第166話 カメムシは自分のニオイで失神する

「……なっ!?」


 フィルルの首筋を狙って放たれた毒針──。

 それは、フィルルが右手に持つ燭台の、蝋燭で防がれていた。

 太めの蝋燭のほぼ中心部に、銀色の細い毒針が刺さっている。

 突如現れた燭台に、ユーノは不敵な笑みを消し、最小限にとどめた驚きを見せる。


「いまのを……防ぐっ!? ありえないっ! 事前に読みきっていた……と、いうのですかっ!?」


 フィルルが燭台を下げ、蝋燭の炎に隠れていた微笑を覗かせた。


「クスクスッ……。あなたが毒針使いなのは、事前に團長様よりお聞きしました。高度なメイク術をお持ちのあなたなれば、とっておきの一本を、体のどこかへ仕込んでいると察しましたの。そこへ、かんぴんのあなたからの、取引話となれば……。取引材料は、わたくしへ刺した毒針の……解毒薬。その調合法、ですわね?」


「くっ……。憎らしいほどの洞察力と、反射神経ですね……。どうやらわたしが睨んでいた以上の、大物のようです……。フォーフルール家の……お嬢様は!」


「オーッホッホッホッ! そう、わたくしはステラ・サテラ以上の大物! 二次試験こそは首位で通過し、戦姫團入團式の花道を、先頭で歩まなければならぬのですよ。ですから先ほどの取引……乗りましょう!」


「……えっ?」


 話の流れからはまったく予想できない、フィルルの結論。

 思わずユーノは真顔になり、首を傾ける。

 それを見てフィルルはにんまりと微笑み、左手の人差し指を下唇へ当てた。


「ユーノのメイクの腕は超一流。あなたの身分はどうあれ、その事実に変わりなし。わたくしとしても、ここへ来てあなたを失うのは痛いのです。とは言え、わたくしの命を狙ったあなたの釈放は考えもの。それに、戦姫團の機密を盗もうとしたあなたを野に放てば、わたくしの入團も危うくなりますもの……ねぇ?」


 フィルルは話しながら上半身を捻り、言い終わり際を背後のロミアへと向けた。

 ロミアがこくこくと、無言で頷く。


「……よって、ユーノ。わたくしのメイクを、この牢の中で引き続き担当することを条件に、牢内での待遇の改善を、わが家を通じて陸海軍上層部へ働きかけましょう。切り札を使ってしまったあなたのメンタルは、恐らくもうかい寸前。ですがわたくしの条件を飲めば、好転させるための時間は稼げるでしょう?」


「くくっ……くくくくっ! フィルルお嬢様。あなたは生まれた家が当たりで、頭も切れ、身体能力にも恵まれた……。癪にさわることだらけですが、役者が数段上と言うしかありませんね! その取引……謹んで飲ませていただきます!」


「……ということですが、副團長様。変則ながら彼女を従者として、引き続き扱うこと……よろしいでしょうか?」


 フィルルが背後のロミアへ体を向け、左手を体の脇につけた姿勢で問う。

 ロミアは眉をひそめた苦笑を浮かべ、肩をすくめた。


「わたしの一存では決められないけれど……恐らく大丈夫ヨ? この状況、あなたの従者をこちらが拘束してる……とも取れるものネ。あなたの試験の出来に影響が出ないよう配慮する義務は、わたしたちにあるワ」


「……ありがとうございます。では早馬にて、父上へその旨手紙を出しましょう。ですがユーノ……あなたの勘違いを、一つ訂正しておきましょうか。副團長様、これを……お願いします」


 フィルルがロミアへ歩み寄り、その空いている右手へ、自分の燭台を差し出す。

 毒針付きの燭台を受け取ったロミアは、両手に燭台を持った格好。

 対して両手が空いたフィルルは、ユーノが投獄されている牢の、向かいの牢の前に立ち、その鉄格子2本を両腕で握る。

 そして、唸りだす。


「くっ……フヌッ! うっ……くっ……ンンンン……んくあぁ!」


 握った鉄格子を左右へ広げんと、手首に血管を浮かべつつ、全力を注ぐフィルル。

 握られている周辺の鉄格子が、ギリギリと徐々に変形し、左右へと開いていく。


 ──ギッ……ギギッ……ギシッ……グギギッ……。


「えっ……嘘ォ!?」


 軍歴がそれなりのロミアも、その細腕から生じる怪力に、驚きの声を発した。

 ほどなく、幅20センチほどの間隔だった鉄格子に、30センチ強の菱形状の隙間が生じた。


「ふぅ……。ユーノならば、頭が通る隙間さえあれば出られるでしょう? あなた一人脱獄させるなど、父上の権力を借りなくとも可能……ということです。クスッ♪」


 ぶらぶらと手首から先を宙で振りながら、フィルルが翻り、ユーノを向く。

 それから右手を胸に当て、背を反らして、誇らしげに声を上げる。


「いまのわたくしを形成しているのは、家柄でも、天賦の才でもありません。すべては……努力です! 努力、努力、努力……! この容姿も、頭脳も、身体からだも、すべて努力で培ったもの。たとえ貧しき家庭に生まれようとも、わたくしはいま、この日このとき、このわたくしになっていたでしょう!」


 高らかな自画自賛。

 知識と洞察力で毒針を防ぎ、権力を頼らず腕力で脱獄させられると豪語するフィルルに、ユーノは畏敬の念を抱きつつあった。


(この、フィルル・フォーフルール……。立場こそ違えど、その精神スピリッツは、が発足を望む、海軍初の乙女専任部隊「セイレーン」の有志と……同じ!)


 両手に燭台を持たされていたロミアが移動し、鉄格子越しに向きあうフィルルとユーノを横から照らしながら、二人へ交互に視線を向ける。


「……でも、このスパイちゃん。毒針をどこに隠し持ってたのかしら? 捕まえたときの身体検査で、体中の穴という穴を丹念に調べたのヨ? でも、なにも出てこなかったワ? あぁでも、お汁はちょっと多めだったわネ?」


「そ……それは言わないでくださいっ! 思いださせないでくださいっ! 戦姫團の野蛮な身体検査……。わたしは許しませんっ! 決して許しませんよおぉおっ!」


 これまで不敵な態度を通してきたユーノが、頭を抱えて膝を落とし、それから前のめりに倒れて、石の床の上を左右にごろごろと転がり続ける。


「ふ……副團長様。いったいどのような身体検査を……されたので?」


「……軍事機密よ、ウフッ♪ で、フィルルちゃんは、彼女がどこに毒針を隠し持っていたか、おわかり?」


 ロミアが内緒話のジェスチャーをしながらウインク。

 フィルルはある種の戦慄をロミアに覚えながら、質問に答え始める。


「ズィルマの東方に、しのびと呼ばれる諜報と暗殺のプロフェッショナル集団の隠れ里があります。彼女がその忍であるならば、体内に吹き矢の一つも埋め込むでしょう。針、筒、毒物の容器を、脹脛などの目立たぬところへ分散して埋め込んでおき、まず針を皮膚を突き破るようにして取り出し……。その針を用いて肉を割き、筒や毒物の容器を取り出した……といったところでしょうか?」


「くっ……さすがですね。満点の解答ですよ……」


 フィルルの説明中、床を往復しながら転がり続けていたユーノが動きを止める。

 うつ伏せでフィルルを疎ましく見上げるユーノを、フィルルは見下しながら鼻をフフンと鳴らす。

 続けてスンスンと音を立てて、周囲のにおいを嗅ぐしぐさを見せた。


「ところで副團長様? なにやら異臭が……いたしませんか? ユーノは拘束後、ずっとこのままですか?」


「いえ? 身体検査は手枷足枷着用の上で、お風呂でしてあげたワ。でも、確かに妙な匂いがするわネ……。これは、なにかが焦げるような匂い……」


「「「……あっ」」」


 3人の視線がいっせいに、ロミアの右手にある、毒針を防いだ蝋燭へ向く。

 蝋燭が時間の経過で短くなり、刺さっている毒針近くまで炎が下りていた。

 それを見たユーノは、すばやく背後へと下がると、毛布で体を包みながら叫んだ。


「蝋燭を……消してくださいっ! その毒の成分は、熱すると大気中に拡散しますっ! このままでは……3人とも全身紫色になって毒死ですよっ!」


「あ……あらやだ、それは一大事ネ! すぐに消さなきゃ! ふーっ! ふーっ!」


「逆っ! 逆ですわ副團長様っ! 毒針が刺さっているのは、逆の燭台ですっ!」


「あら、ごめんなさい。わたし、けっこうドジなところあるから……ふうぅ~っ!」


「ひいいいぃっ! こちらへ煙を向けないでくださいませぇ……って、燭台をどちらも消したから、真っ暗闇ですわ~っ! ユーノ、出口どちらですっ? 忍のあなたならば、夜目が利くでしょうっ!」


「左……左ですっ! 早く地下牢の蓋を開けて、換気を良くしてくださいっ!」


「左……ですわねっ! えいっ!」


「ああああ~っ! お嬢様逆、逆! わたしから見て左ですっ! お嬢様からは右手ですっ!」


「もお、ちゃんと言いなさいなっ! ええと……先ほど左を向いたあとで、一度翻りましたから……。本来の右は……こちら! きゃうんっ!」


 ──ガゴンッ!


「檻に……頭が檻に、嵌ってしまいましたわ! 先ほどわたくしが作った隙間にっ! くうううぅ……抜けませんっ! あっ……こ、これはなにも、わたくしの顔が大きいということではなくってよ! 頭髪! 毛量の問題ですのっ! それより副團長様、わたくしに代わって、地下牢の蓋を開けてくださいな!」


「そ、それがネ……。わたし、真っ暗闇って……ダメ……なの。腰が抜けちゃって……立てないノ……。ごめんな……さいネ……。ウフッ……」


「「きゃああぁあああぁあっ!」」


「だからエッチするとき、『明かりを落として』……って頼まれても、断っちゃうのヨ……。それでよく意地悪だって、誤解されちゃうんだけれど……。ホントは、暗闇がダメで……」


「いま、その情報はいりませんわ~っ! どなたか~! 助けにいらして~!」

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