第161話 戦姫の試練(4)

「ちょっ……ちょっと待った!」


 メグリが慌ててリムへ駆け寄り、周囲へ聞こえないように耳打ちを始める。


「……あんたねぇ。その細腕で、どーやってわたしに勝つ気なのよっ? ステラはまだしも、團長が見てんのよっ! 非力丸出しの戦いしたら、替え玉バレバレでしょーが!」


 それにリムが、同じくヒソヒソ声を返す。


「……お師匠様? きょうはお化粧のノリが抜群ですね?」


「わたしの顔はいま、どーでもいーわよ! さっさとリング下りなさいって!」


「……ですが、この状況でわたしが挑まないのも、不信感を募りますよ? なんと言ってもわたしは、ステラさんを押さえての、一次試験首位通過者ですから」


「それはそうだけどぉ……。頭のいいあんたなら、いまの戦いを見て怖気づいたとか、いろいろ言い訳思いつくでしょーが! いい? 替え玉受験がバレたら、教員免許剥奪されるのよ? そうならないための、二次試験回避じゃない!?」


「ああ、のことならご心配なく。早く勝負を始めてください。こうして内緒話してたら、かえって疑われますから。アハッ♪」


「……っもう! どうなっても知らないわよ!」


 気が気でないといった様子でリムから離れるメグリだが、リムは強気の顔のまま。

 メグリは、リムがなんらかの策を持っていると信じて、選手の初期位置に立つ。


(ステラをリングへ上げることで、團長に「のリングイン」を認めさせたのだとしたら……。リムはまだなにか、策を持っているはず。くれぐれも、替え玉受験がバレるような下手は、打たないでちょうだい!)


 そんな心配をよそに、リムは悠々と木剣を構え、恐れなくメグリの木剣と切っ先を交わす。

 そして、左手に抱えていたバインダーを、メグリに向けて投げた。


「えいっ!」


 水平に回転しながら、メグリの胸元へ飛んでいくバインダー。

 それを受け取ったメグリは、頭上に「?」をいくつも浮かべながら、バインダーの1枚目にある白紙をめくり、2枚目を見てみる。


「…………っ!」


 メグリは、キャッチしたそのバインダーの2枚目を見て、激しい衝撃を受けた!


 ──「わたし 漫画の先生に なりますっ!」


 3行に分割された、丸い吹き出し内の台詞。

 漫画タッチで描かれた、4頭身のリムの自画像。

 それは、一次試験合格証明書……すなわち教員免許に、インクで描かれている。


(ば……バカッ! なにやってんのよリム! 子どもが好きで……教壇に立つのが、あんたが入團試験受けた動機でしょうがっ!)


 メグリはバインダーから顔を上げて、リムを見る。

 リムは木剣を正面に構え、真顔で切っ先をメグリに向けたまま。

 「いいから、それをよく見てください」……と、リムなりに気迫を放つ。

 メグリは再度手の中にある、一コマ漫画へ、視線を下ろした。


(主に余白を使って描かれてはいるけれど、鉛筆じゃなくてインクだから、これはもう公的な書類の役目を果たさない。靴なんて、陸軍大臣の押印の上に描いて、ベタまでしてるじゃない……。わたし、ベタなんて教えてないのに……)


 メグリは顔を上げず、眼下にあるへと、そう心中で話しかける。

 眉をキリッと上げ、恥ずかしそうに左目を伏せてウインクをした、笑顔のリム。

 不安ながらも、新たな夢への決意を固めている想いが、表情から伝わってくる。


(そう……リム。不正で得た書類で、先生になりたくない……。漫画で子どもたちを楽しませたい……。そう考えたのね。そして、どうせこの書類を破棄するなら、チームメイトのルシャの力になりたい……。そう思ったのね)


 メグリはその想いだけではなく、リムの漫画の技術テクニックにも目を見張る。


(もともと画力高い子だったから、頭身や骨格が狂ってないのはさすがだけど……。恐るべきは……この靴の描写! ベタで黒く塗ったあと、修正用の白インクで陰影をつけてある! わたしの鉛筆の落描きから、ベタとホワイトを思いつくなんて……地頭良すぎるでしょ! そりゃ陸軍大臣の押印もかすむわよ!)


 メグリは驚きながらも、まだリムへは顔を向けない。

 その鋭い両眼は、リムの自画像の観察を続ける。


(そ、それにこのドレスの模様……カケアミやがな! こんな精緻なグラデーションがかかった、肉筆のカケアミ……。自力で考案するなんて、ただ者やおまへんで!)


 なぜかステレオタイプの関西弁になりながら、カケアミを称賛するメグリ。

 リムの自画像の瞳を見て、その驚きはさらに加速する。


(星~! 目の中にホワイトで星~! これはダメでしょリムぅ~! 日本の漫画史で、女の子の瞳に星が発生するまで、どれくらいの歳月を要したと思ってんの~! わたしが描いたしょーもない落描きから「目に星」を導き出すなんて! じゃないの!?)


 漫画のリムの顔には、頬の赤みの射線、髪の毛の重ね描きや天使の輪が盛りこまれており、部分的ではあるが、1990年代の日本発祥の描写さえ見られる。


(基礎画力が高く、地頭もいい子が、日本で数十年かかって培われた技法を、短期間で習得しようとしている……。もしかするとわたしは、とんでもないモンスターを、この世界に生みだしてしまったのかもしれな…………)


 ──ぽこっ!


「……っ?」


 頭に違和感を覚えたメグリが顔を上げると、目の前にはリムが立っており、笑顔で木剣を振り下ろしている。

 切っ先が、メグリの頭頂部に、そっと置くように優しく打ちつけられていた。

 リムが両目を閉じた微笑みで、勝利宣言。


「……これでわたしの勝ちですね、お師匠様。……進ませていただきます」


「え、ええ……。まあ……約束は……約束だもの……ね……」


 メグリは特に抗わず、いまの緩い一撃をもって、自分の負けを認めた。


(わたしの、「リムがまだ教員免許にこだわってる」という誤認を突いて、動揺を生み出しての一点突破……。策士にして……クソ度胸ね!)


 笑いも風刺もないながら、少女の想いと決意を秘めた、拙くも美しい一コマ漫画。

 そして、自分の古い夢をあっけなく捨てるという思いきりの良さと、まだ夢を追っている仲間をノーリターンで支えようとするチームワーク。

 その二つにメグリは敗北を喫し、チームとんこつの二次試験進出を認めた。


「さすがリーダー……。最後にきっちり決めたわね……っと!」


 メグリはリムを向いたまま、背後へ高く跳躍。

 リングを脱しながら、宙でバインダーを手裏剣のように投げて、リムの胸へ返却。

 その勢いが強かったため、リムはきちんとキャッチしきれず、わたわたとバインダーを両腕の間で跳ねさせる。

 その様子を見て「くすっ」と笑ったメグリが、この4連戦の最中で一度も見せなかった癖のウインクを、満面の笑みでリムへと向けた。


「この先も頑張んなさいっ! 陰ながら応援するわ!」


「……はいっ!」


 メグリは手にしている木剣を、投擲によって木剣置き場へと立てかけ、武技堂を後にした。

 その右斜め後ろを、エルゼルがついていく。


「……先ほどリング上で、なにを見せられたのだ?」


「ふふっ……。『新宝島』よ。この国の……ね」


「……? 本か?」


「そんなとこ。お宝本だからつい見入っちゃって、隙を突かれたわ。あはっ!」


「敗因が抜けているところも、タヌキ女らしいというか……。ところで、このあと時間は取れるか? 蟲とのあの戦いぶりを見せておいて、われわれになんの説明もなし……というのは、道理に沿わぬのではないか?」


「……そうねぇ。そちらの道理に合わせる義務はないんだけれど、蟲の殲滅という目標は一致してるし、そろそろ話しておきますかねぇ。信じるか、信じないかは、あんた次第だけど」


 ──一方、武技堂に残っているチームとんこつ。

 堂内の片づけを終え、ラネット、リム、ルシャの3人が、三角形を作るようにして、リムが手にしているバインダーの一コマ漫画を覗きこんでいる。

 ルシャは漫画の下に描き潰されている、教員免許の痕跡を見て、申し訳なさそうにリムへと話し始める。


「師匠、これを見て驚いてたのか……。悪かったな。オレのために、教師の夢諦めさせちまって……」


「いいえ、それは違います! わたしはお師匠様から漫画という技法を教えていただいたとき、これこそわたしが進む道だと確信したんです! ルシャさんは悪く思う必要ありませんっ!」


 力強い笑顔で答えるリムに、救われたような苦笑を浮かべて返すルシャ。

 リムはその笑顔を、ラネットへも向ける。


「ラネットさんが前に言った通り、二次試験は半分が顔見知りで、替え玉受験もますます厳しくなります。意思疎通と情報交換をしっかり行い、最後まで居残りましょう。わたしたちは合格する必要ないんですから、成績はあまり気にせず……です!」


「……うんっ!」「おっしゃ!」「はいっ!」


 3人が交互に目を合わせあい、続けざまに気勢を上げた。


「……なるほど。姉弟子たちは替え玉受験ですか」


 3人に続くかのように上がる、ステラの抑揚のない声。


 ──カターン!


 リムが手にしていたバインダーを床へ落とす音が、それに続く。

 3人は、錆びついたネジのように首をギチギチと回しながら、ステラの声がしたほうへ、凍りついた顔を向ける。

 リングを挟んだ反対側に、木剣1本を手にしたステラが立っている。

 リムはひきつった笑顔で、恐る恐るステラへと尋ねた。


「ス、ステラさん……。お師匠様と一緒に、出ていったの……で……は?」


「いえ。お師様に弾き飛ばされた木剣を、回収していました。自分が使ったものは、自分でしまうのが礼節です」


 メグリ対ステラの一戦。

 最後にステラが足掻きで投擲した木剣は、メグリによってだれもいない壁側へと弾き飛ばされていた。

 それをしゃがんで拾っていた小柄なステラの姿は、リングの向こう側にいた3人には、見えていなかった。


(((ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ……)))


 額の生え際から汗の玉を無尽蔵に垂らしながら、3人は唇を真横に閉じて、目を細める。

 中でもリムは学問試験の場で、ステラが不正者を告発した現場に立ち会っているため、汗の量も2割増し。

 死刑宣告を待つかのような3人に向かって、ステラが真顔のままで口を開いた。


「……わたしを上回る者を3人も育てるとは、さすがお師様」


「「「……へっ?」」」


「3人で替え玉受験を行っているのならば、内訳は武技、学問、歌唱でしょう。一芸とは言え、それだけの力量の者を3人育てるのは難題。さすがはお師様」


 その返答を受けて、ピンときたリム。

 ササっとラネットとルシャの首へ両腕を回し、会話がステラへ漏れぬよう、小さな円陣を組む。


「……どうやらステラさんは、お師匠様がわたしたちを『一から育てた』と解釈し、むしろ感心しているようです。ただ麓で知り合っただけ……という関係はバレていないようなので、その線で押しきりましょう!」


「う、うん……わかった!」


「おう! あいつとはなるべくしゃべらねーほうがいいな!」


 意見を取りまとめたリムが代表して、ステラへと相談を持ちかける。


「あ、あの……。できればこのことは、内密に……。わたしたち、わけあって二次試験へ進みますが、入團の意思はありませんので……。アハッ……アハハハ……」


「構いません。お師様も考えあってのことでしょう。わたしもいまや目標はお師様越えで、入團試験への興味は、ほぼ失せましたので。冷やかしの受験者、という点では同じです」


「そ、そうですか……。では、そういうことで何卒……。アハッ、アハハハハッ!」


 渇いた喉から愛想笑いを捻り出しながら、急場を凌いだリム。

 替え玉受験の企みを知る人物を一人増やしながらも、チームとんこつはいまここに、ようやく二次試験進出を確定させた──。

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