第80話 ヒルデとシスター

「閉じこめられてたあ?」


 意味がわからず俺は首をかしげた。レガス家が子供を誘拐して閉じこめる利点がわからない。金には困っていないはずだ。そうでもないのか?

 聖属性を使えるということでレガス家は有名だが、一応は研究者の家系のはずだ。 

 なにかの研究に子供が必要だったのか?


 と考えてはみたものの、ヒルデは必死になって逃げていたわけではないし、助けを求めたわけでもない。腹が減っていて死にそうだったわけでもない。むしろいまも緊張感がなくゴロゴロとしている。


 さっぱりわからない。


「何ために? 研究のためか?」

「いや、……まあそれもあるけど」


 歯切れが悪いな。まだなにか隠しているのか。

 そこで思い出した。こいつは目の前で消える魔法を使えたはずだ。なら捕まっていたというのも本当なのか怪しい。


「すぐに逃げられたんじゃないのか? 瞬間移動できるんだろ?」

「そんなのできない」

「でも目の前からよく消えるだろ」

「これね」


 ヒルデはそう言うと、姿を消した。数秒後また姿を表した。俺はその様子をじっと観察していたが、やっぱり消えているようにしか見えない。

 ただ、彼女は消える前と消えた後でまったく同じ場所にいたし、同じ姿勢だった。


「移動はしてない。これはただ姿を消してるだけ。触ろうと思えば触れる」


 ヒルデは手を伸ばして、俺の手を掴んだ瞬間、消えた。しかし、彼女の言ったとおり触れている感覚はずっとあった。彼女の冷たい体温が手の平に押しつけられている感覚が消えずに残っている。


 見たことのない魔法だ。何の属性を使ってるんだ?

 ヒルデは姿を表すと「ふう」とため息をついて俺から手を離した。


「これやると疲れる」

「これはなんだ?」

「光の属性魔法」

「光!?」


 かなり珍しい属性だ。というか、もっている人間なんて存在したのか?

 王族にいるという噂は聞いたことあるが……。

 その珍しさからレガス家が誘拐したのか?


「確かに逃げるときはこれを使ったよ。檻の中でしばらく姿を消して、魔力もまわりに見えないように魔法を使って、監視してた男が檻を開いて中に入った瞬間に外に出た」

「魔力も消せるのか?」

「消せると言うか見えなくできる。センサーの類は全部これで通れる。学校の裏門とかね。正門のは厳重すぎて無理だけど」


 だからこいつはわざわざ俺と一緒に裏門まで来たんだ。通った方法は檻からでたのと同じ方法だろう。俺がカードで裏門を開くと同時に自分に魔法をかけて、俺と一緒に通り抜けた。


「魔力は独特の光を放ってる。ふつうの人間には見えない特殊な光ね。光魔法を使えばそれも遮断できる」

「レガス家はそれをなにかに使いたかったのか? 光魔法ってかなり珍しいだろ? それで誘拐されたんだな?」

 

 ヒルデは寝転がりながら首を横に振った。


「半分は当たってる。でも全部じゃない。ニコラはまだわかってない」

「なにが? ……あれ?」


 そこで、俺は気づいた。


「おまえ、サーバントは?」


 と、その時ドアがノックされて、ヒルデは姿を消した。

 なにかとても重大なことを見落としている気がする。

 俺は顔をしかめて、ドアを開いた。


 そこには例のシスターと修道服を着た男が立っていた。


「どうも。お客様がいらっしゃったのでは? 話し声が聞こえましたけれど」


 シスターは相変わらず細い目で俺を見てニッコリと笑ったまま言った。

 彼女たちの姿を見た瞬間、ヒルデの謎のひとつがまた引っかかった。

 どうしてコイツらに追われてるんだ?


 ヒルデは孤児の一人で、光の魔法を使えて、だから誘拐されたのだと思っていた。

 違う。そうじゃない。

 コイツらがヒルデをレガス家に売ったのか?


 俺が黙っていると、シスターの口角が徐々に下がった。


「なにか気に触るようなことを言いましたか?」

「いや、別に」


 わからないことだらけで心がモヤモヤしている。

 俺はそれを払うように咳払いすると彼女たちに言った。


「何か用でも?」

「先日の子がまだ見つからないのです。また見かけていないかと思いまして」


 そう、シスターが言った瞬間、俺の手に冷たいものが触れた。

 一瞬ビクッとおどろいたが、それがヒルデの手だと気づくのに時間はかからなかった。


 彼女がシスターたちから逃げたがっているのがよくわかった。

 たとえ、サーバントを持たずに魔法を使える存在でも。

 いま彼女を連れて行かれるわけには行かない。聞きたいことが山ほどある。


「どうかされました?」


 シスターは少しだけ目を開いて首をかしげた。またあの真っ黒な目が見える。何もかもを見透かしてしまうような目だ。

 

「いや、なんでもない。見てないよ」


 シスターは首をかしげたまま、右手をあげた。修道服の男は彼女の手をとるとすっと本の形に変わった。彼女は本を胸に抱くと、左手で、俺の胸に触れた。

 彼女の目がかっと開く。真っ黒な穴のような目が俺を捉える。


「嘘を吐きましたね?」


 なにか真っ黒なものが体に流れてくる。俺は慌てて後ろに飛んだが、そこにヒルデがいたのだろう、つまずいて転んでしまった。

 俺は地面に四つん這いになった。体の下にヒルデがいるのが感じられる。


 体中が重い。何だこれは。

 まるで魔力中毒症のような、鈍い苦しみが襲って来る。


 シスターが一歩俺に近づく。

 ここで俺の魔法を使ったら、宿が壊れる。他に客がいるんだ。巻き込まれてしまう。

 

 俺は体の下にいるであろうヒルデを抱えた。姿は見えないがしっかりとそこにいるのがわかる。

 そのまま《身体強化》を使うと、窓から外に飛び出した。


「逃しません!」


 シスターの声が背後から聞こえる。

 一歩進むたびに苦しみが体を蝕む。関節がきしむような、筋肉が無理やり引き剥がされるような、そんな痛みが全身を這い回っている。


 俺は地面に降り立つと、すぐに飛び上がって、建物の屋根を駆け抜けた。

 後ろからシスターが追いかけてくるのがわかる。


「ニコラ……、ニコラ……」


 俺の腕のなかで、ヒルデが呼んでいる。彼女はすでに姿を表していて俺はぎょっとした。


「隠れてろ!」

「ニコラ、魔力をちょうだい! そしたら、二人同時に隠せるから!」


 もしかしたらさっき俺の手に触れたときに気づいたのかもしれない。

 俺はヒルデに魔力を流した。

 シスターがさらに距離を詰めるのが見える。


 と、その瞬間、周りの風景が一瞬だけ歪んだ。

 シスターが顔をしかめるのが見える。


 俺は屋根から飛び降りて地面に着地した。瓦を蹴ればそれで場所がバレてしまう。苦しみが襲ってくる中、俺は走り続け、なんとかシスターを撒くことができた。


 そこは領主の城の近くにある建物の影だった。いくつかの建物が密集していて、その路地のようなところに俺は腰をおろしていた。


 呼吸が苦しい。こんなこと久しぶりだ。

 ゼエゼエと細くなった気管を無理やり空気が通るような音がする。


「ニコラ、ごめん。ごめんね。今助けるから」


 ヒルデが俺の顔に触れながらそう言う。

 俺には聞きたいことがあった。


「ヒルデ……。おまえ……」


 ヒルデの手がボワッと光をまとう。彼女はそのまま俺の胸に触れた。

 全身を蝕んでいた苦しみがふわっと軽くなるのを感じた。

 俺は深く息を吸い込んだ。


 俺の頭にひとつの単語が浮かんだ。


 聖魔法。


 俺がはげしく咳き込むのと、ヒルデがふらりと倒れるのが一緒だった。

 俺は彼女の体を抱きとめた。


 ヒルデは魔法を使いすぎたためか、疲れのためかスウスウと寝息を立てていた。


 俺は眠る彼女に尋ねた。


「おまえ、もしかして、ホムンクルスなのか?」


 

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