第105話 連れこみ宿

 キスを終えてもなお、ルシャの赤い顔を間近で愛でようと顔を寄せるセリ。

 その両頬を両手で掴み、いやいやと押し返すルシャ。

 リムは苦笑しながら二人のやり取りに背を向けて、セリの家庭教師と話を続ける。


「……でもどうしてセリさんは、ルシャさんの顔だけが見えるのでしょう?」


「お嬢様の顔朧症には、わずかにムラがあるのかもしれません。ルシャ様は、そのムラの隙間を縫うようなお顔立ちをされているのではないでしょうか。なにぶん初めての事例ですので、無根拠の憶測止まりですが」


 二人の会話を耳にして、セリが真顔に戻り、リムへと向き直る。

 その動きにつられるように、ルシャも首を同じ方向へ曲げた。


「……うむ。今朝などは、ルシャの顔もほぼ見えなくなった。わたしの体調、あるいはルシャの化粧のノリなどでも、ムラが生じるのかもしれない」


「オレぁ化粧なんかしねーぞ? ああでも、今朝なら……。オレがリムに化け……むぎゅっ!」


 ルシャの口がうっかり滑り、替え玉受験を暴露しそうになる。

 ラネットが背後からルシャの頭を押し、その口を再びセリの胸の谷間へ埋めた。


「いや~。だったらすぐにでも、音楽堂で練習すべきじゃない? またルシャの顔が見えなくなったら大変だし、練習用の防音室も埋まっちゃうかもしれないしさ~」


おばえらおまえら……おどなじぞうにみえでおとなしそうに見えて……おでのあづがいオレの扱い……だんぼうだよな乱暴だよな……」


 リムもこれ以上ルシャがよけいなことを口走らないようにと、セリの手を引いて退室を促す。


「そ、そうですね。あの、お茶を入れておいた水筒がありますから、これ、喉を潤すのに使ってください」


「ふむ……。重ねて感謝する」


「あっ……そうそう。セリさん、最後にひとつだけ質問です。きのうの学問試験、最後の問題の答、なんと書きましたか?」


「さあ……覚えていないな。先ほど述べたとおり、わたしは記憶力に乏しい。あの試験も、開始直前まで先生からヤマを習い、試験開始と同時にまず、それを問題用紙へひたすら書き綴ったくらいだ」


「そう言えばセリさん、会場入りが最後でしたね」


「あとは……運だな。数学や選択問題などは、だった。フフッ……」


 セリがテーブル上にあった鉛筆を一本手に取り、低い位置から放った。

 四面の形状の鉛筆が、ぎこちなくころころとわずかに回転。

 リムの顔に「?」と困惑が広がるも、ラネットはふんふんと頭を上下させる。


「鉛筆サイコロの運頼みかぁ。ボクもちょくちょく、お世話になったなぁ。えへっ」


「あ、ああ……。そういうアイテム……ですか。アハハ……」


 成績優秀のリムは、それまで鉛筆サイコロというものに縁がなかった。

 そんな運任せアイテムの存在と、それを知らなかった堅物の自分に苦笑いしながらも、先ほどセリに問うた自分の疑問を、頭の中で消化し始める。


(……あの午砲を用いた最終問題の答は「4」。四面の鉛筆サイコロで正解する確率は4分の1……。記憶力に難があるセリさんが合格ラインに肉薄していたのは、あの最終問題を運で当てたからですね。ルシャさんから途中退席していたと聞いていたので、最終問題をどう解いたのか興味ありましたが……納得です)


「……質問は、もういいか?」


「あっ、はい! 不躾な質問、すみませんでしたっ!」


「いや、不躾は万事こちらだ。きみたちの気遣いに、深く感謝する。それではルシャは、遠慮なく借りていく。この礼は、いずれまた……!」


 セリの家庭教師と家政婦がドアの両サイドに立ち、開放。

 セリが身を翻してドアに向かい、胸に顔を挟んだままのルシャを、乳圧で引きずりながら部屋をあとにした。


おでのあづがいオレの扱い……びどずぎだろ酷すぎだろ……」


 セリ一行が部屋を出たのを待って、ラネットも身を翻し、ドアへと向かう──。


「じゃ、ボクもあしたの歌唱試験に向けて、練習頑張ってくるから!」


 ──音楽堂。

 客席を挟んだ、ステージ向かいのコンクリート製の壁。

 そこには個人練習用の防音室のドアが、いくつも横に並んでいる。

 ドア外側に提げられている木札は、多くが「使用中」になっており、「空室」は隣り合った2室のみ。

 ルシャとセリの二人は、並んでその前に立った。


「防音室って……密室だろ? エロ眼鏡と狭い密室……かぁ。ううぅ……」


「ふふっ、心配するな。取って食ったりはしない」


「おまえさっき、人前で無理やりキスしてきたばっかだろ! もう忘れたのかよ! いくら生まれつきの病でも、同情しきれなくなっぞ!」


「無論それは覚えている。言っただろう。記憶力に難はあれど、ルシャ絡みのことはよく覚えていると。先ほどのキスの感触と味はもちろん、きのうの……」


「わーっ! あのことは忘れろっ! やっぱおまえは隔離しとかにゃ、世の中のためにならねえ! ほらっ、さっさと中に入れ!」


 ルシャが目の前の防音室に提げられた木札を乱暴に「使用中」へとひっくり返し、セリの腕を引っ張って入室。

 続けざまに、カチリと施錠の音を立てた。

 その音とともに、座席の陰に隠れていたラネットが現れる。


(……いまの二人、連れこみ宿に入るカップルって感じで、ちょっとヤらしかったなぁ。連れこみ宿って、実物見たことないけどね。あはは……)


 ひとつ残された空きの防音室。

 ラネットは、そのドアへ提げられた木札を「空室」から「使用中」へと裏返す。


(さーって。ボクも團歌の練習、みっちりやろっと! リムもルシャも好成績出してるから、一次試験突破は堅そうだけど……。だからってボクだけ手を抜くわけにはいかないからね。そして練習終えたら……お師匠にトーンのこと、聞きにいくんだ!)


 防音室へ入り、内側からドアを閉めようとするラネット。

 その閉まり際のわずかな空間から、まるでネコが狭い隙間を潜り抜けるかのように、小柄な少女が滑りこんできた。


「ラネットちゃん! デュエットしよっ!」


「ええっ……!? カ、カナンっ!?」


 驚きで一歩退いたラネットに代わり、後ろ手でドアを閉め、施錠するカナン。

 隣り合った防音室に、危うい関係の少女が一組ずつ収まった──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る