第14話 命の価値
桜盛にとって命は、選別するものである。
それは別に傲慢な考えからのものではなく、どうしようもない現実から悟ったものだ。
助けられる命が、10と100と同時にある。
その場合は100の方を助けるのだ。
どちらも助ける、などという物理的な無理が通用するのは、フィクションの中だけである。
東と西に戦場が二つあれば、どちらかは誰かに任せざるをえない。
そして任した仲間が、命を捨ててまで人々を守ってしまう。
だがそれではダメなのだ。
魔王を殺す。
その大目標のためには、10どころか100や1000といった数字さえ、命を見捨ててきた。
だが勇者である自分という、たった一つの命だけは、捨てるわけにはいかない。
なぜなら、それが最も多くの人々を助ける、最高の選択であったから。
魔王を倒して邪神を封じる直前には、もう心は壊れかけていたのかもしれない。
いや、壊れた心を無理やりまたつなぎ、人として振舞っていたのか。
(思い出してきたぞ)
機械的にただ、魔王を倒すために。
今のこの人間らしい感情は、勇者世界では磨耗していたはずのものだ。
まあ磨耗した原因は、おそらくあの女神のせいもあるのだろうが。
もっと女と寝物語でも聞いていれば、少しはメンタルも死んでいなかったかもしれない。
(どんだけストレス感じてたんだ、あの頃の俺)
地球の神様といた空間。あそこではおそらく神様の力で、発狂するのを防いでくれていた。
そして地球に帰還した時の、あの記憶の混在。
ようやく思い出してきた。
(神様、ありがとう)
自分の価値観が、地球にいた頃の自分と、ようやくほどよく混じってくる。
自分を客観的に見て、そして過去の記憶を確認できるようになっている。
いや、記憶と言うよりは心情か。
理想を折られて、それでも救える命を少しでも多くするため、戦い続けた日々。
それはもちろん必要なことであったが、救えなかった命を正当化したくはない。
今の自分が何をすべきか。
それは救える範囲の命を救う、ことではない。
気軽に救える範囲を、負担にならない程度で救う。
そうでもしなければ桜盛は、おそらく壊れるだろう。
この地球においても神はいるが、守護してくれるようなものではないし、何より仲間がいない。
誰かを守ることによって、勇者もまた力を得ていたのだ。
(それが本当なら、家族とかになるんだろうけど)
日本はいまだに、あまりにも安全である。
桜盛が鉄山を救うのは、自分のためである。
おそらく残り少ないであろう命、孫娘を助けてやる代わりに、自分の後ろ盾にもなってもらう。もちろんこちらに有利な条件で。
夜の空を飛行する桜盛は、同時に透明化もしている。
さらに年齢を変える変身もしているので、三つ同時に発動である。
勇者世界では、こんなことは考えられなかった。
飛行中はどうしても、機動力が減少する。
短時間であればそうでもないが、それは本当に戦闘のための機動。
こうやってのんびりと空を飛べるというのはありがたい。
ただこうやって飛んでいるのも、もしかしたら魔法で探知している者がいるのか。
鉄山のような上流階級の人間も、呪いにはかかっていた。
そして警察には、魔法を使役する人材がいる。
志保にかけた呪いと、鉄山にかけた呪いは、おそらく違う人間によるものだ。
あるいは人間ではなく、そういったアイテムを使ったものなのかもしれないが。
最初の志保の呪いに関しては、間違いなく犯人が分かっていた。
だが鉄山の方の呪いは、簡単な質問権の行使では犯人が分からなかった。
これはつまり犯人が誰かを知っているのが、一人以下の場合に当てはまるはずだ。
志保の場合は依頼でもしたのか、依頼主と呪った人間の名前が分かった。
しかし鉄山の場合は、これが分からなかったのだ。
勇者世界での呪いというのは、返されればその呪いの行使者を害するものであった。
なんとなく日本の古来の呪術というのも、そんなようなものだったとマンガで書いてあったような気がする。
それが正しいのであれば、志保の呪いを返されたことにより、行使者は手を引いたのだろう。
志保の呪いが解かれたことで、依頼者はその呪いの対象を、鉄山に向けることに変更したのか。
まったく愚かなことである。
おそらく鉄山への呪いを解除すれば、呪った者にその呪いが返る。
以前の行使者はおそらく、それに対応する策も持っていたはずだ。
しかし今度は、そんな予防策は取っていないのではないか。
すると呪いを返したことにより、その人間は死ぬ可能性が高い。
既にこちらに戻ってきてから、四人を殺している。
今さらもう一人ぐらい、殺しても問題はない。
問題と思えるのは、桜盛の存在が裏の社会に広まってしまうことだ。
いや、裏ですらなく、闇の社会なのかもしれないが。
桜盛の気分としては、今は邪神を倒した後の、スローライフのタイムなのである。
色々と事件に巻き込まれているが、充分に余裕で対応出来ている。
警備システムを完全に無視して、桜盛は離れの屋根に降り立つ。
そして今度こそ完全に、呪いの発生源を特定した。
(人に対してのものじゃないのか……)
これは解呪してしまっても、使用者に反動はいかないかもしれない。
とりあえず縁側に降り立ち、気配を探る。
夜の庭には、静寂の中に小さな生き物の気配がある。
ここで眠っているのは、どうやら鉄山一人。巨大な企業グループの会長でありながら、随分と無用心なものだ。
(視線も特に感じないし、機械的な警戒もないのか)
それに呪われていて、おそらく寿命を削られている。
護衛でさえも傍に置きたがらないというなら、それは逆に臆病ではなかろうか。
転移を使って、寝床の和室に入る。
枕元には日本刀などがかけられているが、これはおそらく実用品だろう。
(……欲しいな)
日本刀、かっこいいよね。主人公はよく使っているし。
ただ勇者世界では、実用的な武器とは言えなかった。
わずかに苦悶しながら、それでも眠っている鉄山の姿。
夜の間だけ、少しずつ生命を削っているのか。
90歳を超えていれば、別に死んでもおかしくない。
だが適切に生きていれば、まだその寿命は先である。
「ご老体、起きられよ」
自らの気配を強めて、桜盛は声をかける。
一瞬で目を覚ました鉄山は、枕もとの日本刀に手を伸ばしていた。
一瞬の間に、それを脇に構えてから抜刀。
(へえ)
抜刀術を初めて見た桜盛は驚いて、自分の首を断とうとした刃を、指二本で止めてしまう。
真剣白刃取りの、指二本バージョン。
時々フィクションでは使われているが、実は真剣白刃取りは、現実では出来ない技であったりする。
「お静かに。ご老体、私は取引に来た」
さすがに刀を止められて、鉄山は驚いているようであった。
剣道四段であり、さらに居合いまでやっている。
だからこそ分かるのだ。この存在が常軌を逸していると。
「よろしいかな?」
「座りな」
ふてぶてしくも胡坐をかく鉄山に対して、桜盛も同じように対峙した。
正直なところ、今晩鉄山を訪れるというのは、あまりいい選択ではなかったのかもしれない。
それはこの日の昼間に、既に桜盛の元の姿で会っているからだ。
初対面の桜盛に対して、鉄山は警戒をしていた。
その夜にこうやって訪れる侵入者は、直感的にでもつながりを感じるかもしれないからだ。
ただ呪いは、老人である鉄山を徐々に弱らせていく。
少しでも早く解いてやらないと、死は突然に訪れるだろう。
そうなったら志保が可哀想だ。
見た感じはほんの少しであるが、志保と鉄山の仲は良好のようであった。
そして友人の家族であれば、桜盛はそれなりに優先して守ってやるものだ。
たとえ家族や親戚でも、首謀者である従兄弟は、どうにかしないといけないと思っているが。
ともあれまずは話し合いである。
「ご老体と呼んでいいのかな? それとも御前だの会長だの、そういった呼ばれ方が好みかな?」
「好きに呼べばいいだろうが」
「そうは言ってもこちらは、好きには呼ばれたくないので」
「じゃあ名前で呼べや」
「私のことは、とりあえず勇者と呼んでくれ」
深夜、巨大な邸宅の離れの寝所で、勇者と老人が相対する。
(なんかあるあるシチュエーションだなあ)
少し笑ってしまいたくなるところだが、ここは真面目な場面である。
真面目だからこそ、笑顔で応対しているわけだが。
「鉄山さん、私が今日こうやって深夜貴方を訪れたのは、かけられた呪いを解くためだ」
鉄山の視線が、鋭いものになった。
オカルトの類を信じているのかどうかはともかく、安易に否定しない程度の分別はあるらしい。
「それで呪いを解いて、お前さんになんの得がある?」
「得というわけじゃないけど、交渉の前に呪いは解いておくよ」
掌を畳みの先、床下にある呪いの元に魔力を飛ばす。
完全に力技で、呪いを蒸発させた。これは勇者世界でも、他に二人ぐらいしか人間には出来ないことである。
少しずつ、だが一年以内にはまず命を奪う呪い。
ただ勘の鋭い人間でも、これには気づかなかったろう。
「私が鉄山さんに興味を持ったのは、お孫さんのことが発端でね。志保ちゃん」
孫娘の名前を聞いたとき、わずかに鉄山の殺気が上がったのを感じた。
「少し前に彼女が呪われてるのを偶然見てね。それでまあ手間でもないし解いておいたんだ。その後で呪いをかけた人間も調べてたんだが」
いちいち興味を引きそうなことを、桜盛は言っている。
主導権を握りたいのである。
「せっかく呪いを解いたし、その後がどうなってるかと思って家に来てみれば、また別の人間が呪われているのを見たわけで」
「……午後に来ていたガキと、何か関係があるのか?」
「誰それ?」
普通に何も気配を変えず、桜盛はとぼけてみせる。
これぐらいの腹芸は、彼にも出来るのだ。
鉄山の探る気配は、少しおとなしくなった。
「それで、俺の呪いを解いて、何を交渉するんだ?」
「いや、もう呪いは解いた。明日からは安らかに眠れると思う」
この言葉に鉄山の鋭鋒は、確かに弱まったと思う。
「取引材料は、志保ちゃんへの呪いを依頼した人間の名前。鉄山さんにかけた呪いの方は、まだ誰か分かっていない。もっともおそらくは同じ人間だろうが」
「それは確かに知りたいことだが、それに対してどんな対価を求めるんだ?」
どうやら交渉に乗ってきたようである。
交渉というのは、お互いの持っているカードの範囲で、条件を出し合うものである。
それを思えば桜盛のやったことは、利益の先払いだ。
ただここからも、桜盛はいくらでも提供出来るものがある。
なんならポーションさえも、一つぐらいは取引材料にしていい。
呪いで弱った鉄山の体を、かなり回復させるだろう。
しかし神様製作のポーションでも、極端な若返りや寿命の延長は不可能であるらしいと説明にはあった。
「俺はちょっと長い間とんでもない社会で生きてきて、ようやくこの間、日本に帰ってきたんだけどな」
ここは桜盛が、ささやかな望みを口にするターンである。
「色々と事件に巻き込まれたりもするんだが、力を隠してそれを解決するのが難しいんだ」
「すると金じゃなく、他のことか」
「ご名答」
まあ金も、出来ればあった方がいいのだろうが。
出来ることなら茜から警察へ、そして国家へとつながりたかった。
だが組織というのはなかなか、一人の意思で末端の兵隊に特例を出すのは難しいものである。
茜との再会の時、追尾する使い魔をつけられたことから、あまり警察に接触しすぎるのは良くない。
「主に知識と人脈だな。まず一つ、日本の上流世界にはこういうオカルト系統は一般的なのか?」
「一般的じゃないが、普通にあることだな。うちの会社も少しつながっている」
ならなんでこの呪いに気づかなかったのか。
いや、気づかない程度に、徐々に効く呪いであったのか。
少し考えこんだ桜盛に、鉄山は少しばかり知識を披露する。
「警察庁と警視庁がそれぞれ、そういったのを隠し球や前線に持っているというのは聞くな。機動隊を一人でぶちのめすだとか」
その程度のことなら出来て当たり前と思う桜盛である。
極端な話、羆に素手で勝てるかどうか、というのが戦士の最低限のラインだ。
「あとは裏社会の殺し屋で、そういうのもいるというのは聞いている。ちなみに残念なことに、護衛の仕事を引き受けてくれるやつは少ない?」
「そりゃまたどうして?」
「殺し屋なら対象を殺せばいいだけだが、護衛はずっと守らんといかんだろう? それでは稼ぎにならんと。まあ、殺したいだけのやつもいるわけだが」
「するとそういった殺し屋に狙われたらどうするんだ?」
「なんとか最初の一撃をやりすごして、殺し屋の殺し屋を手配する。もしくは数を揃えて殺す」
「なるほど」
対殺し屋の殺し屋、というわけか。
「すると鉄山さんも、そういうのを頼んだことがあると?」
「頼んだこともあるし、自分で返り討ちにしたこともある」
「どうりで」
桜盛と対面して、これだけ平然としていられるわけである。
もっともその本物の力を知ったら、どうなるかは分からないが。
いや、それも違うのか。
戦争の段階まで行けばともかく、現在の日本ではおそらく、暴力の価値が比較的小さい。
そして個人の戦闘力は、間違いなく勇者世界よりも小さい。
桜盛にしてもあちらよりは、この地球においては振るえる力が小さい。
もっともそれは、あの女神の恩寵がなくなっていることもあるのだろうが。
鉄山に警察との話をすれば、そりゃあ違うなと言われてしまった。
「警視庁は上に警察庁があるしな。いや、順番としては警視庁の上には公安委員会、それに都知事がいるわけだ」
このあたり調べても、よく分からなかったのが桜盛である。
「警察官の頂点と接触するなら、警察行政を担う警察庁に、その上の国家公安委員会と接触するしかない」
「つまり私のやっていたことは無駄だったと?」
「無駄とは言わないが、狙った先が間違っている。それにそういった怪異事件の取り扱いは、国家公安委員会も知らず、警察庁や警視庁の中で、代々受け継がれてるとは聞く」
「総理大臣とか、警視総監とかがトップじゃないと?」
「そのあたりも微妙なもんなんだがな」
どうやら複雑であるらしい。
この世の理から外れた存在というのは、そもそも組織の中にあっても半独立していて、上からの干渉を受けない部署になるらしい。
組織としてそれでいいのかとも思うが、そもそも日本は民主国家で、一応は政権の交代もあったりする。
上の方針が変わってしまっても、変えてもらっては困る部分というのはあるのだ。
なので間に何枚かの人間を入れて、結果的には変わらないようにする。
「一つの家系が独占していると?」
「家系ではないだろうが、適した人間で引き継がれているはずだ」
そしてそれが、どんな立場の誰なのかは分からない、ということだ。
さすがは国家の治安維持組織。警察を都合よく利用するのは難しいらしい。
「一応警察から飛ばしの携帯をもらったんだけど、使わない方がいいかなあ?」
「位置情報を知られるだけだと思うが」
「いやいや、それはさすがに対策はしてあるんだけど」
今のところはアイテムボックスに収納し、周囲にカモフラージュになる人間がいるところでしか使わない。
しかしせっかくのスマートフォンの機能が、ほとんど使えていないのだ。
またGPSについても完全に無効化できているかどうか、桜盛には自信がない。
なのですぐにでも、警察に周囲を囲まれるかもしれないという恐れはある。
別に突破出来ないわけではないが、とにかく身元が明らかになるのは困るのだ。
「連絡手段が必要なのか?」
「手の届く範囲の知り合い程度は守りたいんだけど、便利なはずの携帯がねえ」
まさか伝言板にXYZなどと書いていても、それは急を要することには間に合わないだろう。
「ならとりあえず、これを持っておけや」
ひょいと枕元から投げ寄越したのは、なんとガラケーであった。
電話やメールは使えるが、スマートフォンのような機能はない。
だが単に連絡を取るだけなら、それで充分なのだ。
「ごくわずかな人間にしか、その電話番号は知らせてない。区内で使う分には、発信源は分かってもどこで使われたか詳しくは分からないだろ」
「これは嬉しい」
「いくつか連絡先は入ってるが、それにもこちらから連絡しておく。勇者と名乗る男から電話があったら、便宜を図るようにな。それぞれの役割は、またメールででも送っておく」
「ちなみにその中に、希少金属のインゴットを格安手数料で現金化してくれる人などは?」
「その程度ならいくらでもいるが」
「契約成立だ」
金が絡む契約というのは、むしろ強固なものなのである。
桜盛が伝えた犯人について、鉄山はひどく険のある表情をしていた。
だが桜盛が片付けようかといったところ、身内の始末は自分が付けると言ったものだ。
それはいいとして、果たして志保にかけた呪いに、いったいどんな意図があったのか。
あの中途半端に危険な、それでいて女性の尊厳に関わるような呪いが、どうして必要だったのか。
桜盛としては、最初はあの程度の呪いしか使えないのか、と思ったこともあった。
だが鉄山にはまた、違う見方があったらしい。
「傷物にになった方が、扱いやすい場合はある」
「ああ、なるほど」
それですぐに理解する程度には、桜盛も勇者世界の常識を結び付けている。
勇者世界は地球に比べればむしろ、過剰な貞操観念はなかったと言えよう。
国にもよるがよほどの貴族の令嬢や令息であっても、子供が出来なければ特に問題はない、という価値観すらあったのだ。
ただそれでもどこの誰とも知らない人間に辱められれば、その名は落ちるものだ。
加害者の方が悪いじゃないか、というのは単なる理想論である。
女であっても危害を加えられないように立ち回る。その程度は出来て当たり前。
フェミニストには優しい世界であったろう。
ともあれこれで桜盛は、幾つかの問題を解決することが出来た。
鉄山が高齢ということは懸念材料だが、彼を介して権力者とつながることが出来ればいい。
途中に介する人間を入れて、無理難題を言われないようにする。
そこそこの善行を行いながら、スローライフを楽しむ準備は出来た。
「未来最高」
などと飛びながら言っている桜盛に、もちろんそんな平穏な未来は待っていないのであるが。
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