モテチート ~異世界より帰還した最強勇者のこじらせ恋愛と無双~
草野猫彦
一章 帰ってきた勇者
第1話 さらば異世界!
魔王を倒すとさらに邪神がいて、それにほぼ永遠に続く封印をかけたところで、勇者の冒険は終わった。
終わったはずである。二柱目の邪神とかいないはずである。これでいたら大笑いである。笑えないが。
勇者は長い戦いの果てに、すっかり疑い深くなってしまっていたのだ。
『心配いりませんよ、
邪神の瘴気が収まった大神殿に、輝くように降りてくる女神。
異世界よりの召還勇者に祝福をかけまくってくれた、ちょっとアレな愛の女神レンデ=カストーヤが、ちゃんと保証してくれる。
彼女は一部の要素を除けば、非常に優秀な神様だと言える。その言葉は信じてもいいのだろう。
内心で頷かなければいけないほど、勇者は疑い深くなっている。
瘴気を払った神殿は、その力を維持できずに崩れつつある。
慌てて逃げ出す勇者。その後を追いかける女神。
「これで死んだら間抜けだな」
『大丈夫、しばらくは私が支えます』
回廊を駆け抜けていくが、肉体を強化して風よりも速く駆けるような、ささやかな魔力も残っていない。
それでも間一髪、黒の大神殿から脱出には成功する。
目の前に広がる鮮血の荒野は、まさにその名に相応しい光景となっていた。
様々な種類の魔物の死体が、延々と転がっている。
そしてそれと同じぐらいには、人間の死体も転がっている。
だが、まだ生きている者は、全て人間であった。
善悪も、正義も、信仰もどうでもいい。
ただの生き残りをかけた戦いが、これで終わったのだ。
「勇者様」
「オーセイ殿、怪我はないか」
自分たちも満身創痍であろうに、桜盛の身を案じてくる二人。この人類軍を率いる王子と聖女。
勇者の旅の始まりの仲間は、もうここにはいない。
戦死した者もいれば、あるいは戦えなくなり後進の育成に引退し、あるいは新たな場所で違った形の助ける立場となった。
まったくもって、栄光などは吟遊詩人の歌の中にしかない、ひどい30年であった。
そして勇者は、聖剣をその場に突き刺した。
鎧を脱いで、亜空間から物資を引き出す。
その中には治癒薬も大量にあるので、倒れ伏している身でもまだ生きてさえいれば、どうにか助かる者は多いだろう。
剣も鎧も聖別されたものであるから、わずかなりとも癒しの効果はあるはずだ。
ついでに食料なども置いておく。輸送部隊が無事なのかは分からないからだ。
「それでは、俺は帰る」
その宣言は、荒涼とした大地に広く響いた。
「待ってくれ、確かに魔王は倒し、もう勇者の力は必要ないだろう。だがこのままのお別れは早すぎる」
そう言ってくれたのは、桜盛と共に旅に出た、最初の仲間の一人である戦士の息子。
父の死を乗り越え、騎士としてこの最後の戦いに挑んだのだ。
その言葉には、嘘はないだろう。
最後の決戦に向かう前、皆で誓ったのだ。
必ずここへ帰ってくると。手を振る人にも、笑顔で応えて。
「分かっているだろう? 俺がいると、今度はまた大きな災いの種になる」
人間は結局、種の絶滅の危機であったのに、最後まで団結することは出来なかった。
それでも集められるだけの戦力は集めて、この決戦を迎えることが出来た。
利用したのは勇者としての名声と実績、そして圧倒的暴力。
人間は正義や道理では動かない。
また利益だけでも動かない。利益をきちんと計算出来るほど、頭のいい者ばかりではないのだ。
人間は感情で動く。
だから暴力で恐怖という感情に縛り付ければ、それが一番即効性がある。
だが持続して支配体制を作るならば、今この場所にいる戦力が、そのまま大陸に秩序を与える集団となるだろう。
王室の人間と、宗教勢力の象徴である聖女も、揃っているわけであるし。
「さあ! 女神レンデ! やってくれ!」
声をかけられた女神は、まだまとわりつくような視線をやる。
『この世界において生を終えれば、死後に神となることも可能であるでしょうに』
それは望まない。
「俺は、この世界の人間ではない」
断固とした言葉に、もはや女神ですらその意思は止められない。
神々の間にもルールがあるのだとは、他の神も言っていた。
『ならば、地球へと戻しましょう。ですがいつでも、それこそ死後にでも、こちらに来てもいいのですからね?』
光が女神の体から放たれる。
その輝きに包まれて、勇者の体は消えていく。
戦場の戦士たちは、思い思いの叫び声を上げていた。
星空が背後に去っていって、気がつくと白い場所にいた。
あちらの世界に行く前、最後に立ち寄った世界と世界の狭間。
そこにはあの時と同じく、中性的な美形の男がいた。
一応顔立ちは東洋系なのだが、髪も瞳も真っ白。
「地球の神様」
「やあやあ、お疲れ様」
変幻自在の神様は、のんびりとした口調でそう言った。
「本格的にあそこまで介入したのは、500年ぶりだったかな? 異世界の冒険はどうだった?」
穏やかに尋ねる神の質問より先に、確認しておくべきことはあった。
「あの、ここもうあっちの世界とは完全につながってませんよね? 何言っても大丈夫ですよね?」
「大丈夫だよ~、怖くないよ~」
神の言質を得てようやく、桜盛は叫んだ。
「やったぜ! やっとあのヤンデレ女神と縁が切れた!」
「ほうほう」
桜盛の絶叫にも、神はにこにこと微笑んでいるだけであった。
女神レンデ=カストーヤは世界の中でもかなり強大な力を持つ愛の女神。
だがその愛はちょっとどころではなく重すぎて歪であった。
「30年間童貞のままだったと」
桜盛の告白を受けて、神はふむと頷きながら首を傾げた。
「たったの30年?」
「そらあんたらはね!」
時間の概念が、神と人間とでは違うのだ。
勇者としての力を増すための、強大な女神の寵愛。
だがそれは強烈な独占欲と、表裏一体のものであった。
何度となくあった出会いは、下手をすれば女神の神罰により、相手に命の危険が迫ることもあった。
ちょっといい感じであった女の子とも、しょせん俺は魔王に対する兵器なのだと、酸っぱいぶどうの理屈で別れる。
結局モテモテであるはずの勇者であっても、30年間性交渉はおろか、そこそこ親密になることさえなかった。
人工呼吸は一度やってもらったそうだが、それさえも後から女神に、なぜか桜盛がぐちぐちと言われた。
「大変だったんだねえ」
完全に他人事の神様であるが、まさに他人事なのであろう。神様だけに。
「でも向こうで神になっても良かったんじゃない? 地球では神様は一人だし」
「いや、いやいやいや」
世界ごとに神の役割は違う。それはいい。
ただあの世界の神になれば、そのままあのヤンデレとの付き合いが続くということだ。
そんなものよりももっと、俗物な欲望に桜盛は支配されている。
「まあ他にも色々と面白い話はありそうだけど、お願いタイムといこうか」
「本当はもっと愚痴りたいんですけどね」
最初に異世界転移を承諾したのは自分で、それを甘く見ていたのも自分だ。
地球の神様は基本的に何を言っても、怒りで神罰を下すことはない。
逆に何を祈っても、普通ならそれをかなえることもない。
しかし桜盛の件だけは別なのだ。
あちらの世界の神々から、世界がやばいと相談を受けた神様が、その潜在能力に目をつけてスカウトしたのが桜盛だ。
よって対価もちゃんと用意してある。
あちらの神々から一度、地球の神様にそれは渡される。
その力を使って桜盛の願いをかなえるというのが、順番となる。
「じゃあ桜盛君、異世界の危機回避成功に対して、君は何を望む?」
「モテたい」
答えはシンプルであった。
異世界生活30年。歴戦の童貞。
しかし肉体は女神の恩寵により、ほぼ全盛期のままであり、つまりは性欲も強いということだ。
美人やエロエロなお姉さんもいる中で、それに手を出せないという苦行。
30年は本当に長すぎた。
「なるほど」
桜盛の考えていることは、自然と神様には伝わっているはずだ。
おそらく絶対に理解は、いや理解はしていても共感はしていないだろうが、神様は大きく頷く。
「じゃあモテるようにすればいいわけだ」
「あ、でも魅了系の力でモテるとか、顔を美形に改編してモテるとか、そういうのはなしで」
「そっちの方が簡単でたくさん力を使えるんだけどね。君自身以外を変えることは出来ないし」
過去の記録や記憶の全てを、塗り替えてしまう。
ただそれをすると、他のところへの歪みが大きくなる。
それでも神様としては、別に構わないのだが。
地球の神様はほぼ全知全能であるが、同時にほとんどのことを制限されている。
人の力によって生み出された神。
つまり相反する願いを、同時に受けることになる。
なんでも出来るが、出来ないことも望まれる。
ゆえにその力が発揮されることは、まずないと言っていい。
ただ桜盛は知っていた。
地球上の人類が心の底から分かり合おうと願い、世界の平和を願えば、それはかなうのだと。
それが神の力だ。だが人類は、幼子を除いたのでもない限り、それを望まない。
今の人類の限界が、神の力の限界だ。
人類が自分たちの力で何かをなしてこそ、やっと神は応えることが出来る。
正直なところ、特に何も持たずに地球に戻っても、なんとかなるかなと思わないでもない。
30年の戦いの経験は、肉体だけではなく精神に大きな変化をもたらした。
まあ普通に考えて、殺し合いの戦場で30年も戦えば、図太くはなるという話だ。
けれども約束は約束なので、報酬をもらうことに躊躇はない。
「じゃあ変な力はなく、純粋にモテるように。時間は転移してから、だいたい一時間後ぐらいになってると思うし」
「ああ。じゃあ神様、また……会ったりするのかな?」
「多分ないと思うけど、君なら死んだ時に強く願えば、もう一度ここに来ることぐらいは出来るかな?」
神は全知である。
その神が断言しないということが、未来は定まっていないことを示している。
全てを知っている時点で、全てを変えることが出来る。
矛盾のようにも感じるが、それが神様の力である。
「あと50年から80年ぐらい、人間としての生を謳歌してね」
「ああ! ありがとう神様!」
そして桜盛はその場から消える。
一人残った神様は、己の手の中に残ったそれを見ていた。
あちらの世界でどれだけ気に入られたのか、予定よりもはるかに多い力である。
どうせ地上に干渉することなど、ほとんどないのだ。これは桜盛のために使ってしまおう。
「適当に強化しておくか」
桜盛はあれだけ神に振り回されながら、いまだに神という存在のいい加減さを分かっていなかった。
そして神の考えるモテ。
それは神の視点から見れば、人類の歴史で巨大なハーレムを築いた者などが参考になる。
しかしながら顔をいじることもなく、また富を渡すのにも一手間かかる。
「まいっか」
一人の人間に関心を抱き続けるほど、神の熱意は持続しないのであった。
懐かしき風景、そして五感を刺激する地球の感覚。
「うおおおおおっ!」
肉体が転移前の感覚を取り戻す。
身長は頭一つ分ほども小さくなり、視界が変わり、立つことも難しくその場にうずくまる。
感情を伴った記憶が、情報としての記録になっていく。
そして転移前までの記憶が、実感となって脳を支配していく。
これはひょっとして、あちらの世界の精神攻撃を経験していなければ、普通の人間は気が狂うのではないか。
神様基準であれば、どうということもなかったのかもしれないが。
記憶の変換は、人格にまで影響を与えるのか。
だが30年分の記憶は、経験となってそのまま思考や思想を変えていく。
世界の見方が変わっていく。
それが今の地球を、新たな視点で見ることになる。
「どこが平和だ……」
あちらに転移した当初に、散々に吹聴したものだ。
日本は平和で安全な国だと。
だがこちらの世界の記憶を持って、あちらの経験を踏まえて考えれば、現在の日本の情勢も、決して平和とは言い切れなくなる。
もちろん世界のあちこちでは、多くの紛争が起こっている。
だが日本だけは安全だと、いったい誰がここまで暗示をかけたのか。
いや暗示ではなく、これは生まれたときから続けられた洗脳だ。
日本人の中でさえ、そうと気づかなければ分からないのだろう。
ベッドに腰掛けて、現状を改めて考える。
そうしようとした時に、唐突にドアが開いた。
「今の叫び声、何?」
「あ、おお、成美か」
一つ年下の妹は、絶賛反抗期である。
「一人じゃないんだから、変な声上げないでよ」
「あ、うん」
30年ぶりだという感情と、今日の朝も普通に会っていたという記憶。
そして一つ上の兄としての視線と、40歳を過ぎた男の視点。
なんと幼い感情かと思うと同時に、それも仕方ないかと許容する感覚になる。
「それじゃ」
「あ、もう夕食作るのか?」
記憶を整理していると、今日の食事当番は成美であったことを思い出す。
今日はカレーの日だ。
成美のレパートリーは少なく、カレーで二日は続けられる。
それに桜盛も文句はなかったのだが。
「せっかくだから俺も、一品作ろうか」
「じゃましないでよね」
愛想のないことである。
だが確実に、勇者は地球に帰還した実感を持ったのであった。
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