第7話 高嶺の花に手を伸ばす
勇者世界において、桜盛はとにかく女にモテた。
それでも女性と関わることがなかったのは、ほぼ全てが女神の嫉妬によるものである。
また下手に手をつけてしまって、いずれは地球に帰る自分に子供が出来てしまったら、などと考えたりもした。
色々と我慢するために、自分で自分を戒めていたのだ。
だがもう、自分に嘘はつかなくていい!
「あ~、彼女ほしいな~」
しかしこんなに露骨に言っていては、周囲の女子はやや引いている。
女子高生というのはもっと、スマートに誘わなければいけないのだ。
だがこんな桜盛にも、友人の山田君や鈴木君は、ちゃんと対応してくれる。
「お前ってどんなタイプが好きなんだ?」
「え……」
改めて問われて、答えられない桜盛である。
勇者世界で桜盛は、本当にモテていた。
女神が筆頭であったが、老若男女多くの人々にモテていた。
特に女性陣などは、かなり積極的なお誘いがあったものだ。
その気になればどんな女性でも、手に入れられたのではないだろうか。
貴族の子女はもちろん王族、あるいは宗教的に男性との結婚などが禁忌とされていた、聖職者の女性さえ。
そんな桜盛が、果たしてどんな女の子と付き合いたいか。
教室の一方の隅で、志保が聴覚に集中し、こっそりとその会話を聞いていたりする。
「あ~……なんというか、大人っぽいというか、自分のことを自分で出来る……いや、それも違うな。なんてんだろな」
「年上好みか? じゃあ鈴城先輩とか?」
「鈴城?」
「いや、入学式で挨拶してたじゃん! 生徒会長の鈴城エレナ先輩!」
「うん?」
どうも記憶の混乱は、まだ残っていたらしい。
地球時間では一ヶ月も経過してなくても、桜盛にとっては30年も前。
確かに忘れても無理はないが、それでも記憶を探れば思い出す。
「ああ、あの人は美人だったなあ」
「イギリスだかフランスだかとのハーフなんだろ」
「それで貴族の血も引いてるとかって」
「いや、イギリスはともかくフランスに貴族はいねーだろ」
なお貴族の血を引いているのならば、別に今でもフランスにも存在はするし、法律上は全く特権などはないが、貴族と認識されている者もいる。
別に血統はどうでもいいが、桜盛は鈴城エレナの顔を思い出す。
記憶力が良くなっているというのは、果たして神様は桜盛の脳に対して、どういう処理をしたのであろうか。
とりあえず思い出したのは、確かに大人びた顔立ちをした、髪の色が淡い茶色であった美人。
ハーフと言われればそうなのかな、と思える造作をしていた。
年齢的には17歳か18歳であり、勇者世界の桜盛であれば、自分の娘でおかしくない年齢である。
ただあちらでは、親子ほどの年齢差の結婚は、富裕階級では珍しくなかった。政略結婚であればなおさらだ。
「ありだな」
「いや、向こうがねーよ」
「高望みしすぎるなよ」
などと言われても、邪神を倒すことに比べれば、難易度は絶対に低いであろう。
……確かにそうではあるが、世界の危機と比較する桜盛の判断基準は、間違いなく壊れている。
鈴城エレナは日英ハーフの美少女である。
その容姿は周囲の注目を集めるのには、充分すぎるものといっていいだろう。
ただ改めて彼女を見てみれば、目が笑っていないな、と桜盛は気づく。
これまた勇者世界で学んだことだ。
笑みを絶やさない女とは、怖い女であると。
もっとも桜盛の場合は、そもそも女性と仲良くなろうとは思わなかった。
ただ仲間のうちには、さすがに女性が一人もいないということはなく、背中を預けられるような者もいたのだ。
エレナはあちらで言うところの、貴族の女のような目をしていた。
凛として、周囲に尊重される気高さを持ち、それでいて威圧感もある。
(下々の人間のことなんて、同じ人間と思ってないんじゃないか?)
金持ち御用達のこの学校においては、同じ金持ちでもランクというものがある。
私立病院の院長の息子である桜盛は、そこそこのランクに過ぎない。
だがエレナの場合は、古くから政治家を輩出している家であるらしい。
ただ彼女の場合は、少し毛色が違うのであるが。
これは質問権で手に入れた情報ではなく、周囲の人間から聞いた話だ。
日本の政治家の家系は、いくら名門であっても、外国の政治家と婚姻を結ぶことは少ない。
なぜならそれは、日本の政治家であるからだ。
これがヨーロッパであれば、まだしも可能性はある。
だが日本の皇室が、国内で相手を探すように、本来は日本の政治家も、国内の勢力と結びつきを強める。
日本の政治家は、日本のために働くべきであって、利益が相反するかもしれない、海外の政治家と結びつくのは好まれないのだ。
もちろん例外はあるが。
エレナの場合は、例外になる伝手やコネの拡大になるものではなく、本当に留学中の政治家の息子が、当地の女とくっついてしまったというものだった。
またあちらとしても、貴族の家の人間で、政界や財界とつながりがあった。
それが日本人とくっついては、色々と困ったものになるのだ。
いっそのこと昔のように、完全に政略結婚が、外交で行えた時代なら、まだ良かったのかもしれない。
だが現代では、本当に困るのだ。
たとえば生まれた子供に、その母親はイギリスのことを話すだろう。
そうしたら自然と、子供にもイギリスに対する親愛の情が湧いてしまうかもしれない。
外交において親愛などというのは、便宜上用いられる美辞麗句にすぎない。
海外の人間が政治に関わればどうなるのか、それは勇者世界を見てきた桜盛は、よく分かっている。
紐帯を強めるための政略結婚絵あったはずが、相手国の中に自国の勢力を作る、橋頭堡などになっていたりもした。
その場合はもう、国内での争いなどが起こって、魔王対策が後回しにされたりもしたものである。
これを防ぐには三国以上の関係で、それぞれ婚姻を結んでいったらいい。
下手な干渉をすると、こちらも干渉される可能性がある。
ただ実際はそこまでやっても、国家の体制が弱まることがあれば、人間同士は争っていたが。
話が逸れた気がしたが、エレナの立場というのは微妙なものなのだ。
父親は現在、外務省の官僚として働いている。
後には祖父の地盤を継ぎ、政界に乗り込むはずであった。
だが地元の後援者か、それでなくてもなんらかの政略結婚をすべきであったのに、海外の貴族などと結婚をしてしまった。
こうなると祖父の後継者は、次男となったりするのだ。
政治家の家に生まれ、父は官僚であり、母は貴族の末裔。
なんとも華々しく見えるが、その後ろ盾となるものは弱い。
いっそのこと母の母国へ行けばいいのかもしれないが、あちらはあちらでやはり結婚には反対していたそうだ。
「う~ん、なんだかな」
学校のPC室を借りて、調べた桜盛である。
そして前提の知識を得ると、エレナの人物そのものを調べることにした。
授業が終わり、帰路に就くのではなく、部活動に出るエレナ。
彼女は吹奏楽部に所属しているが、うちの学校は特に力を入れている部活でもない。
桜盛としては彼女の帰宅を待つべく、図書室で宿題などを片付けたりしていた。
生命感知で特にマークをしているので、彼女が帰るのを見逃してしまうこともない。
はてしかし、どうやって接触すればいいものだろうか。
「玉木君」
ぼんやりとしていた桜盛に対して、そう声をかけてきたのは、桂木志保。
それは分かっているのだが、桜盛は反応が少し遅れた。
ここ最近、志保はイメチェンをしたのか、しっかり三つ編みにしていた髪を、ほどいておろすようにしている。
明らかに前よりも色気は増したはずなのに、なぜか異性を刺激しない。
「少し、話をしていい?」
「……少しなら」
志保の肉体が、年齢に比して充分に成熟していることを、今さらながら思い出した桜盛であった。
転移前の自分と、転移後の自分。
桜盛は意識的にはつながっている。
そして転移前の自分と、帰還後の自分。
それもまたつながっているように感じるのだ。
つまるところ桜盛は、転移前の自分がモテない男であった、という認識がある。
志保と対面する桜盛は、どうしてもその胸部装甲に目がいってしまう。
そういえばあの呪いは、どうなったのだろうか。
改めて呪いがかけられた様子がないので、おそらくはもう大丈夫なのだろうが。
ただ論理的に考えると、あの殺意にまでは至らないが、完全に悪意のある呪い。
呪いとして考えるなら、随分と中途半端なものであったと思う。
それでも呪いは呪いなので、志保をどうにかしようとはしていたのだろう。
勇者世界であれば、ほとんどの場合の呪いであれば、対象を殺害することを目的としていたものだが。
そもそもこちらの世界には、その程度の呪いしかないのだ、と考えるのが自然だろうか。
一応誰がかけた呪いか、までも分かってはいる。
あまりにも弱いので気にしていなかったが、こちらにも魔法の類があるのだとしたら、調べておくべきではないか。
あるいは魔法、という言葉で呼ばれるものではないのかもしれないが。
上手く質問権を使っていけば、すぐに分かるはずだ。出来るだけ封印とはなんだったのか。
そう思いながらも、桜盛の視線は志保の顔と胸を、上下に交互に眺めている。
メガネはまだそのままだが、髪を解いただけでも、随分と大人びたいんしょうになっている。
あと前よりも美少女度合いが増しているのは、気のせいであろうか。
「玉木君……」
「え、何?」
「あんまり見ないで……」
少し頬を染めて、胸元を隠す志保である。
「うえは! すみません!」
盛大に頭を下げる桜盛であるが、実のところ志保はそんな不快感などは感じていなかった。
確かに恥ずかしいことは恥ずかしいのだが、それが不快になるかと言うと、桜盛ならばそれほどでもない。
イケメン無罪に似た理屈で、志保は桜盛に接している。
しかし、志保はなんの用だろう。
そう思って桜盛は待っていたのだが、やがて決心したように、志保は頭を下げた。
「この間は、本当にありがとう」
「え、ああ、図書室の話? それはもう感謝してもらったし」
桜盛にとっては、もう終わった話のはずであったのだ。
「それだけじゃ、ないんでしょう?」
志保の追加の問いに、思わず桜盛は硬直してしまったが。
これは、志保もまた、呪いに関しては知識があったのか。
ただ桜盛がそれを解呪したのだとは、さすがに分かるはずもない。いや、本当に分からないはずなのだ。
そう考えて桜盛は、もしもあの夜、志保が自分の部屋を監視カメラで撮影していたら、などということに思い至った。
(いやいやいや、ないないない。自分の部屋を自分で監視するなんて、しかも寝ている間に!)
常識で考えればそうだが、もし機械式のカメラで撮影されていたら、桜盛は気づかない。
さらにあの時は、部屋の中では透明にもなっていないし、姿も変えていなかった。
「なんのことか分からないよ」
「そう、それじゃあそれでもいいけど」
追求されないのはありがたいが、志保は少し人の悪い笑みをしてきた。
「私と、友達になってくれる?」
丁重にお断りしかけたのは、勇者世界の影響が残っていたからだ。
しかし今なら、女友達ぐらいは全く問題はない。
むしろ女子との接点は、積極的に作るべきだと、下心混じりで思い直す。
「友達なら、全然問題ないけど」
そう言った時の志保は、本当に朗らかな笑みを浮かべたものである。
気づけば桜盛が探知していた反応は、動き始めている。
時刻的にもそろそろ、部活が終わるのか。
「あ、俺ちょっとこれから用事があるけど」
「そう。じゃあまた明日」
諸々を鞄の中に入れて、桜盛は図書室を出る。
それを見送った志保もまた、帰宅の支度をし始める。
図書室で宿題をほぼ終わらせるまで、声をかけることが出来なかった。
そんな志保のささやかな勇気にも、今はまだ気づいていない桜盛。
さらに呪いについて調べなければ、ということすらも頭から消えてしまっている。
高くなったはずの知力とは、いったいなんだったのか。
今の桜盛はただ、エレナを追いかけることだけに集中していた。
学園一の美少女を追跡する。
完全に犯罪者一歩手前の行動であるが、絶対にバレることはない。
なぜなら桜盛はエレナの反応を捉えて、距離を置いて追跡しているからだ。
刑事なら絶対に欲しがる技術であるが、これもまた魔法だ。
のんびりと散歩をするように、エレナを尾行する。
まずは相手を知らなければ、という桜盛の考えであるが、それが尾行になるあたり、やはり感覚がずれている。
ただエレナは電車で移動すると、繁華街近くの駅で降りる。
こんなところに彼女の家はないと思うので、何か用事でもあるのか。
電車の中でも車両二つは離れていたので、間違いなく見つかっていない。
そもそもエレナを追跡していた、と証明することは出来ないだろう。
ただしばらく、エレナの反応は一箇所で動かなかった。
何をしているのかな、と一度だけ接近してみる桜盛。
そして目にしたのは、完全に印象を変えたエレナの姿であった。
制服から私服に着替えたのだが、髪型も変わっていれば、化粧も変わっている。
スカートはミニになっており、明らかにギャル然とした姿なのだ。
普段の彼女を目にしている人間でも、よほど親しくなければ同一人物とは気づかないだろう。
何よりも雰囲気がギャルである。
(う~ん、お嬢様の裏の顔、か)
桜盛はどちらかというと、清楚系が好みである。
だが正直に言ってしまえば、美人であれば他はどうでもいい。
そろそろ日も没し、街を歩く人間の層が、夜の住人に変わりかけている。
もちろんまだまだ、帰宅しようとする人間や、食事をしようとする人間など、昼の世界の住人も多いが。
(新宿駅から離れたけど、地理がよく分からないな)
地図アプリを使えば、もちろん分かるのだろう。
ただ桜盛は異世界で、魔法による地図作成に慣れてしまっていた。
そう思っている間に、桜盛は思い出す。
この間の女刑事救助事件にて、桜盛は帰宅がかなり遅くなった。
そして妹の成美から、遅くなるなら連絡しろ、とかなり詰られてしまったのだ。
男がちょっとやそっと遅くなったぐらいで、心配などはいらないだろう。
桜盛の感覚としては、現代日本の平和な環境で、自分に対する心配は無用である。
しかしそれは明らかに、勇者世界の危機感に、桜盛の基準が慣れてしまっているものだ。
もうここから帰ってしまおうか。
お嬢様の裏の顔を知って、正直なところ桜盛は失望している。
彼がお付き合いする女の子に望むのは、初心で高校生らしい恋愛。
はっきり言って男慣れした女性と付き合うのは、抵抗があるのだ。処女厨である。
(でもせっかくここまで来たんだし、夜の社会も少しは知っておこうか)
メッセージを成美に送って、桜盛は追跡を再開する。
この判断が正解であったと知るのは、それほど後のことではなかった。
成美からの返信は、やはり桜盛の不良化を心配するものであったが。
中学生と高校生は違うだろう。
桜盛はそんなことも思ったが、それ以上に勇者と一般人は違う。
ふらふらと夜の街を歩く桜盛は、やがて自分の学生服も着替えないといけないいな、ということに気づくのであった。
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