第15話 嵐の前

 全てが良い方向に向かっている。

 桜盛はこの世界に戻ってきて、ようやくそれを実感し始めている。

 成美との関係は良化してきて、もうすぐ例のコンサートに行ってくるそうだ。

 特に攻略対象などではない義妹なので、これは家庭内のコミュニケーションが円滑であれば、それでもう構わない。

 ただ他のモテというか女性関係は、少し志保と仲良くしたぐらいで、後回しになってしまっている。

 定期テストがあって、それに時間をかけていたのだ。


 それが終わった。

 知力が高くなったなと感じている桜盛であるが、記憶力以外の応用力については、まだまだ考察の余地がある。

 だいたい学校のテストというのは、授業でやった範囲で出てくるものなのだ。

 高校のテストは中学からの積み重ねが、結果として出てくる。

 桜盛はまだしも高校からこの学校に通っているが、実は中等部も存在して、成美はそちらに行ったりしている。

 桜盛が中学時代は公立に通っていたのは、仲のいい友人がそちらにいたからだ。

 もっともさすがに高校になると、将来を見据えて学校を選ぶことになったわけだが。


(あの頃は若かった)

 体感では30年以上まで、しかしこの時間軸では一年前。

 最初から中学受験をしていればよかったのかな、とも桜盛は思わないでもない。

「オーセイ、打ち上げ行こうぜー」

「んだんだ。打ち上げ打ち上げー」

 山田君と鈴木君の誘いに、桜盛も軽薄に応じる。

「よーし、行くか~」

 とても高校生らしい青春であろう。


 ただ桜盛は背後に気配を感じていた。

 それを隠そうと息を潜めているのだろうが、桜盛にはバレバレである。

 他人の気配を無意識に確認するあたり、桜盛は勇者という名の暗殺者の職業病を発している。

 俺の背後に立つな。


 振り向いたところには、人差し指でつつこうとしていた志保がいた。

 それが急に振り向かれたので、その姿勢のままで固まっていた。

「何してんの?」

「え……なんでしょう?」

 背中をつついて「うひひゃあ」という声を期待していた、などとは言えない志保である。




 最近桜盛と志保の距離が近い。

 空気をそれなりに察する山田と鈴木としては、友人にやってきた春の気配を、もちろん祝福せずに邪魔するつもりである。

 お前ら、人の心とかないんか。

 ただ気弱そうな、それでいてスケベなボディをしていた志保が、三つ編みを解いてコンタクトにすると、なぜかエロ度は下がりつつも、容姿カーストがかなり上がったのは確かである。

 ようするに、山田と鈴木では、対抗できるものではない。


 ただ桜盛としては、ちょっとまだ若いよね、と思うのだ。

 あるいは幼さと言ってもいいが。

 もっともその胸部装甲に抗うために、意識を逸らすのは大変だ。

 精神的には未熟であるが、肉体的には既に成熟。

 勇者世界でも30歳ぐらいの年の差婚は普通にあったし、桜盛は若さを保っていたので、若い少女にもたくさんモテたものだ。

 その全てはあの、偏愛の過ぎる女神のせいで、成就することがなかったものだが。


 教室から連れ出された桜盛は、廊下で志保に壁ドンされていた。

 志保の方が10cmほどは身長が低いので、少し苦しそうに見上げてきたが。

「実はまたお爺様が、玉木君に会いたいって言ってるのよ」

 志保は不審がっている様子だが、桜盛には心当たりがある。

 やはり桜盛に対して、あの夜の勇者との関連を疑っているのだろう。


 勇者世界にも巨大な組織の上に立つ人間は、そういった直感を大切にしていた。

 桜盛としても大切にしていたため、生き延びることが出来たと言っていい。

 直感というのは大体、言語化出来ない合理的判断、である場合が多いからだ。

「お爺さん、この間はちょっと体調悪そうだったけど、もう大丈夫なの?」

「それがこの数日で急に元気になって、庭で刀振り回してるのよ」

 元気すぎる爺さんである。


 ただ桜盛としては、あまり会いたくはない存在だ。

 ああいった目をした人間は、とにかく洞察力が鋭い。

 こちらは全てを隠さないといけないのに、向こうは一箇所を見抜けばいい。

 そういう場合は攻撃側が有利なのは、言うまでもないことである。

 もっとも勇者としてであれば、また会って話してみたいことはあるのだが。




「それはそれとして、テストも終わったことだし、ちょっと遊びに行かない?」

「あ、今日はちょっと予定を入れちゃって」

「じゃあ次の日曜日は?」

「それならいいかな」

「映画はどう? スカッとするアクションとか」

「アクション系かあ……」

 少し眉をひそめる桜盛に、志保は意外そうな顔をする。

「男の子って、アクション好きじゃないの?」

「一般的にはそうかもしれないけど」


 人それぞれ。

 そう言ってしまうのとは、ちょっと違う。

 桜盛はこれまでに既に、身をもって散々にアクションを体験してきた。

 なのでアクションは、見るのも食傷気味なのである。

「ええと、じゃあファンタジーとか。古典のファンタジーを映像化したのが今やってるけど」

「ファンタジーもちょっと。コメディとかミステリーとか、そういうのがいいんだけど」

 ファンタジーも完全に飽きてしまった。


 それにしても女から誘われているのに、なんとも贅沢な男である。

 しかし桜盛には、そんなつもりもないのである。

 勇者として散々にもてはやされた桜盛は、ナチュラルに接待されることに慣れている。

 かといって別に、自分が世界の中心だとか、そんな傲慢な考えでもないのだが。


「じゃあ……あ、このミステリー、映画化してる」

「ん? ミステリーならけっこういけるかも」

「この人の他の作品、原作で読んでたんだけど、これだけ受験と重なって読んでなかったのよね」

「実績ある人の作品なら、それなりに当たるんじゃないかな」

「それじゃこれでいい?」

「OKOK」

「時間とか場所は、また連絡するから」

「了解」


 約束をすればスマートに去っていく志保である。

 そして桜盛は両側から、山田と鈴木に肩を極められるのであった。

「ああ~ん、オーセイよ、デートか? デートなんか?」

「お前自分だけ幸せになろうなんて許さんよ、けど桂木さんから他の友達紹介してくれるなら許すよ」

 怨念をすごく感じながらも、桜盛は言わざるをえない。

「無茶言うな。桂木さん、俺以外友達いねーんだよ」

 首まで絞めてきた、二人の動きが止まった。

「そういや教室では一人か……」

「……中学時代の友達とかおらんのか……」

 そこまで遡れば、さすがにいるのだが、桜盛としてはそれは知らない。


 確かにこれはデートなのだろうし、志保は好意を持ってはいる。

 だがそれが本当に恋愛なのか、また恋愛だとしてもすぐに進展すべきなのか。

 桜盛は余裕を持ちながらも、あくまでも慎重に考えている。

 相手が未成年なので。

 15歳の性欲に満たされた肉体で、45歳の分別がついている。

 勢いに任せては何も出来ない、ある意味気の毒なのが桜盛であった。




 最近平和であったのは、別に桜盛だけではない。

 志保は祖父の調子がよくなって、素直に嬉しい。

 あまり気の合わなかった従兄がしばらく海外に飛ばされたそうで、それも正直なところはありがたかった。

 桜盛との関係は、今のところ友人の状態を深めている、と彼女は認識している。

 実は桜盛も、同じように感じているのだが。


 ただな、お前さんたちよ。

 男女の友達が、休日に二人きりで映画に行くのは、普通はデートというのだぞ?

 そんな青春真っ只中のことをしていて、周囲の孤独ポイントが多い男女に気の毒とは思わんのか?

 いや、それならそっちもそうすればいいじゃない、というのは正論であろうが。


 桜盛と遊びに行くというと、鉄山はこっそりとお小遣いまでくれた。

 あの短時間の間に、鉄山が桜盛を気に入ったのは明らかである。

 志保は祖父がすごい人間であるとは、なんとなく分かっている。

 その祖父も認めているのだから、やはり桜盛はすごいのだろうな、という三段論法を使っていたりもした。




 茜は相対的に平和であった。

 組織犯罪対策を行う部署の刑事が、そうそう本当に平和なわけもない。

 ただそれなりの組織の中枢を引っ張ってきたし、その取調べも順調。

 こちらの本業の方は、問題なくそれなりに早めに帰ることが出来ている。


 問題となりそうなのは、ユージ案件であった。

 警視庁のお偉いさんに、警察庁の人間まで出向いて、公安が動いている。

 飛ばしの携帯となるスマートフォンは渡したが、それから連絡が入ってきたのはほんの数回。

 捜査の手が伸びなかった、あのレイプ犯のリーダー格を、消してやろうかという物騒な提案があった。

 個人としてはともかく、警官としての茜が、そんなことを依頼するわけにはいかない。


 そしてしばらくして、非通知の番号から電話がかかってきたこともあった。

 警察庁からまた連絡を受けて確認したところ、どうやらGPSにはほぼ引っかかっていないらしい。

 電源が入っていなくても位置を特定する、ちょっと特別製のものであったのだが、ほとんどの時間は電波が完全に遮断されているらしい。

 それは茜としてどうでもいいのだが、その非通知でかかってきたのは、ユージからのものであった。


 どうやら飛ばしの携帯を、他に手に入れたらしい。

 警察以外の組織と手を組んだのかどうかは分からないが、彼との距離が開いてしまったのは確かだろう。

 警察庁も公安も、時々茜には接触してくる。

 だが茜が接触したいのは、ユージなのである。


 組織としての公安も、動いてはいるらしい。

 だが茜の場合は、あくまでもユージとの接触のための要員。

 また最近は何やら、他のことでも動いているらしい。

 さすがにその内容までは、茜は教えてもらっていない。

「さ~て、今日も頑張りますか」

 デパートの化粧室で変装をした茜は、メイクもファッションもばっちりと、夜の女の格好に変わっている。

 ちなみにそういった色っぽいお姉さんタイプの方が、桜盛を落とすのには相応しいですよ、と地球の神様は思ったりしている。




 テストが終わったエレナは、テストが終わる前から、既にアンニュイである。

 従妹の有希から聞いた話では、あのビルで犯罪を犯していたグループは、だいたい捕まったそうである。

 だがグループのリーダー格でありながら、あの場にいなかった人物は、親が手を回したそうだ。

 腹立たしいがこういう場合、だいたい男の方が有利になってしまう。

 男が童貞を捨てることと、女が処女を奪われることを、同列に考えているのだろう。


 どちらであっても無理やりならダメ、とエレナなどは思うのだが、男にはその理屈が分からないらしい。

 実際のところ男の場合、美人相手でなくても相当のゲテモノ以外は、それなりに食える者が多い。美人であれば得をした、とまで思える者が大半であろう。

 だが女の場合はイケメン無罪がある程度は通るものの、イケメンであっても有罪と感じる者は相当数いる。

 ハーレクインなんてどうなるのよ、などと言ってはいけない。

 少なくとも未成年女子は、まだハーレクインに拒絶反応がある者はいるのだ。


 あれからもうエレナは、あのクラブは訪れていない。

 そもそも夜の外出すら控えるようになった。

 暴力と言われるほどの暴力を振るわれたわけではない。

 だが自分の意思を無視して行われそうになったあの行為は、彼女に間違いなくトラウマを与えている。

 それは屈辱や恐怖といった感情から、怒りにまで変わっていくものなのだ。


 せめて明確な証拠があれば、罪には問えたのだろう。

 だがリーダー格の男だけは、自分の映った映像を残していなかったらしい。

 そして多くの被害者に対しては、示談で決着をつけるようだ。

 強姦は今では非親告罪であるが、それでも検察が訴えるためには、被害者の証言などが必要となる。

 これに協力して犯罪者を告発するのは、既に傷つけられた女性にとっては、非情に苦しみを伴うものだ。

 もっとも未成年との性交渉は、比較的訴えるのは簡単である。

 映像として残ってさえいれば、これは証言もほとんど必要なくなる。


 また強姦とは別に、薬物の不法所持などで捕まった犯人もいた。

 こちらは完全に非親告罪なので、粛々と立件していけばいい。

 ただしこちらも、自分が使うために持っていたのと、販売目的で持っていたのでは、それなりに量刑が違ってくる。

 また違法とも合法とも違う脱法ドラッグなどもあったが、このあたりは最近暴力団の摘発の余波を受け、上手く売買していた犯罪者が捕まっているそうだ。


 エレナはこういったことを、有希の口から聞いた。

 有希ももう芸能界での憂さ晴らしを、こういった場所でするのはやめるらしい。

 そもそも芸能人には芸能人向けに、そういった場所が存在するのである。

 それを一般人がいるのと同じ場所に行ってしまった有希は、エレナが痛い目に遭いそうになって、ようやく懲りたということだろう。

 自分が傷つく前に悟ったのは、本当に持っているとしか思えない。


 だがエレナは安全さえ確保できるなら、もう一度あのあたりに行ってみたいとは思っている。

 自分を助けてくれた、巨漢の男。

 顔ははっきりと見なかったが、あの体格なら探すのは難しくない。

 それに同じ学校の下級生に、同じような匂いを持っている少年がいた。

 少し調べたところ、その肉親にあの男のような人物はいないようであったが。


 日本語を流暢に喋る190cmの人間が、今の日本にどれだけいるだろうか。

 もちろんそれなりにはいるだろうが、かなり絞れるはずである。

 エレナは自分でも気づいていないが、それなりにストーカー気質がある少女であった。




 ある意味で最も多くの層の人間に、関わっているのが有希である。

 エヴァーブルーはアイドルグループではあるが、集団型のアイドルではない。

 既にある程度は技術を身につけた、それぞれに個性のあるユニットなのだ。

 鈴城有希というのが本名であるが、芸名はただのユキ。

 彼女は今日もレッスンを終えて、間もなくやってくるコンサートを詰めていた。


 興行ではなくチャリティを目標とした、つまるところは顔を売るための営業だ。

 チケット収入は全て寄付されるが、会場で売るグッズなどは別の収入となる。

 本当ならばこういったレベルの箱では、エヴァーブルーはもうやらないような知名度を持っている。

 だがそこは諸々のしがらみがあって、地味な営業もしていかなくてはいけない。


「売れたらもっとおっきいとこだけでやれると思ってた~」

 などとメンバーの一員は言っていたりもするが、こういった地味な仕事こそミスするわけにはいかない。

「昼間の舞台だし、夜が遅くなるよりいいでしょ」

「売れたら売れたで、休みがどんどん減っていくね」

 これまた他のメンバーの愚痴である。


 売れれば売れるほど忙しくなる。

 仕事はある程度選べるが、過去に世話になったところには、それなりに恩を返していかなければいけない。

 潮時だったのだ、と有希は思っている。

 エレナと遊び歩くのも、もう限界ではあったのだ。


 次の仕事が終われば、今度はテレビの仕事以外では、単体で受ける仕事が多くなっている。

 夏にはまたフェスへの参加があるが、それ以外にもコンサートが連続する。

 エヴァーブルーのファンは比較的、年齢層が低い。

 また女性ファンも多いのだが、それもやや低年齢層である。

 会いに行けるアイドル、という一時期の流れは、地下アイドルがまだ続けている。

 しかし時代によって流行が変わるように、今はまたプロフェッショナルな憧れるアイドルも人気を博しているのだ。


 有希にとって芸能活動は、モラトリアム期間でもある。

 上品で清純なアイドルとして、己の価値を高めていく。

 いずれは歌ではなく、女優に転身などという路線も考えていかなければいけないだろう。

 だが今の彼女は、ステージの上で浴びるライトの光の中に、自分の居場所を感じている。


 もっと光を求めて。

 それがあとどれだけ続くのか、彼女にもまだ分からない。







 少し予定が狂ったらしい。

 ここのところ、何件かそういったことがある。

 一番のものとしては、あの呪いを返されたことだろうか。

 もっとも返されることの対策は、いつでもしている。

 世の中の裏ではなく、闇に属するもの。

 本来ならば、誰の目にも触れることなく、深いところへ沈んでいく事象。

 だがそれでもこれらは、同じ世界に属してはいるのだ。


 何か強力な力が、突然に現れたのだとは分かる。

 だがそれを探ろうにも、力が強すぎて繊細な探りを入れることが出来ない。

 表に属する人間に、協力者は存在する。

 しかしその筋からも、はっきりとした答えが出てこない。


 本当ならばこんな時は、一目散に逃げ出すべきだ。

 逃げるのをやめるにしても、もっと距離を置いた方がいいだろう。

 受け取った前金のことなど、無視してしまえばいい。

 この闇の世界に属する限り、全ての道理も情理も、仮初のものに過ぎない。


 だが、あまりにも長く続く平穏と退廃は、彼女を退屈させる。

「少し遊んでみるかの」

 そして神秘は、長い手で指し手と思い込んでいる駒を操るのであった。

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