第106話 リム・デックス
──チームとんこつの自室。
ラネットとルシャの退室後、入れ替わりで訪ねてきたキッカ、リッカ姉妹を、リムが一人で応対している。
お目当てのラネットが留守なのを知ったリッカは、化粧台のいすに腰かけて、両脚をぶらぶらと前後に振り、身を持て余している。
「せっかく遊びにきたのに、ラネットさんがいないなんてつまんな~い!」
「ごめんなさい、リッカちゃん。彼女たちには、いろいろと動いてもらっているもので……。お互い二次試験へ進んだあとで、あらためてラネットさんと遊んであげてくださいね」
実家の美容室で、子連れ客の子どもの相手をしていたリムは、こうした不機嫌な相手の扱いには慣れている。
とはいえ、二次試験へ進むつもりのない自分が、その場しのぎで少女へ嘘を放ったことに、胸がチクリと痛んだ。
そんなリムの心中を知らない長姉のキッカは、ふるまわれた紅茶を優雅に口へ運んでいる。
「……従者のお二人は、情報収集ですか? 確かに諜報活動は、受験者当人よりも従者のほうが、なにかと融通利きますものねぇ」
「もしかしてキッカさんも、情報収集でこちらへ? ……って、わたしたちから得られる情報なんて、なんにもないですよね。アハッ」
「いえいえ……。学問試験、武技試験の結果から見て、リムさんはうちのイッカよりも上位。こうしてそのコンディションを見るのも、立派な諜報活動です。華奢に見えて、ゴーレム戦の疲れがまったく伺えないあたり、要注意人物だと睨んでいますよ。くすっ」
「ど、どうも……。光栄です」
リムは笑顔で恐縮しながら、ティーセット用のトレーで口元を隠す。
そのトレーの陰では、半開きの唇が緊張でひくひくと震えていた。
(ゴーレム相手に戦ったのはルシャさんですから、わたしは疲れていなくて当然なんですよね……。部屋でずっと、絵を描いていましたし……)
リムはいまの心中のつぶやきにあった、「絵」というワードに自ら反応。
武技の試験が終わるまでの間に描いたもので、目の前の来客を楽しませられそうなものがあったことを思い出す。
「……あっ、そうでした。リッカちゃん、ラネットさんはいませんが、代わりになるものがあるんですよ」
「代わりに……なるもの?」
「えっと……。少々、お待ちを……」
下段のベッドにあったシーツを小脇に抱えて、上段のベッドへ上るリム。
その縁から床へ向けて、垂れ幕のようにシーツを広げて下ろした。
「エヘッ……。これです!」
そこには従者時のラネットの全身像が、鉛筆にて等身大で描かれていた。
リッカが思わず立ち上がり、絵の正面へと駆け寄る。
「わあ~! ラネットさんだぁ! リムさん、絵、上手~!」
「アハッ、ありがとうございます。ラネットさんってボクボク言ってますから、出来心で少し、顔をボーイッシュ寄りにしてますけど。アハハ……」
「ホントだ。ちょっと男っぽ~い! でもこういうラネットさんも、リッカ好き!」
やや眉と目元を凛々しくアレンジして描かれたラネット。
大喜びのリッカはもちろん、着席のままで眺めるキッカの顔も、驚きと感心に満ちている。
「すばらしい画力ですね……。看板職人などの大きな絵を描かれる人は、目の前で細部を描きながらも、頭の中では常に全体像をイメージされていると聞きますが……。リムさんもそうした、職業画家の目と脳をお持ちなのですね。先ほどまで、長剣や槍斧を勇ましく振るっていた人の作とは、とても思えません。はぁ~」
(ですから別人なんですよ……。騙してるみたいで……というか騙してて、申し訳ないですけど。アハハハハ……)
「ルームメイトが留守の間、手持無沙汰だったので描いてみたんですよ。こういう人物を描いたシーツを袋状に縫って、中に綿を詰めて抱き枕にしたら、面白い売り物になるんじゃないかな~と思って、つい筆を走らせてしまいました」
「まあ、商才もおありですのね……くすっ。もしその図柄がエルゼル團長ならば、それはもう、空前のヒット商品になるでしょうねぇ」
「團長さんの図柄、ありますよ。実はこちらが本命で、ラネットさんは練習で描いたんです。はいっ」
リムがシーツを裏返す。
裏面には、両手を腰に当てて直立するエルゼルの、軍服の全身像が描かれている。
カップを口に運んでいたキッカは、横目でそれを見るなり、テーブルの端から端まで紅茶を噴き出した。
「ブーーーーーッ! げほっ……ごほっ、かはっ……ごほっ!」
「わっ……! キッカおねえちゃん、きたなぁ~い!」
キッカは膝の裏で長いすを後方へ弾くと、内ポケットから取り出したハンカチでテーブルを速攻で拭き上げ、シーツの前に立っていたリッカを抱きかかえると、それまで自分が座っていた場所へ下ろし、エルゼル全身像の前を陣取った。
「こ、この背丈……。顔の大きさ……いえ、小ささ……。手と脚の長さ……。そして、むむむむ胸の……サイズ……。一寸の狂いもない、エルゼル様の御姿! 遠目で見ただけで、よくぞここまでの再現を……リムさん!」
(先ほどの武技試験観戦中、隣にたまたま團長が来たから、じっくり観察できたんですけど……これも言えませんね。一つの嘘を貫くのに百の嘘が必要……とは、よく言ったものです)
エルゼル像をガン見するキッカのわきでリムは、なにか言いたそうに口をもごもごと揺らすも、黙って苦笑を続ける。
エルゼル像を頭からつま先まで舐め回すように観察したキッカは、全体に無数の血管を浮き上がらせたジト目をリムへ向けながら、重苦しい発声で短く問うた。
「……して、値はいかほどでしょう?」
「ね、値……ですか? いえ、これは売り物ではなくて、あくまでこういう商品があったら売れるかなぁ……という試作品未満のものでして。そもそもこのシーツ、軍の備品なので売買はできませんし、のちほどちゃんと洗濯しますし……。あと、他人……特に軍人さんを勝手に商品に使うのは、問題アリアリですし……」
「……なるほど。情報商材との交換を所望……ということですね?」
凝視によって黒目が縮み、三白眼と化した血管だらけの瞳をリムへ向けるキッカ。
リムはヘビに睨まれたカエルのように身をこわばらせ、無数の冷や汗を額に作る。
「い、いえ……。ですから、売買とか交換とか、そういう話ではなく……」
「前回の歌唱試験の概要……。成績上位のリムさんに明かすのは、とてもリスキーですが……。これで、いかがでしょう?」
その言葉を受けて、リムの眼鏡の二つのレンズが、全体で光を放った。
「そういうことなら……。商談成立ということで!」
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