当なものだと思う。

 もしも自分の親しい人間が被害者であったら、問答無用で抹殺だったかもしれないが。

 ただその場合はこの犯行に、どれだけの人間が関わっているか調べるため、さらに手間をかける必要があったろう。


 さて、一つの呪いはかけた。

 だがこれはまだ、半分でしかない。

 勇者世界における、二番目に厳しい刑罰。

 男の場合それは、断種である。


 生物の基本的な欲求は、子孫を残すことである。

 現代日本であると、未婚の男女が増えて、生涯の出生率も下がっている。

 ただそれは先進国にはよくあることであり、古くはローマ帝国なども、ローマ市民があまり結婚をしない傾向になったりもした。

 勇者世界の社会は、その自分の子孫を残すということは、極めて原始的だが正常なことである。

 特に貴族の場合は、その血統を残すというのは、ほとんど義務とさえ言われていた。

 なので断種、つまり去勢されることは、単純な刑罰という以上に、侮蔑の意味がある。

 思えば日本の中国なども、宦官というものはある程度、刑罰として受けているものがある。

 あそこも家を残すことは重要な文化だったので、確かに厳しいものなのだろう。


 嫌だなあと思いつつ、男たちの股間に触れる。

 そして魔力の手を伸ばして、睾丸に接触。

 ゆっくりとその機能を喪失させていった。

 性犯罪者は去勢しろ、などという声は日本でも上がっているし、実際に海外では去勢とまではいかないが、性犯罪者には特別な刑罰を科している国はある。

 これで性欲が消滅すれば、少なくともこれ以上の被害者は出てこないだろう。

 ただ少しだけ確認した映像には、他にも何人かの男が映っていたが。


 それをわざわざ特定して、ただ犯罪者というだけで私刑を行う。

 そこまでするのは面倒だな、と勇者はクールに去るのであった。

 後は警察のお仕事である。




「お先に失礼します」

 定時はとっくに過ぎていたが、やらなければいけないことをやっていたら、こんな時間になっていた。

 沢渡茜はまだ仕事をしている同僚を見ながらも、久しぶりに早めに帰れるな、と疲労の息を吐く。


 桜盛のもたらした情報によって、警視庁の組織犯罪対策部は、迅速に動いた。

 あの四人が行方不明になったと分かれば、該当組織も証拠隠滅の動きをするかもしれない。

 それは充分に予想されたので、捜査令状などもかなりの速度で発行された。

 そして家宅捜索などをして、色々と証拠が出てきて、逮捕者も多数。

 ここからもまだまだ、容疑を詳細まで固めていく仕事がある。

 だが遠くにではあるが、確実にゴールは見えている仕事である。


 一息ついたな、と思う茜は、あの大男のことを思い出す。

 勇者などとふざけていたが、茜の危機を救ってくれたあの姿は、まさにヒーローだとは言えた。

 もっとも男のほうにも、様々な犯罪の容疑がかかっている。

 ただどこの誰かとも分からないので、こちらは一般の刑事事件として、他の部が担当している。 

 それでも今回のヤマには、他の部からも応援が来ている。

 なので彼の正体を調べていくのは、ずっと後のことになるだろう。


 一応は現職刑事である茜が、殺害現場を見ていた。

 だがそれがどこにおいてなされたかも分からないし、死体がどうなったかも分からない。

 探す難易度も考えると、優先度は低くなってしまうわけだ。

 それでも茜は、警察官としてではなく、一人の人間として、彼に会いたいのであったが。

 いや、一人の女としてだろうか。


 鍛えられた胸板の感触が甦る。

 ただ彼は、防弾ジャケットを着ていなかったのだろうか。

 そのあたりも含めて、疑問は深まるばかりだ。

 とりあえずやつらが持っていた拳銃は、今は彼が持っている可能性が高い。

 もう一度会えたら、任意同行をかけるのだ。

「いやいや、とりあえずは休もう」

 料理をするのも面倒だし、食事は外食で済ませ、化粧を落としてシャワーを浴び、ぐっすりと眠る。

 刑事としてはとても贅沢な、明日の休みのことを茜は考えていた。


 なのでこの場合、茜は怒ってもよかったかもしれない。

「やあ、茜君」

 しっかり前を見ていなかったので、彼の存在は声をかけられるまで気づかなかった。

 ジャージ姿の厚みのある巨漢。

 桜盛がそこにはいたのである。




 とりあえず話が簡単に通じそうな刑事は、茜しかいないな、と桜盛は判断した。

 父の知り合いなどには、警察官や弁護士などもいたはずだが、それらは桜盛の高校生としての姿で会っている。

 なので桜盛に恩を感じていそうな、個人として会える茜に目を付けた。

 前に会ってからずっと、探知の魔法によるマーカーを外していなかったのは、やはり正解であった。

 友人にしておくべきは、やはり医者と弁護士と警官である。

 茜は別に、友人ではないのだが。

 

 あわあわとしている茜に対して、桜盛は率直である。

「ちょっと犯罪の証拠を見つけてしまってね。性犯罪なんで、女性に頼るのはどうかと思ったんだが、他に当てがなくてね」

「性犯罪?」

 確かに管轄は違うように思えるが、もしもそれが暴力団の資金源などであったら、やはり茜にも関係のある仕事である。

「どんな?」

「レイプの常習犯かな。薬を使って女の子を朦朧とさせて、というよくある手段だと思うけど」

 胸糞の悪い話だ。

 だが確かによくあることだと、茜は無理やり冷静になる。

「詳しく聞かせてくれる?」

 そう言ったところで、腹の虫が鳴る。

「……食事でもしながら。奢るから」

「……」

 真っ赤になっている茜に対し、桜盛は無言で頷いた。


 そこらのファミレスなどではなく、道を一本入ったところにある居酒屋。

「少し高くなるんじゃないのか?」

「監視カメラのない店を選んだんだけど」

「それは助かる」

 本日の桜盛は、帽子を被ってサングラスというスタイルである。

 夜中にサングラスというのは、もうあからさまに怪しいものであるが。


 カウンターの奥が二席空いていたので、二人はそこに座った。

「とりあえず生」

「ウーロン茶で」

「……下戸なの?」

「アルコールは脳細胞を破壊する」

 勇者世界では散々に、飲み比べなどもしていたものだが。

 ただ日本では、酒税があるために酒が高い。

 奢ってくれる茜のお財布に配慮した、桜盛の心遣いである。


 飲み物で唇を湿らせてから、会話は始まる。

 もっとも話すのはほぼ、桜盛のみであるが。

「まず、これが証拠だ。スマホとそいつらの持っていた財布。身分証明書などが入ってる」

 ビニールにまとめて入れたそれを、桜盛は渡した。

 もちろん自分の指紋などはつけていない。


 茜としては、準備がいいことだと感心する。

 指紋などが消えないように、あえて自分では財布には触れない。

 そして桜盛は、今夜の出来事をかいつまんで説明した。




 女性の性犯罪に対する嫌悪感は、当然ながら男性よりも強いものであろう。

 ただ男性であっても、その被害者が自分の身内であれば、加害者への攻撃は女性よりも激しくなる。

 勇者世界の話ではあるが。


 スマホの映像だけを少し見て、茜はおおいに眉をひそめた。

 美人のそういう顔は、様になってしまうものだ。

「私の部署の担当案件じゃないけど、話は通すわ。これだけ証拠があって身元も分かっていれば、普通に任意で引っ張るだろうし。ただその、今日の被害に遭った女の子は?」

「映像も消したし、基本的には未遂だから、本人としては思い出したくないだろうな」

「そういう、あまりショックを受けていない、未遂の被害者の証言がほしいんだけど。どうせ貴方は証言なんてしてくれないでしょ?」

「まあな」

 この姿の桜盛に、ありとあらゆる身分証は存在しない。

 そのうちどうにかして偽造出来ないかな、とは考えてはいるが。


 被害者となった少女は、確かにショックだったろう。

 だがレイプされた女性というのは、確実に性被害を受けているにも関わらず、それを訴えたがらない傾向にある。

 周囲からの視線が怖くなるからだ。

 なので少しでも証言してくれそうな人間は、多いに越したことはない。

「ただなあ、その子はちょっとお偉いさんの家系だから、扱いが難しいと思うぞ」

「ああ、そういう……」

 警察においても、そういう忖度は存在する。実際にお偉いさんの子息が加害者側であった時、そういう理不尽を見たことがある。


 エレナの気性を考えると、犯人に厳罰を求めるためなら、証人となるかもしれない。

 ただ逆に彼女は、証拠となる映像を消してしまっているので、他に証拠と言えるものがない。

「飲まされた薬の入っていたカップでもあれば、傍証になっていくんだけど」

「無理言うな」

 そこまでを求められても困る桜盛だ。ただ今後はそのあたりも注意していこう、とは思ったが。


 とりあえず事件は、桜盛の手を離れた。

 しかし桜盛としては、この際少し、頼みごとがあったりもするのだ。

「君に通じるような飛ばしの携帯って、手に入らないものかね?」

 これもまた無茶な話で、茜は溜息をつく。

 飛ばしの携帯とはつまり、契約者が使用者とは違い、携帯を洗っても使用者に行き着かないものだ。

 なお実際にこういう携帯は存在し、だいたい反社やそれに準ずる人間が、ホームレスなどに契約をさせて使っている。


 正直なところ、心当たりがないわけではない。

 だがもちろん、すぐに準備出来るというわけでもない。

 それに飛ばしでなくても、自分が二台契約して、それを持たせるということも出来る。

 もっともそのやり方では、警戒されるかもしれないが。

「私の情報屋になってくれるの?」

「う~ん……たまにはやってもいいけど、情報料取るぞ? そう高くはならないだろうけど」

 警察の中には、そういった微妙にグレーなことに使う金が、実は存在する。

 特に茜の今いる部署では、当たり前に行われている。


 それにこれは、桜盛とつながりを保つ手段である。

 なんとかしておきたい。いや、しておくべきことだ。

「少し時間がほしいけど、次はいつ会えるの?」

「基本的には土日の日中が会いやすいかなあ」

 こいつは普通のサラリーマンでもしているのか? と茜は不思議に感じたりした。

 ただ平日の日中に会えるとなれば、逆に一般のサラリーマンとは思えなくなる。


 茜は本来なら、明日は休みのはずであった。

 だが桜盛から渡されたこれを持って警視庁に戻れば、また明日も休日出勤になるだろう。

「悪いけど、刑事の仕事は休みが不規則なの。そちらからまた接触してもらえる? 本当に悪いけど」

「いや、分かったよ。たぶん一週間以内に、また会いに来る」

 約束はなされた。

 これでまた、この人物と会うことが出来る。

「じゃあ名前なんだけど、勇者なんて名前じゃなくても、もっと一般的なの教えてくれない?」

「ならユージで」

 茜はタカと呼ばれることになってしまうのだろうか。




 ともあれ、ようやく桜盛はこの日の仕事を片付けた。

 なお家に帰ったところ、成美はおおいに不機嫌であった。

 一度だけはメールを送った後、完全に向こうからの返信に気づいていなかったからである。なにしろアイテムボックスの中に放り込んだままだったので。

 せっかくここのところ、関係改善の兆しが見えたのに、せっかく作ってくれた夕食を無駄にしてしまった。もちろんそれは後で食べると言ったが。

 なのでまた桜盛は、成美のご機嫌取りを考えることになる。

 それがまたもや事件へ巻き込まれるきっかけになるあたり、やはり桜盛は主人公体質の人間であるのであった。

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