第76話 貫通する

「ソイツ、連れてきたのカ?」


 学内のいつもの場所に向かうとクロードがそういった。彼は地面に設計図を広げて安全性をどうしようか考えていたみたいだった。気球の本体は俺が革の袋に入れてしまっているし、俺が来ないと何もできないから待たせてしまって申し訳なかった。


「あの広場にまじで昨日から寝転がってたんだ。おいた金もそのままだった」

「……おかしなやつだナ。まあそれは昨日からわかっていたガ」

「乗せれば満足するって言うから、連れてきたんだ。いいかな?」

「まあいいだロ。明後日、何人も乗せろって言われる方が面倒ダ」


 クロードも俺と同じ考えみたいだった。


「じゃあ、気球出すから離れてろよ」


 ヒルデに言うと彼女は猿みたいに俺の背からズリズリと降りて、ナメクジみたいに体をくねらせて、土まみれになりながら離れていった。俺とクロードはその様子を眉を顰めて見ていた。


 俺は革の袋から気球を取り出した。


「でっかあ。近くで見るとこんななんだ」


 と地面の近くから聞こえる。

 立って見ろよ。それじゃあ大きさわかんねえだろ。


 俺は火が出る剣を取り出して気球を膨らませ始めた。もこもこと膨らんで徐々に大きくなっていく。球の部分が浮いて形がはっきりとしてくる。


「おお! これこれ!!」


 ヒルデはまたゴロゴロと寝転んだまま近づいてきて、体をおこし、気球の籠の部分に手をかけた。


「おい、おまえ土まみれだぞ」

「あ、ホントだ」


 俺は左手を伸ばして、ヒルデの体に風を送った。


「あばばば」


 と彼女の口が震えて、服がパタパタとはためき、土が飛んでいった。まあこのくらいならいいだろう。

 クロードは少し離れた場所でペンを手に気球を見上げて、どうすべきか考えているみたいだった。


「クロード、係留するの忘れてた。ロープを木に引っ掛けてくれ」

「わかっタ」


 そう、彼が言ったときだった。

 突然横からの衝撃があって、気球がぐらりと傾いた。

 俺は慌てて火を消して、上を見上げた。空気を入れていた場所から内側の様子がよく見える。

 光が一筋、内部に入り込んでいた。


 穴が空いている。


「な……」


 ほころんでいたのか?

 縫い目が甘かったのか?


 そう思った瞬間、また衝撃があって、パスパスとさらに穴が空いた。

 攻撃されてる!!


「おい! 何やってんだお前ラ!!」


 クロードの叫ぶ声が聞こえて、見ると、そこには数人のハーフエルフが立っていた。先頭にいるのは、アルベルト・レガス。魔法の授業で俺に文句を言ってきたあの男だった。


「わざとじゃないさ。事故だよ。魔法がたまたま当たってしまったんだ。でも……ああ、清々したよ。いいストレス発散になった」


 彼はケタケタと笑った。


「お前……」


 クロードが歯を食いしばっていると、アルベルトは気球を見上げて言った。


「いいのか? あっちを見ていなくて」


 俺は気球を見上げた。穴の場所から空気が一気に漏れ出して、気球がさらに傾いていく。俺の乗っていた籠が傾いて引きずられていく。俺は籠にしがみついた。ふと見るとヒルデはまだ籠にしがみついていて、いっしょになって移動していた。


 俺は籠から飛び出ると、ヒルデを掴んで着地した。

 気球は一瞬浮かび上がったが、すぐに籠が地面に叩きつけられた。膨らんでいた布がしぼみ、木のある場所に多いかぶさる。


 クロススパイダーの巣は頑丈なはずだった。火にも水にも、雷にも耐性があるはずだった。

 それに穴を開けた。

 事故なわけがない。相当な魔力を込めて、貫通したんだ。


「わざとだな? そうだろ!? 事故でこんな簡単に穴が空く素材じゃない!」


 俺が怒鳴るとアルベルトはさらに笑みを深めた。


「僕は君たちと違って魔法をつかうのに長けてるんだ。事故でも穴が空くさ」

「二度目は狙ってただロ! 見てたんダ!」


 クロードは目に涙を浮かべて叫んだ。

 アルベルトは一緒にいた他のハーフエルフたちと顔を見合わせてからため息をついた。


「なんだ、しょうがない。なら嘘をついても意味がないなあ。そうだよ僕がやったんだ」

「どうしテ!!」

「目障りだったからさ」


 アルベルトはクロードを睨んだ。


「僕はね、ただでさえ最近イライラしてたんだ。それもこれも全部この気球があがってからだ!! 父さんもイライラしてそれを僕にぶつけるし、まわりの生徒も気球の話ばかりしている!! こんな物ただの道具じゃないか!! 魔法じゃない!! この学校にふさわしくないんだ!!」


 クロードは両手を握りしめた。


「だからっテ……だからって壊すことないだロ……。これは俺が……、俺がやっと叶えた夢なんダ。やっと手に入れた居場所だったんダ!! それを、お前ハ!!」

「夢? 居場所? あっはは、こんなに安っぽいものが? 笑える」


 アルベルトは心底おかしそうに他のハーフエルフたちと笑った。

 くそ……あいつ……。

 俺は奴らに一発食らわせようと身構えた。


「ねえ、気球は?」


 その時だった。今まで何も喋らず、俺の隣に立って、ずっと気球の方を見ていたヒルデが口を開いた。


「気球は?」

「なんだ、見てなかったのか?」


 アルベルトはそれを聞くとにやにや笑って答えた。


「穴が空いて壊れただろ? もう乗れないよ。僕が壊したか……ら……」


 ヒルデはいつの間にか俺の隣から消えていた。

 まただ。

 どうやって……。


「何処に行った?」

 

 アルベルト達も困惑している。


「ここ」


 声がして、突然、アルベルトの前にヒルデが姿を表した。彼女はアルベルトを見上げて、


 ギッと睨んだ。


 ゾッとした。今までずっとダラダラと寝転がっていた彼女からは想像できないほどはっきりとした憎悪がそこに現れていた。

 アルベルトもそれを感じ取ったのだろう、一瞬怯んだが、咳払いをしてすぐに動じていないような顔をした。


「はっ! 俺に逆らうの――」


 ヒルデはほとんど跳び上がるようにして右腕をつきだした。彼女の拳はアルベルトの顎を横から捉えて、そのまま振り切った。

 アルベルトは体勢を崩して倒れ、地面に尻もちをついた。彼は何があったのか全くわからないような顔をしていたが、その顔は、形がおかしかった。


「あああ!」


 彼の顎は外れていた。口の中を切ったのか血が溢れていた。


「くほ! くほ! ふはへんあ!」


 何を言っているのかわからない。しゃべるたびに痛むのか苦悶の表情で彼は頬を押さえてヒルデを見上げた。

 が、彼女はまだ殴り足りないようで拳を握りしめている。

 アルベルトの顔は恐怖に青くなり、大きく首を横に振った。


「わうかった、もうやめへくえ!!」


 彼はそう叫ぶと、他のハーフエルフの手を借りて立ち上がり、逃げるように立ち去っていった。


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