第2話 契約破棄と廃嫡
16歳になった俺はメイドのエイダがカーテンを開く音で目を覚ました。
彼女は心配そうに俺の顔を見る。
「お体の調子はいかがですか?」
「今日は良いほうだよ」
俺は顔を擦って体を起こし、あたりを見回してカタリナを探した。
「カタリナは?」
「旦那様やライリー様と一緒に庭にいらっしゃいます」
多分、ライリーの剣術訓練を見てるんだろう。
俺はエイダの手を借りて車椅子に座った。
自分の両手を見る。
細い。剣を振るどころか持つことだって叶わないんじゃないかと思う。
朝食をなんとかとった後、エイダに連れられて俺は外に出た。
剣のぶつかる音がする。剣先を潰した練習用のものだが、鉄でできていることに変わりはない。しっかりと重量があるはずだ。それを一つ年下の弟ライリーは、軽々とふって父さんに斬撃をぶつけている。
「よし! そうだ!」
父さんは嬉しそうにそれを凌いで、攻撃にシフトする。
ライリーは軽く足を動かして体重移動し剣を躱すと、すぐに懐に飛び込んだ。
「お!」
と父さんはバックステップして距離を取る。
「ああ、もうちょっとだったのに!」ライリーはそう言って微笑んだ。
「惜しかったな」
父さんは同じように微笑んでライリーの頭をくしゃくしゃとなでた。ライリーは嬉しそうに笑っていた。
俺はそれを遠くから眺めていた。車椅子の肘掛けにぐっと力を入れて立ち上がると立ちくらみがしてよろけた。エイダが慌てて俺の体を支えたが、「平気だよ」と言って、俺はしばらく目をつぶって立ちくらみをやり過ごした。
カタリナはライリーたちのすぐそばにいて二人の様子を見ていた。白いドレスに描かれた模様は鞘に描かれているのと同じもの。銀色の髪はまるで刀身のように光に輝いていた。
俺はふらつきながらもカタリナのそばまで行くと、彼女の肩を叩いた。
「カタリナ」
「ああ、ニコラ。おはようございます」
彼女はふっと表情を暗くしてそういった。
彼女の考えていることがよくわかった。
――どうしてこいつが私の契約者なんだろう。
そう思われるのは仕方ない。
俺は体が弱いだけじゃなく、カタリナをうまく使うことが出来ない。唯一使える《身体強化》だって、アビリティが付与される部分がまだらで、脚が強化されたと思ったら腕が強化されていないなんてことがザラだし、それに、全く持続しない。
もし彼女の力をしっかりと使えれば車椅子なんて使わなくても一日中歩けるんだろうけど、それは無理そうだった。カタリナは練習に乗り気じゃないし。
だからといって彼女との契約を切るわけにはいかなかった。契約しているだけで俺の中の魔力はカタリナが人型を維持するために使われている。それに加えてアビリティを使って魔力を消費して、ようやく現状を維持できている状態だ。
父さんたちが俺に気づいた。
「ああ、来てたのかニコラ」父さんは見るからに嫌そうな顔をした。
「休憩するよ、父さん」
ライリーは俺をちらりと見るとため息をついた。さっきまで見せていた輝かしい笑顔は消え、うんざりしたように唇を尖らせていた。
「ナディア、あっちでアビリティの練習をしよう」ライリーは自分のサーバントを顕現させるとそう言った。ナディアは頷いて、俺をみた。そこには同情の色が浮かんでいた。
家でそういう表情をしてくれるのは、もう、ナディアとエイダくらいだ。
母さんは俺が7歳の頃に死んでしまった。優しい母で最期の最期まで俺のことを心配してくれた。
「カタリナと仲良くやるのよ、ニコラ。きっと体もよくなるから」
それが母さんの最期の言葉だった。
ライリーは多分、俺を恨んでるだろう。母さんは体の弱い俺につきっきりだったから。
きっと、その愛を取り戻すかのように、父さんに毎日のように剣術を習ってるんだろう。
そのライリーは今、少し離れた場所で、水の剣を作り出して、斬撃を飛ばしている。彼は剣術だけでなくアビリティの才能もあった。
アビリティには本来、属性がない。単純に物理的な力が強化されるものがほとんどだ。しかし稀に火や水などの属性が付与されたアビリティを使える人間が存在する。レズリー伯爵家はその家系で代々、水のアビリティを使うことが出来た。
属性には段階がある。
第一段階 属性の発現。サーバントを使って水を出せる、火を出せる。その程度。
第二段階 アビリティへの付与。水の矢や斬撃を飛ばすなど、攻撃や防御のアビリティに属性をつけることが出来る。
第三段階以降は存在は知られているが詳しくは文献に載っていない。
ライリー同様、俺にも水の属性があるにはあるが、第一段階までしか使えない。せいぜい水の玉が出せる程度だ。ライリーのように第二段階までは使えない。
「ライリーはうまくなったね」俺は気にしていないようにそういった。
「ああ、良い騎士になれる」父さんはそういって、チラと俺をみた。
レズリー伯爵家はもともとは騎士の家系で、戦闘、特に剣術に関してはみっちりと教え込むことが代々の決まりであるようだった。父さんは歴代でも優秀な剣士で、戦争の際には武勲を上げ子爵から伯爵に陞爵した過去があった。
こんな長男を持って、父さんは恥ずかしいだろうなと思う。剣術を習うどころか、剣を振ることさえままならない息子だ。それが将来、爵位を継ぐ。
――ライリーが長男だったらどれだけ良かったか。
きっとそう思ってる。
「カタリナとアビリティの練習をするよ」俺はカタリナを見たが彼女は目をそらした。
「ああ」
父さんは興味がなさそうにそう言うと、ライリーを呼んだ。
俺はカタリナを連れて庭の片隅に向かった。いつ倒れても良いように、エイダが車椅子を引いてついてくる。
カタリナは剣の形に姿を変えた。俺は彼女を震える手で持ち上げると言った。
「カタリナ、《身体強化》」
「……はい」
体が一瞬熱くなり、かすかに力がみなぎる感覚がある。が、脚はまだふらつくし、剣を持つ手だって、左手だけ震えている。俺は左手に集中してみるが、うまくいかない。
「カタリナ、左側が弱い」
「……はい」
ぐん、と突然左手が上がって、俺はカタリナを落としてしまう。
「痛っ」カタリナは人型に顕現した。
「ごめん」俺はしゃがみこもうとしたが、彼女は首を横に振った。
「平気です」カタリナはそう言うと立ち上がり、深くため息をついた。
属性魔法の練習どころか、基本的な《身体強化》ですらこの有様だった。ライリーとの差はますます開いていく。
「まだやりますか?」
初めたばかりなのにカタリナはそういった。まるで続けても無駄だと言うように。
俺はうつむいて首を横に振った。
「いや、いいよ」
「わかりました」カタリナはすぐにライリーたちの方へと行ってしまった。
それから一ヶ月が経った。その間、許嫁のローザが会いに来たがほとんど相手をできなかった。
俺はよく寝込むようになっていた。魔力は定期的に使わなければ、井戸水のように溜まっていってしまう。カタリナはアビリティの練習に付き合ってくれず、特にこの一週間はほとんど魔力を使うことが出来ていなかった。
俺はベッドに横たわったまま本に手をおいた。
エルフや獣人はいい。彼らは人間よりも魔力を持っているが、それだけでは魔力中毒症にならない。その理由がこの本に書いてあった。彼らの体のなかには魔力を循環する器官が血管のように独自に存在していて、魔力が一箇所にとどまっていない。その器官に問題が生じると、エルフであっても魔力中毒症を起こすらしい。
俺は俺の体のどこか一箇所に魔力が固まっている様を想像した。
また頭が痛くなってきた。
俺の部屋の窓からは練習場所がよく見えたが、ライリーもこの一ヶ月はあまり練習をしていないようだった。
何が原因だったんだろう。その日、それは突然訪れた。
部屋のドアが開いてライリーが怒鳴った。
「兄さん、どういうことだ!!」
ひどい頭痛なのに大きな音を出されて俺は目を強くつぶった。
「何だよ」
「カタリナに暴力を振るってるんだってね!? それも日常的に!!」
俺は首をかしげた。何の話をしてるんだ?
「運動が出来ないのも、アビリティがうまく使えないのもわかる。でも八つ当たりするのは違うだろ!?」
あまりに騒ぐので、頭に響いた。俺は目頭を抑えてうつむいた。
と、ライリーの後から父さんとカタリナ、それにナディアがやってきた。
「話は聞いたぞ、ニコラ。なんてひどいことを」父さんはカタリナの肩に手をおいてそういった。カタリナは目を伏せて、スンスンと鼻を鳴らしていた。
「メイドもみている。アビリティがうまく使えないからと地面に投げつけたそうじゃないか」
「落としはしましたけど、でも……」
俺が言うと、父さんは遮った。
「言い訳は聞きたくない。ひどい扱いをしたのは事実だ。他にもお前はカタリナを無理に使おうとしていたようだな」
そうして、父さんが語ったのは完全な空想の話だった。俺がカタリナとそんなに多くの時間をいっしょに過ごせたわけがない。むしろ、彼らのほうが長い間いっしょに過ごしていたはずだ。なのに、全くそれを考慮せず、父さんは空想の俺がやった空想の悪行を並べ立てた。
「カタリナを侮辱し、虐げ、脅して使い潰そうとしていただろ!! 彼女だって生きてるんだぞ!! それをただの道具みたいに扱って!!」ライリーは顔を真赤にしてそう叫んだ。
俺はカタリナを見た。
嘘をついたのは明らかだった。ただ、それが、カタリナの嘘なのか、それとも全員の嘘なのかはわからなかった。
ライリーは俺の胸ぐらを掴むと言った。
「やっぱり、兄さんは『大罪人の生まれ変わり』だったんだ!! こんなにひどいことを簡単にするんだから!! 僕はずっとそうだと思ってたよ!!」
ぐさりと、心臓が刺されたように冷たい痛みが走った。
「ちょっとそれは……」ナディアがなにか言いかけたが、父さんが遮った。
「俺は母さんにずっと反対だったんだ。2歳の頃、カタリナをお前と契約させたのは母さんだった。お前は『大罪人の生まれ変わり』だ。教会でそう言われたよ。そんなやつと契約させられるなんてカタリナが可愛そうで……。そしたら案の定これだ」
それから二人は言いたいことを言って、カタリナを擁護して、俺を貶めた。俺はそれを聞き流していた。
これは理由なんだ。俺を追い出す理由だ。そしてそれは何でも良かったんだろう。
母さんという柱が引き抜かれた段階で、いつ瓦解するかわからない家族ごっこだった。ふっと風が吹けば簡単に倒れてしまうようなハリボテの関係性だった。
貴族という体裁がなければ、きっと俺は、母さんが死んだ時点で捨てられていただろう。だが、体が弱いから、『大罪人の生まれ変わり』だからという理由で俺を捨てれば、道徳を重んじる他の貴族に関係を切られる危険があった。『大罪人の生まれ変わり』だろうが現世で真っ当に生きればそれで良いというのが教会の考え方だったから。
理由が必要だった。皆が納得する理由が。
だから、道徳を逆手に取った。教会が「神の使者」と呼んで敬っているサーバントを虐げていることにすれば、俺は道徳に反することになる。あとはそれを脚色すればいい。
父さんは言った。
「ニコラ。お前を廃嫡する。道義に反するお前にレズリー伯爵を継がせるわけにはいかない」
それが父さんの願いだった。
いつか、いつかこうなるんだろうとわかっていた。
けれど、俺はいつまでも願うのをやめられなかった。
カタリナと和解したかった。
魔力をもっと使って、体が動かせるようになって、俺も父さんに剣術を習いたかった。
俺だって……俺だって期待されたかった。
愛されたかった。
父さんがライリーに向けるあの笑顔が、俺に向けられる日が来るんじゃないか。
くしゃくしゃと頭をなでてくれる日が来るんじゃないか。
毎日毎日そう願っていた。
嫌な顔をされながらも、邪険に思われながらも、何度も何度もライリーの訓練を見に行った。
震える脚で車椅子から立ち上がって、彼らの傍までなんとか歩いていった。
振り向いてほしかった。
いつかそこに俺の居場所ができる日がくると、そう、願っていた。
でも、もう、その願いは叶わない。
ひどい頭痛がした。それが魔力中毒症によるものなのか、喪失感によるものなのかわからなかった。
カタリナがライリーの肩に触れた。ライリーが俺の襟から手を離した。
「大丈夫か、カタリナ」ライリーは心配そうに彼女に言った。
「ええ。私が言います」
ライリーはそれを聞くと父さんの隣まで下がった。
カタリナは俺の前に立つと言った。
「私は貴方との契約を破棄します。もう、耐えられません」
知ってる。そんなことわかってる。でも……。
「俺のからだが持たない。ただでさえ、今、こんな状態なんだぞ?」
彼女と契約しているだけで、アビリティを使わなくても人型へ顕現するために俺の魔力は使われているはずだった。もし、今契約を破棄されれば俺の体は持たないだろう。
父さんがため息をついた。
「未練がましいな。仕方ない……。ライリー。ニコラを抑えるんだ」
ライリーはゆっくりと俺に近づくと、首を掴んでベッドに抑えつけた。ただでさえ頭痛がするのに、頭を揺さぶられてひどく吐き気がした。
父さんは内ポケットから金属の箱を取り出した。中には注射器が入っていて、金属光沢のある液体が充填されていた。
父さんはそれを眺めながら言った。
「昔ある人に尋ねたんだ。契約に縛られたサーバントを解放する方法はないだろうか、とね。契約者が死ねば、サーバントも死んでしまう。しかし、サーバントから一方的に契約を破棄することは出来ない。契約者は絶対的に有利だ。もし契約者の意識がなくもう死ぬ運命だとしたら? サーバントはまだ生きたいと思っていたら? どうやってサーバントを解放して救ってやればいいんだろう」
父さんは俺をみた。
「その人は言ったんだ。『契約者にアニミウムを注射すればいい』。体内にアニミウムがある人間はサーバントと契約できなくなる。体内のアニミウムとサーバントのアニミウムが互いに干渉しあった結果、磁石のように反発するらしい。契約状態の人間に注射すれば自動的に契約は破棄される。それを聞いてから、私は常にこれを携帯するようにしているんだ。私にもしものことがあったときには、サーバントがすぐに私との契約を破棄できるように」
父さんはそう言って腰にぶら下げた剣――サーバントに触れた。
父さんが何をしようとしているのかわかった俺は、ライリーを押しのけようとしたが無駄だった。ライリーは全体重をかけて俺を押さえつけていた。
「あの! そんなことをしたら、彼はサーバントと二度と契約できなくなるんじゃ……?」ナディアは怯えたようにそういった。
ライリーは俺を押さえつけながら言った。
「ああ、そうだよ」
そうなったら俺は魔力がたまり続け、死に至るだろう。
「私がカタリナの代わりに彼のサーバントになります。だからどうか――」ナディアは震える声でそういった。
ライリーはため息をついた。
「優しい子だな、ナディア。でもそれじゃあダメなんだ。今度は君に危害が及ぶことになる。兄さんは二度とサーバントを持つべきじゃない。これは必要なことなんだよ」
父さんが俺の腕を掴んで引き伸ばし、押さえつけた。俺は全力で抵抗したが、二人の前では無力だった。
父さんは注射針を俺の腕に差し込んだ。
「契約は破棄する!! やめろ!! やめろおおおおおおぉぉぉぉ!!」
金属光沢のある液体が注入される。ナディアが顔をそらす。
と、カタリナが注射器に手をかけた。
注射器の中身が完全に押し出される。
「うわああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は叫んだ。冷たい金属が体の中を駆け巡る。
と、強烈な痛みが臓器に走った。体が痙攣する。
ライリーが俺から離れる。
耳が圧迫されて周りの音が遠くなる。
「カタリナ、何を!! これじゃあ致死量だ!!」父さんの声が遠くなる。
「私は完全を期したんです!! 致死量なんて知りませんでした!!」カタリナの声がする。
ナディアが俺に近づいてきて叫んでいる。その声はもう聞こえない。
目の前がチカチカと瞬く。
俺は死ぬのか?
こんな形で?
目の前を過ぎていく毎日をただ眺めていた。
俺はただ流されて生きていくことしかできなかった。まるで川の流れにのるボートのように。
滝に向かって進んでいくボートの進路を変えるには、俺の腕は細すぎた。いや、俺のボートにははじめからオールすらなかったのかもしれない。必死に手で水をかいて、でも、そのすべてが無駄だったんだろう。
ただ、無力だった。努力する力さえなかった。
ああ。
次はもっと幸福な人生を歩めたら……。
かろうじてカタリナの姿がみえた。俺との契約が切れて、剣の姿に戻るところだった。
彼女は不敵な笑みを浮かべていた。
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