第161話 殻を割る

 きっとこのままじゃ幸福になれないなんて、そんな呪いみたいなことを母さんから言われてしまったけれど、じゃあ、昔は幸福だったのかと聞かれると病床に伏せっていた都合上それもまた微妙な話で、母さんがいた頃の俺は幸福だったんだろうかと疑問に思ってしまう。

 

 いや、たとえ床に伏せっていても幸福だったんだろうな。


 俺を想ってくれる人がいて、あの頃ならきっと幸福を幸福として享受できたんだろう。幸福受容体みたいな物が欠落してしまった今はそうではないけれど。


 なんてこった。


 幸福を目指して生きることにしたのに、スタート地点ですでに躓いてたなんて夢にも思わなかった。いくら幸福を浴びたって、俺がそれを理解出来なきゃ意味がない。だから、きっと向き合わなきゃいけないんだ――ナディアは反対したけれど……。


 バカ親父。

 ライリー。

 カタリナ。


 あいつらと話をしよう。


 そう思って意識を取り戻した俺が目を開いたのは変わらずバカ親父の書斎だったけれど、


 先ほどと状況は一変していた。


 一つ、アルベドと執事以外の人間が増えていた。

 二つ、アルベドと俺の身体は椅子にロープで縛りつけられていた。

 三つ、やつれたバカ親父が目の前に座っていて、騎士なのか傭兵なのか解らない素行の悪そうな男たちが壁際に腰を下ろしていた。


 話をするような状況かこれ?



「捕まっちゃった捕まっちゃった」



 と、俺からかなり離れた場所でアルベドが愉快そうに言う。

 

 見りゃ解るわ。


 対して仏頂面のバカ親父は酷くやつれて廃嫡時よりもかなり老けたように見えた。それでも俺を睨みつけ、歯を食いしばっているあたり死にそうという感じはしない――と言うより、その感情によって生きながらえていると言った様子。



「ライリーの手紙は本当だった。お前が私の息子を殺したんだ」

「殺してねえし、俺もお前の息子だよ、

「黙れ。今すぐお前をたたき切ってやる」



 そう息巻いたものの、ライリー捜索の疲れからか酷く咳き込んで、勢いが削がれてしまう。近くにいた執事にいつからこの状態なのか尋ねるともう一ヶ月になるとのことで、下手をしたらもう長くないのではないかと思った。


 だからと言ってそばにいようとは微塵も思わないし、そんなの向こうにしたってお断りだろう。


 とっとと立ち去りたいし、立ち去ってほしい。

 縛られてるから無理っぽいけど。



「何で俺とアルベドは縛られてるんだ?」

「きっとそういう趣味なんだよ」



 とアルベドが空気を読まずにぼそりと言って、バカ親父の眉間にさらに皺が寄る。



「あのサーバントを黙らせろ。またアニミウムを注射されたいか、ニコラ?」



 一瞬何を言ってるのか解らなかったけれど、どうもバカ親父はアルベドのことを俺と契約したサーバントだと勘違いしているらしい。だから俺から離れた場所に縛りつけてるのか。俺がサーバントに触れない限り魔法を使えないと思っているようだった。


 愚か。


 俺の魔法の秘密がライリーの手紙に書いてなかったのか、はたまたろくに信じていないのかは解らないけれど、以前と同じことをしようとしているあたり反省がまったくない。


 それじゃ俺を殺せないし、魔法は消えない。


 そんなバカな親父はふうと息を吐きだして、



「お前をまだ殺していないのは、お前からライリーの居場所を聞き出すためだ。何か知ってるだろう」

「知るわけないだろ。ライリーが生きてるってこともさっき知ったんだから」

「嘘だ。私がこれだけ探して見つからないということは、誰かがライリーを閉じ込めているんだ。そこにお前が戻ってきた。お前が閉じ込めていて私を脅しに来たんだろう」

「んなわけ……」

「口答えするな」


 人の言葉を遮るのは相変わらずだが、数ヶ月前よりもさらに思考回路が猜疑心に汚染されて腐っているみたいで、やっぱり、思った通りコイツとは会話が成り立たない。これがライリーやらカタリナやらでも起きると思うと前途多難でしかない。


 会話が成り立てば仲直りが出来たかもしれないけど……いや、無理か。

 バカ親父は俺を殺したし、俺はライリーを殺した――ようなものだ。



「幸福は遠いな」

「何を言って――どうやって縄をほどいた?」



 俺ははらりとほどけた縄を払って立ち上がる。

 こんな物いつでもいくらでも切り裂ける。



「アルベド、行くぞ。もうここに用はないから」

「えー監禁ごっこ楽しかったのに」



 と言いつつも彼女も縄をほどいてしまう――と言うか塵にして消失させる。


 バカ親父は目をかっぴらいて俺たちを見て、



「どうやって魔法を……サーバントに触れてもいないのに……」

「いくつか間違ってるだろうから訂正しておく。一つ目、アルベドは俺のサーバントじゃない。二つ目、俺はもうサーバントがなくても魔法を使える……こんな風に」



 俺は窓めがけて無属性の魔法を放った――マヌエラに体内の魔力調節をされたのは覚えていたけれど、ちょっとした苛立ちがあったので、窓だけではなくその周りまで被害が及んで大分風通しが良くなってしまったけれど。



「俺は窓から出て行くよ。この屋敷に囚われていた頃に、いつも外に出たいと思っていた窓から。前は出ることが出来なかった窓から」



 まるで卵の殻を破るように。

 

 部屋にいた騎士も、バカ親父もぎょっとして固まったまま俺たちを見ている。

 俺はアルベドと共に窓から飛び降りて、日の暮れた庭を通り抜ける。


 追いかけてくる気配はない。


 アルベドは何度か振り返って、



「あれで良かったの?」

「俺は初めからこうすれば良かったんだ。何も恐れずに殻を破れば良かったんだ。外はこんなにも自由なのに。助けてくれる人はたくさんいたのに。俺はバカだったんだな」



 二度目の出立は、追放じゃない。

 だからなのか解らないけれど、俺は少しだけすがすがしい気分だった。

 やり残したことを一つ終えた気分。


 俺は伸びをして、それから、アルベドに言った。



「バカ親父のせいで言ってなかったけど、念話は出来たよ。ルベドと話をした。アルベドの言うとおり、やっぱり母さんはルベドだった。真っ暗な場所に母さんが立ってた」

「ルベドの空間だね」

「そう。母さんは居場所を教えてくれなかったけど……俺とライリーなら止められるって言ってたな」

「何を?」

「……その前に確認。母さんの空間じゃあ、誰もかもが子供になるんでしょ? 少なくとも俺は幼い姿に変わってた」

「そう、かもね。ルベドが『ルベドの子供たち』と話すときに入ったことあるけど、みんな子供の姿になってたかも。……その名の通り、ルベドは母親だから、かな?」



 じゃあ、やっぱりあの追いかけてきた少年は実際の年齢とは別の姿なんだろうな。



「じゃあ、もう一つ確認。もし『ルベドの子供たち』を作り出す薬を使ったとしたら、はずなんだよな? 

「そうだよ」



 なら、確定だ。


――ライリーを探して。二人ならあの子を止められる。


 母さんが言った「あの子」、そして、追いかけてきていた、あの少年が誰なのか。

 考えればすぐに解る。


 俺とライリー以外に、『ルベドの子供たち』の兄弟がいる。


 トモアキとケイ。


「あの子」はケイだ。


 サードだ。



「『七賢人』のサードは『ルベドの子』なんだ。母さんが止められるって言ってたのは、サードのことだったんだ」

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