第77話 盗難

 ヒルデはその場に膝をつくとぱったりと倒れてしまった。俺とクロードは慌てて、彼女のそばに駆け寄った。


「おい! 大丈夫か!?」

「気球……」


 ヒルデは腕を目にあてて仰向けで寝転がっていた。

 彼女の顔が徐々に歪んでいく。


「気球! 気球! 乗りたかったのに!! 壊れちゃった!! うわーん!!」


 彼女はそう言って腕や足をばたつかせたが、すぐにそれをやめていつもの表情に戻った。


「疲れた」

「お前の感情はどうなってるんだ」


 俺は呆れて、ため息をついた。

 クロードは下唇を噛んでいた。


「あいつを殴ってしまったナ。何されるかわからないゾ」

「私は平気」

「俺たちが何されるかわからないんだよ」


 俺がヒルデに言うと彼女は「ああ」とつぶやいた。


「全然考えてなかった。気づいたら殴ってた」

「そうカ……でもスカッとしたナ」


 クロードは笑った。


 あんだけ理不尽なことをしてきたんだ。殴られても文句は言えないはずで、現に俺も殴ろうとしていた。

 ただいつもの俺の魔法練習から察するに、もしあの状況で加減できずに《身体強化》を使って殴っていたら顎が外れるどころか取れていたかも知れない。


 ……思えば、《身体強化》は使う前提だったな。無意識って怖いな。


「お前が殴ってくれて助かったよ。俺がやったら殺してたかも」

「ムカつくじゃん、私の気球を壊してさあ」

「お前のじゃないけどな」


 俺はそう言うと彼女を背負って、クロードとともに壊された気球のところに向かった。


 ひどいものだった。

 籠の部分も地面に引きずられた影響で傷がついているし、穴が空いた袋の部分も木に引っかかってしまっている。


 俺はヒルデをおろして革の袋から鞘を取り出すと、跳び上がって、苦労して、木の枝から気球を剥がした。やっぱり大きな穴がいくつか空いてしまっているし、細かな傷が入ってしまっている。


 大きな穴を直せばそれでいいかと思ったが、細かな傷から破けてしまうのも困る。安全性がどうだと言ってる場合ではなくなってしまう。


「補強すればいいが……まあ作り直しみたいなもんだナ。」


 クロードは深くため息をついた。

 作り直しもそうだが、二日後に気球を飛ばせなくなった。直近ではそれが一番問題だ。ブリジットがやってきてからことの経緯を説明すると彼女は憤慨していた。


「なにそれ! ひどい!!」

「ああ。突然だったから防げなかったよ」

「領主様にも説明しないとナ」


 ブリジットはしばらく頭をかいてウロウロしていたが、ヒルデの姿に気づくとぎょっとした。ヒルデはまた地面に寝転がっていた。


「なんでここにいるの?」

「ずっとあの広場に居座ってたんだ。気球に乗ればそれで満足だって言うから連れてきた。で、気球壊されたことに怒って、アルベルトをぶん殴った」


 それを聞くとブリジットは吹き出した。


「ほんとに!? あっはは!!」


 ひとしきり腹を抱えて笑うとブリジットはヒルデのそばにしゃがみこんだ。


「度胸があるね」

「子供なだけだ」


 俺は眉を顰めた。

 ヒルデはすうすう寝息を立てて眠っていた。

 ブリジットは立ち上がって伸びをした。


「二日後の気球を飛ばす話はキャンセルだって伝えてくるよ。……この気球って補強したら飛ばせたりしない?」

「何度かは飛ばせると思うが……ずっとは無理だな」

「延期するのも限界があるからさ。作り直すとなるとかなり時間がかかるでしょ? 補強して飛ばせるならだましだましでも飛ばせないかな」


 クロードは腕を組んで、気球を見た。


「まあ一週間くらいで補強は出来るかもナ。前みたいに手伝いは必要だガ」

「わかった! じゃあそう伝えておく。それと、領主様に説明するのに話も通しておくね」


 ブリジットはすぐに行動を開始した。こういうとき彼女はすごく頼もしい。

 俺はクロードとともにどのくらいのクロススパイダーの巣があれば足りそうなのか、気球の損傷具合を確かめた後、ヴィネットのところに一度寄ろうと思った。


 が、問題はヒルデだった。

 損傷を確かめている間も眠っているし、今もまだ寝ている。


「こいつここにおいていっていいかな?」

「だめだロ。アルベルトを殴ったんだ。目をつけられてル。ここにおいていったらぼこぼこにされるゾ」


 たしかにな。

 仕方ない。連れてくか。

 ヒルデを背負うと、俺はヴィネットのいるダレンの研究室に向かった。


 部屋の前まで来ると中から声が聞こえてきた。来客中らしい。

 ヒルデを背負ったまま廊下の影の方で客が立ち去るのを待っていると、扉が開いて二人の男が出てきた。男の一人が部屋の中に向かって威圧的に言った。


「なにかわかったらすぐに伝えるように。いいですね」

「ああ、わかったよ」


 ダレンの声がして、扉が閉じられた。二人の男は廊下の向こうへと行ってしまった。

 首をかしげながらも俺はノックをして、ダレンの研究室に入っていった。


 ダレンとヴィネットは少しくたびれたような様子だったが、ヒルデを見ると首をかしげた。


「その子どうしたの?」


 俺は今までの経緯について説明した。アルベルトを殴ったという話をすると、ヴィネットは大笑いした。


「顎外れたの? あはは!」

「いや笑い事じゃないだろ」


 ダレンは目頭を押さえた。


「きっと面倒なことになるぞ。ただでさえゴドフリーが騒いでるのに。今のだってそうだったんだから」

「あの二人の男?」


 俺が聞くとダレンは頷いた。


「ああ。何でも数日前、重要なものを盗まれたらしい。犯人探しにあくせくしているみたいだよ。私とヴィネットは論文を拒否されたから腹いせにやったんじゃないかと文句を言われていたところだ」


 そういえばアルベルトが言ってたな。


――僕はね、ただでさえ最近イライラしてたんだ。それもこれも全部この気球があがってからだ!! 父さんもイライラしてそれを僕にぶつけるし、まわりの生徒も気球の話ばかりしている!!


 ゴドフリーがイライラしていたのは何かを盗まれたからか。で、その盗まれた日付が、偶然、気球をあげた日にぶつかった。何という迷惑な話だ。


「何を盗まれたの?」

「それが、わからないんだよ。情報統制をしてあぶり出そうとしているのか何なのかわからないが、話そうとしないんだ」


 ヴィネットは腕を組んでそう言った。


「これじゃあ協力しようにもできない。まあ始めから協力するつもりはないが」


 ダレンは薄情にもそう言ったが、彼も今まで色々あったのだろう。


「とにかく、レガス家の人間はいまピリピリしている。注意することだな」


 俺は頷いた。

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