第52話 殺し屋たちのゲーム
殺し屋にもルールというものがある。
正確に言えば、許される範囲と言おうか。
単純にその範囲が、一般人とは違う。
そのルールの中で生きなければいけないのは、人間であれば同じことだ。
人里離れたところで、完全に自給自足で暮らせばどうか。
それはほとんどの人間のルールに縛られることはないが、今度は大自然のルールに縛られることになる。
なぜ人を殺してはいけないのか。
ごく当たり前の、誰もが一度は考えるであろう疑問。
これに対する回答は、多くの宗教や哲学、学問において禁じられているから、あるいは社会として許されないから、となる。
だが究極的には、人を殺してはいけないなど、桜盛は考えていない。
勇者世界においては、数百人や数千人、数万人を救うためには、数人や数十人は殺してきた。
逆に桜盛一人を守るために、数十人が犠牲になったこともある。
人の命の価値は平等ではない。
むしろそれは認めてしまう方が、論理としては正しくなる。
なぜ人を殺してはいけないのか。
多くの宗教においては、殺人は禁止されている。
だが同時に多くの宗教においては、殺すべき罪というのも決められていたりする。
世界最大のキリスト教を見てみるといい。
イエスは当時の常識としては、犯罪者と見なされて殺されたのだ。
桜盛はイエスなどは、そんなひどい人間ではなかったろうな、とも思っているが。
高い地位にある人間は、それだけで狙われやすい。
勇者世界では、魔王を暗殺する殺し屋こそが、勇者である桜盛であった。
そんな桜盛がなぜ人を殺してはいけないのか、考えたことはある。
しかし結局宗教的な考えでは、納得することは出来なかった。
彼が考えたのは、不文律による約束、というものである。
地球でも社会契約説として他の分野にも応用されているが、私は貴方を殺さないから、貴方も私を殺さないでください、というものだ。
これを前提として刑罰が決まっているため、殺人犯は殺人犯として裁かれる。
ただしこの契約は、社会が定めたものであるために、社会が殺人を認めることもある。
それが戦争であり、戦争で敵を殺した人間は、殺人犯にはならない。
社会的にもっと大きな関係性が、戦争による殺人を許容しているのだ。
もっとも実際の人間は、戦争状態においても、相手を殺すのには躊躇することが多い。
人間にはだいたい、殺人への忌避感があるのだ。治安のいい社会では、ずっとそれが継承されていく。
この忌避感から逃れるためには、より強い社会的な制約を与えてやらないといけない。
即ちそれは、誰かの命を守るために、敵の命を奪うということである。
そんな桜盛の思考からすると、他人の命を奪った者、あるいは平気で奪える者は、殺害の対象となる。
もちろん事故による過失や、殺人衝動を持っていながらも、それを抑えられている人間は別である。
ただ殺人衝動とまではいかなくても、嗜虐心を満たすために、動物を殺したりする人間はいる。
そういった人間は、かなり危険ではあるが、虫を殺すのを躊躇する者は少ない。
また魚などを自分で捌く人間も、それなりにいる。
そこで桜盛が考えるもう一つの殺人へのトリガーというのは、共感性である。
生命に対する共感性。たとえばペットなどを殺すことは、下手な他人を殺すよりも、忌避感が大きい人間は多い。
それは自分の人生において、どれだけの時間や空間を、共に過ごしたかによる。
また価値観の違いなどもある。
かつて宗教の違いによって、大きな戦争が起こったのは、この価値観の違いは人間の社会の忌避感を、上回ってしまったからであろう。
勇者世界でも戦ってばかりいたわけではない桜盛は、そういったことを考えたりもしたのだ。
哲学である。
八人の殺し屋による、殺し合いによるゲーム。
そこに桜盛は、新たな九人目として参加するのではない。
元々殺し屋を抱えていた人間の中には、ほんの少しだけ悪趣味なことに美学が反する人間がいた。
それがそもそも、今回のゲームについて、警察にリークした人間であるのだ。
「本来の殺し屋の代わりってわけか。その本来の殺し屋は、殺さなくていいのか?」
舞台に向かう車の中、隣に座る五十嵐に、桜盛は確認する。
「平気で人を殺す人間だが、無意味に殺す人間ではないから、様子を見たいとのことだ」
「あ~、なるほど」
そういうのいるよね、としか思わない桜盛である。
どういった殺し屋が参加するのか、桜盛は教えられている。
もちろんその手の内の全てが、明かされているわけではない。
「しかし殺し屋するなら、もっと人殺しがごろごろ転がっているところに行けばいいのに」
「そういうところだと、むしろ自分が殺されるからではないかな? あと英語」
「……なるほど」
結局のところは、自分が殺せる相手しか殺さない、ということか。
確認した限りでは、桜盛が問題になりそうな相手は、一人もいない。
当たり前である。殺し屋ではあっても能力者ではないのだ。
ただどうやって殺しているんだ? と不思議になる者はいる。
それはあるいは、隠れた能力者なのかもしれないが。
鉄の門扉を開けて、そこからさらに車は数十分は走る。
やがて見えてきたのは、おそらく元は病院ではなかったのか、と思える施設であった。
「かなり古いのかな……」
「もとは療養で使われることが多かったからな。雇い主はあそこで、殺し合いを観戦するというわけだ」
「カメラか何かが、あちこちにあるのかな?」
「そうらしい。まあ君ならそれも、破壊するのは簡単だろうが」
そうだけどね。
車は病院の前に止まったが、確かにこれは古いだろうな、と思われる外観であった。
少なくとも昭和の時代にでも建てられたか、昭和といっても長いが、かなり古いのは間違いないだろう。
おそらくこういった悪趣味な催しのために、改修の手は入っている。
それにしても今時、カメラで中継するというなら、ネットで配信でもすればいいだろうに。
そうも思ったがさすがに、この山の中のネットワークは、一部を除き完全に独立しているそうな。
確かにこんなものがわずかにでも洩れたら、大変なことになる。
せっかく整備した施設を、ころころと変えるのも大変であろう。
桜盛としてはいっそのこと、建物ごと全員抹殺したほうが、気分はよくなるのではと思うのだが。
「それでは、健闘を祈る」
五十嵐とハンドルを握っていた高橋は、ここから帰っていく。
周囲には以前に桜盛が相手した連中がいて、もしも逃げ出す輩がいれば、それを捕まえることを任務としているらしい。
もっとも桜盛が頼まれたのは、基本的に雇い主も合わせた、全ての犯罪者の排除である。
別に生かしておく必要はないらしいが、社会的にはかなりの名士もいるだろうに、本当にそれでいいのだろうか。
(まあ俺が死んでもいいな、とは思ってるんだろうけど)
病院のエントランスに、人影は既に七つ。
殺し合いが始まるまでには、まだ時間が残っている。
殺しというのは、あまりいいものではない。
道徳的なことではなく、単純に事件になれば、それだけ世情を騒がせるからだ。
勇者世界において桜盛は、それなりの数を殺してきた。
基本的には悪党が多かったが、どうしても意見を統一するために、殺さざるをえなかったという相手もいる。
その中には頭がお花畑の、本人の主観だけで見れば、善人であるという者もいた。
だがあの殺伐とした世界では、理想主義者はむしろ害悪。
もちろん象徴となるような人物も必要ではあったが、力なき正義を訴えるのは、単なる足手まといなのだ。
何の役にも立たない人間は、生きているだけで罪なのが、勇者世界であった。
本当に死んでほしいなら、鉄山がそうされたように、呪いなり遅効性の毒なり、病死に見える死を狙う。
ただ今日のこの舞台に集まったのは、そういった迂遠な手段が使えないか、好まない者たち。
年齢はそこそこいっている人間が多そうだ。
もっとも顔を隠している者がほとんどである。
中には体格から、おそらく女であろうという者も二人ほどいる。
動作を見ればどういう人間か、ある程度は分かる。
この中で桜盛の脅威になりそうな、人間はいない。
だが脅威になるのは、その人間の身体能力だけではない。
桜盛が一番恐れているのは、化学兵器である。
殺し屋が使うものだとしたら、毒が一番であろうか。
熱エネルギーや質量エネルギーなどでは、桜盛を殺すことは出来ない。
だが毒物などによる化学反応であればどうなるのか。
桜盛の肉体がいくら強化されていても、肉体を構成するもの自体は変わらない。
また神経に作用するガスなど、どれだけ無効化出来るものか。
そのあたりの科学的な検証が、桜盛には足りていない。
ただ毒物と言っても、刃物などに塗ってくる程度なら、桜盛の脅威ではないだろう。
試した中では防犯スプレーのようなものは、あまり桜盛には効果がなかった。
また神経の伝達という点では、電撃が効かなかったので、ある程度は耐性があるのかもしれない。
しかし甘く見るつもりもない。
能力者や自衛隊員相手には、完全に無双していた桜盛。
だが殺し屋の殺人能力というのは、またそれとは違ったものだと思う。
(いざという時は、切り札も使わないといけないかな)
桜盛はアイテムボックスの中に、色々と仕込んでいるのだ。
銃火器は禁止だと、事前に言われてはいる。
だが本当にそれを律儀に守っているのは、どれぐらいいるのだろう。
桜盛であれば外道を相手に、絶対にそんなものは守らない。
そんな桜盛の前にあるのは、机の上のリストバンド。
どうやらこれで、観戦側は殺し屋の位置を把握するらしい。
各種カメラに加えて、撮影用のドローン。
ネットワークの構築など、この遊びのためにどれだけの金を賭けているのか。
一応は最後の一人になれば、状況は終了である。
ただ明日の朝にまでなれば、そこもまた区切りとなる。
誰が生きていたか、何人生きていたか、また殺した人数は何人か。
そういったところでも賭けが行われているらしい。
まったく後出しの条件が多くて困る。
ならば桜盛としては殺し屋よりも、その雇い主を殺していくべきではないか。
殺し屋はここで殺したとしても、またどこからか殺し屋を持ってくるのだろう。
ただ殺し屋にしても、それしか仕事に出来ない人間がいたりはするのだろうか。
確かにサイコパスの人間は、それなりの頻度で存在はするらしい。
だがサイコパスだからといって、そのまま犯罪者になるわけでもない。
リストバンドを付けた桜盛は、同じくあった地図を見て、自分が移動する場所を確認する。
この病院は二階以上が観戦者のスペースなので、上がることが出来ない。
ただそれでも、殺し屋というのはマタギでもレンジャーでもないのだから、病院内で対決する方が有利ではないのか。
そもそも生き残るだけなら、山中に潜んでいればいいだけの話だ。
日没までに移動するため、七人の殺し屋と、一人の勇者は建物から離れる。
本当に条件だけを考えれば、ガバガバなルールであろう。
桜盛の探知によって、生命反応はしっかりと捉えられている。
小型の動物ならばともかく、大型の動物は範囲にはいない。
また電気の反応によって、カメラの位置などもおおよそ分かる。
安全なところから、殺し屋たちの殺し合いを見物する。
その悪趣味なところを、徹底的に抹殺してやろう。
人を殺すために最適の武器はなんであろうか。
そんなものは状況と相手による。
だがとりあえず言えるのは、格闘技術はそれほど優先されない、ということである。
勇者であった桜盛はちょっと別の存在なのだ。
山中のポイントに達すると、日没と共にゲーム開始である。
殺し屋たちはこの条件は聞いているので、夜間でも活動できる装備は持っているはずだ。
桜盛だけがそういったものを必要としていない。
生命力の感知の他に、熱源の感知も使える。
そして山中の800mほど向こうに、とりあえず一人目の犠牲者を発見する。
これは桜盛にとって、狩ですらない。
ただの作業だ。
密集した森の中であるので、カメラによる撮影であっても、限界がある。
またドローンにしても、木々に隠されてそれほど死角をカバー出来るわけではない。
桜盛は彼の雇い主と言われている男から、本体とワイヤレスイヤホンを受け取っている。
基本的に殺し屋は、雇い主の情報を聞いて、その情報によって動く。
だが伝えらるのは、機械的な音声によるものだけ。
同じところで観戦しているのだから、声で指示などを出したら、相手にも狙いは分かるのだ。
まず最初に会敵したのは、迷彩服を着た男である。
目の位置に備えたのは、暗視ゴーグルであろうか。
金属の反応があちこちにある。
おそらくはジャケットなどにある程度の防御力もあるのだろう。
『前方20m、敵』
そんな機会音声が聞こえてくるが、それよりも早く桜盛は敵を発見している。
桜盛は大きな音を立てながら、男の前に姿を現した。
病院で集合したときと同じように、サングラスをかけたままで。
相手としてはおそらく、その装備に逆に驚いただろう。
合皮製のライダースーツは黒一色で、桜盛の体格は男よりもずっと大きい。
「殺し合う前に、少し話をしようか」
殺人鬼ではない桜盛としては、比較的平和な日本においては、納得してから人を殺したかったのである。
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