第71話 日常と非日常

 桜盛は基本的に、善人は殺したくない。

 悪人であってもそれほどひどくなければ、別に見逃してやってもいいと思う人間だ。

 ただ善人であろうとなかろうと、自分の安寧を脅かす脅威は排除する。

 結局のところそのあたりの思考は、アメリカと同じであるのだ。


 それだけの力があれば、社会に奉仕すべきだ、と思う人間は多いだろう。

 特に欧米などは、人権意識がおかしな方向に高くて、論理や科学よりも感情に流される。

 いや、日本も日本で、たいがいなところはあるのだが。

「追尾系の能力なんだよな」

 桜盛は呟いて、鉄山からの情報をまとめた。


 およそは質問権により、ジェーンの追跡能力も分かっている。

 だが桜盛が主に鉄山と対面したのは、離れであった。

 今回のアメリカの工作員との話は、本邸の応接室を使っている。

 なのでそこから、何を追跡してくるのか、実は桜盛にも分かっていない。

 ただ追尾系の能力は持っている、という情報になるのだ。

 つまり事実としては分かっているが、その理屈は解明されていないということだ。


 ミレーヌが追跡されることは、考えなくていい。

 彼女は長距離転移があるので、普通に尾行や追跡を断念させることが簡単なのだ。

 いっぽうの桜盛としては、自分もまた空中を飛んでいくので、地上の痕跡などはほとんどないであろうと思っている。

 ただ早めに、ユージの姿で対策はしないといけないな、とは思っているのだ。


 ジェーンの感知能力は、精度がどれぐらいなのか、本人でさえも分かっていないところがあるらしい。

 ならば桜盛とユージの魔力を、同じものとして捉えてしまうのではないだろうか。

 桜盛としての状態では、基本的に魔力など使わない。

 ただそれでも、桜盛の存在が能力者として明らかになる可能性は、ジェーンの能力次第ではある。


 あちらに見つけてもらうのを待つのではなく、こちらから仕掛けていく。

 桜盛はその方針を考えていて、それがいいだろうと鉄山も言っていた。

 おそらくそこで、工作員との接触となる。

 調べた限りでは、桜盛への対処を最終的に決定するのは、ジェーンではない。

 なのでそこに交渉の余地はあるのだろうが、本来の時間軸では結局、アメリカは最終兵器を持ち出してきたわけだ。

 そこまではいいにしても、さらにそれを桜盛に奪われたわけだ。


 未来がどうなるのかは分かっていても、何をどう考えればいいのかは、桜盛には分からない。

 たださすがに本来の歴史は、望むところではない。

 公安などにしっかりと注意してもらって、外国への情報流出を防ぐ。

 もっともミレーヌの情報から鉄山と話して、ある程度は桜盛がどうにかしないと、世界が大きく変わるのは避けられないであろうが。


 鉄山はもう、さほどの余命もないはずだ。

 それ以降に桜盛と一緒に、日本の未来を考えていける相手。

 いや、そこまで考えなくても、少しでも政府を動かせる相手。

 そういった者が必要になる。




 文化祭が終わった。

 ダンス部のダンスや、クラス展示もそれなりに好評で、すぐさま片付けにかかる。

 キャンプファイアーでもやれればよかったのかもしれないが、さすがにそれはハードルが高かったらしい。

 それでも晩暑の思い出とはなった。


 まだ秋には遠いと思えるが、季節は関係なくこれから、桜盛は大きな仕事がある。

 ただその前にダンス部の打ち上げなどには参加していた。

「来年は出なよ」

 蓮花はそう言っているが、その蓮花は来年にはもういない。

 やはり桜盛は女子たちの中では、蓮花が一番好きだなと思える。


 もっとも相手からの好感度を考えると、おそらく志保の方が高い。

 落としやすそうだから、などという理由で口説きにかかるわけにはいかないが。

 のんびり学校生活を送りながら、ハーレムとは言わないが女の子たちと仲良く過ごしたい。

 そんな桜盛の夢を打ち砕く、アメリカさんのやり口である。

 桜盛は怒ってもいい。


 そもそもこんなことが起こらないために、中国の奥地まで向かったのだ。

 しかし結局は、こうやって疑心暗鬼になった輩が訪れることになる。

 正直なところ、ここでアメリカの工作員を退けたとしても、またどこからか桜盛に接触してくるやつはいるだろう。

 おそらくそれが、ミレーヌのいう桜盛が行方不明になった理由。

 単に死亡を偽装しただけだと思うのだ。


 そして桜盛自身に訪れる、15年後の事故死。

 これもおそらくは、単純に姿を隠しただけだろう。

 結婚して子供もいて、おそらくは平穏に暮らしていた。

 それでも巻き込まれて、やはり死を偽装した。

 その後にどこで暮らしたのか、あるいは未来の時点でまだ、生きていたのかもしれない。

 ミレーヌにそれを発見することが出来なかったというだけで。


 中国に崑崙があったように、日本にも結界に守られた亜空間があるという。

 マヨイガ、ニライカナイ、蓬莱といったあたりが、その代表的なものではないか。

 方向性は違うが、ヨモツヒラサカなどというものもある。

(好きなように生きるのは、本当に難しいもんだなあ)

 桜盛はそう思いつつも、打ち上げには参加していたのであった。




 祭りの雰囲気が、もうすぐに消えてしまう。

 学生の青春というのは、本当に時間の流れるのが早いのだ。

 一度45歳までを経験した桜盛は、それが良く分かる。

 もっとも勇者世界のあの動乱を、日本と比べてはいけないとも分かるのだが。


 とにかくこれで、目の前の事案は一つ片付いた。

 血生臭い雰囲気にメンタルを切り替えるには、日常を一区切りさせなければいけない。

 ジェーンは東京を歩き回っているようだが、桜盛の正確な位置などはまだつかめていない。

 つかめたとしても、すぐさま動くわけでもないだろうが。


 桜盛はユージの姿となって、普段よりは強い魔力を、東京のあちこちにばら撒いた。

 そんなものを本当に感知出来るのか、質問権を使っていながら、疑問はあったのだが。

 しかし実際に、これによってジェーンの動きは迷走することとなる。

 獣の嗅覚を騙すには、さらに強い匂いを与えればいい。

 そして桜盛は迎撃の準備をする。


 アメリカの工作員については、例の細菌兵器以外は、気をつけることはない。

 そして戦闘員であるジェーンは、桜盛が相手をする。

「今夜で終わらせるとするか」

 桜盛は特に肩に力が入ることもなく、この作戦を終わらせる決意をしていた。

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