第7話 ニコラがいなくなったレズリー家

 ナディアはニコラがアニミウムを投与されてから起きたことの一部始終を見ていたが、全てがどこか遠くの出来事に思えた。


 アニミウムを大量に投与されたニコラはその後、レズリー伯爵の指示で『死の川』と呼ばれる場所に運ばれていった。ニコラの顔はアニミウムの過剰投与のせいで黒ずんでおり、病気で亡くなったと嘘を吐くにはあまりにも無理があった。川に流された後それが戻ったのをライリーたちは知る由もない。


 カタリナはその後、ライリーと契約を結び人型に戻った。サーバントが二人と同時に契約できないのに対して、人間は複数のサーバントと契約できる。ライリーはナディアとカタリナ二人と同時に契約したことになる。


「これで安心です。一ヶ月準備してきたかいがありました」カタリナはそう言ったが、ライリーは彼女を睨んだ。


「準備が無駄になっただろ! カタリナがニコラを殺したから!! 本当はただ外に放り出す予定だったのに」


 カタリナは微笑んだままだった。


「でも浄化をさせず抵抗力を削ぐことはできましたからスムーズでしたし、それにあの男が復讐のためにやってくる心配もありません。ライリーの将来は安泰でしょう?」


「まあ、それはそうだけど……」


 カタリナはライリーを後ろから抱きしめた。ライリーは少し顔を赤くした。


「ねえ、もうその話はいいでしょう? 早く部屋にいきましょう? これからは気にせず毎日だって出来るんですよ。だって私達は契約してるんだから」カタリナはライリーの太ももに触れた。


 ライリーが頷いて立ち上がると、カタリナは彼の腕を抱いた。


「ええと、ナディア。ちょっと外を散歩してくるといいよ。今日のニコラのことがあって少し動揺してるでしょ?」


 彼はそう言って部屋に戻っていった。


 二人が何をしているのかは知っていた。そしてそれが一ヶ月以上前から続いていることも。ニコラは気づいていなかったみたいだけど。


 ただそれを家族が死んだその日に行う神経がわからなかった。


 ナディアは二人の関係性を知っていた。ただ、ニコラをどうするかという計画は知らなかった。多分ライリーはナディアを外に出している間にその話をしていたんだろう。


 窓の外を見るとかなり強く雨が降っていた。ライリーはもう、カタリナに夢中なんだ。


 他のことなどどうでもいいみたいに。


(私のことなどどうでもいいみたいに。雨の中を散歩にいけというくらいには。いつか私も、ニコラのように捨てられるんだろうな)


 大雨で膨れた川はニコラの体を押し流してしまうだろう。ナディアは自分が同じように川に捨てられて、流れに揉まれ、そのまま壊れて死んでしまうのを想像して身を震わせた。


(私がもっと、ニコラと一緒にいればよかったのかな? ニコラと契約していればこんなことにはならなかったのかな?)


 そう思ったがきっと、彼が長男であり、レズリー伯爵を継ぐ資格をもっている以上、廃嫡は免れなかったんじゃないかとも思った。


 ナディアが外に出ようとすると、メイドの一人がぼうっとしているのを見つけた。ナディアは彼女に声をかけた。


「あの、大丈夫ですか?」


 メイドははっとしてこちらを見ると、目に涙を浮かべてうつむいた。


 彼女はニコラをよく世話していたメイドだった。ニコラがライリーの訓練を見に来るときいつも一緒にいたメイドだ。確かエイダという名前のはずだ。ニコラが呼んでいるのを聞いたことがある。


 彼女はポケットからスカーフを出して目頭を抑えた。


「どうしたんです?」ナディアが尋ねると声を震わせながらエイダは言った。


「私の……私のせいなんです。ニコラ様が死んだのは私の……。旦那さまとライリー様に問い詰められて、それで、ニコラ様が練習中にカタリナ様を落としたと言ってしまったから……」


 エイダは顔を歪めて身を縮めるようにして、涙を絞り出すようにして泣いた。


 ナディアは彼女の背をさすった。


「ライリーたちは理由が欲しかっただけです。貴女はそれにつかわれただけ。きっと貴女のことがなくても伯爵はニコラを廃嫡していたでしょう。貴女のせいじゃありませんよ」


 エイダはナディアの胸に顔をうずめて泣いた。




 事件は雨が上がって地面が乾いた数日後に起こった。


 ライリーはカタリナを連れていつもの練習場に来ていた。レズリー伯爵と剣をぶつける。そこにニコラの姿はもちろんない。今までカタリナが座っていた場所にナディアは座っていて、カタリナはライリーの腰にぶら下がっていた。


 剣の練習が終わるとライリーは言った。


「ニコラがいなくなって、練習に集中できるよ」


「ああ、そうみたいだな」レズリー伯爵は笑うと、屋敷の方へと戻っていった。


 ライリーはカタリナの刀身を腰から抜くと言った。


「アビリティを使ってみよう。僕たちなら大丈夫。通じ合ってるから、今までよりもっとすごいアビリティが使えるはず」


「ええ、きっと」カタリナが応えるとライリーは微笑んだ。


「よし、やるぞ」


 ライリーはカタリナを構えて叫んだ。


「《流水剣》!!」


 …………………………………………。


 何も起こらなかった。


「あれ? カタリナ?」ライリーは首をかしげた。


「ライリー? 何をしてるんですか? 早く出してください」カタリナは文句を言った。


「何言ってるんだ? 僕にアビリティが使えるわけないだろ!? カタリナが出すんだよ!」


 ライリーはそう叫んだ。


 ナディアが彼に使われるときはいつも、ライリーの宿罪――魔力を使ってナディアがすべてアビリティの構築を行っていた。ライリーは魔力をサーバントに送る調整もできないので、それもナディアが調整していた。要するにライリーはすべてサーバント任せでアビリティを使っていた。


 アビリティを使うのはサーバントだけだと思われがちだがそうではない。人間は契約していない一人の状態ではアビリティ――魔法が使えないというだけで、サーバントと一緒であれば魔法の構築に参加できるし、魔力の流れを感知できる。


 より強力で複雑なアビリティを使うには契約者とサーバントの両方が構築に参加することが必要不可欠であり、契約者が属性持ちであれば更に難易度が上がる。第二段階に進むには、普通は双方の協力が必要不可欠だった。


 普通は。


 ナディアは一人でそれをやってのけていた。


 サーバントと契約するとき、全員がこのことを教会から教わるはずだった。


 契約者と協力しなさい。サーバントと協力しなさい。さすれば、アビリティを高めることが出来るでしょう。


 しかしライリーは全く聞いていなかったし、それはレズリー伯爵も、カタリナも同じだった。


 カタリナはナディアと全く逆で、アビリティを使うときほとんど何もしていないどころか邪魔ばかりしていた。というより、カタリナはニコラの魔力量を処理しきれなかった。


 彼女はただただ下手くそだった。


 だが、カタリナはそれを認めようとしなかった。彼女はプライドだけは青天井で自分が出来ないということを認めず、ニコラのせいだと思い込んでいた。


 ニコラとカタリナの練習を見ていたナディアは、カタリナの性格をよくわかっていたが、何も言うことが出来なかった。


 ナディアは臆病だった。だから、怒られたくなくて必死で一人で練習して、水の属性アビリティを、一人で第二段階まで使えるようになった。ライリーは自分の力だと思いこんでいたようだけど。


 そのライリーは今、カタリナに叫んでいる。


「カタリナ、早く」


「わかったから、急かさないでください」カタリナはなんとかアビリティを使おうとしているがうまくいかない。《流水剣》どころか、水の球すら作れていなかった。


(というより……水の属性が、魔力にないんじゃ……?)


 ナディアはそれに気づいて、はっとして自分でもアビリティを使おうとした。


 第一段階 属性の発現。ナディアは魔力の流れを感じた。だが、そこに水を出現させる要素をまるで感じ取れなかった。いままであった感覚が少しも……。


「おい!!」その時だった、ライリーがこちらを向いて怒鳴りだした。


「ナディア!! 僕とカタリナの邪魔をしたな!? 僕の許可なくアビリティを使うんじゃない!」


 ナディアは萎縮してうつむいた。


「ごめんなさい」


「そうか、だからカタリナはアビリティがつかえなかったんだな。おかしいとおもったんだ。僕とカタリナの相性でアビリティが使えないわけがない」ライリーは無理やり笑みを浮かべてそう言った。


 きっとそれが原因じゃないことに気づいている。


 カタリナが原因だということに気づいている。


 けれど認めたくないと言った顔だった。


「ナディア。嫉妬するのはわかりますが、すこし冷静になってください」カタリナは人型に顕現するとそういった。


 彼女は……ああ……自分が、原因だと本当にわかっていないみたいだった。


「私、離れてますね」


 ナディアは立ち上がると屋敷の方へと早足で進んでいった。


 そんな……。


 そんな……。


 どうして……。


(どうしてライリーは水の属性を失ってしまったの?)


 それどころか、いつも感じていたたくさんの力を――魔力を感じることが出来なかった。


 いつから?


 いつから、感じ取れなくなっていたんだろう。


 ナディアは考えて、思い出した。


「ニコラがいなくなってからだ……」







 数日後、ニコラの廃嫡を聞いて一人の女性がやってきた。彼女はローザという名前で、ニコラの許嫁だった。ニコラは体が弱くベッドに横になっていることが多かったが、それでもローザは隣りに座って楽しそうにしていることが多かった。


 彼女は無口だった。なにか言いたいことがあるときはサーバントに伝えてもらっていた。彼女のサーバントは男性でグレンと言った。ローザに合わせてなのか背が小さい少年だった。


「どうして廃嫡なんてしたんです? とローザは言ってます」グレンは応接間で椅子に座るとすぐに伯爵にそう尋ねた。ローザは椅子に座って紅茶に口をつけていたが、伯爵を睨んでいた。


 ナディアは部屋の隅の方に立ってその様子を眺めていた。


 伯爵はため息をついてから言った。


「ああ、それは、ニコラがカタリナを虐げていたからだよ。メイドの証言もある」伯爵は両手を握りしめた。「レズリー伯爵を継ぐには、人間性に問題があってね。追い出すことにしたんだよ」


 ローザはカップを置くと、グレンに耳打ちした。


「ニコラはそういう人には見えませんでしたよ。とローザは言ってます」グレンがそういった。


「ああ。私だって信じていたさ。けれど……言うのもはばかられるようなことをあいつは……」


「具体的には? とローザは言っています」グレンがそういった。


 ローザは耳打ちしていなかった。


 伯爵は怪訝な顔をしたが言った。


「言うわけにはいかない。耳に入れるのもおぞましいことで……」


「具体的には? そう聞いてるのよ」グレンの口が動いた・・・


 ローザは伯爵を睨んでいた。


 伯爵は驚いていたが首を横に振って言った。


「とにかく彼には問題があった。道義に反したんだ。だから追い出すことにした」


 ローザはグレンに耳打ちした。


「どこに追い出したんです? クルニテ? ハイペリカム? ポトリア? とローザは言ってます」


「それが……」伯爵は下唇を噛んだ。「わからない。金を渡して馬車に乗るように言ったからね。どこに行ったのかはわからないんだ」


(うそばっかり)ナディアは小さくため息をついた。それを、ローザは目ざとく見ていて、目が合ってしまった。


「そうですか、わかりました。とローザは言っています」


 グレンがそう言うとローザは立ち上がり帰っていった。


 伯爵はため息をついた。


「まったく、面倒な女だ」




 それから数日がたった。ライリーは常にイライラしていて、ナディアに当たった。


「また僕たちの邪魔をしているんだな!? そうなんだろ!!」


 ナディアはライリーたちの訓練には一切足を運んでいなかったのにこの言われようだった。どうやら彼は自分たちがニコラを追い出した理由が何だったかを忘れてしまっているらしい。


 ついに、彼は言った。


「もううんざりだ!! ナディア、君との契約を切る!! 剣の姿で過ごすと良い!!」


「ちょっと! そんな!!」ナディアは反論しようとしたが、ライリーは一方的に契約を破棄した。ナディアは剣の姿になってしまい、物置のようなところに放置された。


 一週間くらい経った頃、突然エイダが物置にやってきてナディアを持ち上げた。運ばれた先にはローザとライリーがいた。


「これで満足か?」ライリーはローザに言った。


「はい。二人は私が連れていきます。とローザは言っています」そうグレンはいった。


 そのまま、ナディアとエイダはローザとともに馬車に乗せられた。


 馬車が動き出すとグレンが言った。


「ナディア。エイダからすべて話は聞きました。ニコラはもう……」そこでグレンは口を閉じた。


 ローザはうつむいて両手を握りしめていた。


「二人は家でひきとります。あの家に置いておくわけには行きません。ナディアさえ良ければ、私の妹と契約してくれませんか? 彼女はまだサーバントを持っていないんです」そうグレンは言った。


 ナディアは一瞬驚いてそれから答えた。


「お願いします。ありがとうございます」




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