第165話 牢獄

 ──現役戦姫團の主要施設が並ぶ、ナルザーク城塞西棟。

 そこにある、取調室、または聴聞室、あるいは尋問室……。

 ケースによって呼び名を変える、コンクリート打ちっぱなしの無名の部屋。

 その中央にある正円状の金属製の蓋を開けると、地下牢への階段が現れる。

 火を灯した太めの蝋燭を立てた、携帯用の燭台。

 それを右手に、暗い地下牢への階段を下りていくフィルル。

 その背を、同じ燭台を左手に持って、ロミアが追っていく。

 地下ながら、通風孔が随所に備えられており、換気は十分。

 湿り気やカビくささはなく、時折空気の流れで蝋燭の炎もゆらめく。

 初めて足を踏み入れるフィルルも、五感でそれを察した。

 階段を下りた先に伸びる真っ暗な直線の通路の両脇に、縦軸の鉄格子を前面に配した地下牢が並ぶ。

 一番手前、右手の牢の中に、フィルルが見知った顔があった。


「……ユーノ」


 メイク担当従者としてフィルルに同行し、ナルザーク城塞内の機密……主に蟲の情報を集めようとし、メグリに捕らえられた海軍兵、ユーノ・シーカ。

 牢内の隅にある、壁と連結した石造りのベッドの上に、化粧っけを失い、覇気をも削がれた顔のユーノが、薄い毛布にくるまって、ミノムシのように横になっている。

 蝋燭の明かりに反応して身を起こしたユーノは、ベッドからゆらりと立ち上がり、ふらふらとフィルルの正面へ歩む。

 やつれた顔ながらも、しのびとしての活動中に見せた、不敵な笑みを浮かべている。


「フィルルお嬢様……。おっと、つい癖で『お嬢様』と呼んでしまいました。もう、そう呼ぶ資格はないというのに……くくっ」


「構わないわ。受験者の中で一番お嬢様らしいのは、事実ですもの。クスッ……」


 俯いて自虐的に笑ったユーノに対し、フィルルは自然で上品な笑い声を返した。

 その反応を受けて、ユーノが不敵な笑みのまま、ふらっと顔を上げる。


「……では、。わたしの素性は、もうお聞きでしょう?」


「……ええ。この城塞から機密を持ちだすために、わたくしに近づいて従者になりすました、海軍のスパイですってね? まだ受験者の身であるわたくしは、それ以上は聞かされていませんけれど」


「……なるほどなるほど。肝心な情報は端折はしょられましたか。ま、知らぬが幸いの類の話ですから、けっこうなことですが」


 ロミアの手前、ユーノは蟲の話題を口にしない。

 フィルルも同じくロミアの手前、必要以上のことは聞き出そうとしない。


「ちっとも『けっこう』ではありませんわ。おかげで共謀グルや手引きを疑われ、尋問を受けてしまいました。ふぅ……」


 空いた左手を広げて、溜め息をついてみせるフィルル。

 しかし、下方から燭台に照らされているその顔には、怒りや疲労の色はない。


「……ですがまぁ。受験者の身でこの西棟へ足を踏み入れたのは、戦姫團史上初とのこと。わたくしにふさわしいエピソードが、また一つ増えましたわ。クスッ……」


「ふむ。それで、さほど機嫌を損ねていないご様子で。いやあ、話が切り出しやすくて、ありがたいですねぇ。くっくっくっ……」


 ユーノが左手をめいいっぱい広げて顔面に当て、溢れ出る笑みを押さえつける。

 その芝居がかった所作を受けてフィルルは、左手の甲を腰に当て、鼻から小さな溜め息をついた。


「……あなた、わたくしになにか話があるんですってね? ま、おおかた……。わたくしの家柄を頼っての、釈放の懇願……でしょうけれど」


「さすが、ご明察。しかし惜しいかな、懇願ではなく……取引です」


「取引……?」


「順を追って話しましょう。お嬢様の出身地である古都・ズィルマには、わが海軍の鎮守府、そして陸軍の城塞司令部があります。ズィルマの豪族であるあなたならば、その双方へ口が利きましょう。そのつてで、わたしの拘束を解いてほしいのですよ」


「双方へ口利き……ということは、あなたには海軍の助け船もないのね?」


「ええ。船は山へ登れぬと、事前に念押しされてましてね。わたしも捕まらない自信あっての潜入でしたが、イルフをぶつけられるとは計算外でしたよ」


「スパイらしく、自害をなさるおつもりは?」


「他殺っぽい自害はしましたが、運よく回復しましてね。それでまあ、もう少し生きてみようかと。くくっ……」


 露出している肩に残る、赤紫色の毒針の痕を指先で撫でてみせるユーノ。

 それを見てフィルルは、一応自害は試みたのだと察する。


「しかしま……。取引とは、双方が対価を得て成立するもの。いまのみすぼらしいあなたに、その対価は用意できますの? 言っておきますが、牢を出たあとでなにかを用意する……などという、当てのない戯言には、耳を貸しませんことよ?」


「……無論です。いまこの場で、値千金の対価を提供します。すぐに!」


 言い終わると同時にユーノは左手を耳にかけ、すぐに口元へ運ぶ。

 一見、左手で口を塞ぐしぐさ。

 その内側で、耳の上片に忍ばせていた長さ5センチ、直径5ミリ程度の木製の筒を口に咥える。

 そして、口に当てている指の隙間から筒の先を出す。


「対価は……これですよっ! フッ……!」


 それまでの動作を流れるようにこなしたユーノが、筒から毒針を射出。

 それが、フィルルの細く白い首へと一直線に放たれた。


 ──プツッ!

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