第88話 偽りの神

 日本人の、と言っていいのだろうか。

 だが少なくとも欧米文化圏に近いところにありながら、日本には独特の価値観がある。

 それはテロリズムへの賛美である。


 おそらくそれの根源とも言うべきものは、江戸時代に遡る。

 俗に言う、仇討ちの精神だ。

 もっとも中世だけではなく、今もなお世界の各地では、報復という手段は行われているし、襲撃を受ける政治家も少なくはない。

 昭和、戦後の日本が平成まで、平和すぎたということもあるだろう。

 学生運動の頃などは、自分たちこそが正しいと信じているからこそ、逆に立て篭もりなどで正義を主張した。

 もちろん実際のところは、謎の死を遂げたという人間も少なくはない。


 現在では欧米のスタンダードは、テロには譲歩せず、屈しないというものだ。

 しかしテロ側にも一部の理という理屈が通用するのは、そもそも近代の日本がテロリズムから始まった、と言えるからである。

「いや、私にそんなこと言われても困るんだけど」

 また案件を持ってきた茜としては、そう返す他にない。




 江戸時代の仇討ちの中で、最も歪んだものが赤穂浪士の討ち入りであろう。

 あれほど被害者と加害者が、逆転している例も世の中には珍しい。

 ああいった、暴力による報復の美化が、幕末にまで続いている。

 江戸で起こった桜田門外の変などは、そういったものであろう。


 そもそもの正しい仇討ちならば、豊臣秀吉が明智光秀相手に、主君の仇討ちを成功させている。

 もっとも世の流転は大きく、秀吉はその後に信長の息子を間接的に殺したりもしているが。

 桜盛としては政治的な目的のテロリズムは、しない方がいいだろうと判断した。

 ただ五十嵐の持ってくる案件の中には、内密に処分したい、国内の官僚などがいたりする。

「国家っていうのはどの国でも同じようなものなのかな」

「日本にも公安があるからな」

 それでもアメリカなどに比べると、日本は対スパイの諜報機関は少なすぎる。


 よく殺し屋のフィクションが日本には出回っている。

 だが現在の日本では、監視カメラや追跡システムによって、そのリスクが極めて高くなっている。

 しかし桜盛の持つ、透明化の魔法。

 そして飛行能力による短時間の長距離移動を使えば、拉致や暗殺は簡単に行える。

 世界で最高にして最悪の破壊工作員。

 桜盛の存在はそういうものであるが、本人にそこそこのストッパーがあることが、まだしも救いと言えようか。


 そんな桜盛に今回持ち込まれたのは、新興宗教の教祖の暗殺という案件であった。

「今回は別に、殺す必要はないけどな」

「新興宗教ねえ」

 こちらの世界に帰還してから、桜盛の宗教への立ち位置は独特のものである。

 神様が存在することは知っている。

 だが逆にそれゆえに、立場としては無神論者なのだ。

 それでいて魔法をはじめとした異能の存在も知っている。


 本物の能力者による宗教は、基本的に発生初期に潰すのが、今の公安の仕事であるらしい。

 いや危険なのは、能力を使ってないくせに、集団から崇められる人間であろうとも思うのだが。

 過去に日本で、無差別テロを起こしたのは、新興宗教の集団であった。

「何が危険なんだ?」

 もちろん桜盛としては、神を信じている時点で、そいつはもう頭がおかしい。

 だが頭がおかしいだけの人間を、即犯罪者とするわけにもいかないだろう。

「まあ単純に、外国に資金が流れている」

「ああ……」

 またその宗教活動の中身も、桜盛が呆れるというか、軽蔑するような内容であるのだが。




 公安がマークしているというのは、基本的に反国家的な活動をしている団体なわけだ。

 単なる新興宗教であれば、被害が無視できなくなるまで放置される。

 だいたいそういったものは政治家とつながっており、普通なら公安も手が出せないのだ。

 ただ国外に資金を流していると、さすがにそれも変わってくる。


 あとは、天誅の対象とすべき案件としては、信者の未成年に売春をやらせている容疑、というものもある。

 正確には売春というか、政治家つながりで影響力を持つために、ちょっと人には言えない年齢の少女を与えているというあたりか。

 今時そんなもの、夜の東京を歩けば、普通に買えるだろう、という話はある。

 たとえば売れない芸能人であったりすると、それぐらいの年齢であっても、普通に体を売って仕事は取ったりするそうな。


 性質が悪いのは、そういった擦れた少女ではなく、無垢な処女を手配したい、という要望があったりするのだ。

 嫌がる未成年者を犯す方が、むしろ燃えるという性癖である。

 桜盛としてはそういう人間がいるのは分かっている。

 勇者世界でもそういう貴族はいたりしたし、歴史を見ても時の権力者が芸者の水揚げを好んだという例はある。

「まあ一般人の中にも、真性のロリコンはいるし、そういうのは犯罪を犯さない限りは、むしろ可哀想だとも思うけどな」

「意外だな。未成年者暴行は犯罪の中でも、かなり最低レベルの扱いを受けるって聞いたけど」

「本物に手を出さなければ、厳しいことは言わんよ。お巡りさんやってると、特殊性癖なんて腐るほど見るからな。ドラゴンカーセックスとか」

 なるほど。


 警察としては他国への資金の流出を止める必要がある。

 だが政治家が関わっているため、正規の手段で潰すのは難しい。

 未成年者売春ということも行っており、このあたりは完全にハニートラップ案件だ。

 ただ国家によるハニートラップ案件と違うのは、未成年者が明確に被害者であるということか。


 本当に親が宗教にはまると、ろくなことにならない。

 ただ潰すのではなく、上手く潰す必要がある。

 まあ桜盛としては、拒否する理由もない案件だ。

 しかしどういう手順を踏むべきか、それはちょっと考える必要があるだろう。


 相手は総信者数20万を超える巨大組織。

 もっともこの信者の中には、親に入信させられた、気の毒な子供もいるだろう。

 上手く公的機関がフォローしてやらないと、また政治家を銃撃するような、桜盛が消極的にだが否定するテロにつながりかねない。

 いや、政治家が教団とつながっているのは確かなので、この場合はテロではなく復讐になるのか。

(かといって人生賭けて復讐を上手く達成しても、未来が明るいわけじゃないしな)

 イスラム系のテロリズムが過激で、そしてためらわないのは、死後の楽園を保証しているからでもあるという。

 実際、桜盛がダルマにしたあの男は、可能ならばいくらでも自暴自棄になるだろう。

 なので不可能にしておいたのだが。


 とりあえず桜盛は五十嵐と別れると、質問権での確認を始めた。

 そもそもの容疑が本当であるのかどうか、二人以上が関わっているので、どんどんと明らかになっていく。

 そしてまた、これも確認しておかなければいけないだろう。

「この宗教には本当に、超常現象に関連した人間はいないのか?」

 いない、という返答が、五十嵐の事前情報からは伝わるはずであった。

『いる』

 なのでこの回答には、かなり驚いた桜盛である。


 まったく、警察は裏取りが甘い。

 それとも今回の相手が、よほど巧妙に隠しているのか。

(また時間も労力もかかりそうだな)

 しかし公安に知られていない能力者と接触するのは、それなりの価値があると考える桜盛であった。

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