第28話 不快感への対処法

 桜盛から見ると、現在の日本人は警戒心が足りない。

 だがその警戒に回すリソースを他に振っているため、これだけ発展したのかもとも思えるのだ。

 召喚前の自分にしても、日本が平和であるという前提で生きていた。

 成美にしても警戒感が足りないと思う。

 主に自分に対して。


 それは家の中で際どい格好で歩くとか、そういうラッキースケベに近い好意などではない。

 圧倒的に自分よりは暴力勝るはずの相手に、上から目線で対してきていたからだ。

 社会的な圧力が、そういったことを可能にしている。

 だが本来男は、女よりも圧倒的に強いものだ。

 なのに女にもしっかり権利があるのは、地球ではそういった歴史があるからである。

 勇者世界でも女の権利は、主に出産と育児によって守られてきた。

 

 せいぜいが中世の価値観からすると、現代はむしろ歪であったりする。

 ただこれは労働が頭脳労働が増えて、女性でも男性並に働いて稼げるようになったからだ。

 日本の常識と勇者世界の常識、日本においては日本の常識の方が正しい。

 しかし生物的にも歴史的に見ても、今の世の中の方が珍しいのも確かだ。


 そんなどうでもいいことも考えつつ、桜盛は成美と共にコンサート会場に来ていた。

 収容人数は12000人だというから、この間とは全く規模が違う。

 そしてそれだけの観客を集めるということは、それだけ金を使うことも出来るというわけだ。

 前回のコンサートで怖い目に遭ったのに、眠っている間に終わったとはいえ、すっかり忘れた感じの成美に、付き添いの桜盛は溜息をつく。

(ビッチジャッジでアイドル全員の貞操鑑定したら、面白い結果が出てくるかもしれないなあ)

 こんなひねくれたことを考えるぐらいには、時間の無駄と考えている。

 ただ今の桜盛は、時間を無駄に使うことに、それだけ有意義さを見出している。




 途中で買った花束の金は、桜盛が出している。

「お兄ちゃんもファンになったの?」

 いつの間にかまた、お兄ちゃんと呼んでくれていることに、少し感動してしまった桜盛ではある。

 事前にお願いをして、楽屋近くにまで入ることまでは許可してもらっていた。

 だが直接有希が会ってくれるなど、本番前にあるはずもない。

 そう桜盛は思っていたのだが、なんとご本人の登場である。

 しかしそれには、それなりの理由があったのだ。


 花束を成美に渡して、直接有希と面会させる。

 楽屋の方からやってきたのは、一見するとちゃんとしたスーツに身を固めた青年であった。

 桜盛の質問権にはそれなりの欠点があるが、それは答えが言語か数字で伝わってくること。

 よって有希のストーカーに関しても、画像での情報はない。 

 それでもこいつなのだろうな、と擦れ違った時に直感した。


 現職の閣僚を祖父に持つ、血統的にはサラブレッドとも言える男。

 こいつが他の人間と違うのは、祖父の持つ集金力である。

 政治家というのは、落選してしまえばただの人、などと揶揄されることもあるが、どれだけ国民的に嫌われていようと、当選する政治家はいる。

 それはもう地元に対して、完全な地盤を築いているからである。


 現在の祖父が既に、二代目の世襲代議士。

 政略結婚を繰り返していて、資金的にも選挙で勝つのは簡単になっている。

 そしてエレナや有希と違うのは、またあの武装グループのリーダーとも違うのは、父親が祖父の主席秘書などをしていて、自分もまたその長男であったりすることだ。

 現在は有名私大に在籍しており、金と権力でひどい遊びをしているらしい。

 なお、エレナをレイプしかけたあの集団とは、また違ったものである。

 日本の治安は、思っていたよりはるかに悪いものであるらしい。


 桜盛としてもこの、帰還してから知った日本の裏事情は、平和があくまで表面的なものなのだと感じる。

 ただそれは勇者世界や、また地球の他の国家でも同じ事であって、むしろ表面的でさえ平和が維持できているなら、それは素晴らしいことだと思うのだ。

 それでも不快に感じることぐらいはある。

 知り合いが被害に遭えば、助けたり報復したりと、その程度はするであろう。

 しかし同じ権力者サイドの人間であれば、助けなくてもよかったのだろうか?


 桜盛がこれまで助けた中には、エレナや志保といった、いわゆる上流階級の人間が多い。

 はたまた警察という治安維持組織の茜や、裏社会の玉蘭など、本当に一般人は助けていない。

 美春はよく知らないが、私立のボンボン学校に来るのだから、少なくとも貧乏な家ではないのだろう。

 そう思うと金持ちは、金持ちの間だけで争ってくれ、と思ったりもする。


 力ある者は、それに相応しい働きが求められる、などと桜盛は思っていない。

 ただ権力や財力を力の元とする者が、それを利用して犯罪を隠蔽するのは、法治国家ではないよなとも思う。

 自分が不快と感じるからこそ、その不快感を消すために対象を抹殺する。

 理性的に考えればしてはいけないと思うのだが、勇者世界の常識が、やってしまえと桜盛の心中で轟き叫ぶ。

 スローライフを夢見ていた。

 だが勇者の力を手に入れてしまってから、目に付く悪党が増えすぎた。

 これを排除しないことには、やはり気持ちよく眠れないではないか。

(でも、さすがにただそれだけで処分するのはなあ)

 ほくほく顔で戻ってきた成美と共に、桜盛はコンサートホールへと移動するのであった。




 うるうると涙ぐむぐらいに、成美はコンサートに感動していたらしい。

 そんな成美を家に帰るように言って、桜盛は少し寄り道をすることにした。

 途中で勇者変身を行い、ある人物のマーカーを確認する。

 彼女は幸い、まだ家に帰っていなかった。

 真夜中までの夜遊びは慎むようになっても、健全な時間帯であれば、普通に外出しているのだ。


「やあ」

「あ」

 突然住宅地の片隅で、桜盛に声をかけられたエレナ。

 それは驚きの中にもある一定の、喜びを伴っていた声であった。


 少し話をしないか、とエレナを公園に誘う。

「何を飲む?」

「あ、冷たい紅茶があれば」

「ミルクは?」

「ほしいです」

 自動販売機からお安い飲み物をエレナに渡す。

 ベンチで横並びに座ると、そわそわとしだすエレナである。


 やはりこんな不審人物と、二人で公園にいるのは怖いだろうな、と見当違いなことを考える桜盛。

 なので用事はさっさと済ませようと思うのだ。

「以前に君が襲われかけた件だが」

 ぴたりとエレナの動きが止まり、あの嫌な思い出がフラッシュバックする。

 基本的には桜盛に助けられたことで、白馬の王子様的に、あの記憶は封印されている。

 だがこうして直接に聞くと、どうしても思い出すのだ。以前に聞いたときは、有希も一緒だった

「主犯だけは明確な物証を残していないのと、祖父が代議士だったことで警察に逮捕起訴されることはなかった。ただ俺はそういうのが嫌いなんで、君が報酬を出すのなら、それを抹殺してやろうと思っている」

 判断を自分だけではなく、被害者にも共有する。

 それが桜盛の考えた、事態の判断であった。


 これが成美や、また志保に蓮花といったところであったら、自分のみの意思で殺していただろう。

 勇者というのは要するに、最強の暗殺者であるのだ。

「以前にも言ったが、あの時は答えをもらっていなかったが、どうする? 抹殺なら10万で、去勢なら50万だが」

 住宅街の公園で、気軽に話すような話題ではない。

 だがこれに関しては、エレナもまだ引きずってはいたのだ。




 桜盛の提案はかなり過激なものである。

 だが過激ではあっても、それなりに穏当なものでもある。

 特に去勢というのは、中国では死刑の次ぐらいに厳しい刑罰と、長年されてきたものである。

 もっとも中国の場合は、死刑にもものすごい死刑の方法があるので、それに比べればまだマシか、ともなる。

 処刑した人間を食べてしまうというのは、ちょっと中国さんも蛮族過ぎる。


 エレナは桜盛の提案した私刑に対して、さすがに戸惑っていた。

 彼女はなんだかんだ言って育ちが良く、そして理性的でもあったと言っていい。

「私は、罪が裁かれないのは間違っていると思う」

 それは一般的な感覚だ。

「でもその裁くのを、自分が一方的にするのも、間違っていると思う」

 なるほどそれが、彼女の価値観か。

 法治社会に慣れた、現在の日本人としては、それが落としどころだろう。


「じゃあどうやって裁けばいい?」

「どうって……もっとちゃんとした証拠を提出するとか……」

「映像や音声での証拠はなく、一応は共犯者の供述があるが、それも途中で撤回された。また弁護士からの横槍があって、結局は任意の間に供述は引き出せず、既に不起訴が決定している」

 茜が忌々しそうに教えてくれたことだ。

「そんな……」

「だから抑止力が必要だと思ったわけなんだがな」

 勇者世界においては、勇者に逆らえば国が滅びる。いや、国は滅びなくても、物理的な暴力で王でもクビが飛ぶ。物理的に。

 聖女などと組んでからは、民衆反乱で王朝が転覆した例がいくつもあった。


 ただ最終的にはほとんどの国は、国家体制を勇者への協力に一本化するため、国内の反対勢力を抹殺するように頼んできたものだ。

 それが合理的であると思えば、桜盛たちは権力の集中に力を貸したりもした。

 絶対王政の確立であり、民主主義を知っている桜盛であっても、より喫緊の課題である魔王を倒すために、一般民衆には無理を強いたという記憶がある。

「結局のところ法律にしても、性善説で成り立っているから、相手が悪人と分かっていても無茶な尋問は出来ないんだよね、日本」

 勇者世界だと治癒魔法があるので、拷問はそれはもう壮絶なことになる。

 なんらかの信念を持っている人間でも、善良で無関係なはずの人間を目の前で拷問していくと、おおよそは吐いたものだ。

 それでも吐かないとんでもないやつは、それこそ魔法を使っても吐かなかったりする。

 人間の心の強さを、悪い意味で感じさせられたものである。


 桜盛だけの考えで、また被害に遭った一般人女性の主張だけで、私刑の中の極刑とするのは、どうも居心地が悪い。

 なので同じ権力サイドで、なんとか未遂にも終わっている、エレナをいい立ち居地として意見を求めたわけだ。

 彼女が10万円払うなら抹殺する。

 50万円払うなら去勢する。

 ただ法律に基づいて刑を受けさせるのは難しいし、それよりなにより面倒である。

「ちなみに同じような立場の人間が、君の従妹である鈴城有希を絶賛ストーカー中であるんだけど、こいつも似たようなものだったりする」

「ちょっと待って」

 エレナの表情が明らかに変わった。




 現金なものかもしれないが、身内が犯罪に遭った時の怒りは、他人が被害に遭ったそれとは全く違う。

 また単純に犯行が遭ったと聞くよりも、具体性があった方がより想像しやすい。

 桜盛などは怒りがいくらあっても、それを発散するまでに、感情を貯蔵する場所がある。

 無闇に怒っても、状況は悪化するだけであるからだ。


 政治家というのはおおよそ、世襲すればするほど劣化する。

 これがまさに貴族だと、意外とまともなやつもいるのだが。

 建前上の平等によって、上流階級であっても、同じ人間という考えをしてしまう。

 だから同じ人間で自分より劣るのは、そのまま人間的な価値の違いと考えてしまいやすい。

 実際のところ貴族政治などは、幼少期からその領地の統治などを教えられて、案外まともに育ったりもする。

 領民は自分の財産と考えるからだ。


 おそらく世襲政治家というのも、数代も重ねれば逆に、自分の社会での位置を理解し、教育も行うようになるのだろう。

 上流階級の責務や義務などを理解することなく、一般人と同じ社会で生きる。

 これがせめて、自分でどうにかしろという価値観で、一般の世界で生きるならいい。

「だが建前と現実が違う国だと困るよなあ」

「私に、有希を守るように依頼させたいの?」

「違う違う。そんな面倒な依頼は受けない。処分するか、するとしたらどうするか、というものだよ」

「なんで私が……」

「上流階級に生まれて、そして俺と知り合った。運が悪かったと思いなさい」

 これは本当に運の問題であるだろうに。


 理不尽だ、とエレナは感じている。

 自分はレイプされかけた被害者であり、こんな難しい判断を委ねられる立場ではない。

 だがこの命の恩人は、上流階級の一員だから、という理由でエレナを脅しつけている。

 いや、脅しているわけではないのか?

「報酬を、前に言ったように用意しないといけないの? 10万円はともかく50万円って、私は持ってないんだけど」

「分割でいいぞ。利子もなしで」

 言われてエレナはさらに困ってしまう。


 つまるところ桜盛は、上流階級としての判断だけを、エレナに求めているのだ。

 完全にとばっちりのエレナであるが、実際に被害は出ていて、そして警察ではどうにも出来ない。

 そもそも性犯罪への刑罰は、さほどに重いものでもない場合が多いのだ。

(でも、どちらかは)

 ここで冷徹に考えるあたり、エレナもそれなりに貴族的な思考をしている。

「私の時のやつは、今も動いてるの?」

「いや、手足になる人間が全てパクられたから、当分は動けないかな」

「じゃあ、有希が危険な方を」

「殺す? 去勢? どっち?」

 女性であればこういう場合、値段も安くつく抹殺の方を、選ぶかと思ったのだが。

「去勢で」

「へえ」

 かなり意外であった。




 桜盛の考えとしては、去勢されても命はある。

 なので潔く死んでもらう、というのが楽な手段なのだ。

 かかる金も違うとすれば、抹殺の方を頼んでもおかしくない。

「ちなみに、なぜそちらを選んだ?」

「確かにひどいことはしていても、殺人を犯してないなら、死刑にはならないだろうから」

「そういう考えか」

 甘いというか、それとも責任を背負いたくないのか。


 中国の宦官の例を出すまでもなく、去勢された人間にも様々な欲望はある。

 悪人は去勢しても、それ以外の悪行をなす。

 それでも人の死には、関わりたくないというのがエレナの考えなのか。

(失敗したかな)

 桜盛としてはもっと簡単に、抹殺してしまうつもりだったのだ。


 桜盛の感覚は確かに、勇者世界に行く前に戻ってきている。

 だがそれでも一度経験した、命の軽さを思えば、戻りきらないところはある。

 エレナに判断を預けるのは、最初から無理筋だったのだろう。

 おそらく茜であっても、犯人への嫌悪感はともかく、なんとか正規の手段で逮捕をさせていたはずだ。


 もしもこんな危険と言うより、特権的な意識を持った者が、将来もこの国の上部にいるなら。

 それははっきり言って、社会的に大きな損失になるのではないか。

 ただ桜盛的には勇者の感覚として、人を平気で数でしか数えないのは、為政者にとって適格であったりもする。

 そのあたりの判断は難しいが、悪人であるほど逆に、政治家としては向いていたりもするのだ。

(まあどうしようもなくなれば、俺が働くことになるのかな)

 明らかに分かる殺人は困るが、呪いなどで殺すことは可能だ。

 大企業グループの会長である鉄山がその呪いを感じていなかったように、現役の政治家であっても、呪いへの対抗力はあまりない。

 順番に自然死させていって……ただそれでも世の中が良くなるとは限らない。


 だが今は、エレナの判断に敬意を表しよう。

「分かった。君の従妹が幸福であるために」

 桜盛は軽い気分で言い捨てたつもりであったが、エレナにそれはかなりの皮肉に聞こえたのだった。

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