第169話 『契約』のアデプト

「結婚したらなんでも言うこと聞いてくださいね。だって夫なんですから! 家事は一通りやってくださいね、働いてお金稼いできてくださいね、あたしが喜ぶことを考えて毎日毎日サプライズしてくださいね! あたしはゴロゴロしてるので!」

「奴隷じゃん」

「違います! 違います! あなたは快く、喜んでそれをするんです。甲斐甲斐しくあたしの世話をするんです。愛ゆえに」

「ああ、お前はペットってことか、なるほど」

「結婚のことを何も解ってない!」



 と、明らかに極端な結婚観を吠えながら、フォースは俺に向かって『契約』を迫ってくる。


 彼女が棒を振るとリング状の魔法みたいなものが射出されて、たぶん、あれに捕まると『契約』が完了してしまうのだろう。


 結婚契約が。

 婚約が。


 フォースの真っ白な服はウェディングドレスみたいで、そう考えると何というか、手順が全く逆に見える。


 ウェディングドレスを着た状態で、結婚を迫る。

 そのまま教会に直行するつもりかな?


 そのつもりはないので俺はアルベドを背負いウィンターを抱えて逃げ回る。


『契約』がどのくらいの効力を持っているのか現時点では解らない。フォースは「どんなものでも従わざるを得ない」と言っていたけれど、そんなに強力なものなんだろうか。


「死ね」と言われたら死ななきゃいけないような?


 もしそうなら最強どころか最凶のアデプトと言えてしまうけれど、そこで『あたしと結婚してください』とか言ってしまうあたりフォースのポンコツ具合が窺える。


 サーバントの扱いについては天才的でも、

 能力の扱いに関しては天才とは言えない。


 あるいは、この『契約』のアデプトには何らかの制限があって強い『契約』が出来ないとか?


 だから「死ね」なんていう直接的な方法ではなく「結婚する」というかなり婉曲な方法を採らざるを得ないのか?


 解らないながらも逃げ続ける。


 フォースが起こした最初の爆発で、すでに村から人は逃げているので、俺が逃げたことによって村人が流れ弾に当たることはない――その点、流れ弾で結婚する被害が出ないから安心。


 と言うか、流れ弾で結婚とか状況が不明すぎる。

 ブーケ投げつけられたのか。


 そこに、村人が逃げた拍子に手綱を離してしまったのか、牛が自由を謳歌するようにのそのそとやってきた。俺がちょうど『契約』のリングを避けたタイミングで、リングはそのまままっすぐ牛に向かって飛んで行く。


『契約』のリングは、牛に直撃した。



 フォースは牛と結婚した。


 牛が可哀想だった。



「おお、美女と野獣の夫婦だ」と皮肉るアルベド。

「美女ってどこですかっ?」と正直なウィンター。

 ちなみにカタリナは一人で大笑いしている。



「ぎゃあああああ! 牛と結婚してしまいました!」



 フォースが叫び頭を抱えた。



「あ、あああ、あなたのせいです! あなたのせいです! 何で避けるんですか! こんなに可愛いあたしと結婚できるのに!」

「えっと……お前にはもっといい相手がいるよ」

「牛とか」とアルベド。

「何でそんな酷いこと言うんですか! 酷い酷い酷い! こうなったら仕方ありません! 夫! アタシを守って、その人たちを攻撃しなさい!」



 フォースが言った瞬間、牛は目を血走らせて、俺たちの方へと駆け出した。


 俺は飛び跳ねて牛の突進を躱したが、オーバーランした牛はすぐに俺を見つけて、突撃してくる。



「言葉解んなくても命令できんのかよ!」

「あ、あああ、あたりまえです! 結婚したんですよ!? 強制的に夫は妻を愛さなければならないんです。この世で最も大切な存在になったんです。だ、だだだ、だから妻に仇なす存在はなんとしてでも抹消しようとしますし、妻の言うことなら何でも聞かなければならないんです。それが結婚ってものでしょう!?」

「妻に都合が良すぎる!」



 と言うか強制的に愛するとか言っちゃうあたりカタリナと同じ人種だった――カタリナ・シリーズとアデプトをしているからそうなったのか、元々そういう性格なのかは定かではない。


 たぶん元々そういう性格なんだろうと勝手に思っているけど。



「くっ」



 と、俺は呻いて牛を避ける。


 闘牛士めいたことをやるだけでもそこそこ面倒なのに、リング状の『契約』まで避けなければならない――リングはそれほど速度もなく簡単に避けることができるけれど、いつまでもと言うわけにはいかない。


 また突撃してきた牛を避けているとカタリナが、



「牛殺せばいいんじゃないですか?」

「なんて酷いことを言うんだお前は!」



 可哀想な牛なんだぞ!

 フォースを愛するようにいられている牛なんだぞ!


 ギャグっぽく言ってみたものの俺の心情としては結構マジでこの牛を殺したくない。


 別に俺は博愛主義じゃないし、草食主義でもない。

 

 魔物なら襲いかかってくれば普通に殺すし、生きるために依頼を受けて狩りだってする。


 それでもこの牛を傷つけたくないのはたぶんカタリナ・シリーズの被害者だからだ。


 カタリナに似てる奴が、カタリナに似てる性格が故に横暴を働いている――その被害に遭ったのがこの牛だ。


 俺だってコイツを止めた方がいいってのは解ってるし、自分の命の方が大事だ。操られているのが人間ではない分、殺す障壁だって低い。


 だから迷ったのは――躊躇ためらったのは本当に一瞬のこと。

 

 それで、フォースには十分だった。



「捕まえました!」



 と、フォースの声がして、彼女がいつの間にか移動して、ものすごく近い場所にいるのに気づく。


 俺は咄嗟にウィンターとアルベドを突き飛ばした――アルベドはサーバントだから『契約』が効くかどうかなんて曖昧だけれど、咄嗟の行動だったのでそこら辺全く考えていない。


 ともかく、俺は二人を引き剥がして、


 そして、『契約』のリングをもろに喰らった。


 フォースの喜ぶ声が聞こえてくる。



「やりました! やりました! 男の子を夫にしました! 重婚ですけれど気にしません! あたしに法律は通用しません! まあ牛とはすぐに離婚するんですけど! もう用済みです! バイバイ!」



 俺はその場に膝をつく。

 頭がぼんやりとして何も考えられない。


 フォースはニヤニヤとした笑みを浮かべて俺のところに近づいてきて、



「さあ、あなたはあたしの夫です! あたしの奴隷になるんです! あ、間違えました! あたしの夫として、家族として、あたしに尽くすんです!」



 俺は立ち上がってフォースに近づく。まるで夢遊病みたいにふらふらと足が動いて、フォースの肩に手を置く。


 恋人にそうするように優しく。

 

 フォースはそれに満足したのかように一層笑みを深めると、俺に突き飛ばされた衝撃で地面に転がったままになっているウィンターとアルベドの方を見た。



「あ、チューとかはまだですよ。その前にあそこにいる二人の失礼な子をぶっ飛ばしてください。妻の命令です。従えますよね?」




「何言ってんだ、お前」




 俺はフォースにビンタをかました。

《身体強化》を施した渾身のビンタだった。


 フォースの身体は吹っ飛んで、地面にゴロゴロと転がる。その体が止まると彼女はキョトンとした顔をして俺を見た。



「な、ななな、暴力! 家庭内暴力です! なんで! なんでなんで! なんで『契約』が効かないんですか! 『あたしと結婚してください』! 『あたしと結婚してください』!」



 フォースは言って『契約』のリングを放ち続け、俺はそれを受け続けたが、全く俺に変化はない。一瞬だってフォースのことを愛おしく思えない。


 とは言え、おそらく『契約』はしっかりと履行されている――履行されているが、その相手が俺というのがまずい。


 フォースは言った。



――あたしの夫として、、あたしに尽くすんです!


 

 俺はを知らない――と言うより今は奪われて忘れてしまっていて、疑念を抱いている。


 それよりも強く、俺が家族へ抱いている感情は、呆れとか、諦めとか、怒りとかそういうものだった。


 バカ親父、ライリー、カタリナ。


 それと同列に、フォースが並んだ。


」という言葉を使ったことでそれが『契約』に組み込まれたのだろう。


 俺は苦笑する。

 

 ナディアの言葉が思い出される。



――たとえ話をしましょう。ニコラ、あなたがいつか家庭を持ったとします。愛する人ができて、子供ができて、守るべき団らんを作り上げたとします。……そういった状況をニコラは想像できますか?



 どうやら俺のこれは、『契約』を無意味にしてしまうくらいには重症らしい。



「さて……」



 と俺は、ショックのせいかアデプトの外れたフォースの前に立って、魔法の構築を始めた。


 フォースはしばらくキョトンとした顔をして俺を見ていたが、不意に何かに気づいたようにして、



「そういうことですか! 解りました、あたし! 結婚の『契約』が効かないということは、あなたが本当にあたしを愛していると言うことですね! 真実の愛の前に『契約』は無意味なんです!」



 んなわけねえだろ。


 変なところでポジティヴなフォースだった。

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