第2話 神様の雑なモテ理解

 妹である成美の反抗期は、少なからず桜盛に原因がある。

 実は血のつながらない、伴侶と死別した再婚同士の兄妹であると知らされたのは、およそ二年前のこと。それまではずっと普通の兄妹だと思って、遠慮なくやりあっていたものだ。

 桜盛もあの頃は若かった、と人の親になった友人たちを見て気付いたものだ。ちなみに精神年齢はいまだに、あちらの世界に引きずられているらしい。

(戦争でぽこぽこ男は死んでたから、未亡人は多かったよなあ)

 なのであちらの世界では一夫多妻や多夫一妻が認められていたが、それは思考が少し考えるべきことからずれている。


 今の成美は絶賛反抗期で、あちらの世界に行くまでは、どうしてこうも頑ななのか、と思ったものだ。

 だが先に問題を作ったのは桜盛だ。

 思春期真っ盛りであった桜盛は、成美を避けるようになった。

 喧嘩などを遠慮なくしていた関係から、一歩ならず後退してしまったのだ。

 それに怒った成美がまた反抗期に突入して、現在のような冷戦状態となっているわけだ。

 ずっと仲のいい兄妹であったのに、なぜこうなったのか、きっかけとなる原因は自分にあった。

 認めるのには勇気が必要になったものだ。


 そして異世界に召喚される前、かつての自分には、それをどうこうしようなどという気にはならなかった。

 いや、どうにかすべきだと思うのを避けていたのだ。

 なぜならそれは、目を逸らしたい自分の責任から逃げることになるから。

「俺もなんか作るかな」

「はあ? 邪魔なんだけど」

 ひどい。うちの妹が、顔がそれなりに可愛いだけに余計につらたん。

(つらたんとか、そういや言われてたか)

 あちらではこういったイメージの言葉は、なかなかなかったものだ。


 成美の作るカレーの匂いは、異世界にはなかったもの。

 神様いわく、あちこちの世界に行く転生者はそこそこいるが、なぜか皆カレーを作りたがるのだ。

 それは当然だろう。カレーは悪魔も煮込んで食べられる万能食だ。

 あちらの世界も食文化は、上流階級であればそれなりに発展していたが、チープな値段で上手い料理というのはなかなかなかった。

 純粋に食材が品種改良されていなかったし、保存技術もあまりなかった。

 勇者にはアイテムボックスの能力があって、食料保存の機能もあったりしたが、それはあくまでも勇者専用。

 なので保存のしやすい食材が、一番に生産されることとなる。

 冬場になると食事は、漬物と穀類のみという、非情に限定されたものになる。

 もっとも旅の途中では、動物を狩って肉を食らっていたが。

 貴族の会食に出るほどならばともかく、日常的な食事では自分の狩った獣を、上手く調理するのが一番美味い。

 そのあたりも地球に帰りたいと思った理由の一つである。異世界の生活レベルは、はっきり言って貴族でも、現代日本よりは低いものだ。娯楽も少なかったし。


 桜盛が作ったのは、カレーにも合いそうな汁っ気のあるもの。

 カレーには使わない緑黄色野菜に、向こうではなかなか味わうことのなかった乳製品、そして便利なコンソメ。

「え、ピーマンいらない」

「あんまり青臭くならないように味付けするし。食べられなかったら俺がもらうけど」

 こういう言い方をすると、しぶしぶとでも食べるのだ。反抗期だが「無理なら」という言葉を使うと逆に動くあたり、可愛げはある。


 そして、カレーだ。

 あちらの世界ではもちろんカレー粉はなかったし、カリーのように多くの香辛料を混ぜる料理もなかった。

 あったにしろ味覚のためと言うよりは、保存のためのものであった。

 探せば味覚を楽しませるものもあったのかもしれないが、少なくともそれを堪能する機会はなかった。

 まずは合掌し濃厚な土色にスプーンを入れ、そして米と一緒に口の中へ。

「美味い!」

 大袈裟にさえ聞こえる叫びに、成美がびっくりしているが、桜盛はそんな様子にも気付かない。

「そんな、普通のカレーで……」

 そうは言いつつも悪い気分ではなかったのだろうが、桜盛は涙をボロボロと流しながらカレーを食べる。

 いや、カレーを飲む。


 米が甘い!

 まろやか~!

 カレーは最高である。カレーは世界を救わないが、世界を救った勇者をも虜にする!


 ぺろりと飲み込むように皿を空にした桜盛は、カレーの鍋に目を移す。

「な、なあ、おかわりってどれだけならいいかな?」

「はあ? まあ親の分残しておけばいいと思うけど、明日の夕食作ってくれるなら」

「そうか、じゃあ米だけ炊いておけばいいか」

 それからぺろりと三杯もカレーを流し込み、ようやく胃袋は満足した。

 呆れたような成美に対して、桜盛は声をかける。

「洗い物は俺がやっとくよ」

「なんか親切でキモいんだけど」

 口の悪い妹だなと思うが、まあ可愛いものだ。

 拳や蹴りが飛んでくるならまだしも、刃物で挨拶が向こうの世界では日常であった。

 人間の道徳心や攻撃性が、ずっとゆるやかなものである。

 戦争状態の異世界を基準にしては、それはそうだろうとしか言えないであろうが。


 心の底から美味そうに食べる桜盛を見て、成美の表情が緩む。

 人間というものは自分の料理を喜んで食べてくれる人間を、無意味に嫌うのは難しいように出来ている。

 そもそも兄妹仲が悪くなったのは桜盛が原因だ、というのも置いておいて。

 どうにか関係を改善しないとな、と思っている桜盛は、既にそれに成功しつつあった。




 食事を終えた桜盛は、異常な食欲について考えていた。

 そもそも日本の食事が美味しいというのも、疑いようのない確かな事実ではある。

 だが風呂の準備を終えて、さて入ろうかと思ったとき、それは明らかになったのだ。

 服を脱いだ裸体は、しなやかな筋肉に覆われていた。

 間違いなくあちらに行くまでは、こんなに腹筋は割れていなかった。


 あちらの世界では加護の影響もあったのだろうが、桜盛の身長はおそらく190cm前後にまで伸びていたはずだ。

 つまりこの肉体であっても、そこまで大きくなるポテンシャルを秘めているのではないか。

 神様にお願いした、モテの条件の一つ。

 それはつまり、男として魅力的な、屈強な肉体ではないのか。


 やっと桜盛は気づいた。

 神様の「モテ」はおそらく大雑把なものだ。

 魅了の力を加えるでもなく、美形にするでもなく、モテの要素を入れる。

 そのためには肉体的なモテということで、一流のアスリーツ並の肉体に、これから成長させようということではないのか。

「う~ん、確かに整形なんかするよりは、分かりやすいモテなんだろうけど」

 桜盛の顔立ちは、はっきり言って十人並。

 強いて言うなら悪感情は与えにくい、強面でもないというところか。

 向こうの世界では戦っている間に、ドスの利いた顔立ちになっていったものだが。


 ただ肉体を元に戻したのかと思うと、そうでもないことが分かる。

 湯船に入りながら拳を握り締めると、明らかにあちら基準の力になっているのではないか。

 もっともそれはともかく、風呂はいい。

「あっちも温泉とかあったけど、やっぱいいよな……」

 基本的に野宿が多いと、その場合は風呂になど入っている暇はなかった。

 わざわざ魔法で毎日、風呂を作っているおかしなやつとも旅をしたものだが。

 のぼせる寸前まで入った後に、鏡の前でポージングなどをしてみせる。

 やはり細マッチョである。


 風呂上りに自分の部屋に戻り、本格的に検証しようと考える。

「アクセス……接続……」

 やはりあちらとは、世界のシステムが違う。

「ステータス……オープン」

 最後の言葉に、空間が反応した。


 自分にだけ見える、黒い亜空間の穴。

 あちらは基本的に、科学は発達していなかったが、魔法は科学の領域を凌駕している部分も多かった。

 物理法則は基本的に似ていたが、エネルギーがどこから発生してくるのかは、神の奇跡だの精霊の力だので、学者の間でも議論されていたらしい。

「ステータス見たかったのに、ストレージが開いちゃったでござる……」

 あちらの世界ではそこそこ一般的だった、亜空間なり空間拡張の技術だ。

 そういえば剣などは返したものの、自分のストレージの中の物までは、わざわざ整理していなかった。

 治癒薬や食料など、軍需物資は全て供出したが、それでも中には色々なものが残っていたはずだ。

 戻ってくる時に、神様はその中身も整理してくれていただろうか。

「さてまだ何か入ってるのか?」

 そして穴に触れれば、内容物が理解できる。


・金 1000g×1000

・銀 1000g×1000

・プラチナ 1000g×1000

・パラジウム 1000g×1000

・ウラン 1000g×1000

・原油 8000億リットル

・ガソリン 8000億リットル

・灯油 8000億リットル


「なんじゃこりゃ」

 断言する。あちらの世界のストレージには、こんなものは入れていなかった。

 そもそもガソリンの8000億リットルとは何なのか。

 何よりウランがヤバすぎる。


・ダイヤモンド 100カラット×1000

・高級ポーション×10

・手紙


 ダイヤモンドやポーションにもツッコミを入れたいところであるが、手紙というのがなんとも。

 まずはこれを読めということなのだろう。

『桜盛君へ モテについて考えた結果、戦闘力と財力を君に進呈することにしたよ。世界最強の身体能力と、地球での希少資源、さほどの物ではないが受け取ってほしい』

 さすがは神様、モテへの理解が即物的すぎる。

 間違ってはいないあたり逆に困る。

『それと質問権という能力を進呈した。意識して疑問を口にすることで、世界で二人以上の人間が回答を知っていれば、その知識を得られるというものだ。あとは――』

 他にも色々と書いてあったが、頭が痛くなってくる。


 ストレージの中の物は、桜盛が死んだら自動的に消滅するということ。

 ポーションは念のために持たせたが、地球にはない物なので早めに使うのをオススメするということ。なおあちらの世界のポーションなら時間経過で劣化したのだが、このポーションは神様製なので劣化もしない。

 そして何より、魔法の存在だ。


 このストレージも魔法の一つであるが、いわゆるファンタジーにおける魔法は、あちらの世界でも一般的なものであった。

 意識したら体内を、魔力が巡る感覚がある。

 神様としてはモテのために、他の人間にはない特技を与えてくれたらしい。

 そりゃあ神話や伝説の時代ならともかく、現代において魔法などがあっても、困るだけである。

 しかしこれが、100年前であれば、確かに信仰の対象にすらなったのだろう。

 人類の歴史において長い間は、これがモテ要素になったのだ。

 さすが神様、人間とは時間のスケールが違う。今ではかなり扱いに困る。


「着火」

 イメージしやすく言葉に出せば、指先に火が灯る。

 これで喜ぶ時代は、確かにあちらの世界に行くまでは、桜盛が持っていた感性だ。

 どうやらやろうと思えば、攻撃魔法や補助魔法も使えるだろう。

「いや、どうしろと?」

 全知全能にして、同時に無知無能。

 さすがは神様、モテに対する理解が雑すぎる。

 いや、人類の時代や地域などを普遍的に考えれば、間違ってもいないのか。


 希少金属と、燃料などを大量に。

 人間離れした肉体能力と、知らぬことなどなき叡智に見える質問権。

 そしておそらく、地球では自分しか使えない魔法に、神様製の万能ポーション。

「どないせいっちゅうんじゃ」

 そう思いながらも桜盛は、とりあえず金の価格とやらを調べてみる。

 なるほど確かにこれは、大きな財力にはなるだろう。

 だが世界のマネーバランスを崩すような、そんな量ではない。

「換金手段考えねーとな……」

 桜盛の贅沢な悩みは、まだ始まったばかりである。

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