第62話 ケチなモイラの研究室
ケチなモイラの研究室は塔の最上階近い場所にあった。3人で研究室の前に立つとダレンがノックをした。鍵の開く音が3回、上、真ん中、下の順番でして、扉が僅かに開いた。完全に開かないように扉には鎖がついていて、まだドアはほとんど開いていないのに、鎖はピンと張っていた。
隙間から覗く目は充血していて、目の下には大きなクマがあった。不健康そうな真っ白な指がドアを掴んでいる。
「誰だ」
「ダレンだ。それから元研究員のヴィネットと訳あって付き添っているニコラだ」
充血した目はじっと俺たちを見ると、数回まばたきをした。
「何の用だ」
「君に得になる研究について話に来た。『精霊の血』を簡単な素材で作る話だ。ヴィネットが編み出した方法だよ。ただ、土の属性はまだ作れない。だから君に協力してほしいんだ」
『精霊の血』という単語が出た瞬間、彼女の目は明らかに怪訝そうに狭まった。
「本当に作れるのか?」
「ああ。君の目の前で実証する準備もある」
モイラは狭まったままの目でダレンをみて、一度ドアを閉めた。
断られたのかと思ったが、かちゃかちゃと鎖を外す音がして、またドアが開いた。
俺はぎょっとした。モイラの髪は足元まで伸びていた。後ろ髪だけでなく前髪も同じような感じで、髪をまとめるのが大変そうだった。
「入れ」
モイラがそう言って、部屋の奥に下がった。
部屋に入る前にダレンが俺に言った。
「絶対に部屋の中にあるものに触れるんじゃないぞ。触った瞬間追い出されるからな」
めんどくせえ。
研究室にはたくさんの鉱物が並んでいた。これに触れてはいけないんだろう。俺は手を体の前で握っていた。
モイラは魔法でお湯を沸かすと紅茶を準備して、一つしかないカップに注いだ。それから棚に整然と並んだガラス瓶から砂糖やら何やら色んなものを一匙ずつ紅茶に入れてテーブルに持っていき、口をつけた。もちろん俺たちの分はない。
「それで、どうやって『精霊の血』を作る?」
ダレンとヴィネットは顔を見合わせて、それから、説明しだした。
モイラはうなずきもせず黙ったままで、聞いているんだか聞いていないんだかわからなかった。
ヴィネットは持ってきたアニミウムと錫の合金を俺に注射した。もう立ちくらみくらいで順応して、倒れるということはない。
で、ここで思い切り風の魔法を使うと絶対怒られるので、小さく小さく魔法を使ってみた。風の魔法は発動した。その瞬間だけモイラの目が少しだけ大きくなった。
作戦通り、ダレンもヴィネットもアニミウムの拒否反応について話さなかった。
ヴィネットが説明し終えると、モイラは紅茶を口に運んで、なにか考えこんでいるようだった。
「土の『精霊の血』が何の合金かわかれば、ゴドフリーの圧力を弾ける。協力してほしい」
ダレンが言うと、モイラはため息をついた。
「アニミウムの合金で属性が現れるのはわかった。目の前で見せてもらったしな」
「じゃあ……」
「ただ、それは『精霊の血』と全く同じものではないだろ。というか、そいつにアニミウムへの耐性があるだけじゃないのか?」
即座にバレた。いや、と言うかばれないと思うほうがおかしいのだ。相手もバカじゃない。
「ダレン、私のことをバカにしているのか?」
「そういうわけじゃ……」
ダレンは苦笑した。
モイラはじっとダレンを見ていたが、ぼそっと口を開いた。
「どれだけあれば特定できる?」
「え?」
「成分の特定だ。どれだけあればいい? まさか一瓶全部なんて言わないよな?」
ダレンはヴィネットと顔を見合わせた。
「譲ってもらえるんですか?」
ヴィネットがそう尋ねると、モイラは顔をしかめた。
「譲るわけじゃない、ちゃんと情報はもらう。はっきり言えばものすごく惜しいが、特定できる算段はあるし、効果も証明してもらった。それに、使い道がないわけじゃない」
「例えば、なんです?」
「私に『精霊の血』をよこせとうるさい研究者を何人か黙らせられる。どうせそいつらが投与するのはアニミウムに耐性がある一部の魔物なんだ。ことは足りる」
モイラはそう言って、立ち上がると棚の鍵を開けて、厳重そうな金庫を開いた。中からいつかヴィネットが見せてくれた『精霊の血』と同じような瓶詰めの液体を取り出すとテーブルの上においた。
ヴィネットが必要な量を言うと、モイラはものすごく惜しそうにな顔をして蓋を開け、正確に分量を計ってヴィネットに手渡した。
「結果がわかったら真っ先に教えに来るんだ。それから合金の作り方も教えてくれ。いいな?」
ヴィネットはうなずいて礼を言ったが、モイラはまだ渡した『精霊の血』をじっと見ていた。
彼女の気が変わらないうちに俺たちは研究室を飛び出した。
かくして俺たちは土の属性の『精霊の血』を手に入れ、俺は風の属性を手に入れたのであった。
練習するしかねえ。
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